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アフリカのエイズの新しい分析……それと経済学の何たるか。

 ちょっと間があいたので、他人のふんどしで相撲をとろう。ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する


経済学はお金だけの学問じゃない。


 今年の経済書で、話題性から見てもおもしろさから見ても重要性から見ても、ぼくはレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』がダントツだったと思う。その重要性その他(そしてそれについてまるっきりピンときていないとおぼしき業界への不満)は、『論座』の書評に書いた。経済学は経済成長ばかり重視するとか、それ以外のものを見ていないのではないかとかいったことを、何やら大発見のように言い立てる人は、素人ばかりでなく、実は経済学のかなりえらい人でも(救われないことに)結構いる。そしてその指摘自体はまちがいじゃない。経済学に限らず、あらゆる分野において、新しい領域を切り開ける人は少なくて、たいがいの人はすでに確立されているもののちょっとした変奏しかできない。お金は数値化できるし、数学の道具立てを借りてモデルや分析をいろいろやりやすいので独創性のない人たちも変奏する余地がたくさんあったから、確かにそれに関連した部分は突出して発展してきた。物理学だって、質点や剛体の力学が流体力学より発達したのは(一部のフェミニストが妄想するような性差別の結果ではなく*1)、それが扱いやすかったからだ。
 でも、これまたどんな分野でも、優れた人ほど自分たちの分野の制約や限界を知っている。そして、ないないと駄々をこねて揚げ足取りをするにとどまらず(これはガキでもできる)、そうした限界を突破しようとする試みを自分なりに工夫するか、他人のそれをきちんと評価できる。本当であれば、お金や経済成長だけで経済学はけしからんと思っている人は、それ以外のものをきちんと研究対象にしているレヴィットを見て狂喜すべきなんだけれど、そういう人たちに限ってこの研究に対し「ふざけている」「ただのお遊び」と顔をしかめてみせるのは不思議なことだ。でも、かれらの研究は本当に政策的・現実的に重要な意味合いを持っているし、各種の社会問題に対してもまったくちがったアプローチを可能にしてくれるものなのだ。

 そうした研究の例は、この著者たちの『ヤバい経済学』ブログでもいくつか紹介されている。そして最近そこで何度か挙がっている名前がある。エミリー・オスター。

アジアの「行方不明の女性一億人」


彼女の研究はまさにレヴィットの後継者という感じで実におもしろい。たとえば、アマルティア・センがかつて、一部のアジア諸国の人口比でやたらに女の子が少ないということを指摘したことがあるそうな。通常の出生率から予想される数字に比べて、1 億人ほど女子が少ない。センは、それがアジアの野蛮な風習――女性蔑視からくる低い扱い、男の子重視からくる間引きや人身売買――によるのではないかと匂わせていたそうなんだけれど、オスターはあるとき、妊婦が B 型肝炎にかかると男の子が異常に生まれやすくなるということを知って、その影響を調べたそうな。すると、アメリカのエスキモーなどを見ると、昔は男の子が多かったのに、B 型肝炎の予防接種が普及すると男女比率はふつうになっていることがわかったんだって。

この結果をアジアにも適用してみると、男女の数の差は、かなりの部分がこれで説明がつく。肝炎の予防接種が普及する前は、確かに女の子が少ない。普及したら、差はほとんどなくなる。たぶんこれで 1 億人のうち 7 千万人くらいは説明がついちゃうとか。だからといって、中国やパキスタンで女の子を冷遇してないってことじゃない。それはそれとしてちゃんと対策が必要だ。でも、ちゃんと責任の範囲は明確にしておかないと。(付記:またこれに対してはアジアの研究者から、長子と第二子以降とのちがいから疑問が呈されているとか。だからさらに検証は必要。)

付記:その後、この主張に対する批判が出て、それをもとにエミリー・オスターはそれをきちんとふまえ、他の国のデータを元に分析をしなおした。するとB型肝炎に由来する影響は結局出てこなかった。オスターは、自分がまちがっていたという論文をきっちり書いて、自分の引き起こした議論に自分できっちり幕を引いた。当たりまえと思うかもしれないけれど、人はついつい自分の過去の業績にはこだわって、まちがいを指摘されたときも、もがもが弁解したり、なかったことにしてうやむやにしたり、といった態度を取ることが多い。オスターのこの潔い、学問的な誠実さを失わない対応は、大きな賞賛を集めた。


アフリカのエイズエイズ対策にはエイズ以外に注目せよ!

環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態

そしてオスターの最近の研究が、アフリカのエイズだ。これはすごく重要な問題だし、ぼくの専門分野にもかかわってくる。『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』で有名なビヨルン・ロンボルグが世界の経済学者たちを集めて、いま 500 億ドルあったらその金で何をするのが地球人類にとっていちばんいいか、という検討を行った、コペンハーゲン・コンセンサスという試みがある。その中で最大の課題として出てきたのは、(もちろん地球温暖化なんぞではなく)エイズを筆頭とする伝染病対策だった。いま、アフリカではエイズで人がボロボロ死んでいる。そしてそれがアフリカの貧困の大きな原因でもあるというのが通説だ。これを何とかしなきゃいけない、と思うのは人情だし、それは数字でも裏付けられる。

 でもエイズ対策というと? コンドームを使うように指導することだ(あと、下の写真みたいなセックス控えましょうキャンペーンとか)。アフリカでエイズが猖獗をきわめているのは、アフリカの社会文化がそういったことを話題にしたがらないから、コンドームが買えないから、さらに生でやるのが男だといった認識があるからだ、そしてアフリカの政治家たちが、ちゃんと問題を認識して PR せずにそうした状況を放置しているからだとされる。

No Sexガーナ北部のアンチセックス看板 (by 筆者)

 これは、よく考えてみると、アフリカ人たちはバカだからエイズになる、と言っているに等しい。死ぬかもしれないってのに、安いコンドームくらいケチるってのはバカ以外の何? 文化だの男らしさだのだって、ある程度時間がたてば多少は何とかしようと思うだろうに。政治家だってそうだ。それをしないってのは、つまり連中はバカだって言っているに等しいじゃないか。

エコノミスト 南の貧困と闘う でも、そんなことがあるだろうか? その程度の損得勘定すらできないなんてことが? かつて、人口爆発が懸念されたとき、避妊しないアジアやアフリカの人々に対しても同じ議論が行われたことをイースタリーが『エコノミスト 南の貧困と闘う』で揶揄していた。別にかれらが避妊しないのは、バカだからでもなく貧乏でコンドームが買えないからでもなく、たくさん子供をつくることに合理性があるからなのだ、と。どんな人も、合理的に考えて行動するだけの能力は備えている。さらに、よく調べてみると、たとえばアメリカ人どもが性行為の面でアフリカの人たちとそんなにちがっているかといえば、そうでもないようだ。これだけエイズがらみの広報宣伝が多い欧米や日本でも、相変わらず生の中だし大好きな連中はいっぱいいる。さらにアフリカ人だって上の写真みたいなキャンペーンを堂々と羞じることなく展開もしているし、努力も見られる。アフリカ人がバカだとしても、アメリカ人たちと同程度のバカでしかないらしい。

じゃあいったい、何がちがうんだろうか。なぜアメリカでは、アフリカほどエイズが蔓延しないのか? それは HIV が伝染する率がアメリカとアフリカとでは明らかにちがっているせいらしい。もちろん、ウィルス自体は同じ HIV なのに。それには、アフリカ人の社会文化以外の別の原因があるようなんだって。


それはエイズ以外の性病だ。


HIV は弱いウィルスなので、粘膜に傷なんかがないと進入できない。ところが経験者なら(経験者以外でも)知っているだろうけど、性病の多くは、性器にできものができたりする。アフリカは衛生状態が悪いから、他の性病も蔓延しているので、エイズの人たちはたいがい他の性病も持っている。多くの人の性器粘膜がふつうの性病でただれているからこそ、そこを伝って HIV も伝染しやすく、おかげでエイズの感染が極端に増えてるらしい。

さらに彼女の研究は続く。アフリカはエイズ患者が多いというのは、どうも過大評価されているのではないか。どこぞの HIV 感染率は数十パーセントだ、とよく言われる(ぼくもそれを各種の文で使っている)。でもそれをどうやって調べているかといえば、ランダムサンプリングなんかしてるわけがない。ほとんどは妊婦など病院にきた人を調べて、その中での比率を挙げているだけなんだって。妊婦は当然、すでに性交渉もすませているし、それ以外でも病院にくる人なんてそもそも多少なりとも具合の悪い人なんだから、HIV 感染者はどうみても多くなる。ふーん。そうか。ちなみに、エミリー・オスターはもっと妥当と思われる推計のために、死亡者数に注目している。死因の統計のほうが、そうしたサンプリングのバイアスはなさそうだものね。

 だが、彼女の研究結果でいちばんとんでもないのが、最後の部分だった。実はアフリカ人でも、所得が多くて余命が長い人々はちゃんとエイズの予防措置も積極的にやっている。余命が短いところは、そういうことに関心がない。ここから導かれる結論。アフリカの人たちは、エイズだから寿命が短いのではない(ここはちょっと言い過ぎた。エイズによって寿命が縮んでいる部分は確実にある。この書き方は小飼氏などにまちがった印象を与えたかもしれない。申し訳ない)エイズによって寿命が縮んだという面だけ見ていてはいけないもともと寿命が短いからエイズにかかることを気にしない点を重視すべきである! 生でやったところでエイズにかかる確率はもともとそんなに高くないし、万が一エイズになっても発症して死ぬのは 10 年以上先だ。その頃に自分が確実に生きていると思えば、エイズ予防のために余計な手間もかけよう。でも、どうせその頃は死んでるだろうと思えば……リスクは知っていても手はうたない! バカだからエイズ予防をしないんじゃない。ちゃんと賢く合理的な計算に基づいて、そんなことをするだけ無駄だという陰惨な結論を、意識的か無意識のうちにか出してしまうだけの知恵があるからこそ予防しないわけだ。


これがどれほどすさまじい実効的な意義を持っていることか。みんな、エイズは大問題だ、対策が重要だと口では言うものの、実際にできる対策といえばすでに述べたように、せいぜいがコンドームを使いなさいキャンペーンをする程度。実は直接的な実効のある対策というのはないに等しかった。あとは製薬会社にカクテル療法を安く提供しろと圧力をかけるくらいかな。でも、もしこの研究が裏付けられれば、話はまったくちがってくる。直接的にできる対策が生じてくるじゃないか。まず何よりも、ふつうの性病の予防策や治療策をもっときちんとやることだ(エイズ治療なんかよりずっと簡単、確実、安上がり)! そうすれば、エイズの感染はいまの 1/4 くらいにはなるだろう(アメリカとアフリカの感染の差がそのくらいだそうな)。そして、一方で、エイズを単なる健康保健問題として見ないこと(援助も縦割りだからそういう傾向があるのだ)。貧困対策にもっと力を入れることでみんなを豊かにして、エイズさえなければ長生きできるという希望を与えれば、人は自然にエイズ防止に気を使うようになるだろう! するといまエイズ対策として使われているお金の使い方も全然変わってくる。そしてその対象とすべき人数も(つまりは費用も)、実は思っていたより結構少なくてすむかもしれない。

これはかなり希望を与えてくれる。いちばん大きな問題と思われていたものが、一気に 1/3 くらいに減った感じだ。今後、これを検証する各種試みは出てくるだろうし、これが政策に反映されるまでにはまだもう少し時間がかかるだろうけれど、でもいずれ、この経済学的な分析は、確実に世界全体の福祉を大幅に向上させることになるだろう。


そしてついでにもう一つ。レヴィットの研究の多くと同じく、このエミリー・オスターの研究も一見すると「これが経済学か?」という感じられるかもしれないのだけれど(実はぼくもちょっとそういう気がしてしまう)……ひょっとしたらそう思ってしまうのは、あなたの(ぼくの!)経済学観が固定観念にとらわれているせいかもしれない。そしてそういうあなたの経済学「批判」はどこまで妥当なものだろうか。実は経済学ってのはもっと広いのに、あなたがそれを知らないだけかもしれないんだよ。そんなことも、ちょっと考えてもらえると吉かも。

*1:なんかですね、剛体は、なんですの、その硬直したナニを研究しているに等しいので、男に偏ったもので、それに対して女性は流れる液体性を持つので、流体の研究すなわわち女性についての研究は貶められて進歩しなかったのですって。