ケインズ「H.G・ウェルズ『クリソルド』書評」

最近、初版諸般の事情でケインズの伝記をいっぱい読んでいるんだが、うーん、スキデルスキーのものすごい分厚い三巻本とかがんばって見ているんだけど、平板だなあ、という感じ。分厚いのだと、その物量にうんざりしてそういう印象になりがちだというのもあるので、あとで再読はするけど。

John Maynard Keynes: Volume 2: The Economist as Savior, 1920-1937

John Maynard Keynes: Volume 2: The Economist as Savior, 1920-1937

John Maynard Keynes: Fighting for Freedom, 1937-1946

John Maynard Keynes: Fighting for Freedom, 1937-1946

チェ・ゲバラのいろんな伝記をたくさん読んだときもそうだけど、長く分厚く詳しい伝記を書いても、手当たり次第ぶちこんだだけだと、「で?」という感じになってしまう。ケインズは、学者面でも官僚面でも私生活面でもいろいろおもしろいエピソードのある人物なので、いろいろ書きやすい。でも、彼がずっと同性愛者だったというのを理解しないと、彼の経済理論が理解できないというものだろうか? スキデルスキーは、もろにそういう物言いをして、ハロッドによる伝記を批判するんだけど、うーん。ぼくはクルーグマンの「波瀾万丈の人生送ってきたからって、団地のサラリーマン小せがれよりすごい洞察が得られるわけじゃない」という主張のほうが正しいと思うんだ。正直、ハロッド版とそんなに印象ちがうかなー、という気はかなりする。

ケインズ伝 上巻

ケインズ伝 上巻

というような話をツイッターに書いたところ、ある人が、ケインズの伝記作者や管財人たちはケインズの遺稿をかなり取捨選択して都合の悪いものを除いているのだ、という話があって、日本でも『説得論集』に収録されなかった「クリソルド」がそういう都合の悪いものだったらしい、と教えてくれた。

ケインズは、もちろん今日的な基準からすれば不適切な心情はあった。優生学にかなり期待していたとかね。で、この「クリソルド」というのは、H.G.ウェルズ『ウィリアム・クリソルドの世界』という、一般には凡作とされる長大な3巻小説の書評だ。その中に、社会のエリート支配を支持する見解が出ていて、そのために日本版からは落とされたんだろう、というのがその暗黙の見解。

もちろん、そんなやっべえ話が載ってるなら是非読まなくては、とこの野次馬は喜びいさんで手元の原著を読んでみたんだが……

なーんだ。ぜんぜんそんなんじゃないじゃん。具体的にどんなものかというと……まあ全訳してやったから読めや。

ケインズ「『クリソルドの世界』書評」(1927, pdf 73kb)

どうせ読まないだろー。今後高齢化で社会の活力が失われることに対する懸念、そして社会主義への失望の一方で右派の連中が新しい社会構築に関心を持たないことへの失望という2点について、基本的に賛意を示しつつ、少しその議論を広げた書評だ。社会のエリート支配待望論なんかじゃないなあ。社会の今後の青写真を構築すべき人々は、バカで感傷的な左派ではありえないけど、右派もやってくれそうにない、というだけの話だねえ。

でも書かれているいろんな問題意識は、今も通用するものばかり。同時に、労組の支配するリベラル左派勢力への幻滅、失望というのはすごく強い。最近だと、ピケティでもクルーグマンでも、昔は労組がしっかりしていて格差を抑えられていた、と述べるのが常だけれど、当時はそうは思われていなかった面もあるんだねー。それは最近読んだバージェス『1985年』でも顕著だった。

 

ちなみにこないだ、ケインズ『平和条約改訂:続平和の経済的帰結』を途中までやって投げ出すつもりが、最後に見て「もうちょっとやろうか」とチマチマ足しているうちに、結構進んでしまったんだよね。

cruel.hatenablog.com

実はこれが終わったら、「お金の改革論」「平和の経済的帰結」は終わってるんだけど、『説得論集』というのは相当部分がこの3冊からの抜粋で、さらに「孫たちの経済的帰結」も終わってるから、なんか『説得論集』の半分以上は終わってることになるんだよなー。