スノーデンがらみで、さらに関連書を読んでいる。スノーデンが直接登場した各種の本を離れて見ると、土屋大洋『サイバーセキュリティと国際政治』はスノーデンを手がかりに現代のサイバー環境、国際政治、監視社会と自由のジレンマまで、広範な内容をきわめて手際よくまとめた、ぼくが読んだ中でベストの本だと思う。
- 作者: 土屋 大洋
- 出版社/メーカー: 千倉書房
- 発売日: 2015/04/18
- メディア: 単行本
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が、その前に、これまでに採りあげたもので首を傾げるところがあって吐き出しておきたいので、まずはその話から……
日本の各種スノーデンインタビューは、なんだかずいぶん不思議な代物ばかり。
その首を傾げるところというのは、スノーデンのインタビューだ。ポイントは二つある。どの本でも、スノーデンはとってもサービス精神旺盛でいっぱいしゃべってくれたようだ。が、そのいずれでも、スノーデンが日本の事情に詳しすぎる。しかもその詳しさは、やたらに特定の方向に歪んだ詳しさになっているのだ。どうしてだろうか?
さらにスノーデン文書の中で日本について触れたものがNHKの協力などで公開されている。でもその中身について、当然疑問に思うはずの中身をだれもつっこまない。どうしてだろう?
スノーデンインタビューの不思議 :スノーデンは日本の事情に詳しすぎるのでは?
どのインタビューも、そこそこ分量はある。監視社会の恐ろしさ、自分の暴露に到る過程、ロシアでの亡命について、といった定番の話をどれでもやっている。というか、定番の話しかしない。そしてその定番の話の一つが、日本も監視社会だ、政府を信用するな、という話だ。それも、一般論や理念の話ではない。スノーデンは自ら、秘密保護法はやばい、共謀罪はやばい、日本政府=安倍政権はいろいろ隠そうと画策しているのだ、と述べる。
さて、そういう見解はあり得るだろう。でも、ロシアに亡命中のアメリカ人が、日本の状況についてそこまで詳しいものだろうか?秘密保護法に何が書かれているか、共謀罪がどんな規定か、英語できちんと説明する資料がそんなにすぐに手に入るんだろうか?
スノーデンは、日本ではテロはないから共謀罪いらないとか、秘密保護法なくても秘密は保護できる法体系があるとか言う。でもそう断言する割には、彼が具体的に念頭においているのはどういう規定なのか、その規定をどう適用すれば秘密保護法と同じ保護がすでに実現できていたかについて、具体的なことは何も言わない。通常、ぼくが開発援助なんかの現場で相手国の制度や法案の不備についてあれこれ論じる場合には、向こうの法体系についてそれなりに知る必要がある。社債法案のこの規定はいらないだろう、と主張する場合には、おまえたちの既存の債券法の何条にコレコレの規定があってこれと矛盾するとか重複するとか具体的に主張する。そうしないと、ガイジンが印象や思いこみでモノ言ってると思われかねないもの。ぼくでなくても、普通はそういう配慮をする。しなければ突っ込まれる。でもスノーデンのインタビューには、そういう具体的な話がないまま、なんか日本の一部勢力とまったく同じ発言が並ぶ。
さらにはどこかワイドショーのアナウンサーが反アベで辞めさせられたとかいうヨタまで知ってて、それがジャーナリズムの弾圧とか言ってる。さてそうだっけ?そもそもキャスターと称する連中なんてジャーナリズムじゃないじゃん。それにアベ憎しで不勉強なヨタ飛ばしている三百代言がいまも昔もテレビにたくさん出てるけど、一向に弾圧されてないじゃん。スノーデンは本当に日本の状況を見て、言論弾圧が行われていると考えたのか?
さらにスノーデンは、日本のマスコミ事情にも詳しい。スノーデン暴露による監視問題がマスコミに採りあげられないのは、そういうのを採りあげると政府ににらまれて、ソフトな弾圧にあうからなんだって。役所の人が質問に答えてくれなくなったり、情報をくれなくなったりするんだとか。本当かなあ。政府に限らず、人が自分たちに都合の悪い質問には答えたがらなかったり、必要最低限の情報しか出さなかったりするのは、どこでもあることじゃないか? よいことかどうかはともかく、政府の言論弾圧と言えるものではないだろう。
またこうした法制に、国民みんなが反対してるというんだけど、そうだっけ? ぼくの知る限り、とうてい国民がみんな反対しているという状況ではなかった。賛成している人、秘密法が必要だと主張している人も結構いたぞ。なぜスノーデンは、それが反対一色だと言えたんだろうか?
さらにはモリカケ問題まで知っていて、政府が情報を隠してる証拠だと言う。が、そうだろうか? モリカケはほぼすべて、政府はおおむね説明資料を出し、野党その他が勘ぐっているような首相が無理矢理いろんな規定を強権的に曲げたような事実は一向になかったように記憶している。だからこそ、首相の意図が証明できず、周囲が勝手に配慮したという「そんたく」とかいう変な用語が流行語にまでなった。籠池という人物も、怪しさ全開で安部首相とのつながりなんかろくにない。学校に名前をつけるとかいう話もヨタだった。出てきた「資料」と称するものは、フォントや書式その他がいろいろ怪しい正体不明の文書だった。そして、野党は自分たちの期待どおりのものが出てこないと「疑惑は一層深まった」と言うだけ。全体として国会の時間を無駄にしたバカな話だったと思う。資料の破棄はあったけれど、それはどう見ても、財務省が入札をしなかった自分たちのヘマを隠すためのものだった。けしからんことだけれど、枝葉の話にすぎない。カケのほうは、獣医学部の創設の申請すらさせない文科省の変な利権が浮き彫りになって、そもそもそれを乗り越えるための特区だろう、というのがはっきりしただけだったように思う。
さて、スノーデンはホントにそのモリカケ問題を見て、その中身を理解し、それが問題だと言ったのか? 本当に自分でそこまで日本の事情を調べていたのか? そこまでモリカケ問題について報道されてたの?
(付記:日本の新聞の英字版を読んでいたら、そんな印象を受けたのかもしれない、という気はしないでもない。その一方で、いずれの事件もかなりセコイどうでもいい話で、それをもって政府の隠蔽が大問題だ、と主張するほどのものではないことはわかりそうなもんだとも思う。そういう事件が日本各地で10件も20件も出てきました、というならシステミックな問題と言えるだろう。トランプなら、あっちでサウジにトランプタワー建て、こっちで自分の施設に軍を泊まらせ、あっちで規制を曲げ、と次々に出てくるから政権全体の隠蔽と利益誘導の問題と十分に言える。でも無数にある国有資産売却で1件、各種の新設案件のなかで1件、しかも何も決定的なものがないとなると、どうよ)。
ホントの発言が聞きたいと思ってニコニコ動画にお金払ったけど、同時通訳の声しか聞こえず当人の発言が聞こえない。でも本人が言ったにしても、外国の法規制の体系や事情をそこまで細かく理解しているとはにわかには信じられないし、がんばって予習した結果だとしても、それがスノーデン自身で行ったものならば、招聘者たちの主張とここまで細かく一致するってホントだろうか? どうしても、スノーデンが何か事前のブリーフィングを受けて入れ知恵されてるのではと勘ぐりたくなってしまう。そうでなければ、よほどサービス精神旺盛で、ホスト役の意向を完全に把握してそれに合わせてくれたのかもしれない。が、その場合であっても、ここまで細かく一致するものだろうか?
スノーデン関連本の不思議 2:XKEYSCOREの日本提供にどうしてだれも突っ込まない?
もう一つ、これはちょっとマニアックな話ではあるんだけど、スノーデンの日本関連文書では、XKEYSCOREが日本に提供されている、というのが(ほぼ唯一の)大きな話ではあった。日本でスノーデンを担いだ各種の本も、それをここぞとばかりに叩いている。当のスノーデンも、それを繰り返し指摘する。
さてXKEYSCOREは、NSAのソフトで、そこに名前その他を入れるだけで、その人に関する過去のあらゆる通話、メール、ウェブの閲覧暦、SNSなどがずらずらっと表示され、その人のすべてがわかってしまう、というおっかないソフトだ。それが日本に提供されている、となると、いまやぼくの名前を入れただけでぼくのアダルトサイト鑑賞履歴からツイッターの裏アカから何か全部わかってしまうのかな、というふうに思ってしまうのは人情だ。
でも、まずXKEYSCOREが提供されたというとき、どこまで提供されたの? つまり、NSAが抱えているそのあらゆる通話通信の完全保管データベースに日本がアクセスさせてもらえるということ? それとも、そのフロントエンドだけなの? あるいはNAMAZUみたいな検索のインデックス作成部分だけ? それで話はかなり変わってくると思うんだけど、聞いている人はだれもそこに突っ込まない。
その収集データは、ある意味でNSAの虎の子だと思うんだが、それを完全に使わせてもらえるならすごい話で、純粋に技術おたく的な感覚からするとすごいお得感があるようにさえ感じてしまうけれど(もちろん監視という点ではおっかない)、ホントにNSAはそんなものを好き勝手に日本にアクセスさせるの? スノーデンによると、日本は同盟国の中で「サードパーティー」と呼ばれてあまりランクが高くないそうなんだけど、そんな下っ端に、そんなすごいデータをすべて提供するんだろうか。
テッキーでない人々はもちろん、「ソフトウェア」というものに具体的なイメージがないから、「すべてをコントロールするソフト」「すべてを監視するソフト」みたいな話を特に疑問も抱かず受け入れてしまう。でもキャットウーマンですら『バットマン:ダークナイト・ライジング』で「そんなもんあるわけないだろ」と悪玉に嘲笑されてしまうのだ。以下の1:50あたりからね。
The Dark Knight Rises The Clean Slate Scene
(まあこれは映画だから、最後にバットマンがそのあり得んソフトを持ってきてくれるんだけどさ)
でもそんな単純なものではないはず。もちろんスノーデンも、細かいところまではわからないだろうけれど、これを他国に提供するという場合にどんなやり方が考えられるのか、くらいの話は確認してもいいんじゃないだろうか。
さらに、XKEYSCOREと並んで日本に提供されたと書かれているソフトが他に二つあるんだけど (WEALTHYCLUSTERとCADENCE)、それって何なの、という質問をだれもしていない。みんなXKEYSCOREやばい、というだけでおしまい。うーん、あなたたち、本当に日本とNSAなどの諜報活動の実態に興味あるんですか?
スノーデン文書の中身に本当に興味あるんなら、だれかしらそういうことを聞いてもいいんじゃないかとは思う。もちろん、インタビューした連中がみんな技術的にタコでそういう方面に頭がまわらなかったという可能性はある。その一方で、どのインタビューを読んでも、スノーデンはほぼ同じことを聞かれて、同じ事を答えてるだけ。なんだろう、これは?
だからいくつか出ているインタビュー本を読んでも、やたらに重複が多くて突っ込みが浅く、あまり読んだ甲斐がないように感じられる。
土屋『サイバーセキュリティと国際政治』:スノーデンを手がかりにもっと広い背景まで扱うベストな副読本
- 作者: 土屋 大洋
- 出版社/メーカー: 千倉書房
- 発売日: 2015/04/18
- メディア: 単行本
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いくつか読んだ中で、これが最も優れた本だと思う。スノーデンの暴露について、その背景を押さえつつ、もっと広いいまの情報環境全般と、その中での監視社会と自由との相克、国際政治における諜報活動の役割の中での位置づけまで説明してくれる。
この本は、スノーデンの暴露についてはそれなりに評価している。そして、それがまったく目新しいわけではない一方で、なぜ画期的だったのかについてもきちんと書く。一方で、スノーデンの主張を鵜呑みにするわけではない。スノーデンによると、政府/NSAはとにかく9.11に便乗して自分たちの活動を徹底的に広げて権益を確保したかっただけだ。確かにそういう面もあるだろう。でも一方で、むしろ情報機器や通信量が莫大になったために、ピンポイントの監視においてすら従来のやり方では困難になっているという状況は確かにある。そして監視そのものより、保存と分析のほうがボトルネックになっていることを本書は指摘する。かつての信号諜報は、手紙と電報電話だけ押さえればよかった。いまはそうではない。だから、監視能力が拡大していることだけを取り沙汰するのは、必ずしもフェアではない。監視されるほうも拡大しているのだから。
スノーデンですら、きわめて制約された形でピンポイントで行うなら、盗聴、監視は正当化されると述べる。でもその正当化される監視も、現状の情報環境ではかなり広い捕捉を行う必要が出てきてしまう。スノーデンは、オバマが当初は透明性の高いオープンな政府を公約しつつ、実は大量監視に加担していたことを失望とともに語る。でもオバマが聖人だとは思わないけれど、「これで国民のやること全部わかるぜ、うっひっひ」とダークサイドにいきなり転向したとも思わない。土屋は、それを現在の自由と安全とのジレンマの中でオバマが下さざるを得なかった苦渋の選択の結果だろうと考える。少なくとも、そう見ることは十分に可能だ。それに賛成するかどうかはともかく、そういう見方が決して完全なナンセンスではないことは、念頭においておく必要がある。
そもそも、サイバー空間の中で何が容認されるのか? そこは本当に、完全にだれが何でも自由にできる、プライバシーの確保された空間であるべきなのか? それですら合意があるわけではない。この本は、その点についても述べる。そもそも、プライバシーとは何だろうか? そういう根本的な話も本書はきちんとしてくれる。
そして最後に本書は、安全保障という問題に立ち戻る。ぼくたちは、自由と民主主義こそが安全と繁栄をもたらすのだ、と考えがちだ。でも実際には……安全が保証されているからこそ、みんな自由にふるまえて、民主主義も栄えるというのが実態のようにも見える。その場合、優先すべきなのは何なのか? スノーデンを担いだ日本の他の本みたいに、とにかく政府信用できない、監視社会あー恐ろしい、というような本ではまったくない。スノーデンの話をもとに、それをもっと広い視野で見直させてくれる、極めてすぐれた本で、副読本としてベストだと思う。
その他
他の本として、ライアン『スノーデン・ショック――民主主義にひそむ監視の脅威』は、やはりスノーデンの話をもっと広い文脈の中に置こうとした本だけれど、その「広い文脈」は実はそんなに広くなくて、監視社会よくない! 民主主義の敵! というだけ。つまりは、題名以上のことはわからないということだ。そしてそれを言うのに、どうでもいい小説や哲学の話をいろいろちりばめてみせるけれど、全体にとっちらかっていてぼくはあまり感心しなかった。この人、小笠原みどりの先生なの? 彼女とスノーデンの橋渡し役でもあったようだ。彼女の、いろんなものが整理されない書きぶりと非常に似ていて、この師匠にしてあの弟子あり、という感じはする。
また三宅『監視社会と公文書管理――森友問題とスノーデン・ショックを超えて』は、森友問題とスノーデンの話を無理につなげようとして成功していないように思う。上に書いたような理由で、ぼくは森友問題はまともな「問題」と思っていないので、それを題名に掲げる時点でかなり色眼鏡で見てしまうというのもあるだろう。確かに公文書管理をもう少しきちんとすべきだ、というのはあるし、森友話で多少それが関係してきた部分はある。でもそれは役所の保身と、統計調査資料破棄に見るような予算をケチった問題でもある。監視社会という話とは遠く、スノーデンを持ち出す理由もないのでは?
挙げ句に、豊洲市場移転の話まで隠蔽だなんだと(いまだに)言うんだが、あれはすべて言いがかりで経緯も問題なかったし、構造的にも何ら疑問はなく、汚染物質が基準の〜とかいうのも、飲むわけでもない湧水に飲料水の基準を適用したピントはずれの全然無問題な話でしかなかく、むしろ騒いだ側が小池百合子の無知なメディアパフォーマンスに踊らされ (あるいは小池のほうが乗せられたとも言えるが、同じことだ) 豊洲地区に風評被害をもたらしただけだった。むしろ豊洲市場の騒ぎ、さらにはモリカケの一見で明らかになったのは、情報の隠蔽とか正しさとかいうものを問題にする場合、情報を出す側だけでなく、それを受け取る側の理解力 and/or integrity が問われるということだ。きちんと情報があっても、それが理解できない、あるいは理解しないふりをして情報がないない、隠蔽だと騒ぎ立てる人が何やら政治力をもってしまう——ぼくはこちらのほうが大きな問題だという気さえする。この受け手側の能力不足という問題を抱えた人が、政府の公文書管理の適切さを判断できるのだろうか?