アマゾン救済 2006年分: 特性のない男など

1巻: 何事にも中途半端で無気力な主人公の導入。理屈っぽさが小説の展開を支援。, 2006/6/5

ムージル著作集 第1巻 特性のない男 1

ムージル著作集 第1巻 特性のない男 1

20 世紀を代表する大作小説の一つ。世紀の変わり目にあたるウィーンを舞台に、これといって特性も信念もない、結婚するわけでもない、生活に困っているわけでもない、才能がないわけでもない、頭が悪いわけでもない、でもじゃあ何かと言われると何があるわけでもなウルリッヒを中心に、これといって大したことは何もおきないという小説。この第一巻では主人公ウルリヒが、ウィーンの文化サロンを席巻する平行運動(なんだかわからないが何かしらオーストリア的なものを称揚すべきであるという運動)に巻き込まれるまで、というべきか。筆致は嫌みったらしく、せりふのひと言でほのめかせばすむ各種の感情の綾をいちいち細かく説明する、ある意味で感傷のないものではある。主人公はほとんどニート状態で、また4巻以降は妹萌え小説になってしまう変な小説で、その意味で現代的だったりもするが、この巻では理屈っぽい書き方が小説の展開を助けていて飽きずに楽しめる。

2巻: 各種の設定の展開部分で、この巻までは理屈っぽいのに楽しく読める。, 2006/6/5

ムージル著作集 第2巻 特性のない男 2

ムージル著作集 第2巻 特性のない男 2

20 世紀を代表する大作小説の第2巻。新世紀に向けて、オーストリア発の新しい文化を! と平行運動は気勢をあげては見るものの、独自性ある文化の中身がまったく見つからずにジリ貧、その主導者である遠縁の従妹とそのプラトニックな愛人をウルリヒは冷笑的に見守るが、当のウルリヒの元愛人が何やらこの運動に入れ込み出したりして、話は若干ややこしくなる。また連続娼婦殺しの死刑囚救済運動が何やら思わせぶりにしばしば登場するが、本筋とどうからめるべきなのか逡巡している印象。しかしこの巻まではまだ小説としてもおもしろく、理屈っぽくてくどいのに軽やかな筆致と小説性とがうまくマッチしていて、普通に楽しく読める。

3巻: 唐突に、双子の生き別れの妹 (!!) の存在が明らかになります。, 2006/6/5

ムージル著作集 第3巻 特性のない男 3

ムージル著作集 第3巻 特性のない男 3

20 世紀を代表する大作小説の第 3 巻。主人公ウルリヒがお義理で参加した平行運動は、オーストリア精神の中身を見つけようと奮闘するが一向に見つからず、ひたすらジリ貧。この巻で、この運動およびウルリヒを巡る各種人物の思惑や内心のとまどいをあれこれと著者はつまみ食いするが、話が進みようがなくなったところで、急にウルリヒに実は生き別れの双子の妹がいたことが判明。ウルリヒはあれこれ妄想をたくましくし、著者も脱線して何やら兄妹の関係論などにページをさいてこれまでの話はどうなったんだ、というところでこの巻はおしまい。

4巻: 突然この巻から妹萌えの近親相姦じみた小説になる。, 2006/6/5

ムージル著作集 第4巻 特性のない男 4

ムージル著作集 第4巻 特性のない男 4

20 世紀を代表する大作小説の第4巻。前巻で何の予告もなしにいきなり存在が明らかになった、主人公ウルリヒの生き別れの双子の妹であるアガーテが、さんざんじらしたあげくに実際に登場し、すると本書は何やらがらっと話が変わってしまい、妹萌え小説となる。ウルリヒは妹と家に引きこもり、思わせぶりな性的暗喩があれこれ出されて近親相姦じみた雰囲気がかもしだされ、それまでの平行運動の話等は完全に背景におしやられてしまう。ウルリヒは妹にちょっかいを出すようになる。

5巻: 未完の大作のここから先は未定稿。でも話は一向に収束しない。, 2006/6/5

ムージル著作集 第5巻 特性のない男 5

ムージル著作集 第5巻 特性のない男 5

20 世紀を代表する大作小説の第 5 巻だが、この小説は未完なので、この巻以降は完成版ではない。とはいえ 5 巻はとりあえずゲラになった部分で、一応普通に読める。主人公ウルリヒが単にお義理でつきあっていた、オーストリア精神を鼓舞しようという平行運動は、世界平和会議とかおためごかしをしているが事態は何も進まない。ウルリヒはもうそんなもののことはまったく眼中になくなってしまい、4巻でやっと姿を見せた妹アガーテとの近親相姦世界(愛の王国)を妄想してばかりだが、妹は妹であれこれ思うところもあり、他の男のもとへと走ったりする。話はひたすら発散するばかり。

6巻: 大作の未完の断片集で、本当のマニア以外は読む必要なし。, 2006/6/4

Amazonで購入(詳細)

ムージル著作集 第6巻 特性のない男 6

ムージル著作集 第6巻 特性のない男 6

20 世紀を代表する大作小説の第 6 巻、最終巻だが未定稿のゲラに続けようとしたホントに習作くらいのレベルのもので、ウルリヒと妹とがひたすら愛とは何か等について議論しているだけ。これまでも理屈っぽい小説だったがその度合いは急増する。話の収拾はまったくつかないし、つけるつもりだったかどうかもわからない。

またこの巻の後半は、ムージルの書き残した断片をまとめてあるが、本当に断片でマニアでもなければ読むには及ばない。

雑誌『NIKITA』: コピーは笑えて楽しいが中身負け。 2006/6/2

コピーのつけかたはふざけていておもしろいんだが、それ以上のものではないのが難。必要なのは若さではなくテクニック、というのだけれど、モデルはやっぱり(多少は年配ながら)若い女の子。たまに本物の艶女 (注:2017年の読者はお忘れでしょうが、これは「アデージョ」と読むことになっていました) が出てくると(この号では pp.42-5 とか pp.174-5 とか) 勘弁してくれ感が一気に充満。冗談でたまに買う分にはいいんだが、たまに本気感が漂ってくるとヒジョーにつらい。さらに、必要なはずのテクニックというのは、本来は単なるブランドアイテムではないはずなんだが、雑誌読んだだけでがさつさがなおるわけはないので、それはないものねだりか。

黒沢『翳りゆく近代建築』: 浅はかな時代認識に現代思想の意匠を添えた悲喜劇的な建築論集, 2006/5/2

Amazonで購入(詳細)

翳りゆく近代建築―近代建築論ノート

翳りゆく近代建築―近代建築論ノート

1970年代に書かれた本書を2006年の現在に読むのは、ある意味で興味深い体験ではある。「今日、これほどに、建築をつくることの困難をかんずる季節をわたしは知らない」という、重いつもりでいながら「季節」ということばにうっかりそれが一過性にすぎないという認識があらわれている冒頭の笑える一文、「これほどに難問の集積した時代」はなかったとかいう世迷いごと。そしてかれが技術の暴走例としてあげているSST/コンコルドももはや引退。結局、黒沢の問題意識はちゃんとコスト意識と合理性によって短期間で解消されてしまうものでしかなかったわけだ。黒沢が1970年代に嘆いたイデオロギーの終焉も、成長の限界も、進歩の終焉も(p.137)、実は存在しなかった。もちろん、浅田/中沢のニューアカブーム以前に各種フランス現代思想をきちんと勉強していた勤勉さは立派なものだとは思う。が、岡目八目は承知の上ながら、的はずれな問題意識と賢しらな現代思想、およびいまやすっかり色あせた社会主義への憧憬とをからめた本書収録の各種建築論は、いま読むと根底にある浅はかさ故に失笑せずに読むのはむずかしい。

クロスニー『ユダの福音書を追え』: 大した事件のない発見過程を大仰にふくらませただけ。 2006/5/1

ユダの福音書を追え

ユダの福音書を追え

世紀の大発見であるはずの、ユダの福音書……の発見解読までのドキュメンタリー。とにかく原文がまだ日本語ではあまり出回ってもいないのに、それをすごいの世紀の大発見のといって騒ぎ立てられてもぜんぜんピンとこない。結局、ユダの裏切りは実はイエスによるやらせだった、という話なんだが、実際の中身は本当に断片的にしか触れられていなくて、欲求不満がたまるだけ。

実際問題として、最初に発見されてからあちこちを転々とはしたけれど、そんなにすごいエピソードがあったわけじゃない。それをなるべく仰々しく書こうとしていて、まわりくどくつくりものめいていてげんなり。読む価値なし。

タカーチ『生物多様性』: インタビューと称する聞きかじりに社会構築論を混ぜた駄本, 2006/4/28

生物多様性という名の革命

生物多様性という名の革命

著名生物学者23人へのインタビューとあって、帯にもそれらの名前が仰々しく並んでいるが、インタビュー自体はぜーんぜん出てこず、切れっ端があちこちで援用されているだけ。その23人の多くがロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』で無根拠さを批判されていた論者だが、そうした批判に対するコメントも一切ない。

だが本書をさらに嫌な駄本にしているのは、これが生物多様性というのを社会構築論的にとらえようとしている点。社会構築論というのは、事実は物理的・科学的なものですら客観的に存在するのではなく社会的なお約束ごとでしかないというくだらない説。著者にとっては、生物多様性というのも社会的に構築された作り事のお話でしかないのだが、救われないことに著者はそれが何やらいいことだと思っている! そしてそれを弁解しようとするいたずらに饒舌で空疎な記述がひたすら続き、学者のインタビューはその援用のためにつまみ食いされるだけだ。さらに p. 291-292 あたりでは生物多様性のスピリチュアル性とのつながりが云々といって、科学が宗教とからんで生物多様性を保護するとかなんとか。もう頭痛もの。

生物多様性を保護しろという議論は、まったくのナンセンスではないし、検討すべきこともある。でもそのためには科学的、経済的、文化的な検証を通じ、その意味をきちんと示すことでコンセンサスを作るしかない。ところが本書はぜんぜんそれができていない。本書はむしろ、生物多様性というお題目を使って、サイエンススタディーズとか社会構築論とかを擁護するところに実際の重点がおかれていて、このために大変読みにくくいやな本となっている。生物多様性に本当に関心ある人は手に取らないこと。

アマゾンレビュー救済: 2005年 2

アントニオーニ『ある女の……』: 昔はいいと思ったのに。

ある女の存在証明〈無修正版〉 (レンタル専用版) [DVD]

ある女の存在証明〈無修正版〉 (レンタル専用版) [DVD]

かつてイタリア映画祭で初めて見たときは、すごい映画だと思ったのだが、今見ると全然ダメ。女優は特にクリスチーヌ・ボワッソンが宇宙人みたいな巨大おでこを全開にしてすばらしいけれど(星はおでこ代)、今見ると主人公の映画監督が徹頭徹尾どうしようもない身勝手なクズ男なだけ。昔のアントニオーニみたいな、時に人間そっちのけでモノをひたすらなめ回すような——そしてそれによって人間の所在なさを描くような——視点もなくなり、監督自身のいいわけがましさだけが残る。映画作りとしても、照明が強すぎて変な薄い影があちこちに出たりしてるし、窓や鏡の反射を使って構図を作ろうという努力はかっこいいこともあるが往々にして作為的すぎる。

 またDVDは、4:3 のレターボックス仕様。ワイド画面のテレビを持っていても活用されません。

関『ニッポンのモノづくり学』: こんな企業があるのか! 日本産業の活力を見直す、元気の出る本。, 2005/9/29

ニッポンのモノづくり学~全国優秀中小企業から学べ!

ニッポンのモノづくり学~全国優秀中小企業から学べ!

日本全国に、こんな得体の知れないすごい企業が山ほどあるとは! 知らなかった。現場なんか見たことない大学の経済学の先生が、これまた溶接トーチはおろか製図板すら見たことないとおぼしきMBAあがりのペーパー経営者と空疎な抽象論をかわすつまらない本はたくさんあるが、本書は現場にこだわる関満博が、日本中の物作りの最先端にいる中小企業の現場をインタビューしてまわった迫力満点の連載をまとめた一冊。全国をまわったせいで一つ一つは食い足りない部分もあるが、それでもその企業の何がすごくて、さらに技術的な解説とともにどうやってそこに到達したかのプロセスがきちんとまとまっていて実に有益だ。連載後の後日談も短いながら加筆されている。都会に出ないとビッグになれないと思ってる地方の高校生や大学生や、その他大企業大好き病(大企業しか知らない病)にかかってるお役人などにもおすすめ。日本の、特に地方部の底力を見直すことうけあい。

『ピングー1』: 懐かしいが、なぜか音声が変わっている。 2005/10/28

PINGU シリーズ1 [DVD]

PINGU シリーズ1 [DVD]

懐かしくて購入。かつてのビデオ版は、一本がバカ高くてさらにビデオ一本に4話くらいしか入っておらず、それに比べれば実に高いコストパフォーマンス。中身は子ども向けとはいえ、大人の鑑賞にも十分堪えるものです。

ただ不思議なことですが、ビデオ版と比べて音声が吹き替えられているようです。これがはっきりわかるのは、ピングーの子守り(というか卵守り)の話。ピングーは子守りの最中にレコードをかけるのですが、その曲がビデオ版ではかなり笑えるピングー語ラップになっていたのに、DVD では非常に生ぬるいポップス調の曲になっています。それで作品の価値が大幅に変わるわけではないのですが、ちょっと気になる人もいるかもしれません。

三浦『下流社会』: たちの悪いデータマイニング。キャッチーなレッテルだけ使えなくもない。, 2005/11/4

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

そもそもこの本の「下流」というのは、アンケートで「中の下」と答えた人も「下」に入れるという、たちの悪いデータ操作の結果でしかない(90ページ)。上中下できいていたアンケート結果を持ってきて、中の中と答えた人だけが実は中だということにして、それ以外の人を上と下にふりわけたら、そりゃ当然、「中」が減って階層化してるような印象になるだろう。勝手に中の範囲をせまくして、勝手に上と下の定義を広げてるんだもん。また、冒頭の「国民生活世論調査」の解釈も、恣意的な期間を取って「中の中が減ったことはない」など首を傾げる強弁をしているだけ。78年-85年では減ってるじゃないか。明確に景気と連動しているんですけど。

 内容的にも、デフレの意味もわかってないし(同じものの値段が下がる、というのがデフレであって、安いものを買うようになるのがデフレではありません)、勝手なくくりをいろいろ作って、キャッチーな名前をつけてみせる以上のものではない。だいたい働く意欲のない人が、貧乏暮らしで自足するのは悪いこと? 人々が地元にとどまってなかなか東京に出てこないのも、東京集中がやっと止まっていいことだとも言える。それにかれが問題視している階層化なんてのも、日銀がリフレ策をとって日本の景気が回復したら一瞬で消え去るんだけど。

というわけで、あまり感心しないデータマイニングの練習問題でしかありません。ま、挙げられてるレッテルを適当に週刊誌の見出しっぽく使って話の種くらいにはなるかも。

池内『書物の運命』: イスラム理解の問題点にサイード批判まで盛り込んだ、軽くも重くも読める一冊。, 2006/4/18

書物の運命

書物の運命

 池内恵の書評集だが、書評されている本がアラブ中東系の書物中心で比較的テーマ性があるため、散漫にならずに楽しめる。書評そのものは時事的に少し古びたりしている面もあるが、ときどき間にはさまっている文は非常に秀逸。特にルイス『イスラム世界はなぜ没落したか』の書評を契機とした、サイードとその盲目的追随者たちへの批判は必読。サイードのルイス批判は論理的なものではなく、むしろ正統なアカデミズム的手法に対する通俗評論家の揚げ足取りに近い、という批判にはハッとさせられる。

 そしてそこから、「イスラーム」というものを妙に特別視し、往々にして反米のツールにしてみたり、文化相対主義を主張するための都合のいい口実にしたりする一部知識人への批判が展開されるのはたいへんに読み応えがあると同時に、われわれ一般読者がそうした言辞を読む際にも留意すべき点であろう。イスラームではこうなんだから、と言うだけでは何もならないし、そのイスラームすら現在変革を迫られていると言える、変なものわかりのよさを廃した誠実さにも好感が持てる。エッセイ風の読み物もあり、軽くも重くも読めて大変に有益。

バルト『文学のユートピア』: 後の発展の萌芽を見るためだけの習作集, 2005/12/13

文学のユートピア―1942-1954 (ロラン・バルト著作集 1)

文学のユートピア―1942-1954 (ロラン・バルト著作集 1)

すでに後のロラン・バルトの諸作を読んで、その何たるかを知っている人以外には意味のない初期習作集。<古典>の快楽に、晩年の「恋愛のエクリチュール」の原型を見たり、「ギリシャにて」に「記号の国/表徴の帝国」の発端を見たりする、といった楽しみは、ないわけではない。もちろん最後の「今月の小さな神話」も後の作品につながるものだ。

しかし収録作品の多くは短評や小文にとどまり、しかもその多くは対象となる作品について有益なことを言おうというよりは、気取ったことをかっこよく言ってやろうというナルシズムに動かされている。「エジプト学者たちの論争」など、バルトは議論に貢献できるだけの知識をまったく持っていないにもかかわらず、あれやこれやとどっちつかずの議論を展開するだけ。上に挙げたいくつかの萌芽的な論以外に、「文法の責任」はちょっとおもしろい。また訳者による、悲劇に対するこだわりに注目した解説は読むに値する。でもそれ以外のものは、マニア以外は手に取る価値はない。

チアン『マオ 上』: 画期的ながら個人にこだわりすぎて全体像に欠けるきらいあり。, 2005/12/12

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

 毛沢東の生涯を、その誕生から死まで淡々と描く一作だが、その過程でこれまで伝えられてきた毛沢東伝説のほとんどが、捏造かインチキであったことを暴くすさまじい伝記。毛沢東は残虐で猜疑心の強い小心者であり、軍事的にも経済的にもまったくの無能。人民のことなど一切考えず私利私欲を肥やして女色にふけるだけの存在であり、単に党内の権力闘争にのみ異様な才覚を発揮してトップまで上り詰めたとされる。実は中国共産党の主要創設メンバーですらなく、共産主義に走ったのも別に信念があったわけではないという。

 長征における各種武勇伝もまったくの捏造。現実におさめた勝利は、単に国民党軍に入り込んだスパイのお膳立てでしかなく、それ以外のまともな軍事行動は、常に最悪の選択で手下の兵をひたすら犬死にさせるだけ。しかもその責任を常にだれかになすりつけることで延命。また八路軍は常に公明正大で住民を収奪しなかったというのは出鱈目で、実はかれらは略奪と虐殺の限りを尽くし、山賊以下の「共匪」として住民たちに忌み嫌われていた。エドガー・スノーは単に毛沢東のプロパガンダを嬉々として垂れ流していただけ。

 これまでの毛沢東像を知る人には、信じがたい記述がひたすら続く、ショッキングな一冊。毛沢東のために「数万人が飢えた」「数千人が泥にまみれて死んだ」等の記述ぶりは、ほとんど意識的に古代中国の史書を真似たと思えるほど。読み物としてもすごい迫力。従来の毛沢東像を知らない人はおもしろさ半減だがそれでも読ませる。ただし個人としての毛沢東固執するため、当時の時代背景や中国や世界のパワーバランスについての記述はきわめて薄く、前提知識がないと理解しにくい。そしてここに描かれたほど無能な人格破綻者が、単なる党内権力闘争能力と恐怖政治だけであそこまでの地位を獲得できるものだろうか、という疑問は残る。(下巻へ)

チアン『マオ 下』: 画期的だが、比較して読む慎重さが必要。, 2005/12/12

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

(上巻よりつづく)

邦訳の上巻は、毛沢東中華人民共和国の独裁者の座につくまで。下巻では毛沢東が超大国になろうとして、諸外国に媚びを売りちょっかいを出しつつ失敗する様子が描かれる。詳細なインタビューに基づく記述の迫力は比類がない。またトリビアとしても、中国が自国内の外国公館を偽装デモ隊に襲撃させるのは毛沢東以来の伝統であることもわかるし、他国に難癖をつけて嫌がらせをするのも常道であることがわかる。最近の中国の対日施策理解にも勉強になる部分が多々ある。

 しかしながら、本書は冒頭から毛沢東個人を悪く書こうとして納得のいく記述がなされていない場合がある。たとえば毛の軍事天才神話を否定するため、国民党に対する勝利はすべてスパイによる工作の結果でしかなく、毛沢東自身は無能だとする。でもそこまでのスパイを敵軍中枢に送り込んだのは、きわめて高い軍事能力ではないか? また国際的発言力を手に入れようとする毛沢東の策謀すべてを失敗だと著者たちは描くが、国際関係でそんなすぐ成果がでるものではない。ニクソン田中角栄の訪中のインパクトは子供心にも強く、さほど矮小とは思えない。1999年に出たフィリップ・ショートによる決定版とされた毛沢東伝(未邦訳)と併せ読む慎重さは必要だろう。ショート版は毛の思想形成史や成長過程かなりていねいにたどるが、チン版はそれを完全に無視。毛沢東はとにかく生まれつき一貫して残虐で利己的で打算的だったのだと決めつけ、それにあったエピソードだけを並べている。

 本書が毛沢東の伝記として画期的な存在であるのはまちがいない。ただしそのまま鵜呑みにするのは危険。毛沢東の伝説の相当部分を否定しつつも、それなりに能力のあった人物だと評価したショート版と、新資料に基づきつつすべては毛沢東をまったく評価しないチン版との間で、今後の世界の毛沢東像は形成されることとなるだろう。

ライダー『ライオンはねている』: インチキ外人の無知垂れ流し本。いまだにだまされている人がいるとは! 2005/12/7

ライオンは眠れない

ライオンは眠れない

昔のレビューのバックアップが出てきたので、今更ながらにポストしときましょう。本書は表紙に「The Lion Cannot Get To Sleep」と書いてある。こんなセンスのない英語をそのままタイトルにするガイジンなんかいないぞー。イザヤ・ベンダサン流のインチキガイジンだな。

まず日本は構造改革して、さらにその途中でデノミと大量の資産課税と預金封鎖をやって財政赤字を解消します、そうすれば日本は立ち直ります、という中身の本。が、このインチキ外人、デノミってわかってるんですかね。「交換比率を下げて資産を吸い上げる」なんて書いてます。交換比率を下げると、どうして資産が吸い上げられるの?

 さらに新通貨切り替え時に預金封鎖して30%課税するんだって。何のために? 日本の政府の借金と銀行の不良債権を一気に返済するため、なんだって。あのさあ、無理く返済できるなら借金は悪いことじゃないのよ。そして国債と銀行の不良債権をいっしょくたに合計してみせるって、何を考えてるんでしょうか。支離滅裂。

というわけでかなりひどい本。前半の構造改革談義は、田中まきこの外務省での茶番が構造改革の本題だと思ってるようであきれ果てます。しかも結局の結論は、なんだかしらんが国民はこれから政府がむちゃくちゃやるけれど、何やられてもそのうちよくなるから我慢しろ、というだけ。ふざけんな!

本書が発表された2002年以降、本書に書かれたことは何一つ起きなかった。そしてその後、本書の続編のバカな本で著者は、新札切り替え時に預金封鎖で云々と柳の下のドジョウをやってましたが、これも何もなし。これだけ見当はずれな本なのに、いまだにだまされている人がいるのにはあきれる。

Amazon救済 2005年分 1

川島『伊勢丹な人々』: 「それでどうなった?」が皆無!, 2005/6/16

伊勢丹な人々 (日経ビジネス人文庫 ブルー か 4-1)

伊勢丹な人々 (日経ビジネス人文庫 ブルー か 4-1)

本書は、何をやったかという話はあれこれあるんだけれど、それが結局成功したのか、どういう結果になったのか、という部分がほとんど皆無! 新しいブランドをたちあげました、こういう売り場構成にしました、新しい発想をとりいれてみました、とかいった話はたくさんあるんだが、それで結局売り上げや来客は増えたのか、という話が定性的なものすらほとんどない。しかも変遷も時系列でダラダラ並べているだけで、全体を貫く主張もなし、さらに最後のあたりになるとほとんどの節の終わりが「~と期待したい」「~だと思う」といった著者の根拠レスな感想文ばっかり。評価軸がない人の書いた、成り行きに流されただけの実用性のない本です。

バルト『現代社会の神話』: 今日的な意義のない、バルトの教条左翼ぶりを哀れむだけの本。, 2005/6/7

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

現代のいろんな報道や記事なんかが、実は現代社会の各種価値観を肯定する役割を果たしている、というのを各種の時事ネタから述べたエッセイ集。50年前は先駆的だったのかもしれないが、今はこうした見方が常識となっていて、現代的価値はほとんどない。

またソ連の実態をありのままに伝えた記事に対して、これは反ソ連の神話を反復しているだけだといきりたったり、港湾労働者が親分の搾取に刃向かう映画を、これは組合運動否定の神話だと主張したり、さらに最後の理論編で、左翼は現状を肯定するのではなく革命による変革をめざすので神話は基本的にない! と述べたりするあたり、バルトこそ最低の親ソ左翼むきだしの神話の奴隷であったことが露骨にわかる。

そしてかれは、本書でブルジョワ神話の手法と称して批判していたことをすべて、後の「記号の国/表徴の帝国」でだらしなく無批判に実施するようになる。バルトが過大評価されていることを再確認するにはいいかも。

Levitt『Freakonomics』: 変わった事象を経済学的に分析する楽しい本, 2005/5/20

Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything

Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything

合理的期待形成や収穫逓増といった大きな物語がなくなったあとで、独創的なデータ活用で意外なことを経済学的に説明する名手として、クルーグマンの次代のホープとして名をはせるレヴィットの本。新古典派の教義をひたすらふりまわすベッカーとちがい、あっと驚くきめ細かなデータ活用による繊細な分析が楽しい。犯罪と刑罰等の関係についての分析や、おそらく最も有名なのが日本の相撲の八百長を実証してしまった得体の知れない分析! それらが楽しく解説されています。ときどき文がだれるのが難点。

Darwin『On Natural Selection』: 種の起源抜粋版だが、きちんと要点をおさえている。, 2005/4/24

Great Ideas On Natural Selection (Penguin Great Ideas)

Great Ideas On Natural Selection (Penguin Great Ideas)

 ダーウィンにこんな本あったっけ、と思って買ってみたら、実は本書は「種の起源」の抜粋でした。しかもそれが版権ページにものすごい細かい字で書いてあるだけ!

しかしながら、悪い本ではありません。長い「種の起源」を読む前にざっと流し読みするには好適。生存競争の考え方、それに基づく自然選択(淘汰)の議論、そしてこの理論の難点とそれへの反論、そして結論という非常に簡潔ながら要点をおさえた構成が100ページ強につまっています。

 ダーウィンに対する反論というものはしょっちゅうでてきま すが、それらはすでに「種の起源」そのもので反論されているもの がほとんどです(反論したつもりになった人の多くは、実は種の 起源をちゃんと読んでないのです)。それがこの短い一冊にも まとめられているのはうれしい。一般人も、いきなり種の起源に とりかかると挫折しますが(昔の人のくどい英語だし、本自体 がすごく長いから)本書くらいでざっと要点をつかむとかなり 理解も進むんじゃないかと。値段がちょっと高いかな。日本だと 300円くらいだといいんですが、まあしょうがないか。

武田『脳は物理学を……』: お勉強のまとめとしてはいいが、タイトルに偽りあり。, 2004/12/18

脳は物理学をいかに創るのか

脳は物理学をいかに創るのか

物理法則は脳が作り出したものだ! という、悪しき文化相対主義者の言いそうなことが帯にも序文の冒頭にも述べられているので、大いに警戒しつつ読み進んで行ったのだけれど、なーんだ。内容は脳科学についての比較的新しい知見をまとめただけで、ニューロンとは何か、「モノ」はどのように認識されているか、そこでの情報処理はどんな形で行われていて、抽象概念はどんなふうにできあがるか、といった内容がそこそこ説明されているのはいいでしょ(でもディテールの羅列気味で、全体のテーマに貢献しない部分が多いのは日本人の著作にありがちな点)。

そして確かに、物理法則というのを考えるにあたっては、そうした認知能力は必須だから、それをもって「脳は物理法則を作っている!」と主張することはできなくもない。でもそれはあまりにミスリーディング。

物理学者が、脳科学に興味をもってあれこれおもしろがって勉強しました、というのはわかるんだが、お勉強をそのまま出されましても……。そして結局、それ以上の話はまだまだわかりません、と書いておしまい。これではタイトルに偽りありまくり。結局タイトルの問題提起は何ら答を見ない。そしてピンカーの本のように、その新しい成果の整理をもとにおもしろい知見や洞察があるわけでもない。結局何なの、という消化不良な読後感だけが残る。

電源ユニットがでかくてファンの音が気になるときもある以外は満足。, 2004/12/16

(確か当時でまわったbiDesign かなんかの液晶テレビ

カタログ等ではわからないこととして、これって巨大な電源ユニットが別の箱でついている。それについてるファンがそれなりの音をたてて、静かな映画などを観てると気になる。ただしこの電源ユニットは本体からある程度離せるので、それで音の聞こえにくいところに持っていくことで対応はできる。

画面的には、DVDやビデオを観るにはまったく問題なし。カタログの数字で見ると液晶の応答性能が遅めに見えるが、よほどの高速ゲームでもやらない限り絶対問題にならない。マトリックスや NIN ライブ等でも支障なし(まあこの手の画像ソースならあたりまえか)。また本製品の新型がすでに出ていて、これが20万を切る値段となっている。PCカードスロットが省かれた廉価版だが、PCカードスロットはほとんど使い道がない代物なので、なくても全然問題なし。この値段ならほとんど文句なしではないかしら。左右スピーカーも大きいし低音もきちんと出て、音楽系の DVD でもそんなに不満なしに聞けるレベル。入力端子が豊富なのもうれしい。

なお、30インチは店頭で40インチだの50インチだのに混じっていると小さく見えてしまうけれど、実際に家に置いてみるととても大きくて、店頭の37インチくらいの印象は優にある。29インチブラウン管の買い換えなので、これだと縦がつまって見えるかと恐れたが、最近のソースの多くは横長なので、画面が小さく見えるようなことはまったくない。またデザインもシンプルかつシャープで、どんくさい感じはまったくなし。

橘木他『脱フリーター社会』: 単著にするのはきわめて不誠実なうえ、中身もまったく不十分。, 2004/12/12

脱フリーター社会―大人たちにできること

脱フリーター社会―大人たちにできること

第1部、2部にわかれていて、1部は著者が書いて、2部はその研究室の学生たちが書いたそうな。だったらそれを単著として発表するのは不誠実きわまりない。さらに情けないことに、先生が書いた部分より学生が書いた部分のほうが、相対的に優れた出来となっている。

 橘木による第一部は、そもそもフリーターの何がいけないのかまったく述べずに議論が展開されるため、何を騒いでいるのやらわからん。香山リカの思いつき書き殴り本が主要な参考文献になっていて信頼度もがた落ちだ。フリーターの多くは責任ある仕事につきたくないそうで (p.34)、所得分布もかなり均一だ(p.20)。だったら現状は、責任を持ちたくない人がその分安定性の低い仕事についている健全な需給マッチで無問題でしょ。そして最悪なのが提言。フリーターを減らすために、若者に結婚しろと提言する! たかがフリーター減らし貢献のために、だれが無理してしたくもない結婚するもんか。聞く相手のいる提言してくれ。

 一方、第二部はもう少し堅実ではあるんだが、フリーターがなぜいけないか、やっぱり説明が弱い。さらにフリーター増の原因は企業にあるというんだが、フリーターへのアンケートによれば、7割近い人が就職先はあるのに勤務地や給料やその他条件があわない、という理由でフリーターをしている(p.151)。だったら原因は企業じゃなくてフリーター側がぜいたくを言っているのでは? 企業は別に、無理して自分たちの要求条件を曲げてまでフリーター様に正社員になっていただく義理はないのです。だからその後の提言も説得性がない。

 結局全編とにかくフリーターを減らすべきだ、というのが前提になってしまい、議論がゆがみまくり。マッツァリーノ『反社会学講座』のフリーター肯定論に応えられないものは、いまやまったく無意味でしょう。学生さんの努力に免じて星三つ。だけどお勧めしません。

Lomborg『Global Crises, Global Solutions』: 出ました! 「じゃあ何をすればいいか」へのお答え。, 2004/12/3

世界的ベストセラーSkeptical Environmentalist /『環境危機をあおってはいけない』の著者ロンボルグが受けた的はずれな批判の中で大きなものは「ロンボルグの議論は現状追認だ!」というものだった。もちろんロンボルグはそんなことは主張していない。優先順位を考えろと言っただけだ。そしてかれが世界の一流学者を集めて、本当に世界が直面している各種問題の優先順位づけを行った一大プロジェクト、コペンハーゲン・コンセンサスの成果がこの本。地球温暖化、伝染病、教育、貿易など、大きな問題とその各種対応策について、コストと便益をきちんと計算してもらい、またそれに対して反対の立場から批判させる。そのプロセスを経た計算結果をもとに、優先順位をきちんとつけたのが本書。

 いま世界で何より重要なのは、HIV/AIDSへの対応策だ。これは今すぐ何百万もの命が救える。栄養失調の解決が次点。一方、地球温暖化はどうせ数百年がかりのプロセスで、対応が10年遅れても大した差はないし、京都議定書みたいな対応策はあまりにコストが高くつきすぎる。

 この結果に、温暖化でおどしをかけて商売している環境団体は反発したけれど、「HIV対策をやめてまで温暖化施策するほうがいい」という証拠はだれも示せていない。本書を読んで、地球の未来にとって本当に有益な施策とは何か、そのために何をすべきか、冷静に考え直してくれる人が一人でも増えることを祈ってやまない。

前田建設ファンタジー営業部』傑作。すばらしい。土木技術も進歩したもんです。, 2004/12/3

前田建設ファンタジー営業部

前田建設ファンタジー営業部

 柳田理科雄みたいに、アニメや特撮モノのあげあしをとって、非現実的だと嘲笑する非生産的な試みに対して、本書はマジンガーZの格納庫を本気で造ってしまおう、おとぎ話を現実化してしまおうという壮大な試み。「え、あんなものがマジで作れるの!?」というオドロキに対して、平気で積算して見積もりと工期を出してしまうというのは笑えるだけでなく、実際の土木建設の検討プロセスまでわかってとっても勉強になります。

 ゼネコン営業というと公共事業受注のためのお役所接待みたいなイメージがあるけれど、実はこういう技術的、コスト的な詰めのプロセスが重要なんだというのを教えてくれて有益。そして、本気で実現性があると思うと、アニメを見るイメージも変わってくる。しょせん外見だけのフィギュアとはまったくちがった、重たいリアリティを元のアニメにも戻してくれる好企画だ。次回作もあるそうで期待したい。それとこんどは別のゼネコン(五洋か飛島か熊谷あたり)と対決するのやってくれないかな。

ランド『肩をすくめるアトラス』: 自分が分不相応にえらいと思っている人だけが感動する本。, 2004/12/1

肩をすくめるアトラス

肩をすくめるアトラス

アイン・ランドの代表作。長いし、小説としてはへたくそです。大仰な描写、延々としゃべりまくる饒舌な登場人物。すべては功利主義で進み、主人公の鉄道会社重役ダグニー・タガートは、ボーイフレンドよりも有能な男が目の前に登場するとあっさり乗り換えて、そのボーイフレンドも功利主義者なのでそれを平然と祝福するなど、失笑するような場面が満載です。

 本書に人気があるのは小説として優れているからではなく、その思想に共鳴した人々が一種のカルトを形成しているからです。ソ連から亡命してきて、ひたすら国の規制を毛嫌いする彼女の思想は、かなりおめでたい自由放任実力主義です。世の中には、生まれつき有能な人と無能な人がいて、世界は有能な人のおかげで動いているんだから、そのエリートたちを(国の規制などで)邪魔してはいけない、というだけの話。本書でも、有能な人は生まれてずっと有能、そうでない人はずっと無能な寄生虫、という描かれ方は一貫しています。

 本書を読んで感動し、ランド支持者となる多くの人は、自分こそはこの優秀な側の人間だと思っています。でも実際には、多くの人は自分が思っているほどは有能ではなく、社会的な評価の低さも実は単なる分相応だったりする場合がほとんどです。本書を絶賛する人は、いったい自分がランドの世界でどこに位置づくかをよく考えてみるべきでしょう。

 著者のランドも「自分は優越人種なのだから通常のモラルには縛られない」と放言して25歳も年下の(既婚の)愛人を囲い、かれから別れ話を切り出されると逆上して破門など、自分の教えほどは功利主義的には生きられなかったようです。また彼女の死後、その弟子たちは派閥抗争を繰り広げて分裂を繰り返しています。彼女の「教え」は本当にそんなにいいのか? そういうことを考えながら、批判的に読むといいでしょう。

Amazon救済 2004年分 3: イラク人質事件関連など

郡山他『人質』: まとも。少なくとも読んで新しい情報は得られます。, 2004/10/10

人質―イラク人質事件の嘘と実

人質―イラク人質事件の嘘と実

イラクで誘拐された人質たちが相次いで本を出しましたが、その中で群をぬいてまとも。何が起きたかという話も詳細に書いてあるし、例のビデオについても、実は2バージョンあったとか、その前後のやりとりを含めて細かく述べられている。パレスチナに行くつもりが急にイラク行きにした事情についても、まあ納得とはいわないがそれなりの説明もある。変なヒロイズムに酔いしれているだけの他の二人に比べ、自分の立場の弱さや判断の誤り(とその原因)についても多少は自覚的。またその後の取り調べの事情についても、かなり率直に書かれています。最後のほうのジャーナリストとして自覚みたいな話は、まあお題目っぽい話ではあるけれど、それは読み飛ばせばよい話。対談形式はちょっとうっとうしい気もするけれど、これは本人の作文能力とのかねあいもあるので何ともいえない。

 あの事件について知りたい人は、他のは一切読まなくていいので、これだけでも読みましょう。あの3人についてどう評価するかはさておき、現場にいた人間として他では伝えられないことを伝える、という役割を果たしている点ではこの一冊は評価できる。問題は、あの事件について今さら何か知る必要があるか、ということではあるのですが。

今井『ぼくがイラクへ……』: 「自己責任」より素直だが、しょせん高校生の「自伝」ですから……, 2004/9/27

ぼくがイラクへ行った理由

ぼくがイラクへ行った理由

 この人物の売りは、人質になったということしかないので、本書は当然ながらその話が中心となりますが、そのせいで山場は一か月後に出た「自己責任」とまったく同じ(冒頭部の、韓国人人質が殺されたときの感想の話もいっしょです)。まったく同じじゃカッコがつかないと思ったのか、こちらは紹介にも上がっている通り「語られないイラク戦争の実状、深刻な劣化ウラン弾問題等を語る」という具合に、イラクに行く前の自伝みたいな話がたくさん出ています。が、かれは実際に劣化ウランの現場を見たわけでもなく、もちろんイラク戦争の実情なども自分では知りません。ですから書かれたことはすべて受け売りの孫引き。自分でやったことといえば、何やらメルマガを出しました、というだけ。そんな人の自伝がおもしろいわけもない。

 ただ、本書はつまらないとはいえ、一応本人がなんとか書いているようではあります。「自己責任」のほうは語り口が「私」のだ/である調で、中身が未熟なくせにレトリックのごまかしが妙に達者、本人が書いたかどうかあやしい気がしますが、こちらは一人称は「ぼく」で、まだ身の丈にあっている。が、その分、文章だけで自立できずに、えらい人との「対談」を入れてなんとか体裁を整えた、という本になってしまっているのは、まあご当人の責任ではあります。本人がストレートに出ている点で「自己責任」より一つ多い星ですが、とはいえ読んで何が得られるわけではありません。

バーン他『マキャベリ的知性』: 知性は権謀術策のために発達した?!, 2004/9/19

マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

  • 作者: リチャードバーン,アンドリューホワイトゥン,Andrew Whiten,Richard Byrne,藤田和生,山下博志,友永雅己
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本
  • クリック: 11回
  • この商品を含むブログ (11件) を見る

バナナを台にのぼって取るとか、イモを洗うとかいうのがサルの知性の証拠とされることが多いけれど、実はそんなのは偶然の結果を真似すればすむので大した知性はいらない。ヒトや一部のサルは、その程度で要求される知性をはるかに上回るほと賢い。なぜか? 編者たちは、それを集団行動からくる社会生活と、そこにおける権謀術策——ばかしあいや顔色うかがい——のせいではないかとする。

 サルの各種の社会行動——秘密、共謀、ごまかし——もおもしろいけれど、それがサルの持つ、「他人」という概念や「Aが知っているということをBは知らない」といった複雑な関係の精神モデルの反映だ、ということを各種の論文はうまく描き出す。下等なメガネザル等では、こうした高度な処理ができないことを示し、知性との関係もうまく提示。また、道具を使うから知性が発達した、という説がはっきり否定されているのも驚きだし、さらには「結局サルが何考えてるかはわからないんだから、こんな憶測は単なる擬人化かもしれない」という根本的な疑念を述べた論文まで収録してある公平さには感激。この考え方の全体像をきれいに伝え、しかも独善的にならない見事な論文集にならず、さらに論文寄せ集めに終わらず、編者たちの解説がきちんと文脈付けをしている好著。

 なお、p.185 の余計な訳注はまちがっている。どっちに食べ物を入れたか見てないと、「必ず食べ物の入っていない容器を叩」くなんてことができるわけないでしょ。こういうところでまちがえられると、ちょっと訳に不安を感じるけれど、でも全体に読みやすく仕上がっている。

Sassen『Global Cities』: 時代に翻弄されたかわいそうな本, 2004/9/19

The Global City: New York, London, Tokyo (Princeton Paperbacks)

The Global City: New York, London, Tokyo (Princeton Paperbacks)

本書の初版は 1991 年に出た。書かれたのは日本バブルの頂点。東京、ロンドン、ニューヨークがグローバルシティとしてなぜ台頭したか?

 サッセンは、従来は従属的な機能だとされていた、コンサルとか弁護士とかその他知的サービス業こそ新しい「生産」なのであると論じて、こうしたグローバルな都市こそが新たな生産拠点なのである、と論じた。デジタル化とネットは、工場と本社機能の分離は可能にするけれど、知的サービスを必要とする本社機能は集中するんだ、と。さらに、彼女は金融業に注目し、それが新しいデリバティブ商品なんかを産みだしていることを指摘し、この新しい「生産」というものの姿を描いた……つもりになっていた。そしてそれはほぼ完全に自律的なサイクルに入り、グローバル経済はこうした大都市への機能の永遠の集中、その他の部分は工場だけ持たされて貧乏のままでさらなる後退という二極分化に位置づけられるはずだった。

 が、皮肉なことに本書の初版が出ると同時に日本のバブルが崩壊。東京の地位停滞、さらに金融商品方面が大不祥事を連発して一時の元気をなくし、同時に従来型の生産機能を軸にしたアジアの急上昇、中国の台頭、バンガロール等の変な集積が次々に登場。本書の当初の分析は、ほぼ完全に崩れた。生産拠点が移行すれば、当然ながら管理機能も移転するという当然の理屈を無視した本書のダメさは、当時も明らかだったはず。2001 年に出たこの第二版では、それをなんとか取り繕うとあれこれしているものの、結局はあとづけのへりくつに終始。議論そのもののだめさ加減が次々にあらわになってしまった、いわば時代に翻弄されたかわいそうな本。いや、力作ではあるんだけれど。

Krugman『Great Unraveling』: 一年経って、すべてクルーグマンの言うとおりでした。 2004/9/15

The Great Unraveling: Losing Our Way in the New Century

The Great Unraveling: Losing Our Way in the New Century

 本書のハードカバー版が出てから一年後、ペーパーバック版が出ました。この一年で書かれた追加のコラムが 30 本と、新しい序文つきで 100 ページ近い増補が行われ、非常にお買い得になっています。これから買う人は是非ペーパーバックを。

 ハードカバー版が出てきたときには、あまりに攻撃的すぎるとか一方的だとか言われていましたが、一年経ってみると内容的にも論調的にもまちがっているところはまったくなく、当時はあまりに過激に思えた口調もいまや当然至極に思えるほど。大量破壊兵器は結局なかった、と2004年9月にアメリカ政府は認め、イラクの泥沼化も予想通り。景気も停滞したままで、その他の面でもめちゃくちゃ。そしてその表現も明快。軽やかな文と同時に、p.465 のようなグラフ一発の表現力は経済学者の面目躍如です。ワシントンの内輪におらず、コネによる情報のおこぼれに頼った執筆ではなく公式発表データをもとにした単純ながら的確な分析の力に、改めて驚かされるとともに、それを一介の理論経済学者がやらねばならなかったアメリカのジャーナリズムの現状(さらにはそれすら登場しない日本の現状)について絶望まじりに考え込まされる一冊となっています。

『日本テクニカル分析大全』: トンデモの魑魅魍魎。お笑いに是非どうぞ。 2004/9/10

テクニカル分析というのは、株価の動きだけを見てそこから今後の株価の上下を予測するという手法。株価は波がある。その波のパターンを読めれば将来も予測できる、というわけ。で、その波がフィボナッチ数列に従うとか、グラフにしたときの傾きが規則性を持つとか言ったパターンを発見したと思いこんだ人が、それを投資「理論」に仕立てるというわけ。それらをまとめたのが本書。

 大全というだけあって、その「理論」だの「手法」だのは多様。でもすごいのは、一つとして「なぜそうなるのか」という説明がないこと。それぞれなにやら例が出てくるけれど、これだけ株があってそれを任意の機関で選べば、どんな「パターン」でもどこかには見つかるでしょ。あげくの果てに「陰陽五行と株価」だの「四柱推命による予測」だの気絶しそうな代物が大まじめに載っていて爆笑もの。そして最後のテクニカル分析の将来に関する文では、テクニカル分析によるメジャーな成功例がない、というのが普及の障害となる悩みのタネとして挙がってる。成功しないなら、あきらめればいいのに。こんなトンデモで本気で投資をやってる人がいるとは! 星はお笑いバリュー分。

今井『自己責任』: ネタのつかいまわしは……, 2004/9/10

自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」

自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」

この人物は同じネタで「ぼくがイラクに行った理由」という本を一月ほど前に出している。向こうは前後の事情で、こっちはまあその誘拐されていた期間の話がメインではあるのだけれど。でも重複する部分があまりに多い。ほかにネタがないのはわかるけどねえ。

さらに、例のビデオ撮影のところの説明にしても、実際に出回ったあのビデオの状況と話がちがいすぎる。同時期に出た高遠氏の本の記述とも整合していないし(高遠本の記述も、ビデオとは整合していないが、記憶がとんだことにしてごまかしている)。口裏をあわせるくらいの手間はかければいいのに。

あとは、まあ日本に帰っていじめられてこわかったよエーン、という泣き言の垂れ流しで、まとまった議論を書こうとしてみた部分も、著者の論理構成能力が低く、文章としてまとめあげる能力も低いために(たとえば最後の「自己責任」の話、反論するならきちんと反論してみればいいのに「わからない」だそうな。本の題名にするくらいの中心的なテーマじゃないの?)結局何が言いたいのか意味不明。「週刊現代」が尻を叩いて書かせたようだけど、ゴーストをつけるなり、もう少してこ入れしてやればいいのに。結局事件について新しい情報もなければ、かれの考え方も明確にならない。なーんだ、意味ないじゃん。

高遠『戦争と平和』: 新しい情報皆無。, 2004/9/10

戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない

戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない

邦人人質事件の当事者が書くんだったら、例のビデオ前後の状況とか、もっと詳細な記述があるかと思ったら、記憶が飛んでいるそうで何もない。例のビデオで、彼女が音声の入らないところで口の前で指をパクパクしてみせていたのは何なのか? とか、いろんな人が疑問に思ったことにはまったく説明なし。書かれていることは全部、自分に都合のいいところだけ。かっこよく反論してみせたとかなんとか。郡山氏がパレスチナ行きをその場の思いつきで変更したあたりの話も、何も新情報なし。

さらに拘束記の部分は全体の2割もあるかどうか。その後は解放後の身辺雑記がもう2割、あとは彼女の自己満足に満ちた昔のウェブ日記の再録——イラクでボランティアしたい、という人物に対して、イラクにきたがるのは自己陶酔であり家のまわりの雪かきなど身近な奉仕が重要、と「おまえが言うかっ!」という説教をしてみせるなど、失笑部分まみれ——と、自己陶酔の「愛」とやらを連発したへたくそなポエムみたいなものが山ほどつめこまれた無内容な本です。何も新しい情報や発見はありません。

ウォーラースティン『ユートピスティクス』: ウォーラーステインを捨て去るための一冊。, 2004/8/21

ユートピスティクス―21世紀の歴史的選択

ユートピスティクス―21世紀の歴史的選択

かれの議論というのは、資本主義というのは富の無限蓄積をめざす一つの大きなシステムなんだ、ということ。そのシステムがだんだん拡大して、今世紀はじめあたりで全世界を覆う世界システムとなった。でもそろそろ、世界的に収奪先がなくなって行き詰まってる、とかれは主張する。そしてこの『ユートピスティクス』では社会/共産主義や市場礼賛みたいなユートピア像ではない、現実的で望ましい将来像を考えるという。

 すばらしい。で、それはいったいどういうものだろうか。

 それが……なにもないのだ。

 なんか新しい仕組みが出てくる。でもその中身はわからない。だけど、それまでなるべく自由とか平等とか人権とか平和とかを推進するように努力すると、その新しいシステムもそういう良心的なものになるでしょう。これだけ。

 そしてそのための「努力」の中身ときたら。かれの提案がすごい。くじびき、だ。能力試験とかは権力者が権力を温存するための手段で、差別を延命させるからダメ、という。くじびきにすれば差別は減って、世の中よくなる、だって。アホか。さらに科学も権力者がねじまげるから無視していい、といわんばかり。

 善意を積み重ねた結果が最悪の状況を招く、というのは現実によくある事態なのに。さんざん歴史分析を重ねた結果出てくる話がこの程度なら、結局かれのやってきた学問ってまったく現実的意味がないんじゃないか。そう思わせられる残念な一冊。

Mandelbrot『Misbehaviour of markets』: ランダムウォーク仮説をひっくり返す。 2004/8/17

The Misbehavior of Markets: A Fractal View of Financial Turbulence

The Misbehavior of Markets: A Fractal View of Financial Turbulence

ベノワ「フラクタルマンデルブロが、自分が構築に大きく寄与した効率的市場仮説を自らひっくり返したに等しい本。いや、ひっくり返してはいないんだけれど、そのいまの形式の前提になっている、ランダムウォーク仮説をひっくり返す。株価の変動はランダムウォークではなく、フラクタルに従うのだ、という。そしてこれにより変動はランダムウォークから得られるものより大きくなる。というか、平均値に近い部分が増える代わりに、裾野が広がる。だからこれまで思われていたよりも市場は安定しているけれど、でもこれまで思われていたより派手にふれることがある、という話。ただ、なぜそうなるか、という理屈は説明できていない。それが弱点かな。とはいえランダムウォークだって、なぜそうなるかは特に明快な理論もないわけだし。これが発展すれば、いまのファイナンス理論はかなり修正を余儀なくされるかも。

地球の歩き方:上海他』: 主要なバー、クラブ街にまったく言及がないとは絶句。, 2004/8/16

上海はまあ急変しつつあるので、閉まった店が多いとかそういうのは見逃そう。だが重要な地区を丸ごと一つ見逃しているとなると、ちょっとガイドブックとしての技能を疑う。数年前から、上海のバーやクラブの集まる通りとして茂名南路 (Maoming Nan Lu) が、まあ日本における六本木(というほどでもないが)のような外国人ファランの集まる地域として名前を挙げている。ところがこの「地球の歩き方」にはそれがまったく触れられていない。信じられない。上海というのは言われるほどはおもしろいところではない。あの醜悪なチンポコタワーなんかを誇りにしている時点で、センスのなさはおして知るべしで、この茂名南路もそんなにすごいものではないとはいえ、相対的には言及を避けられない場所でしょう。それを数年にわたりまったく無視というのは、よほど情報収集力がないか、よほど年寄りばかりが書いてるか、それとも何か方針でもあるのだろうか。かわりに最先端のクラブとして紹介されているところは、なんと小室哲哉プロデュース! いやあ、なういですねえ。上海若者系の風俗に興味ある人は、本書は使わないように。

Amazon救済 2004年分 2

森谷「政治と技術」: 根本的な事実認識からしてまちがっている無力な本。 2004/12/1

 ケータイとかパソコンとかの技術は発達しているのに、公害防止とか交通システムとか新エネルギーとかの社会的な技術は導入がすすまず、だから人々の生活はどんどん悪くなっている、というのが本書の主張。だから、政治的にいろんな技術導入を進めるように努力しろ、と本書は主張する。

 まず当初の認識からしてまちがっている。公害は1970年代をピークに、どんどん改善されている。通勤ラッシュがひどいひどいと言うけれど、これも1970年代をピークに改善されている。なぜか? 各種技術がちゃんと社会に適用されてきたからだ。要するに、社会的な技術が導入されてこなかったというのはまったくのまちがい。そして著者だって本書で日本の公害防止の取り組みについて書いているんだから、それを知らないはずはない。でもそれを故意に隠して我田引水を試みるのは実に悪質だ。ダイオキシン地球温暖化の話も、あまりよく知らないのに知ったかぶり。新エネルギーだって、まだ効率あがってないから補助金づけじゃないとまわらない。だから広まらないってだけなんだけど。

 著者は、産業技術と社会技術とが不均一に発達して矛盾しているというけど、そんなことないの。ただ社会的な技術というのは、広まるのにちょっと時間はかかる。それだけの話だ。なぜかといえば、それは民主主義のおかげ。合意形成には時間がかかるんだ。著者の主張は要するに、自分はえらくてなにやら答を知っているので、それを政治的に強権的に押しつけろ、というもの。そりゃそうすればすぐいろんな技術は導入されるだろう。でも独裁国家じゃないんだから、そんなことはできないの。著者の議論はしょせん社会工学者にありがちな、強健独裁者待望論だ。それはそれで悪いことじゃないんだけど、そういう認識を自分で持っていないのは致命的。それゆえに役にたたない本。

LG DVDレコーダ: 大きな不満はないが強いて言えばファン。 2004/11/28

LG LDR-V20 ビデオ一体型DVDレコーダー

LG LDR-V20 ビデオ一体型DVDレコーダー

安いし(3万5千以下)、機能的にも一般用途では十分。古いビデオのDVD化に使っていますが、特に不満なし。多少操作がめんどうくさいのは、まあいろいろ入っているマシンの宿命でしょう。

唯一言うとすれば、背面に大きめのファンがついていて、それが背面から1cm ほど飛び出しています。おそらく、壁にぴったりつけてこれをふさぐのは望ましくないのかな、という感じ。さらに、このファンがそこそこ音をたてます。ビデオやDVD再生時には、そっちの音があるので気になりませんが、時々静かな部屋だと「あれ、パソコンのファンが妙に音をたてている」と思うとその半分がこのデッキです。使わない時は電源を切ればいいだけの話ではありますが、過敏な方は考慮に入れておいたほうがよいでしょう。

また、D端子の横にネジ頭が出ていて、コネクタの接続が非常にしづらくなっています。このため設置が非常にやりにくく、またケーブルをはずれやすくしてしまっています。

ハンフリー『喪失と獲得』: なぜ自分は天才でも美男美女でもないのか、とお嘆きのあなたに!, 2004/11/3

喪失と獲得―進化心理学から見た心と体

喪失と獲得―進化心理学から見た心と体

人は生存に有利なので知能を発達させた、というけれど、それならどうして身の回りにはこんなにバカが多いの? 美男美女は相手に困らず遺伝子を残しやすいはず。だったらなぜ遺伝はみんなを絶世の美男美女にしてくれなかったのか? 本書はそれに対して、コロンブスの卵みたいな説明をする。頭がよすぎると、何でも自分でできてしまうので、他人との協力の必要がなくなり、社会が成立しない。孤高の天才がたくさんいるより、バカが相互に相談して協力する社会のほうがいいんだ! 美男美女でない人が、なんとか相手を獲得しようと努力することから人間は進歩する。つまり個体のためにも種のためにも、天才や美男美女だらけでないことには必然性があるんだ! 何かを喪失することで、もっと大きなものを獲得する戦略がそこには働いている!

 その他、ラスコーの壁画と自閉症の天才絵画との類似性から古代人の精神世界を考察する衝撃の論考(あれは古代人に文化があったことを示すものではなく、言語能力の欠如を反映している!)、プラシーボ効果やトンデモ宗教の意味など、ショッキングでありながら実に自然な説明が進化論の観点から次々に繰り出される名作。楽しくも意外な主張の数々にわくわくさせられます。訳もすばらしい。是非ご一読を!

(追記: その後、2017年にラスコー展を見て、この最後の段落の評価は完全に覆った

レム『ソラリス』: 新訳する意味があったのかな? 改善はされているけど。, 2004/10/27

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)

ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)

長年、「ソラリスの陽のもとに」として飯田規和訳で読まれてきた、レムの傑作の新訳。旧訳がロシア語からの重訳だったのが、今回はポーランド語からの直接訳、また旧訳の検閲による、原稿用紙40枚分にもわたる脱落カ所が復元された、というのが売り。 復元個所として大きなものは、「怪物たち」の章の p.197 12 行目から p.202 7 行目 (原稿用紙12枚分)、p.202 15 行目からp.204 5 行目 (4 枚分ほど)。「思想家たち」の章だと、p.284 11 行目から p. 294 まで 20 枚分強。「夢」の章ではp.299 最後から 2 行目から、p.301 の12 行目まで。

ただし検閲というから何か内容的にヤバイことが書いてあったのかと思ったら、全然。どれも、かなり衒学的なソラリス学の話を端折ったか、ちょっとダレ気味の描写を刈り込んだ、むしろ編集的な処理。また飯田訳のほうがこなれている。たとえば飯田訳のハヤカワ文庫版 p.175 で「指切りする?」と尋ねるハリーは、沼野訳では「聖なるものに誓って?」(p.178) とかなり大仰。たぶん飯田訳は意訳、沼野訳は原文の直訳に近いんでしょう。

比較すると、飯田訳は検閲や重訳による劣化がほとんどない。細かいちがいはあっても、大勢に影響はないところばかり。新訳を見ると、むしろ半世紀近く前に行われた飯田訳のずばぬけた優秀さが目立つとともに、なんでわざわざ新訳したのか、ちょっと疑問に思ってしまう。

もちろん改善は見られるし、今から読むならまあこの新訳のほうでしょう。でも価格差を正当化するほどの改善かというと口ごもる。いずれで読んでも、まったく理解できない存在に遭遇し、人が自分自身についての再考を迫られる、ファーストコンタクト哲学SFの不朽の名作としての価値はほぼ同じです。

梅棹『ITと文明』: ゆるい本に梅棹忠夫の自慢話風味そえ。, 2004/10/26

ITと文明―サルからユビキタス社会へ

ITと文明―サルからユビキタス社会へ

梅棹忠夫おべんちゃら本、と言うと言い過ぎかもしれないけれど、本当にそんな感じ。サルから文明へと言いつつ、サルから20世紀までは長谷川寿一の話がちょろっとあるだけ。各種論者がちょろっと自分の関連分野の話をして座談するが、目新しいものは何もないし、それをまとめあげる強い視点も問題意識もない。最初と最後の梅棹の放談は、単にこれまでの自分の業績自慢で、さらに「たとえばホームページに私の談話などが平気で盗まれているかも知れない(中略)それこそ情報機器の危機です。恐ろしいことです。これを下手に野放図にしたら、情報産業そのものまで崩壊しかねない」(p.47) と電波なことを得意げに言い立てているさまは、ほとんど頭痛もの。だれか止めてやれよ。結果として、全体として散漫で、新しい発見も方向性もないゆるい本になっています。

ほとんど文句なし。文筆業にはこれだけで十分!, 2004/10/20

(確かブラザーのmymioの古いヤツだったと思う)

この手の複合機でなかなかつかなかった留守番電話をやっと装備。LANにつなぐだけでスキャナも使えればファックスも送れるというのは実に便利。プリンタはレーザプリンタほどは速くありませんが、印刷する回数は減ってきているし、ごくたまにカラーが要る時にも対応できるのも吉。スキャンや印刷の密度も、ぼくが使うくらいの本からの図やグラフの読み込み・印刷には十分すぎるほど。

月にカラー5-6枚、白黒10枚ほどの印刷で、インキは8-9ヶ月程度で空になりました。どの色もほぼ同時です。もっぱらクリーニングで使われたようです。インキの全色セットは高いと言えば高いのですが、まあそんなものではないかと。

またちょっと不具合があり(印刷が終わった後で「印刷できない」と表示が出る)、サポートに連絡したところ、「代替機を送るから実物を着払いで返送してくれ」とのこと、翌日には代替機が届きました。修理に約一週間、きちんとなおっており、まったく問題なし。この経験から判断する限りサポートの対応はすばやくきわめて優れており、SOHO利用でもよほどのヘビーユースでない限り安心して使えます。 コメント コメント | ブックマーク

ゴンブロヴィッチ『トランスアトランティック』: 中原昌也meets太宰治という感じだが、つまらない。, 2004/10/19

トランス=アトランティック (文学の冒険シリーズ)

トランス=アトランティック (文学の冒険シリーズ)

全体の雰囲気は、中原昌也の小説に太宰治を入れた感じ。スラップスティック的に誇張された各種出来事が罵倒語満載で描かれて、その中に「永遠の青二才」たるゴンブロヴィッチが、自分は大作家だという肥大した自意識を抱え、根拠なしの変な自信と、現実の立場をを見たときの自己嫌悪をいったりきたりしつつうろうろする。でも、つまらない。スラップスティック部分は笑えるほどおもしろくないし、自意識過剰な作家の話なんてうっとうしいだけ。

本書は在外ポーランド人社会を戯画化したことで在外ポーランド人たちからものすごいバッシングにあったそうだけれど、いま読んでなぜこんなものがバッシング対象になるのか首をかしげる程度。ポーランド性がどうしたこうした、という話も、特にその問題に切実な思い入れがなければピンとこない。また、訳者や収録された論文に書かれた、ことばの問題についても、訳者たちが騒ぐほどのものじゃない(少なくとも翻訳は)。翻訳が酷い日本語だと思うだろう、というんだけど、いまや普通か、かえって上品なくらいじゃん、この程度。

訳者解説は、翻訳にいかに苦労したかという話を自慢げに書いているけど、数十ページも自慢するほどの代物じゃないし、また亡命者が祖国喪失がとよくある話もありがちなおブンガク談義の域を出ない。

(追記:このレビューを読んで訳者は激怒して、いまだに山形の名前が出ただけでお冠になると風の噂でききました……)

朽木『貧困削減と世界銀行』: 偏った概説に思いつきのちりばめ。不安な本です。, 2004/10/11

貧困削減と世界銀行―9月11日米国多発テロ後の大変化 (アジアを見る眼)

貧困削減と世界銀行―9月11日米国多発テロ後の大変化 (アジアを見る眼)

 世界銀行が、9.11テロを境に貧困削減を重視する政策に切り替えた、という珍説を主張した変な本。貧困削減は、ウォルフェンソンが親玉になったときからずっと主張してた話だし、それが9.11テロで特に変わったということもないんだけど。むしろ9.11以前は、ウォルフェンソン流の「経済成長か貧困削減か」というトンデモ二者択一でやってたのを、やっぱ貧困削減には経済成長しないとダメなんじゃないの、という常識が(本書で紹介されているダラーやイースタリーのおかげで)復活してきた、くらいのことで、それも9.11のせいではないはず。

 途中で紹介されている政策の優先順位づけも、まあ穏当だとは思うけどよく読むと単なる著者のアイデア産業クラスターの話も、まあそういうのもあるかもしれない、とは思うが単なる思いつきの提示にとどまる。日本の成長戦略を他国に輸出、と言うけれど、それがそんなに簡単な話じゃないというのもこの世界では常識だと思うんだが。全体に、著者のかなり偏った思いこみ(この人、世銀で働いていたはずなのに……)や思いつきを並べただけ、という印象を免れない。

(これを掲載したら、某援助機関から「内部ではみんな思っているのに口にできないことを書いてくれて、山形はその機関内ではヒーローです」というメールをいただきました……)

安田『人脈づくりの科学』: 支離滅裂で何も説明できていない。, 2004/10/8

人脈づくりの科学 「人と人との関係」に隠された力を探る

人脈づくりの科学 「人と人との関係」に隠された力を探る

 人脈をネットワーク図にして分析すると、いままでとちがう科学的アプローチが可能になる、という話はおもしろそうだ。またそれぞれの章末などについている、チャート式めいたまとめも、なるほど、という感じではある。でも本書は、その両者がまったくきちんと結べていない。一文一段落の宇能鴻一郎みたいな書き方で、しかもその文章がまともな脈絡をまったくつけずに並べている。

 何がネットワーク分析から導かれ、何がそうでないかもごっちゃで、「共通の敵となることで仲の悪い人々を結びつける」といったおもしろいアイデアも、なにやら作家のエピソードや世間的な常識を引っ張ってきただけというものが多すぎる。章のまとめの部分で、それまでまったく出てきていない話題に言及したり、またなにやら数式を持ち出してきながら、それぞれの変数が何を指すのかまったく説明しなかったり。まとめも、結局何が優れた人間関係かはわからないけど結果を出すのがいい人間関係だ、という何も言ってないに等しい代物。よくこんな人が学者をやっていられるものだ。

本書に関する他のレビューでほめているのものは、人間関係についてのチャート式みたいなまとめの部分だけを見てあれこれ言っているようだけれど、それがどうして導かれるかまったく説明できていないどころか、実はこの分野の成果として言われているものなのか、ひいてはそれが本当に正しいのかも不明。おもしろそうな分野ではあるんだけれど、本書では何もわかりません。

アマゾン救済: 2004年分

小松「公益とは」: 善意の滅私奉公&全体主義賞賛, 2004/8/8

公益とは何か

公益とは何か

本署は、公益を追求するのが自分の利益を追求することとは相反するものなのだ、という前提を(何の根拠もなく)設定して、そこから話を進めます。公益のための活動とは、自分を殺して社会に奉仕・貢献するのだ、という考え方です。そして、発展や成長に対して、調和と公平を重視するのが公益、なんだそうです。

調和とか公平というとよさげに聞こえますが、この議論は要するに、滅私奉公です。成長しなくてもいいから公平、というのはかつての社会主義ですね。でもそれについては何ら考察なし。そして20世紀はなんだかんだいいつつ、すさまじい経済成長が実現されたおかげで多くの人が貧困から抜け出して自己実現とかいう贅沢な悩みにひたれるだけの余裕ができたんだ、ということを、本書は考えもしません。著者が善意に満ちた人なのは、読んでいて痛いほどわかるのですが、了見の狭さと知識不足はいかんともしがたく、まったく読むにあたいしません。そして話の落としどころは結局 NPO はとにかくすばらしいから支援しろ、というだけ。

マルケル「ラ・ジュテ」: 映画をそっくりそのまま写真集にした希有な例, 2004/7/31

La Jetée: ciné-roman

La Jetée: ciné-roman

映画「ラ・ジュテ」(「12モンキーズ」の元ネタ)をそのまま写真集にした一冊。 あの映画を見た人ならわかる通り、映画がそのまま本になった希有な一例。もっとも クリス・マルケルの映画はもともと小説に近いので、この手の処理 になじみやすいというのもある。「サン・ソレイユ」でこれをやってほしい。

スピヴァック「ある学問の死」: 比較文学なんてスピヴァックが思ってるはるか以前に死んでるのに。, 2004/6/20

ある学問の死 惑星的思考と新しい比較文学

ある学問の死 惑星的思考と新しい比較文学

文学という制度自体が西欧文化の産物で、比較文学というのは学問としていわばグローバリズムの進行の手先(または寄生虫)的存在だったという認識を下に、今後はそういう形での比較文学が死んで、ポストコロニアリズムだのジェンダーだのみたいな話をすることで社会問題とからんだ形での、地域を結ぶような比較文学ができるといいな、という話。

しょせん小説なんて、社会的に何の役も果たせないんですけど。社会問題にコミットしたいなら、社会問題にコミットすればいい。でも比較文学なんてものがなんでそれに奉仕する必要があるのか、あるいはそれがそもそも有効なのか? 文学という制度自体、特に先進国ではジリ貧だ。文学というのは(村上龍も言ってるけど)資本主義のあるステージにおいてしか意味がないものじゃないんだろうか。その中で、自分の学問の存在意義がゆらいできて焦っているのはわかるけど、それですでに解決のついてる社会問題に色目を使うのは卑しいだけ。つまらに本です。

山本&吉川「心脳問題」: 整理としてはまあまあだけれど、根本のところが……, 2004/6/13

心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

「心脳問題」というときの「心」ってなにを指しているの? 本書はそれに対して、おばあちゃんが死んで悲しい、という話をして、実際にぼくたちが感じる悲しさと、それに伴う脳内の現象との落差、というのが心脳問題だというんだけれど、そこでの「悲しさ」って何? 特にそれがクスリで抑えられたりするとなると、そもそもの問題自体が変じゃない?

これまでは「心」というものをきちんと扱う方法がなかったから、なんかあいまいな話でお茶が濁せたけれど、脳科学が「心」のすべてを解明できるかはさておき、これまで不明確だったかなりの部分を明らかにするだろうことは自明だと思う。本書は要するに、それがすべてを解明できないかもしれないと騒ぎ立てるんだけなんだけど、それで?

そして最終的には、脳科学を通じた管理社会批判。結局はこれまでのラッダイト科学批判とまったく同じ。気持ちのいいほうに、楽なほうに、と脳のめいじるままに動くと、生々しい生命とのふれあいを失うからみんなもんと苦労したり痛い思いをしよう、とかいうヨタ話。本当の苦労や痛い思いをしたことのない哲学者のアームチェア談義。脳科学、とかいう意匠をまとっているから目新しく思えるけれど、でもその意味で本書は、実は冒頭で批判されている、電車の中での化粧は脳のせいとかいう駄本の手口と寸分変わりない。いま出ている論点の整理としては、まあおもしろいけれど、それ以上のものじゃない。

矢萩「空間 建築 身体」: 感想文のつまらない言い換え。, 2004/4/17

空間 建築 身体

空間 建築 身体

 多くの建築評論と同じく、感想文をむずかしく言い直した以上のものにはなっていない。また論理性もほとんどない。p.297 には、「空間」への関心が薄れた時期とフランク・ロイド・ライトの建築への関心が薄れた時期があるという話が出ているんだけれど、その両者の関係みたいなものがまったく説明なしに、それが相互に傍証となるかのような変な書き方。他にも読んでて理屈のつながっていないところ多数。「身体感覚」「仮想境界面」等々の物言いも、目新しさがないし、思いつきの域を出ずに一般性を持たない。

岩波書店「経済危機と学問の危機」: 時代錯誤、無用な煽りにピントはずれなコメントのよせ集め。, 2004/4/17

2003年10月に行われたシンポジウムの記録に、その参加者が雑文をつけたもの。経済危機だなんだとあおるんだが、たぶんシンポジウムの時点でもすでに為替介入を通じたお金の供給増とインフレ期待の上昇で、景気は回復しつつあったし、それ以前に「経済危機」という認識自体がそもそも誇大な煽りだろう。「この危機を前に経済学は新しいパラダイムを誕生させることができずに立ちつくしている」と神野は言うけど、調整インフレ論とかも出て、学問としてはきちんとした提言もしているのに。一部の市場万能論や構造改革論がうまく機能してないからって、経済の危機だの学問の危機だの言い立てるのは明らかに勇み足。そして神野がその危機を、どうでもいい引用まみれでやたらに大風呂敷であれこれ言うものだから、パネラーたちのコメントみたいなのが無意味なくらいせせこましいものにしか見えなくなっている。

 またそのパネラーのコメントもひどい。学問の危機、というレベルの話を、いまの日本の大学「改革」批判にすりかえる間宮の議論。「ジェンダーを無視してる」と言うだけの大沢の議論(それは一部の福祉政策論がまだ不十分だという話で、本書の問題意識とは関係ない)。こんな散漫で無内容な代物が創業90周年記念シンポ集だということは、むしろ経済危機よりは岩波書店の危機を象徴しているように思う。

多賀「ソニーな女たち」: ソニーの提灯本, 2004/4/17

ソニーな女たち

ソニーな女たち

ソニーに勤める(または辞めた)女にあれこれ聞いて、ソニーはこんなに働きやすいと宣伝してみせる本。通して読んでも、「それで?」という以上の感想なし。まとめた取材者も、インタビューされた側が話題によっては「企業秘密だから」としゃべってくれなかった、なんてことにいちいち感心して見せたりしている、頭痛のするような提灯ぶり。読む意味なし。

袴谷「仏教入門」: ちっとも入門じゃないんですけど。, 2004/4/2

仏教入門

仏教入門

いきなりマルクスが、ダーウィンが、日本の近代化が、といった話が延々と展開され、その後はインドの地理的なあれこれが延々続き、入門書を読むような人が知っているとは思えない難解な概念が何の説明もなく持ち出されて、この概念があっちに移ってどうしたこうした、とこまごました文献的・思想史的な系譜学が果てしなく展開される本。ある程度仏教の中身を知っている人なら我慢しても読むだろうけれど、とても入門書と呼べるようなものではない。

高度な内容をコンパクトにはまとめていて、その点は評価できるけれど、その場合でも最初の二章はとばして三章から読み始めることをお勧めする。やっとここらへんから、仏教で教えられている中身の話になってくる。多くの読者は、そこにたどりつく以前に挫折すると思う。

BT「IMA」: 2003年後半の最ヘビーローテーションCD, 2004/2/29

Ima

Ima

特に二枚目の、トリ・エイモスの没トラックを使って作った冒頭の2曲は, 声があちこちに立ち上って一面取り巻かれるようですばらしく気持ちがよいのです。

Amazon救済 2003年以前分

スキージャンプペア2」: 1がよかっただけに失望, 2005/7/28

スキージャンプ・ペア オフィシャルDVD part.2 (初回限定版)

スキージャンプ・ペア オフィシャルDVD part.2 (初回限定版)

本編が、実に動きの少ないものばかりでがっかり。それを補ったつもりか、日本のキャスター(もどき)の下手な掛け合い(まがいの棒読み)演出などをつけてさらに盛り下げています。下ネタでいくにしても中途半端すぎる。後半の、エキシビションマッチのほうがまだすこーしだけでもおもしろいか。おもしろさは人それぞれだからまあアレですがぁ、全体に見なくて後悔する確率より見て後悔する確率のほうが圧倒的に高いと思われます。 また限定版についてくる「金メダル」と称するDVDの筆舌に尽くしがたい寒いギャグ(になってないお遊戯)のオンパレードは、早送りにしても苦痛なほど。「約1時間30分の大変ヒドイモノ」とケースに書かれていますが、ここまで大変ヒドイとは予想だにしていませんでした。

岩井「会社はだれのものか」: 通俗サヨクお題目に堕して歴史の教訓を早くも忘れ去った悲しき迷著, 2005/7/24

会社はだれのものか

会社はだれのものか

 巻末のぬるい対談はさておき、本文は前著『会社はこれからどうなるのか』の焼き直し。これをライブドア対フジテレビに便乗して論じた本なんだが、具体的な例にあてはめた途端に馬脚があらわれた。今回の対立は産業資本主義対ポスト産業資本主義の見本で、ライブドア側は、金で機械設備さえ買えば儲かった時代の古いやり口なんだと。これからの企業は、優秀なアイデアを持つ人が集めないと儲からないので、従業員を重視するのがポスト産業資本主義の会社なんだって。

 でも一方のフジテレビは、そんなポスト資本主義の新しい会社だっけ? むしろ前近代的な設備型同族経営の見本でしょうに。社会貢献もしてないだろうに。好き嫌いはあれ、人を集めて新しいアイデアを活かし、設備に依存しない経営をしているのは、どちらかといえばライブドアだ。それに従来の企業だって、設備資本だけで儲かるなんていう安易なものじゃないぞ。ボブ・ソローが泣きますぜ。

 さらにラストでは、会社はこれから利益を度外視した社会貢献をすべきだそうな(長期的な利益のため、というんじゃだめなんだって)。利益を犠牲にしても社会のためになればいい、会社は社会のものだ、という。あのー、それを実際にやったのが、例の社会主義ってやつなんですけど。利潤というベンチマーク欠如でお手盛りの非効率経営となり、赤字垂れ流しで結果的に社会に負担をかけまくったのが国営企業の数々なんですけど。もう忘れたんですか? 最近の株主利益重視論は、まさにそうした過去に対する反省だったのに。そもそも「社会貢献」ってどうやって計測するの? 経済学者のくせに、そんな程度にも頭がまわらないとは!

 経済学の初歩を無視した議論、現実の現象の一知半解、さらには主張についての歴史的視野の欠如。タコツボ理論学者の限界が露呈したともいうべき悲しい一冊。本書を見て、前著の評価まで考え直さざるを得なくなったのは残念。

大平「プラネタリウム」: あぜーん。何でもすぐ作ってしまうナントカと紙一重な人の話。, 2003/6/19

いやすごい。かの有名なポータブル超高性能プラネタリウムメガスターを作った大平氏の一代記。商用プラネタリウムを遙かにしのぐ化け物プラネタリウムを自作した、という話はきいていたけれど、まあそれだけの物を作るなら何か恵まれた条件があったとか、多少の援助があるとか、そういうのだろうと思っていたら、まさか自分のアパートにクリーンルームまで作って工作機械を入れている!??!!!

 小学校自体からひたすら物づくりが好きで、ふつうの人なら当然のようにあきらめるところでしつこくねばって何でも作ってしまう! 電源周りの勉強のために電源会社でバイトをし、投影用ドームがないと思えば家庭用扇風機でこしらえ、クリーンルームも「仕方ないので作った」と平然とのたまう。すごい。!読んでいて茫然自失の驚きの怪著。別に凝ったことは書いてないし、上段にふりかぶった哲学もないけど、淡々と「とにかく作った」ことを書き続ける本書は、あなたを感動にうちふるえさせずにはおかないであろう! と断言しよう。

岡崎京子「うたかたの日々」: オリジナリティなし。原作に遠慮した忠実すぎるマンガ化。, 2003/5/6

うたかたの日々

うたかたの日々

ぼくがボリス・ヴィアンの原作を読みすぎているせいかもしれない。でもぼくは本書にあまり高い評価をあげられない。岡崎京子がマンガ化したことで得られる追加の価値がまったくないからだ。これは岡崎京子が、原作に遠慮しすぎているせいも大きい。

全体は、ヴィアンの書いた話を追ったにとどまっている。そして、そのヴィアンの一つの身上でもあった、各種のかっこいいエピソードが、絵として表現できていない。ネクタイが反抗しまくって、きちんと結べるまでに3本が死んだ、といった楽しいエピソードはことばで説明して済ませているだけ。コランが貧乏になるにつれて部屋が狭く貧しくなる様子や、料理が貧相になる様子も、岡崎京子の絵柄では表現しきれていない。そして、開き直ればいいものを、原作の引用をたくさん入れていちいち字で説明してしまう。

またその後、ヴィアンがずいぶん気に入って、別の小説のタイトルにまでなっている心臓抜きも、どんな形をしているのか描けていない。そしてその心臓抜きで抜かれたジャン・ソール・パルトルの心臓が四角くて、抜かれたパルトルがそれを見て驚きながら死んだ、といったエピソードもなし。原作の現代性は、それが暗い話なのに、こういう小ネタの積み重ねでと血の気のなさのおかげであくまで軽々しいところにある。最後にみんなが死ぬシーンだって、投げやりで軽い。差し押さえの役人・警官群ですら、その官僚根性の出し方が軽々しい。登場人物たちが死ぬがれきや血の海を描いてしまうと、原作の価値がかなり損なわれてしまう。

そして、それに対して岡崎京子ならではの工夫や翻案は、まったくない。

そのままのマンガ化という意味では、原作の価値を7割3分くらいは保って上手にこなしてはいる。だから星3つ。でも、それ以上のものがまったくないのは残念至極。

町田『生成文法がわかる本』: かゆいところに手が届く!, 2002/11/28

生成文法がわかる本

生成文法がわかる本

チョムスキー生成文法は、名前は聞いたことがあっても実際に勉強しようとすると、直感的に全体像がすぐわかるわけじゃないし、なにやらNPだのXバーだのよくわからんことばがたくさん出てくるし、えらくとっつきが悪い。概説書を読んでも、ピンカー『言語を生みだす本能』みたいな良書でさえ、生成文法論がわかった気にはならないし、そんな人が田中克彦チョムスキー」みたいなまちがいだらけの本を読んで、わかった気になって勝手な誤解をまき散らすみっともない図がいたるところで見られます。はい、このぼくもかつてはそうでした。

 本書は、とにかく生成文法についてきちんと、でもわかりやすく、さらにおもしろく説明してくれる見事な本。何のために生成文法があって、それが具体的にどんな話か!!!きちんと一歩ずつ教えてくれます。途中のいたるところで「素朴な疑問」にしっかり答えてくれるのも嬉しい。かゆいところに手が届く説明。卑近な例を縦横につかいまくった、言葉をおしまない親切なおしゃべり口調(それでこれだけ薄いというのはオドロキ!)

さらにそれだけじゃない。同時に、生成文法の問題点について、いろいろ説明してくれるところがうれしい。それが絶対的なものじゃなくて(ピンカー本とかは、「もう生成文法で決まり!」てな感じがしすぎることも多い)、あまりきちんと確定してなくて、といった事情についてもきっちりまとめているのはすごい。ぼくは本書ではじめて、生成文法がわかりはじめた(まだわかりきってはいませんが)。チョムスキーがらみの知ったかぶりの治療にもどうぞ。

Garbage in, Garbage out の見本。仮説検定の手法を勉強しましょう。, 2002/4/7

コンピュータの向こうのアリスの国

コンピュータの向こうのアリスの国

コンピュータに使われただけのかわいそうな本。いろいろ検索して言葉の出現を数えたりはするんだけれど、その結果を正確に評価することができてない。 たとえばアリスでは、風変わりなものに出会ったときにcuriousということばとstrangeということばが使われる。これはどう使い分けられるんだろうか? 著者たちは、検索で使用箇所抜き出す。で、curiousが使われているときには、アリスにとって好意的な風変わり、strangeだとニュートラルな風変わりになっている、という。結論としてはアリス(または話者)の関心の性質に応じてことばが使い分けれられていることがわかる、というんだ。

でも、そのそれぞれの描写の部分の「関心の性質」はどうやって判断できるんだろうか。アリスがどう感じているか、何でわかる それはまさに、そこで「strange」が使われているか「curious」が使われているかでしか判断できない。これらのことばの使用そのものが、その文脈を作ってしまうんだ。

つまり著者たちは、説明変数(使用単語)と被説明変数(文脈)をきちんと区分せずに、「curiousを使っているので好意的と解釈できる文脈ではcuriousが使われる」という堂々巡りをしているだけ。それぞれの部分を見て、「ここはこういう場面だからアリスは好意的なんだ」という解釈はくっついているけれど、それはあとづけの説明でしかない。どうとでも言えるものばかり。

その他の「分析」と称するものも、いろいろ出てきた数字に勝手な解釈やアドホックな説明をくっつけただけ。文学分析にコンピュータを使う試みは別に初めてじゃないだろうに。著者たちはGIGOということばを肝に銘じるべし。モデル構築、仮説立案、その検定と棄却についてマジに勉強すべし。アドホックな説明がまずいことも理解すべし。それなしにいくらコンピュータまわしても、ゴミが量産されるだけですぞ。本書のように。