- 作者: 宇沢弘文
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/08/19
- メディア: 文庫
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『一般理論』の解説としてはまとも。でも、これ読んで『一般理論』がわかるのかなあ。
一般理論の個別の章に沿って、あれやこれやと説明していくんだけれど、個別の章の話にいきなり入ってしまう。その前に全体の構成と論旨についての説明があってしかるべきじゃない? とにかくすべての部分で、全体像が提示されないうちから細かい個別の話をしすぎて、実に見通しが悪い。
あと話が全体にとてもうだうだしい。ケインズ経済学は、iS-LMモデルが期待の役割をはっきり反映していないので、期待を重視しないと思われているし、それがその後のフリードマンに始まる批判の入り口になった。でも、ケインズ自身は期待をとても重視していた。5章なんかでも期待がすごく大きくクローズアップされている。
それだけのことを言うのにジョーン・ロビンソンの長ったらしい引用とか、もってまわった解説とか要るの?
また古典派の公準を説明するのに、あのグラフやら微分方程式やらは、こけおどし以上の意味があるとは思えない。
伊東光晴の本でもそうなんだけど、ケインズの話のくせに、なんだか古典派の話がやたらに多いんだよね。ケインズの議論に即してケインズの全体像を理解したうえで、古典派とちがう部分を考えるというならアリだと思うが、むしろ読者を混乱させて総合的な理解を妨げているように思う。もっと言うなら、クルーグマンの指摘を信じるなら(ぼくは信じている)、当時の古典派理論というのは、もっといい加減なもので(マーシャルとか読もうとするとわかる)、だからこそケインズはあれこれ定義の話をする必要があった。ヒックスのIS-LM論文についてケインズは「古典派の理解がまちがっている」と述べたそうで、それはある意味で、ヒックスが古典派をきれいにまとめすぎたということ。古典派を現代的な理解のもとで解説してしまうことは、たぶん一般理論の価値を下げることになっているはずなんだけど。
個別部分の説明はそれなりに詳しくて、話の流れがわかっていれば、なるほどと思うことも多い。でも、そうでなければ聞いていた人は混乱したまま、ケインズとはむずかしいものだ、と思っただけで終わったと思うな。
あと、これまた伊東光晴もそうなんだけど、ケインズの文を「華麗」「美文」とか言うやつは、英語があまり読めないだけじゃないかと思う。いまの論文調よりは談話調で、しかもケインズはそこに嫌みや皮肉をたくさんちりばめているだけなんだよね。
ついでにもう一つ。本書でも、IS-LMは均衡モデルだからだめ! ケインズは不均衡動学だ! という主張がしつこく繰り返される。でもぼくはクルーグマンの「でもケインズの『一般理論』って基本は静学モデルですから。いや、動学モデルを捨てたことこそ、その強みの源泉ですから」という主張のほうに説得力を感じる。IS-LMだって、こっちは均衡しているけれど、結果として労働市場のほうは均衡しない部分均衡モデルで、それを一般均衡のできそこないみたいにいうのは本当に正当なことなの?
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.