こんな文を観て、経団連についてのグチはわからんでもないながら、その後の提案にがっかり。
製造業の代替産業として、ちきりんが一番可能性があると思っているのは「ホスピタリティ産業」です。
高いサービスレベル、正確なオペレーション、気持ちの良い対応、そういった“おもてなし”系のスキルが中心価値のひとつとなり得るホスピタリティ産業には、様々な分野が含まれます。
旅行業、小売り業、外食産業、調理法、輸送・配送業、美容業界、事務手続き業、修理業、クリーニング業・・・、どれもこれも「モノを作っていない産業」です。昭和のおじさんは、日本の「モノ作り産業」に競争力があるといいますが、ちきりんから見れば、日本はこれらの「モノを作らない産業」も相当すごいです。
しかもこれらの産業の多くは、「ニッチなグループの中での高付加価値」ではなく、規模を追求することに経験と親和性があります。多くの小売り、外食産業はチェーン店システムですよね。店舗数、規模が大きくなればなるほど利益率が上がるビジネスであり、こういうのは海外展開に非常に向いています。
そしてこの分野、日本は圧倒的な競争力があります。アメリカのスタバで、スタッフの態度があまりにあまりなため、ゲンナリしてコーヒーが不味く感じられた経験のある人も多いはずです。にこやかにきびきび対応しても、ムスッとぞんざいに対応しても労働時間は代わりません。けれど「客が感じる価値」は圧倒的に違います。日本は「ホスピタリティの生産性」が非常に高い国なんです。
天下のちきりん先生がこの程度の認識しかないとはがっかり。
日本人は日本の「サービス」がきめ細やかでよいと思っているけど、実際は日本の「サービス」の多くは客には何の意味もない自己満。客にとって何の役にもたたないことを「心をこめました」とか言うのが日本の「サービス」。それに感激する人もいる一方で、それを押しつけがましくてうっとうしいと思う人もたくさんいる。このぼくを含め。
ましてそれでお金を取るとなると、どうよ。日本の床屋さんは頭をマッサージしてくれたり、肩をもんであの手のひらで「ぶっ、ぶっ」と音を立てながら背中を叩いてくれたりする。あれはあれでおもしろいと思うこともあるけど、正直いってなんで床屋でそんなことをしてもらう必要あるのか意味わからないし、みんなそんなものに大した付加価値を感じてないから千円床屋に流れる。日本人だって実は、そんな「サービス」なんかさして評価してないのだ。
「旅行業、小売り業、外食産業、調理法、輸送・配送業、美容業界、事務手続き業、修理業、クリーニング業」が海外展開に向いていて日本に圧倒的な競争力があるなら、なぜすでに出ていないの? というのも当然考えるべき疑問。それは当然、競争力なんかないから。というよりそれ以前の認識がまちがいすぎ。
輸送、配送業が「ホスピタリティ産業」? フェデックスもDHLもマースクも、輸送業はITのかたまり。ちまちました宅配が輸送配送だと思ってるのなら、まったくの見当ちがい。それですらインドのダバワラにおそらくはかなわない。事務手続き業も、しょせん規制にたかる産業でしかない。昔は鮫洲の周辺に免許の申請書をタイプうちする事務手続き業者がたくさんいたけれど、いまは形無し。事務手続きといえば、会計や法律事務所になるけれど、日本はまったく優位性なし。クリーニング業も、各国の地元業者にかなうかどうか。インドムンバイの洗濯カーストをごらん。
小売業だって同じ。コンビニが流行ったのはホスピタリティよりは物流と在庫管理のおかげ。ユニクロだって100均だってアマゾンだって、別にホスピタリティで栄えているわけじゃない。
ホスピタリティ産業が「規模を追求することに経験と親和性があります。」というのもまったくわからない。基本は人海戦術だから、必ずしもスケールメリット出ないっすよ。実際、町中の小売りや旅行や外食や調理や配送や美容や修理やクリーニング屋観てよ。チェーン化してないよ? そこらの町の食堂とか、町の美容院とか、町の雑貨屋とか、町のクリーニング屋とか、小規模の自営業だよ? それがつぶれずにやっているということは、そんなすごいチェーンによる効率化が必ずしも成立するとは限らない、ということでしょ。
ホスピタリティ産業というと、介護とか夜のご職業とかそこらで、人件費の高い日本人には優位性もこらえ症もなくて、外国から人を入れないと、という状況だと思う。経団連は困ったもんだと思うけれど、それはむしろ自分の利権をちゃんと言わずに、なんと増税しろとかいう自分のクビをしめる己の存在意義をはきちがえた発言をする点であって、ちきりん殿がグチっているような話ではないと思うなあ。
ちなみに、確か、経団連にもそういうの入ってるよ。無意味な人ばかりかかえた、ろくでもない「サービス」する店舗の多い銀行とか、携帯電話会社とか。
付記
あと、おもてなし/ホスピタリティなるものの概念が世界的にぜんぜんちがうことも理解すべきだと思うよ。実はどの国も、自分たちこそはきわめて愛想のいい世界に誇れるホスピタリティあふれる民族だと思っている。あの無愛想なXX人や、「もの売るってレベルじゃねーぞ」なYY人どもですらそう思っているのだ。
でも、その人たちの念頭にあることがぜんぜんちがうのだ。アフリカやアジア各国、特に多くの途上国にいくと、ホスピタリティというのは客に死ぬほど飲み食いさせることだ。しかも質より量。あるいは、とにかく始終お客につきまとっておしゃべりしまくり、プライベートなことをやたらにきくのがホスピタリティだ。相手を退屈させないという意味でね。配達しにきてサッと帰るなんて、冷たい愛想のないことで、五分くらいはおしゃべり必須だ。小売り業も、日本人は店員が愛想ふりまいてヘコヘコ下手に出るのが立派な接客だと思ってるけど、ぎゃあぎゃあやりあって値引きしあい、怒って見せて客が自分が得な買い物をした気分にさせてあげる接客だってある。
てなことを考え出すと、日本のホスピタリティ産業がどこまで世界に通用するのか、というのはいろいろ考える余地があると思うんだな。
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