カルロス・フエンテス『我らが大地』: その2 やっと第一部「旧世界」読了

この小説は三部構成になっていて「旧世界」「新世界」「次の(彼方の)世界」となっている。最初の「旧世界」が、全780ページのうち350ページほどで半分近く、いちばん長い。

で、こないだ読んだときには、この世の楽園を実現すべく貧民たちを率いて父が作る大教会/城に侵入したエル・セニョールは、その反逆の貧民たちを虐殺させ、反乱者たちを始末したことで父親の後継者としての資格を勝ち取る。んでもって、「旧世界」のパートはその後、この大教会/城とそれが体現するはずの神の世界にとらわれたエル・セニョール、その母親で、かつて貞節から犬に四肢を噛まれて倒れても、夫以外の人物に助け起こされるのをよしとしなかったために四肢が腐り落ちてだるま状態になった「狂女」、エル・セニョールのいとこで妻だが夫が手を触れようとしない(そして結婚式の席上で口からヘビを吐き出した)女王イザベル、村娘でかつてエル・セニョールの反逆仲間でありその父親にはらませられた(そして唇にヘビの刺青を持つ)セレスティナとがいて、そのそれぞれが手足六本指ずつで背中に大きな赤い十字を背負った若者を拾ってきて、その若者たちは実は前王の私生児で、あれやこれや。そしてかつて前王にほろぼされた一族の末裔で従者にされているグズマンとあいつとこいつとが、それぞれものすごく長いモノローグを延々展開し、近親相姦と不妊と孤独と呪詛の世界が、未完の城内で延々と展開される。その中でエル・セニョールが神の存在を疑いすべては悪魔の仕業ではないかと述べたり、グズマンが主人に薬を持って己の陰謀を語ったり、書記のユダヤ人がある朝突然ムシに変わってしまう若者の話を書いてみたり、壁に飾られた絵が様々な光景を描き出して生命を持ってみたり、私生児三人の一人はドンファンだったり、というようなとりとめのない話が、次から次へと展開される。

第一部の最後では、エル・セニョールがドンファンを己の後継者にしようとしてみんなが見守る中、三人の私生児たちがベッドの上でエル・セニョールを囲み、その一人が語るのが、次の第二部「新世界」になるらしい……

完成された神の世界であるはずの大教会/城が、実は孤独と不幸と地獄と近親相姦と不妊と未完成の場なのだというのが執拗に描かれるんだが、ホンッとつらい読書で、艱難辛苦。次のパートもこれが続くらしくて、すでにムシになる若者の話を描くユダヤ人といった文学的言及がちりばめられているのが、次はブエンディーア大佐やジャベールやジャンバルジャンが出てきたりさらに文学的言及が増したりはする意味で技巧的ではあるんだが、第一部はその技巧が空回りでやたらにモノローグばかりに頼るためにかなり単調な印象はまぬがれない。その単調が前半350ページ中300ページは続いてるからなあ。

第二部で少しは話が変わるといいんだが、最後のあたりを先に読んで見ると、ずっとエル・セニョールの話が先もずっと続くみたいでゲンナリする。第二部は、私生児三人のうち、難破船から浜辺に打ち上げられているのを発見された「巡礼」が、新世界に上陸して原住民に捕らえられた話を語るところからはじまって、いま同じ船の船員たちが殺され、自分は捕まってジャングルに連れ去られたところまで読んだ。

うーん、もう意地だけで読んでいるが、うーんかなり全体に鈍重という印象。力作なのはまちがいないんだが、あまり報われない感じ。(続きはこちら

あと、キリストが十字架の上で、ローマの兵士から酢を与えられたという話が聖書に出てきて、多くの人はこれがイジワルだと思っているけど実際は酢に近いワイン (vinegar wind) なので、ローマ兵がキリストに情けをかけたってことなんだ、とケン・スミスが指摘していたけれど、フエンテスも本書でこの酢のエピソードをキリストへのいじめとして扱ってるのね。





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