焚書坑儒の続き:学者もその批判も昔から同じ。徐福も、無駄金づかい。

以前、史記の焚書坑儒の話をした。

cruel.hatenablog.com

ここでは、焚書坑儒の理由が封禅の儀式をめぐる話と関係があるんだろう、という説を紹介してそれの通りに書いた。でも、その後も史記をちまちま読んでいたんだが、なんか秦の始皇帝のところを読むと、普通に焚書坑儒の理由は書いてある (前回は、その封禅の儀式のところだけつまみ食いした)。きちんと部下からの進言があって、それをもとにやったのね。そしてそこの部分だけでも、封禅の儀式の話と主張はまったく同じだ。儒学者どもは、実用性のある役に立つ知識を持たず、何も結論を出せず、そのくせ批判だけは口うるさかった。

それよりもっと手厳しいかも。学者が訓詁学に堕している理由、それがかつてはオッケーだった理由も、そのえらい部下はきちんと分析し、進言している。時代とともに学問も進歩しなければいけない! 立派です。

その当該ヶ所を以下に引用。

始皇帝本紀第六より (引用は『筑摩世界文学大系6 史記1」pp.53-5)。

始皇帝は、自分の治世および命をながらえさせるにはどうしたらいいか、というのを学者どもに議論させたら、学者の一人淳于越が「古の教えを守らねばならない、部下のお世辞にのって勝手なことをしてはいけません」と述べた。始皇帝は、これを議論させた。

すると、丞相李斯がふざけんなと怒って、こう述べる。

五帝時代は同じ政治をふたたびせず、三代も同じ政治を踏襲しませんでしたが、それでもそれぞれに収まっていました。これは政道が相反したのではなく、時勢に相違があったからです。いま陛下が大業をはじめ、万世の功を建てられましたのは、もとより愚儒などのわかることではありません。越 (訳注:淳于越) の言うのは三代の昔のこと、それを今にのっとるにはたりません。

やり方コロコロ変えても、治まるときは治まったじゃん。一つの正しいやり方なんかない、時代が変わればやり方も変わる、昔の話をそのまま今にあてはめられるわけないじゃん。何も実績ないバカ学者だまれ。

かつて諸侯が並び争ったときには、厚く遊説の士を招きましたが、 今は天下がすでに定まり、法令は一途に出て、百姓はおのおの家にあ って農耕につとめ、士人は法令を学習して禁令にふれないよう にしています。それだのに学者だけが、今を師とせずに活ぴ、当代のことをそしって民衆を惑わすのです。

他のみんなは、時代にあわせて適応しているのに、学者どもは現代を学ばずケチをつけてるだけだ!

丞相臣斯は死をおかして、あえて申し上げます。古は天下が散乱して統一が なく、諸侯が並び興ったため、学者のことばはみな古をたたえ て今をそしり、虚言を飾って真実を乱し、おのおの自己の学ん だところを最善として、上の建てた制度をそしったのです。

昔は諸侯があらそっていたから、今はダメだ、昔のやり方がいいと言っていれば珍重されただけだ。

今や皇帝が天下を併有し、黙白を分って政令を一尊に定められま したのに、私学の徒はなおたがいに法教をそしり、一令が出る と聞けば、おのおのの学ぶところで非議するのです。朝廷では 心中に非とするだけですが、外では巷間に非議し、君主に従順 でないのを名誉と心得、違った見解を立てるのを高尚と思い、 有象無象を率いて誹謗をおこなうのです。

もう世の中定まったのに、学者どもは訓詁学でいまの制度をバカにするだけ。しかも、むしろ反抗的なのが立派だと思い、反対するのが高尚だと思って悪口三昧。

これを禁じなければ、 君主の勢威が上に哀え、小人の徒党が下にできあがります。こ れを禁止するのが上策です。わたくしは史官の取り扱う秦の記 鉢以外は、みなこれを焼き、また博士官が職務上保存するもの のほか、一般民間にある詩・書・百家の語は、これを、ことごとく郡の守尉に提出させて、焼き払い、ことさらに詩・書う偶語する者があれば棄市し、古をもって今をそしる者は族滅し、官吏で知って見逃す者には同罪を科し、命令が出て三十日以内 に焼かない者はいれずみをして城旦にしたいと思います。

そういうのを禁止しないと下々の連中がつけあがり、上が衰えるだけ。だからその手の古い本は全部禁止して焼き払おう。それを広めるヤツはぶち殺そう。

ただし医薬・朴筮・種樹の書は例外とし、もし法令を学ぽうとする者があれば、吏をもって師とするようにいたしたい」と。始皇はこれを裁可した。

でも理系の実学は大事だから、保護しようぜ。

 

とてもわかりやすいです。文系学問は訓詁学に堕して、新しい知識をまったく入れようとしない。政府批判がかっこいいと思ってるバカばかり。使えねーからつぶせ、理系の実学だけ重視、ということですねー。昔から言っていることは同じですねー。

あと、徐福の話もこの直後に出てくる。しかも始皇帝自らお怒りです。

わしはさきに天下の書物を集め、役に立たないものはことごとく焼き捨て、文学方術の士を多く用いて、太平を興そうとした。方士は金を練って奇薬を作ると言っていたのに、いま韓衆 (訳注:子飼いの学者どもで、始皇帝がおっかなくてへつらい屋のペテン師ばっかになって学問や進言ができねーとグチって逃げ出した二人) が逃げ出して何の消息もない。また徐市ら (訳注:徐福のことです) に費やした金は巨万に達するのについに仙薬を得ることができず、ただ彼らが姦利を貪っていると告げる声が、毎日耳に入るだけだ。慮生 (訳注:前出の韓衆の片方です) らには、ずいぶん手篤く賞賜したはずだのに、いまかえってわしを誹謗し、重ねてわが不徳を天下に吹聴するとは不都合極まる。わしが咸陽にいる諸生を調べさせたところ、妖言を言いふらし、人民を惑わしているものがある」といって、御史に命じ、諸生をみな調べ上げさせた。諸生たちは、これを聞くとお互いに罪をなすりあい、自分だけ言い逃れようとした。かくて禁令を犯したもの460余人を、みな咸陽で穴埋めにして天下に知らせ、のちの懲らしめとした。(強調引用者)

徐、徐福たん……

徐福伝説がもちろんデタラメで、もちろん日本になんかきませんでしたというのはしっていたけれど、ここまで役立たずだと見切られていたとは知らなかった。不老不死の薬もできなかったのか。できたとかデタラメ言って始皇帝に水銀飲ませて、それで始皇帝は死んだという話もきいたんだが、それは別の話なのか。諸星大二郎とか好きなので、もうちょっと中身があったほうが夢があるなーとは思うが、まあ仕方ない。