- 作者: ヤスミナ・カドラ,藤本優子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/03/23
- メディア: 単行本
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文学は死んだとか生きているとか半死半生だとか復活したとか、いろいろ言われる時代に、本書のように何のてらいもない、骨太の真正面からの文学を読まされると、本当にうちのめされたような気分になる。
何のてらいもない、と書いたけれど、いま先進国の多くの文学は、そのてらいだけで成立している。変な技法、自己参照、書くべき問題がないことを延々と書くような自慰的な耽溺。それはそれでおもしろいこともあるんだが、やはりそれだけのものでしかない。
本書はまったくちがう。イスラム圏の近代化と伝統、パレスチナとイスラエル、そして女性の地位その他の問題を見事にからめつつ、怪しげな技法に頼ることなく話がつむがれる。こうでなければ書き得ない問題があり、小説でしか描けない世界がある。近代化した生活を送る主人公の妻が自爆テロの実行犯となる。なぜ?? その背景をつきとめようとする主人公は、近代、イスラム、パレスチナ問題、自由、女性といった問題に否応なく直面せざるを得なくなる。それもクッツェーみたいな、先に問題ありきでそれにあわせて小説をまとめるような小器用なものじゃない。先進国の文学やテレビでは、テロというのは単なるファッションアイテムで、かなり荒唐無稽な(でも安易な――ジャックバウアーがだれてきたら新しいテロ組織でも入れればいい)手続きを経ないと導入できない。それがここでは、くだくだしい説明なしに入ってきて、それもまったく嘘くささなしの痛切なリアリティを持つ。
これはまさに村上龍の、文学というのは近代化における葛藤を描くものだ、というのを如実に証明している小説でもある。うーん、思いっきりケチをつければ、なんかうますぎるような気もするし、話の終わらせ方は安易だとも思う。が、それはぜいたくってもんだ。イランですばらしい映画が次々にできたり、これ以外にもイラクやアフガンやイランの小説がすばらしい水準を示している。こういうのを見ると、前に都甲のアメリカ小説紹介本が世界文学を詐称しているのに難癖をつけたのはやはり正しかったと思う。アメリカ小説だけでは、こういう世界はない。この本はフランス語で書かれているけれど、たぶんアラビア語とかでもあると思う。こういう本を読んでしまうと、トマス・ピンチョンとかは、おもしろいけれど軽く(これは本人が意図している、いい意味での軽さではなく、悪い意味での軽さね)思えてしまうんだよね。
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.