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わけもわからず:ナサーの経済学史は、「学」のないただの経済学者評伝である

ケインズ 書評

Grand Pursuit: The Story of Economic Genius

Grand Pursuit: The Story of Economic Genius

Working in the Dark (The New Republic, 2011.09.30)
ロバート・ソローによるシルヴィア・ナサー「The Grand Pursuit (大いなる探求)」書評、翻訳 山形浩生


本書を読み始めたときには、これが何についての本なのかわかっているつもりだったけれど、読み終わる頃にはなんだか自信がなくなってきた。プロローグは、チャールズ・ディケンズによるロンドンの悲惨な貧困についての観察や描写から始まる。そしてそれが自然に、当時の政治経済学での唯一の説明として古典的なマルサスの罠の話に移る。つまり、全体としての生活水準が少しでも上がればそれは人口増で相殺されるので、禁欲生活を奨励するくらいしかできることはないんだ、という話だ。ディケンズ自身は、もっと人道的な政治経済学を訴えかけていた(これは私も初耳でおもしろかった。たぶん彼は、薬に糖衣をまぶす以上のことを考えていたんだろうが、具体的には何を?)これは確かに「大いなる探求」かもしれない。経済学と経済が、持続的な成長と生活水準の向上にどう適応していったか、という話だ。シルヴィア・ナサーの第 1 章は、ほとんどこの考え方を裏付けている。第 1 章はマルクスエンゲルスの話で、通常よりもエンゲルスに力点が置かれ、彼の強力な『イギリスの労働者階級の状況』(1844)が採り上げられる。


だが、そういう主題なのかと思って読み進むと、後が続かない。本書は副題で約束された「経済学の天才的思想」の物語ではない。むしろ、経済学における一握りの主要人物に関する、公的、私的な伝記なのだ。その一部はかなり明らかに「経済学的な天才」の持ち主だったが、一部は(「天才」概念をかなりいいかげんにしない限り)明らかにちがう。最も驚くのが、本書の中にはディケンズの希望に添う物も沿わない物も含め、経済思想の発展についてあまり書かれていないことだ。いろいろおもしろい経済学者について、かなり楽しい伝記上の些事はたくさんあるし、かれらが活動した政治、財政、経済的な環境についてはもっとあれこれ書かれている。ナサーは、扱う学者たちが経済学自体についてどう思っていたかよりも、その公的な役割についてずっと熱心だ。確かにみんな、ある程度は公的な有名人だった。その多くは重要な経済学者でもあったのだけれど、そっちの話はあんまり出てこない。そして出てきても、その知的な内容についてはずいぶん端折っている。



このギャップを見いだすのにあまり待つ必要はない。エンゲルスマルクスの直後にくるのが、アルフレッド・マーシャルに関する章だ。マーシャルは現代経済学始祖の一人だ。彼の「経済学原理 1」は 1890 年に刊行され、その後 8 版まで改訂を重ね、ジョン・スチュアート・ミル以後の経済学全体に関する一大論考だった。私が 1940 年に初めて経済学を学んだときには、教科書にマーシャルは使わなかった。でも使っていたほうがよかったかもしれない。今日ではかなり忘れられがちだけれど、マーシャルは企業の理論と競争市場における需要供給の相互作用を体系化しただけの人物ではない。彼は当時の産業界における慣行を熱心に観察し、それが美しいが必然的に抽象化された理論(自分のものも含め)といかにずれているかを調べた。たとえば彼は、賃金決定にあたって公平さをめぐる印象が果たす役割に興味を持っていた。生産性の上昇が大量貧困に対する真面目な回答になることも知っていた。ディケンズの望みをかなえつつあったと言ってもいいだろう。だからアルフレッド・マーシャルについての 43 ページもある章を読んで、『経済学原理』が最後の数ページまで出てこないのはオドロキだった。これに対し、Economics Evolving: A History of Economic Thought という見事な経済学史を書いたアグナー・サンドモーは、経済学者から見たマーシャル像を描く。マーシャルについての章は 25 ページあるが、そのほとんどは基本的に、マーシャルの偉大な業績の中身と影響の話だ。


知的な中身を軽視するというこのパターンは、最初から最後まで一貫している。ナサーの登場人物は他にビアトリス・ウェッブ(この一団の中ではずいぶん場違いだ)、アーヴィング・フィッシャー、ジョセフ・シュムペータージョン・メイナード・ケインズ、フリードリッヒ・ハイエク、ジョーン・ロビンソン、ミルトン・フリードマンポール・サミュエルソンアマルティア・センだ。こうした著者に、経済思想史の中で真に重要な地位を獲得させた思想の中身については、真面目な議論が一つもない。この中の一部は経済思想史で本当に重要な人々なのに。このアプローチは、シュムペーターの場合には、ほとんどまぐれながら、一番うまく効いている。経済学者たちの理解しているまともな経済学からいえば、シュムペーターはたった一つだけ、重要で肥沃なアイデアを貢献しており、それを 1912 年までにはまとめていた。それは資本主義経済の躍動が技術と組織上のイノベーションで動かされるという洞察であり、そしてこのプロセスの中心人物は単なる発明と市場経済との仲立ちをする、起業家なのだった。彼はまた活発な起業家の手にリソースを渡すメカニズムとして、信用創造の重要性を強調した。


自分の理論の一部として、シュムペーターは「創造的破壊」という中心的な発想を開発して、ドラマチックに仕立てた。多くの重要なイノベーションは、既存の財や生産手法や組織形態を陳腐な物にしたり、それに置き換わったりする。経済的な価値や社会的地位があっさり破壊される。既存の期待がひっくりかえる。でも資本主義経済が進歩するには、これ以外の方法はないのだ。これは収穫逓減とマルサス的な賃金の鉄則に支配された、古典派経済学者たちによる「静的な状態」の悲観的なビジョンを投げ捨てるためのシュムペーターなりのやり方で、正しいやり方だった。いったんわかれば、核となるシュンペーター的なドラマはすぐに理解できるし、細かく説明する必要もない。「創造的破壊」はキャッチフレーズの地位を得た。本書でも適切な地位を得ている(言うまでもなく、現代の経済学者たちはこの基本的なアイデアを発展させて、いろいろ仕掛けを追加している)。

シュムペーターはまた、自分自身について派手で華々しい伝記を造り上げ、ナサーはそこからきわめて娯楽性の高いお話をひねり出す(シュムペーターは、当代最高の騎手、最高の愛人、最高の経済学者たらんとしたが、残念ながらこのうち二つしか達成できなかった、という学生のジョークがあるが、これはまちがいなくシュムペーターが自分で広めたものだ)。第一次世界大戦直後のオーストリア社会主義政権では、ほんの一時期だけ財務大臣を務め、すさまじい失敗を見せた。戦後の荒廃とベルサイユ条約のくびきの元では、だれであろうと大した成功は望めなかったのだろう。これはみんな、活き活きとした読み物にはなっているし、目先の変わった人生と経済学への貢献についての記述の比率も、まあこんなものだろう(サンドモーの経済思想史だと、シュムペーターは 6 ページで終わりだ)。

 

シュムペーターは「最高の経済学者」の座をめぐる当然のライバルとしてケインズを想定していた。二人とも同じ年、1883 年生まれだ。ケインズはたぶん、自分に当然のライバルがいるなどとは思っていなかっただろう。ナサーのアプローチは、ケインズについてはシュムペーターの場合ほど成功していない。(伝記と業績の)比重がまちがっているからだ。ケインズもまた、ゴシップまみれの私生活と重要な公的役割を持っていた。それはパリの講和会議から始まった。イギリス代表団の下っ端メンバーとして参加したケインズは、ベルサイユ条約の危険を認識して「平和の経済的帰結」という罵倒本を書いた。その公的な役職は、もう一つ世界大戦が過ぎた後のブレトンウッズ会議にまで続き、ケインズ国際通貨基金や世界銀行、つまりは戦後の国際金融システムの構築者の一人となったのだった。


ケインズのこの部分の話は、確かに本書で述べられている。でもケインズはまた、1936 年に真面目なマクロ経済学を創造した。それが『雇用と利子とお金の一般理論』だ。もちろんケインズにだって先人はいたが、でも「全体としての産出」の水準を何が決めるかについて、初の使い物になる知的道具立てを提供したのはケインズだ。丸一世代の経済学者にとって、ケインズのアイデアだけが当時の大恐慌の出来事を理解する手がかりとなった。ここでの分析上の課題は、どうしても創造的破壊なんかよりは、ずっと複雑で抽象的になる。ナサーはそれを 2 ページほどササッとかするだけだが、私はそれじゃあまりに不十分だと思う。ケインズが当時の標準的なドクトリンとどこで袂を分かったのか、すでに知っている読者でないと重要性は理解できまい。もっときちんとした説明から逃げることで、ナサーはお話は先に進めるが、重要な機会を逃してしまっている。そうした(ケインズの扱った)問題は今なお生きている、というかもっと正確には、いまや復活をとげているのだから。

ケインズの名著がとても説明しにくいのは、それが明解さの点ではかなりひどい代物だからだ。「ケインズが本当は何を意図していたか」については、未だに学者の間でも議論が続いている。私はそのうち二つの主題を強調しておこう。というのも、経済学の天才的な思想の物語にケインズが席を占めるにあたり、この二つが核となるように思うからだ。さらにそれは 1930 年代に生まれたケインズ経済学が、なぜ今日劇的に重要性を高めているかもまっすぐ示してくれるものでもある。当時、経済全体の状態に関する真面目な考察は、価格が市場ごとに動いて需給を一致させる、という発想に支配されていた。あらゆる生産活動は、どこかで所得と潜在的な需要を生み出し、価格システムがそれをすべて調節して、あらゆる財の需給が均衡するようにしてくれる、というわけだ。誤解してもらっちゃ困るが、これはきわめて奥深くて価値あるアイデアだ。多くの優秀な頭脳ががんばってこれを研ぎ澄ましてきた。ほとんどの場合、これは経済生活のよい説明を与えてくれる。でもケインズは、複雑な産業資本主義経済では、こういう物事の仕組みの説明が崩壊する場合がある、ということを見て取った。

この崩壊は、一部の市場では価格があまりに硬直的で、ちゃんと仕事ができないせいで起こることもある。それは他の人も思いついたことだ。でも 1930 年代の大恐慌がこの考え方で説明がつくというのは、ちょっと考えにくかった。だがその理由はもっと根本的なもので、一見するともっと対応しにくいものかもしれない。最も重要な例をあげよう。だれでも知っているように、世帯(や他の機関)は所得の一部を貯金する。当期に生産された財やサービスを、その貯金分では買わない。だったら、その欠けた需要を何かで埋める必要がある。実は自然に対応するものはある。今日の貯蓄はたぶん、いつか将来にそれを使おうという意図を含意しているはずだ。だから「欠けた」需要は実質資本投資、つまり将来支出を満たすために新しい生産容量を作るところに新しい需要があるはずだ。でもケインズは、その将来支出がいつ起こるか、どんな形になるかを表現する市場もそれ以外の機構もまったくないことを指摘した。神様ですらまだ決めていないかも知れない。いつともわからない不確実な需要の見通しは、企業が今日リスクの高い投資をするインセンティブとしては不十分かもしれない。移り気な資本市場も、とてもあてにはできない。 ケインズは野放図な楽観論がインセンティブとして強すぎることもあるのを十分に知っていた。でも 1936 年の人ならだれでも、ありそうなのはその正反対の可能性だと思うはずだ。

だから現代経済は、完全雇用と繁栄にたどり着けないこともある。それは生産容量が足りないからではなく、実は作れるものを買い手が買いたがらないせいだ。その結果、失業と開店休業の工場ができる。物価が下がってもダメかもしれない。というのも物価が下がれば所得も下がり、需要はもっと落ち込むかもしれないから。それでは民間投資が復活する雰囲気とはいえない。経済を完全な活用に向けて押し返す力もあるが、ときには弱すぎて、人が待てるくらいの力ではとてもそれを実現できないかもしれない。でも相民間需要の不足が続くなら、政府がそれに変わり公共支出を行ったり、減税や低金利で追加支出を刺激したりできる(民間需要が戦時中のように高すぎれば、この処方箋を逆転すればいい)。これがケインズの主張する、意識的な矯正手段としての財政政策と金融政策だった。それが今日どう重要かは明らかなはずだ。ケインズを「大きな政府」と慢性的な財政赤字の支持者として描き出すのは、下品なまちがいだ。かれの目標は民間経済を、一般に繁栄できる水準で安定させることだった。

ケインズの特色となる第二の点は、第一の点ときれいに関連する。複雑な経済では、多くの事業判断は不確実性の霧の中で行う必要がある。これはすでに述べたように、特に投資判断の場合にあてはまる。事業の成功は推測するしかないが、そのためにはリスクを負って大金を支払う必要がある(ほぼ同じことが高価な耐久消費財を買う消費者についても言える)。標準的なやり方は、まず不確実性に焦点をあわせ、それを確率で考えることだ。そうすれば少なくとも秩序だった分析と秩序だった意思決定が可能になる。ケインズはむしろ霧のほうに注目したがった。いくつか重要な不確実性は、本質的に計算不能だ、と彼は考えた。それは意気込みと慣習と、群集行動と、ケインズの言う「アニマルスピリット」により処理されることになる。これらを区別するという論点は、単に哲学的なものにとどまらない。これは長期的な投資行動が、時に不規則で不安定で、停滞と大爆走とが起こりがちだということを示唆している。期待は変動しやすく、その変動は広く伝わるかもしれない。受動的あるいは変な政策は、経済の健康にとって危険かもしれないのだ。

もちろん「ケインズ革命」について言うべきことはまだまだたくさんあるし、その欠落部分や限界についてもあれこれ言える。1936 年以来、経済学者がずっと論争してきたことだ。サンドモーの経済思想史は、それに 28 ページの章まるごとを費やしている。でもこれほど手短な記述としても、ナサーによるケインズの世界での大活躍に関する記述を大いに補ってくれる。



アーヴィング・フィッシャーはアメリカ初の大経済学者で、アルコールや健康食品、優生学等々について、ちょっとイカレた考えの持ち主だった(そしてロロデックスも発明した)。1867 年に生まれて 1947 年に没したフィッシャーは経済と株式市場について、実に悪いタイミングで過度の楽観論を述べて有名になってしまい、1930 年代の大暴落では一財産(自分のだけでなく妻のも)を失い、彼の新聞コラムの自信たっぷりな投資アドバイスを信じた人々も道連れにした。ナサーはこの変人を最大限に活用し、変人ぶりと知的能力との共存をもとにして、ビアトリス・ウェッブなどイギリス知識人訪問客による、アメリカ人なんて田吾作に流しの行商人ばっかだと思っていた紋切り型の見方の対極として位置づけている。これまた活き活きとした読み物だし歴史もちりばめられている。でも読者はフィッシャーが経済の理解という大いなる探求に何を貢献したのか、なぜ経済の天才的思想の歴史にフィッシャーが入っているのか、ということは理解できないだろう。

実はフィッシャーが貢献した重要なアイデアは一つや二つじゃすまない。でも最も重要で不可欠なものは、金利、貯蓄、投資について体系的に考える手法だった――つまり現在と未来の主要な経済的結びつきについての考え方だ。この中心的な問題についてフィッシャーが 1907 年、そしてまた 1930 年に書いたことは、その後ずっと発展はしてきたが、いまだに現代の思考基盤となっている。なんとかその発想をお伝えしてみよう。貯蓄者から見れば、いまの金利は現在の消費と将来の消費とを交換するための条件をあらわす。現在の消費をちょっと減らすと(貯蓄を増やすと)、それを市場に貸して、その金利と元金を来年かそれ以降の消費に回せる。金利が高いと、現在の貯蓄が将来買える消費は増える。一般に、将来の消費は消費者にとって、同じ額を現在消費するのに比べ、ちょっと価値が低いと想定されている。でも利子が稼げれば、貯蓄するだけの価値が出てくる。主な潜在的借り手は、実物投資によって自分の生産容量を増やそうかなと思っている企業だ。彼らにとって、金利は費用(「資本費用」)なので、投資をする場合には、それが少なくとも金利をカバーし、ついでにリスクの補償を少しできる見込みがないとダメだ。資本市場は、総借り入れと総貸し出しが均衡する金利を作る場となる。それぞれの潜在的な借り手と貸し手、投資家と貯蓄家は、市場金利にできるだけうまく適応しようとする。「均衡」金利はこの需給バランスで決まる。

このまとめはあまりに粗雑すぎて、フィッシャーが分厚い二巻本で説明した内容から見て失礼なほどだ。ちなみに彼は、資本市場のなめらかな働きを阻害する落とし穴については十分に知っていた。たとえば家族の愛情、迷信、不完全な予想、流行などだ。ケインズの過激な不確実性は、フィッシャーから見てもそんなに変な話ではなかっただろうし、実際にケインズはフィッシャーのアイデアを重要な形で活用して、自分自身のビジネス投資に関する議論を展開している。資本市場は気まぐれで不安定になることもある。何世代もの経済学者は、この根底にある装置にリアリズムと細部を追加すべくがんばってきたが、その結果は必ずしも完全な成功というわけでないのはごらんの通り。でも、これは今でもファイナンスの議論における根本となっている。



フリードリッヒ・ハイエクは、ナサーが扱うにはちょっと手こずる事例だ。確かに重要な経済学者だ。でも公的な地位についたことはなく、たぶん当人もそんなものはいやがっただろう。でも当時も今も、かれは保守的でリバータリアン的とすらいえる象徴的人物だった。そして少なくともマーガレット・サッチャーに多少の影響は与えた。スウェーデン王立科学アカデミーノーベル賞ハイエクとグンナー・ミュルダールで山分けしたとき、どっちも不満に思うのはみんなわかっていた。

経済学におけるハイエクの位置づけを理解するには、第1次大戦直後の時代に戻る必要がある。ソヴィエト共産主義がロシアを支配して、まったくちがう社会主義政府がハイエクの故郷オーストリアを支配していた。ハイエクの師匠で、輪をかけて極右だった経済学者ルードウィヒ・フォン・ミーゼスは先進経済においては効率よい中央集権的計画経済は不可能だと論じた。その主な理由は、各種の用途にリソースを効率よく配分するために必要な知識をすべて持ちうる中央計画局などあり得ない、というものだった。その知識――技術的可能性、地元の状況、消費者の嗜好、そうしたものの将来見通し――はどうしても、経済全体に散在している。(競争)市場のシステムは、この知識を表現し、生産と消費に関する分散化した決定に変換するための、唯一適した手法なのだ、と言う。中央機関はどんなものであれ、この情報にアクセスして分析し、適切な配分を計算することなどできない。

ハイエクはこうした議論を実に細やかに展開し、それを純粋に経済的な意思決定という狭い範囲から外に広げた。経済学で最も影響が大きい業績は、たぶん「社会における知識に利用」という論文だったろう。これは 1945 年に American Economic Review に掲載された。ハイエクの興味は政治と憲法理論に移ったが、そこでも同じ基本的なアイデアが核となった。1920年代と1930年代には、彼は景気循環論に取り組み、ざっと言って定期的な不況の原因は、緩い金融政策と低金利からくる、耐久資本財への過剰投資だ、という結論に達した。この発想はまったく広まらなかった (告白しておかねばならないが、学生時代にハイエク景気循環に関する著作はまったく理解不能だった。でも少なくとも一度は、それに関する試験問題にうまく正解できた)。

ハイエクが政治的な右派に人気があるのは、このおもしろいながら比較的おとなしいアイデアのせいではない。それは1944年にベストセラーとなった『隷従への道』のおかげだ。ここでハイエクは、産業を規制しようという試みは、善意のものであってもそれ自体が悪いばかりでなく、それが実に簡単に加速して「隷従」状態に必ず至ってしまう、と主張した。当時これを読んで、もしハイエクが正しいなら、私の存命中にノルウェーやオランダは独裁制への道半ばになっているはずだ、と思ったものだ。そんなことは当時もありそうになかったし、いまや考えるだに恥ずかしい。

ここでちょっと脱線を。この問題がおもしろいからでもあるし、またナサーのちょっとしたまちがいを訂正する意味もある。中央計画経済に対するミーゼス・ハイエク批判は説得力があった(そして明らかにその後の事実で裏付けられた)。これに対する反応の一つは、「市場社会主義」理論を検討する論文だった。公共所有経済が、競争市場の見事な性質や、価格の情報伝達力を活用しつつ、政府機関からの介入としては現実的な範囲にとどまるということが可能だろうか? もし政府機関がまともに機能すれば、こうしたシステムはありがちな大企業資本主義に見られる価格歪曲の一部を回避できるだろうか? この直感はおもしろいアイデアを生み出し、それは仮想的な市場社会主義を設計するのにも有益だったし、資本主義の仕組みを理解する上でも同じくらい有益だった。最終的には、市場社会主義の失敗の真の原因は、民間企業経済の成長のエンジンをもたらすような、技術的、組織的なイノベーションを動機づけ、活用することができないことだ、というのが一般的な審判だ。


本書の中でナサーはオスカール・ランゲを「ポーランドの経済学者で計画経済の計画者でKGBに協力した」と述べ、後で冷戦のスパイだったと述べる。ランゲはロンドン経由でアメリカに移住し、シカゴ大学で立派に経済学を教えた。各種のテーマで何本かかなりおもしろい有名な主流経済学論文を書き(あまりおもしろくないものも何本か書き)いたが、そのほとんどはかなり専門的な話だった。戦後は、友人たちが止めるのに逆らってポーランドに戻り、当時の共産党政府で役職に就いた。彼がスパイだったとか、以前にKGBと関係していたという話は聞いたことがないし、ナサーは何の証拠も資料も挙げない。そしてその点はどうでも、ランゲが計画経済の中央計画者だったと述べるのは絶対にまちがっている。それどころか彼は、1936年の時点ですでに分散化市場社会主義の主導的な理論家だった。 そういった市場を導くと思われていた価格は一般に、彼とアバ・ラーナーにちなんで「ランゲ・ラーナー価格」と呼び習わされていたものだった。


じゃあ「大いなる探求」とは何だったんだろう? 短いエピローグで、ナサーは二つの可能性を示唆する。 一つは、先進国がマルサスの罠から逃れて、生活水準向上が実現しただけでなく、当然と思われる経済を作るようになった、実際のリアルタイムでの歴史プロセスだ。もう一つは、経済学者がその歴史的プロセスを可能にするメカニズムと関係をどう理解していったか、という物語だ。この両者の間には、おもしろい結びつきがある。ナサーはそれをちょっと嗅ぎつけるのに、それを追っかけようとはしない。

産業革命は、18 世紀最後の 25 年に一連の有名な機械の発明で始まったとするのが通例だ。確かに一部の人は儲けたが、一般的な生活水準はすぐには上昇しなかった。何十年もたってから、やっと生活水準改善が少し見られた。それでも、19 世紀半ばに著作を行った、ジョン・スチュアート・ミルほど賢い人が、どうして自給自足や自足に足りない賃金がどうしても不可避な結果となるような、静的状態を当然と考えたのかは不思議なことだ。ミルはイギリスの繊維産業や金属加工業を一変させた発明のことを知っていた。発明や技術革新が天啓などではなく、経済プロセスの一部なのだと考えるようにすらなっていた。でも彼は、ナサーが数十年後のマーシャルのおかげとする知的な跳躍を果たせなかった。なぜだろう?

こうした想像力欠如の理由はいくつか推測できる。まず、ミルの発想はまだまだマルサスの罠に捕らわれたままだった。今の我々が「人口革命」と呼ぶ現実世界での家族行動変化は、まだ生じていなかった(これはアジアやアフリカの一部では未だに起きていない)。夫婦が子供の数を抑えるようになると、本当の経済成長に対する大きな障害が弱まるか消えた。第二に、発明と技術革新が単発的なエピソードではなく、自律的な継続プロセスなんだという発想は、まだ経済学の精神的なしつらえとはなっていなかった。そして第三に、ミルやその同時代人が経済進歩についてそういう考え方をできたとしても、時間の中で発展する進歩的な経済について、一貫性のある図式を展開するだけの分析技法がなかっただろう。それをすべてまとめあげるのは、いまなら大学院生が黙っていてもやるが、当時は現実的な可能性ではなかった。だから大いなる探求の知的な面はちょっと足踏みせざるを得なかった。

この話をもっと細かくたどると面白かっただろう。登場人物をもっと増やし、それがじりじりと新しい現実に対応しつつ進み、それが経済理論の総体に取り入れられるという話だ。だが一方で、読み物としてはいささか退屈かもしれない。いずれにしても、ナサーはすでに述べた通り、ちがうやり方を採った。彼女は華々しく、ときにはわくわくするような歴史的小話を、経済思想史の重要な登場人物たちをからめて提示してみせる。彼らは時に立派で、時には愚かで、ときには自信たっぷりで、重要な主人公らしい様子を見せる。具体的な貢献内容は必ずしもよくわからないにしても、彼らが経済思想の本体に貢献したのはわかる。少なくとも、彼らの人となりは十分に伝わってくる。

こうした物語は、本当に「大いなる探求」の一部なんだろうか? ある意味では、たぶん、そうなんだと思う。こうした公共の舞台における活躍は、経済学研究の結果をもっと広い関心へとつなげる手法の一つ、いや最も重要な手法かもしれない。それなしには、真面目な経済学の発想は政策や出来事に影響する機会が持てないかも知れない。もちろん、その機会があっても結果がどうなるかは怪しい。最近では、アメリカ財務相の借り入れ限度額設定に関する論争において、真面目な経済学の影響はゼロかそれ以下だった。でも、ナサーのアプローチもそういう理屈なのかもしれない。経済学者の人柄や物語で興味に火がついた読者は、さっき挙げたアグナー・サンドモーの経済思想史に手を出して、アイデアとその中身の発達をもっと学ぼうとするかもしれない。『真面目が肝心』での女家庭教師プリズム嬢が、グウェンドリンに政治経済学の本を読めというとき、インドルピーについての章は飛ばせと指示するのをご記憶かもしれない。それが若いお嬢さんには刺激が強すぎるからといって。本当にそうだったらいいのにねえ。

訳者コメント


えー、ソロー残渣で、経済成長においては技術革新の果たす役割がきわめて大きいことを定式化してノーベル経済学賞をもらった大経済学者で、サミュエルソンとともに MIT 経済学部を世界に冠たる存在にのしあげたロバート・ソローによるナサー(「ビューティフルマインド」の人)の近著に対する手厳しい書評。ソローの書評の情け容赦なさは、ジェイコブズ書評でも遺憾なく発揮されている。要は表題にもまとめたように、偉人伝ではあっても思想史にはなってない、ということですな。ちなみに The Economist ではこの本について、おもしろく書けていて、でも経済学の人道的な面に焦点をあてようとしつつ(だからアマルティア・センの話がトリにきている)、人に影響を与えたリーマンショックなどの話がまったく出てこないのはきわめて不満、という評価。

ぼくはこの本は未読だけれど、ソローの辛辣でストレートな評価には絶大な信頼をおいているので、おそらくこの本はこの通りのものなんだろう。これでもう、原著で読む気はなくなった。それでもナサーなので、早川から邦訳が出るだろうし、そしたら一応は読むだろう。でもその際にまずチェックするのは、経済思想やそれぞれの知的業績がまともに記述されているかということ。それが欠けているとしたら、ソローが触れていなくて救いとなる要因はあるのか? 伝記的なエピソードはたぶん、ナサーがはずすわけはない。それが学者的に見た欠点を補ってあまりあると言えるか? そんなあたりがチェックポイントになりそう。

あと、ハイエクだのシュムペーターだのを、ソローがあまり評価していないのがジワジワ伝わってくるのが楽しい。一方で、『一般理論』を読んだあとだと、マーシャルなんてお呼びでないと思ってしまいがちだけど、ちゃんと評価しなくてはいけない(と言いつつ、ソローもマーシャルがどうえらいのかはここでちゃんと説明できずにいるのもおもしろいところ)。

一方で、ランゲ擁護の部分については、友だちだったのはわかるけれど、やはりひいきの引き倒しがあると思う。ランゲがスパイだったかどうかはわからないが、きわめて親スターリン的な立場にあったのは否定できないことらしい。ソローはここで扱われている人々と共に生きて経済学を作ってきた人だから、完全に客観的な見方をしろというほうが酷なんだろうけれど。

おまけ。ロバート・ソローによる(とされる)根源的なマネタリズム批判

「私とミルトン(フリードマン) とのもう一つのちがいはだね、ミルトンは何を見てもマネーサプライを連想しちゃうんだよ。私はと言えば、何を見てもセックスのことを考えちゃうんだが、でもそれをいちいち論文に書いたりはせんのだよ」


付記


ぼくが松岡正剛のケインズ評を批判したところ、はてなブクマでこんなコメントがついた。

usi4444 有名人に対して「お前はこんなことも知らないのか。たいした事無いな。」と罵倒して悦に入る某ネット論者とその取り巻きと同じ。貴方もそこそこ有名人なんだから、もうそんな芸風お止めになったら。?

この考え方を適用するなら、ソローについても同じことが言えるだろう。ノーベル賞も取ったんだから、通俗ライターの本にケチをつけて悦に入るような、こんな芸風おやめになったらいかが?

でも、ソローは(そしてはばかりながらぼくも)ケチをつけて悦に入っているわけじゃない。ソローは、経済学者についての本はその思想をちゃんと紹介すべきだと思うから批判する。ぼくも、ケインズについて書くなら(少なくとも「知の巨人」とか称する人のやることで、多くの人が真に受けるものなら)大筋ではまちがえないでほしいと思うし、そこで変な歪曲が入るのはよくないと思うから批判する。

専門家だから、シロウトだから――そんなことで手心加えたり評価を変えたりすることは、ぼくはやるべきではないと思う。それは肩書きで人を判断するに等しい。そしてそれで扱いを変えることこそ、ぼくは知識や学問のタコツボ化を招く悪しき風習だと思う。ある程度は広く読まれて影響を持つ物について、専門家や他の有名人がきちんと批判できなくてどうするの? 同時に、「おれももう有名人だからバカはやめないと」というようなこともやってはいけない。Stay Hungry, stay foolish. オレもいっぱしの有名人と思って行動を変え始めたときに、その人の堕落は始まり、その人を有名(というのがかならずしも優秀という意味ではないのは知っているが、多少は相関があると思いたい)にしたものが失われてしまうことはあまりに多い。昔、仮面ライダーカードを集めていたとき、雑魚カードで「戦闘員」というのがあったんだけど、そこに「仮面ライダーは弱っちい戦闘員でも油断せず全力で倒す」と書かれていて感心した。ぼくはみんな、もっと仮面ライダーのひそみにならうべきだと思う。そうしないと戦闘員も成長しないし。ギィッ!

ちなみにこのusi4444なる人のブックマーク(魚拓)、ほとんどだれも見ないであろうブックマークでぶつぶつ「一応言っておくが」とか、だれに言っておくつもりだろう? ぼくはこういう人を知っている。会議とかでまともに発言しないくせに、聞こえよがしに独り言めいたことを言って悦に入っている人。自分のブログ(ばれてないと思ってる)で「あんな決定は変だ」とか書いて溜飲を下げている人。そういう人に限って、なぜ発言しないのかきくと「発言できない空気があった」とか言い出すんだ。でも、それだから世の中よくならないんだよ。言ってる内容自体は必ずしも悪くないだけに惜しいな。