- 作者: ショラルショルカル,Saral Sarkar,森川剛光
- 出版社/メーカー: 月曜社
- 発売日: 2012/11
- メディア: 単行本
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エコロジー的社会主義なんだって。バーカ。もはやエコロジー的にも経済成長は持続不可能なので、そこから撤退してエコロジー的な社会主義にすればいいんだって。バーカ。社会主義は資源開発の国有化で資源開発による公害その他外部性を内部化していたから環境問題は起きえないし、自然保護も重視していたんだって。バーカ。どこに目をつけてるんだよ。
エコ社会主義は、経済の収縮を目標にかかげ、政府が欲求の削減と単純化という政策を意識的に一貫して追及するんだって。バーカ。第三世界も成長させずに低い生活水準のまま持続可能な状態に移行させるんだって。バーカ。恥知らずのバーカ。そして民主主義的に著者のいうまぬけなエコ社会主義を実現したいんだけれど、軍がそこに協力してもいいし、必要ならエコロジストによる独裁が樹立するかもしれないんだって。でもエコ社会主義は国際主義でもあるのでいずれ全世界がエコ社会主義になり、戦争もなくなるんだって。バーカ。
移行期のエコ社会主義では、「計画に基づく秩序だった撤退を保障するために強力な国家が必要」なんだって。でも「その強力な国家が具体的にはどのようなものであり、その民主主義の原理との関係がいかなりものであるかについては、今日の我々は問題にすることができないし、してはならない。この問題について正しい答えを見つけることは、遠くはないにしても、将来の世代の課題である」(p.282)。バーカ。
言ってることは、ほんと古くさいレーニン/トロツキー/スターリン時代の社会主義理論とほぼまったく同じ。プロレタリアのかわりにエコロジストを入れればいい。お手軽ですね。で、ただそこに経済成長ではなくエコに基づく経済縮小を意匠として入れただけ。さらにだれもそれを望んでいないことを認めつつ、でもそうするべきだと主張する高慢ぶり。それを実現するには、必要なら民主主義も蹴倒して強力な独裁国家権力により人々の財産を没収して経済を収縮させ、欲求まで削減させて単純化させるという、唖然とするような専制主義の肯定を平然と行う恥知らずぶり。ただし、それを言うと人気が出ないとわかっているから、具体的な姿は考えるなと逃げをうつあさましさ。ひどいね。
タイトルを見て、ありがちな資本主義見直しとエコロジー礼賛のバカ本かと思ったが、予想のはるか上をいく壮絶な代物。予想はしていたので、選書でもいちばん低い希望しか出さなかったんだけれど、それでもぼくにまわってきたということは、他の委員はもっと賢くてだれも読みながらなかったってことか。柄谷行人なら本書をほめたかもしれないが、彼は本書に手を挙げなかった模様。結構なことです。メキシコで、ディエゴ・リベラの単純きわまる社会主義礼賛壁画をたくさん見てきたあとでこれを読むと、すっごい既視感がある。当然書評なんかにとりあげません。
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.