話せばわかるってもんでも……

モンゴルから仁川に飛ぶ飛行機で隣にすわったイギリス人の爺さんと話をしていて、北朝鮮付近を通ったときに当然北朝鮮の話になって、トランプはどうしようもない、という話でそこそこ盛り上がったんだが……そこで爺さん曰く

「トランプは知識もなく見通しもないくせに戦争ばかりしたがっている! (そういう面はあるよねえ)事態を本当に改善したいなら、どうすればいいかわかるかね!(うーん、日本みたいに「遺憾の意」とか言ってるだけじゃダメだろうけど……) トランプがいますぐ電話機を取って、金正恩に電話すればいいんだ! そして『来週平壌に行くぞ! おまえが何をしてほしいか、腹をわって話し合おう!』といって相手の求めることをやれば、すべては解決するはずだ!」

 ぼくは何と言っていいかわかりませんでした。この人、イギリスでかなり立派なメディアの記者兼ライターをやっていて、モンゴルの大学でも教えたりしてるというんだが、こんな小学生みたいなことを真顔で言う人がいるんだなあ。

 早い話が、そういう外交的なこととか、豆満江開発とかの経済協力とか、太陽政策とか、いろいろやってきた挙げ句にいまがあるわけで、トランプはツイッターで悪口言ってもそんなやること変わってるわけじゃないし、現状をトランプのせいにするわけにはいかないだろうし……

 が、ぼくも真面目にここで議論できるほど知ってるわけではないし、飛行機の中でそんな激論して居心地悪くなるのもいやだし、「うーん、まあそう簡単にいくかどうか……」とあいまいに応えたら、

「いや、トランプ相手なら金正恩もすぐに会う用意があるはずだ!まちがいなく実現する!」

と力説された。いや、ぼくがむずかしいと思うのは、その部分じゃないんです、と言うのもアレだったので、話をトランプ当選時に開票速報見てて情勢が目の前で雪崩をうって激変するのに驚いた、という方向に持っていったことです。

『MONEY』こと「お金を丸裸にする」の訳者あとがき

すでにご存じの方もいると思うけれど、また山形&守岡訳で、ウィーラン『MONEY』が出る。

MONEY もう一度学ぶお金のしくみ

MONEY もう一度学ぶお金のしくみ

これは実は、これまで出た『経済学をまる裸にする』『統計学をまる裸にする』と同じシリーズで、ホントなら『お金をまる裸にする』という邦題にするとよかったんじゃないかとも思う。でも版元も変わったし、営業方針の差もあって、現在の題名になった次第。

経済学をまる裸にする  本当はこんなに面白い

経済学をまる裸にする 本当はこんなに面白い

統計学をまる裸にする データはもう怖くない

統計学をまる裸にする データはもう怖くない

この前の二つと同じく、お金というものについての、とても普通の説明書。何か突出した主張を持つ人ではないし、ある特定の偏った、または特徴ある学派の主導者でもない。主流経済学の、ごく一般的な考え方をまとめてある。

なかでも、アベノミクスはまあまあ成功(もう少しがんばってもいいけど)という見方、ビットコインは眉唾、という立場がきわめて一般的なもので、こんな概説書にも出てくるということは認識があっていいんじゃないかな。もちろんそれに賛成、反対というそれぞれの立場はあるだろうけど。

で、そういうことも書いた本書の訳者解説を公開していいとのことなので:

http://cruel.org/books/naked/nakedmoneytransnote.pdf

この解説を書いた時点からもいろんな状況がさらに変わってしまい、ジャネット・イェレンはFRB議長を辞任しちゃうし、ビットコインは乱高下になるかと思ったらますます右肩上がりでわけわからないし。でもアップデートを続けるわけにもいきませんので~。ではお楽しみあれ。

サンスティーン『スター・ウォーズによると世界は』の訳者解説と嬉しい感想

つい先日、拙訳でサンスティーン『スター・ウォーズによると世界は』(早川書房)が出た。

スター・ウォーズによると世界は

スター・ウォーズによると世界は

表紙もかわいくて、なかなかよい感じ。なお、表紙に描かれているこの人物は、スター・ウォーズに登場するあの緑の生き物ではございませんよ。ゆめまちがうなかれ。なんでも編集部の説明によると、著者の似顔絵らしいとのことです。

年末の「最後のジェダイ」に間に合うように出てうれしゅうございます。前作は、やはりスター・ウォーズ焼き直しという評価もあったけれど、今度のやつは独自の世界に入り込まざるを得ず、本書で描かれている続編のお作法(それは法律の解釈の変化にも似たものだそうです)が当たっているか、お手並み拝見というところ。

この本の訳者あとがきが、編集部により公開されております。

note.mu

ここに書いた通り、できた本を読み返しても、やっぱ変わった本だよなー、という印象はかわらなかった。で、本国では結構SWマニアが突っ込みを入れたりして、日本でもいじめられちゃうのかな、というのもあったけれど、最初にでてきた感想はむしろ本書のSWマニアぶりを好感を持ってとらえてくれて、訳者としてはとてもうれしいのです。

rmaruy.hatenablog.com

こういうポジティブな読み方をしてもらえると、訳者冥利につきますね。ありがとうございます!

なお、タイトルについても『ガープの世界』を意識したのでは、という指摘あり。はい、ぼくもそう思ったのです!

ブレードランナー2049を見てきて……

なんだか先週で、東京ではいろんな劇場でブレードランナー2049が公開終了になってしまっているようで、うーん、残念きわまりない。とはいうものの、一方でまあ仕方ないか、という気もする。

ぼくは映画や小説について、予備知識なしで見ようとは思わない。オチがとか、ネタバレとかいうので騒ぐのは愚かしいと思っている。事前の情報をなるべく遮断して白紙の状態で見たいという気持ちはわからないでもない一方で、まあ完全に白紙で見るのはどうしたって無理なんだし(そもそもその映画を見に行こうと能動的に思う時点で色はついてるよね)、いろんな人の見解で事前にあれこれ想像するのもきらいではない。

ということで、今回のやつについてはいろんな人の意見を事前に見た。で、ご存じの通り、ブレードランナー2049は、評論家ウケは大変よかった。長いけれどすばらしい、続編のプレッシャーを見事にはねかえし、独立した作品として云々、さすがビルニューブ等々。

その一方で、なげーよ、意味分かんねーよ、前作マニアしか見ねーよ、というご意見もあったけど、こちらはバカっぽかったのであまり真剣にはとらえなかった。ぼくは「シカリオ」(えーと、邦題は『ボーダーライン』か)と『メッセージ』を見てビルニューブ絶対支持だったし、外すわけがないと思い込んでいたせいもある。

だけどアメリカでの公開直後、かつてNetscapeの名物開発者だったジェイミー・ザヴィンスキーがきわめて否定的な感想をネットに挙げていて、ぼくはあれ、と思ったのだった。

かれの批判というのは、これがあまりに前作に依存しすぎていること。なんかあれやんなきゃ、これやんなきゃというチェックリストを律儀にこなしているだけで、金のかかったファン映画みたいだという。うーん。同様の感想は、他にも何人か比較的鑑識眼を信頼している人からもきかれた。

www.jwz.org

そして自分で見終わって、ぼくは絶賛派の人々の言うことも、罵倒派の人々の言うことも、どっちもたいへんよくわかるので、ちょっと困っている。場面のていねいな作り方、出し惜しみしつつ観客の期待を盛り上げるやり方、冒頭の太陽光発電のビジュアル等々、ビルニューブだねえ、いいねえ、というのはあった。そしてテーマも頑張ってた。Kと、ジョイと、ラブの部分で人間とAIとレプリカントのちがいをテーマとしてあれこれ追求していた部分はよい感じだった。

特にジョイの部分はよくて、いろいろあって彼女が破壊されたあとで、街頭CMの巨大なジョイの映像が、Kに話しかける。そのときに使われるせりふは、最も親密だったはずのジョーという名前も含めて、Kと関係を築いていたはずのジョイとまったく同じ。

それは、Kにとってどういう意味をもつのか。ひょっとしたらそれは、単純に自分のジョイちゃんを思い出す契機だったのかもしれない。でもひょっとしたらそれは、「自分の」ジョイだと思っていた存在、それが自分だけに向けて言っていると思っていたせりふが、結局はAIのパターンでしかないことを認識させられる悲しい瞬間だったのかもしれない。だからこそ、あの瞬間にKの決意のすべてがある。かれはそこで(革命軍の指示にさからって)デッカードを助けようと思う。自分にとっての大義、生まれてきたものには魂があるのだという考えに奉仕するべく。

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そしてラブのかっこよさは圧倒的で、やっぱ彼女はレプリカントのあるあり方を代表し、それを実現しようとする存在としてこの映画を生かすものとなってはいる。彼女がもっと活躍してくれていれば……

 

一方でこれが長くて退屈な部分もある映画だということも、否定できないと思う。なぜそうなったかといえば、全体に真面目すぎて、いろいろ説明しようとしすぎているせいだと思う。別に画面に出さなくていいものを出してしまい、せりふでいろいろ説明しすぎているせいだと思う。そして同じ事かもしれないけれど、前作を意識しすぎ。前作と関係ないところは、とてもいいのね。でも前作とつなごうとする部分が非常に苦しいしくどい。

その最たるものは、レイチェルの復活シーン。復活して、「ちがうよ」と言われてすぐに殺されておしまい。デッカードが新生レイチェルを見てもっと迷うのでない限り、話としても場面としても不要な寄り道だったと思う。そして、ジャレッド・レトが聖書の引用したりする場面(いやジャレッド・レトの場面すべて)は、もったいつけているだけで、エンジニアリング的な課題が倫理道徳的な問題と衝突する厳しさを殺していたと思う。もっとレプリカント増やしたい、そのために自力繁殖させたい――そういうエンジニアリング/テクノクラート的な合理主義だけでつきすすむほうが怖かったと思う。出荷品を殺しちゃったりして、お客さんにどう説明すんのよ。

そのもったいの付け方も、ジャレド・レトはがんばってるんだが、かれのメソッドアクティングっていつも頑張りすぎでうっとうしいんだよねえ……

ついでに、レイチェルがダメならすぐに強制労働って、社長さんあんたバカですか。「え、何言ってんですか。お子さん見つけても殺したりしませんよお。どうして生きてるかってのがまさに私の知りたいところなんですから。希望の星ですよ。なんでそれを殺したりするもんですか」とだまして(というか、ホントにそのほうが筋が通ってると思う)時間をかけて懐柔すればすむ話じゃないですか。んでもって、まだ半信半疑のデッカードをおもてなししつつ、ラブ様を警備役につけておくと、デッカードを娘とあわせようとするKがやってきて、それとストレートに対決させればいいんじゃないですか。あの暗い海の戦いはちょっと見にくかった。

娘も実際に出てくる必要なかった。ホント、ラストで実際に会わなくていいじゃん。あの場面、あられもなくて下品だろ。建物に入ってくだけにしとこうよ。娘がなければレプリカント革命軍もいらない。出てきても何もしないなら無駄でしょう。実はおまえじゃないんだというのは、他にいろいろ気づかせる道はある。すると娼婦レプリカントは普通の娼婦役でかまわなかった。エルビスもいらない。ラブ様は異様にかっこよかったので、もっと活躍してほしかったし、ミサイルの場面は唐突だから削るか、あるいはバトルでもっと衛星を活用する場面を増やして有機的に使ってほしい。ミサイルがなければ孤児院の場面もいらないでしょう。馬を見つける口実くらい他にあるでしょう。

それとLAPD署長は、なんで人類守護の変な使命感に燃えちゃうの? 不自然だからやめようよ。うちの近所の牛込警察署長さんは、あんな面倒な話を自分一人でなんとかしようとは思わないよ。前作では、デッカードに仕事を出す署長かなんかは、ホントに下卑てて、でもそれが人間っぽくてよかったんだよね。署長は何も気がつかずにのほほんとしていて汚職にでもいそしみ、ウォーレス社が常に警察のシステムもモニタして一方的に気がついたことにして、署長は何もわからないまま、悲しい小役人としてあたふた殺されるとかのほうが感動的だと思うな。

と、大幅に刈り込むと全体で2時間くらいの映画になったんじゃないかな。主要なテーマは全部残る。風景も全部残る。ジョイちゃんの場面も残る。ビルニューブっぽいところも全部残る。それで公開し直してみたら、すっきりしてわかりやすくて、もっとヒットするんじゃないかなあ。

追記

あー、そうそう、人によってはネタバレと思うような内容も入ってるから、そういうの気にする人は注意してね。

自分の翻訳をめぐるちょっとした愚痴。

翻訳についての人の感想は様々だ。そして翻訳がちょっと面倒なのは、それが訳者だけのオリジナルではないからだ。原文があって、それをもとに翻訳は行われる。ある訳文があって、それがある読者にとっては読みにくいと思えた。それはだれのせいかといえば……訳者のせいかもしれない。でももう一つ、原文のせいかもしれない。

その昔、ウィリアム・バロウズを訳しはじめた頃(というのは前世紀末)、ちょうどネットが出てきた頃で、だれかに「翻訳がひどい、日本語になっていない」という感想を書かれたおぼえがある。いやあ、それはですねえ、もとの文がまともな英語じゃないんですよ。カットアップですから。だからその翻訳が日本語になってないのは、むしろ忠実な訳ということなんですよ、と思ったっけ。ぼくはかなり原文に忠実な翻訳者なのだ。だから翻訳文が読みにくいとしても、それは往々にして原文の反映だったりする。

そういうと、意外に思う人もいるだろう。特に『クルーグマン教授の経済入門』の翻訳があったせいで、山形はなんだかものすごく原文を歪めてすべて山形調にしてしまう訳者、という印象も一部ではあるのは知っている。ぼくはこれまた不当だと思っている。ぼくは、あの本の訳文は比較的原文のくだけた調子に近いと思っている。人々が、それをチャラいとか砕けすぎとか思うのは、そうした人々がそれまでの、固くてわかりにくい日本の伝統的な翻訳になれすぎているせいだと思う。

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

そもそも、もっと言わせてもらうと、山形の翻訳に対する「なじめない」「違和感」「わかりにくい」というのは、ぼくは多くの場合に、実は読んで意味が実際にわかってしまうことについての戸惑いだったりするのではと思っている。多くの人は本を読んで、その中身を自分が理解できるということ自体を、なにか否定的なことと思っているきらいすらある。かつてクルーグマンの訳文について「真綿のようにからみついてのどに押し込み、無理矢理理解を押しつける」ので大嫌いだとかいう評価を見たことがある。でも……それっていいことなんじゃないの?理解できたらすばらしいじゃないか。でも、この人は明らかに自分が理解できてしまったことに不満だったわけだ。

そしてそんな人は多い。みんな、マルクスとかフロイトとかの、何を言ってんのかよくわからない文章を見て、それを自分が理解できないことで「うーん深い」とか悦に入っているように思う。そしてそこから、自分が翻訳(翻訳でなくてもいい)を読んで理解できてしまうと、なんかそれは浅はかにちがいない、と思ってしまうようだ。

同じことだけれど、多くの人は翻訳の中身よりは言葉尻にばかり反応する。ぼくは「しかし」というよりは「でも」という表現を多く使う。すると、それが気になって読めないとかいう人がたくさん出てくる。よって訳が悪い、というわけ。その程度のことで読めないというのは、ぼくにはにわかには信じがたいけれど、でも実際にそう主張する人はいるのだ。世間的にも、何か批判を受けたときにたいがいの人は、その批判の中身について反論するより、「口汚い罵倒」とか「品格がない」とかそんなところにしか反応できない。

さらに、わけのわからん翻訳を高尚だと思ってありがたがる人は、それがわからなくても文句を言わない。なまじぼくの翻訳の意味がわかってしまうからこそ、それが変だとかよくないとか感じてしまうような人も多いんじゃないかとは思う。

なぜこんなことを書いているかというと、こないだ出たディック『去年を待ちながら』の翻訳について、アマゾンのレビューで文句を言われているから。

Amazon CAPTCHA

うーん。前の寺地他訳がそんなに悪くないというのは、ぼくも訳者あとがきで書いた通り。でもぼくのがそんなに悪いかというと、個人的にはちょっと不当だな、と思う。

(新訳) 「ラッキーストライクの箱です。しかも本当の年代物グリーン。1940年頃の、パッケージ変更の第二次大戦前のものです」

(旧訳) 「ラッキーストライクの箱ですよ。先生。正真正銘、時代もののグリーンのやつです。1940年頃の、つまり第二次世界大戦で包装が変わってしまう前のものです。」

さて、まずぼくはこの両者がそんなにあげつらわれるほどちがうとは思わないのだ。確かに旧訳のほうが普通の文章ではある。そして何を言っているのかよくわかる。でも……この部分は本当に冒頭のところで、そもそもいったいなぜラッキーストライクが出てくるのか、何もまだ説明がなくてちんぷんかんぷんなのだ。第二次大戦前のワシントンを再現しようとしてるんだ、なんて話はまったくわからない。そして、このせりふはロボットがしゃべっているんだけれど、全体に陽気すぎたりすべったユーモアを入れたり、必ずしもスムーズな英語ではない部分もある。だから、多少の不自然さはある程度意図的なものでもある。

でもまあ、不自然だと思えば、それは訳が悪い、というのも反応としては仕方ないんだろう。

それと、前にどこかの座談会で大森望も言っていたけれど、昔とはだんだん翻訳のスタイルが全体として変わりつつある。昔はかなり言葉を補った説明的な翻訳が多かったのが、いまはだんだん、説明のない、原文に近い翻訳になりつつある。おかげで、各種の新訳では昔と比べて、訳稿が1割くらい(あるいはもっと短くなる)。この訳文にも、少しそんなのが反映されている。

ちなみにこのレビューの人は、ぼくの『ヴァリス』訳も気に入らなかったそうだ。ただ、あれに関しては、ぼくの訳のほうが誤訳は圧倒的に少ない。文体はひっかかるけれど誤訳がないのと、文体は趣味にあっているけれどまちがいだらけ、というのでは、ぼくは前者のほうが価値が高いとおもうんだけれど、まあ読む人によっては、中身はどうでもよかったりするのかもしれないので、これまた価値観の問題ではある。

ヴァリス〔新訳版〕

ヴァリス〔新訳版〕

と、ちょっと疲れていることもあって愚痴になったけれど、そもそも翻訳の良し悪しが本当にわかる人は翻訳なんか必要としない人ではあるわけで、ときどき翻訳って報われないよなー、と思うこともある今日この頃。

ノーベル経済学賞2017年予想

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ノーベル賞メダル
昨年(2016年)、ノーベル経済学賞のときにニコニコ動画に呼ばれ、予想ごっこと、受賞後のコメントを田中秀臣と、反アベノミクスのあまりにお手軽な本を書いている小幡績、そして電話参加の安田洋佑といっしょにやりましたよ。去年は、ハート&ホルストロームで、契約理論というマニアックな分野だったので、正直いってぼくは(そしてその他の来場者)はあまりコメントできず、電話での安田氏の独壇場みたいになったっけ。

さて今年もまたやってきましたノーベル賞シーズン。今年もまた、ニコ動で同じくノーベル経済学賞野次馬大会を開くとのこと、それとあわせて、ここでも山形の予想をアップしておいてくれ、とのこと(それも出演料の一部ということで)。

live.nicovideo.jp

さてことしは契約理論とかはもうキャッシュがクリアされた。ゲーム理論とかもしばらく前にあった。だからもう少しわかりやすい分野にくるんじゃないか……という裏をかいて、まったく知らないスーパー計量経済学とかにいったりする可能性もあるけど。そうした経済学の手法面だと、マンスキーが非常に有望視されているけれど、正直言ってぼくはよくわかっていない。もう少しオーソドックスな経済学分野で考えることにしましょう。

まず今年他界した、またはそろそろ時間切れになりそうな残念な人々。

まず受賞者予想を挙げる前に、候補と言われつつ今年惜しくも他界した人々、さらに分野の順番からいってむずかしく、年齢的にも今後チャンスはないんじゃないか、という人々。ピケティの師匠格であるトニー・アトキンソンは、二年前にアンガス・ディートンといっしょにあげておくべきだったと思う。2017年1月1日に他界。またやたらに多才なウィリアム・ボーモルは、もう90代でさっさとあげないと先がないと言われていたけれど、今年の5月に大往生。惜しい。

まだ存命中ながら、ハロルド・デムゼッツはすでに90歳近い。文句なしの重鎮ながら、産業組織論っぽいのが主な業績でティロールなどが取ってしまったからもう見込みはないんじゃないか。

分野としてはそろそろ成長理論か?

分野として、そろそろくると言われる筆頭が成長理論。フィリップ・アギオンとピーター・ホーウィットは、内的成長理論の雄で、イノベーションとかが注目されている現在はいいタイミングかも。この分野だと、ポール・ローマーははずせないところで、実は昨年、かれがノーベル賞を取ったというウェブサイトがNYUで公開されちゃって、あわてて取り消されたほど。

もう一つこの分野での楽しみは、古い成長理論の雄である、とっても口の悪いロバート・ソロー。いや、もちろんソロー自身はとっくにノーベル賞をもらっているんだけど、彼はこの内的成長理論を嫌っているので、むちゃくちゃ悪口言ってくれるのが楽しみな。だからかれが存命中にこの分野が受賞してほしいなあ。

成長理論 第2版

ソローが新成長理論を罵倒している様子はかれの「成長理論」にもあるし、またこんな本も(勝手に訳した)ある。

ロバート・ソロー『「やってみて学習」から学習:経済成長にとっての教訓』

環境経済学はくるだろうか?

もう一つありそうなのが、環境経済学。もしこの分野がきたら、温暖化の経済モデルの定番DICEを開発し、環境経済学の分野の大物であるノードハウスは筆頭。その他いろいろいるけれど、あとはマーティン・ワイツマンとか? ただし山形はかれの著書を訳しているのでこれは希望的観測も大きい。この分野もいつかくるはずと言われつつ、はや何年。一方で、経済学全体に波及する成果を挙げている分野かといわれると、口ごもることもある。ただし今年はトランプのパリ協定離脱へのあてつけの意味もこめて、くるかもしれない。

気候カジノ 経済学から見た地球温暖化問題の最適解気候変動クライシス

リーマンショックのほとぼりが冷めた金融分野?

金融経済学は、リーマンショックでミソをつけて当分ないんじゃないかという説が強かったけれど、そろそろほとぼりもさめたし、FRBも当時買い込んだ資産の処分に向かっているし、その後の様々な知見の高まりから評価してもいいんじゃないかと思う。するとまあ、テイラー・ルールのジョン・テイラーはきてもいいかなー。その次の世代でウッドフォード……うーん、どうかな。かれらがくるなら、そろそろFRB議長を退任して時間がたったベン・バーナンキも、そろそろあり得るかもしれない。バーナンキと、それをクソミソに批判していたテイラーとのあわせ技、なんていうのはノーベル賞委員会としてやりたがるかも。テイラーは次期FRB議長という下馬評も一部にはあり、おもしろい組み合わせになる。逆にあまり政治色がついてしまうと取りにくくなるかもしれないけど……

脱線FRB大恐慌論

フィッシャーのその弟子筋マクロ

マクロっぽい人たちとして、オリヴィエ・ブランシャールとか、サマーズとかがいる。そしてこの人たちや、上のバーナンキの先生がスタンリー・フィッシャー。フィッシャーはイスラエル中銀の親玉もやってFRBの要職もついこないだ引退したし、そろそろリタイアだから金融方面でもらう……のはつらいか。でもフッシャー&ブランシャールとかあってもいいんじゃないかな。ただしブランシャールの主要業績ってなんですか、とかフィッシャーの具体的な研究ってなんですか、と尋ねられると、いま一つよくわかっていないんだけど。あとはここに、ずっと日本人&ノン白人候補として挙がり続けている清滝信宏も入れていいかも。でもサマーズや清滝は、やはり今年でなくても、という感じはある。まだ相対的に若いし。

落ち穂拾いで生産性研究?

地味になるけれど、生産性研究の分野では、デール・ジョルゲンソンやロバート・ゴードンがすでにかなり高齢だし重要な貢献をしてきたし、もらっていいんじゃないか。ただ今年くるべき積極的な理由もない感じ。

ジョルゲンソンと言えば山形的にはお約束:


Ministry - "Just One Fix" (Official Music Video)

というわけでまとめてみましょう:

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山形の2017年ノーベル経済学賞採点表

で、結論としては……

もちろん、あれもある、これもあるというのはいくらでもできる。でもトトカルチョとしてやるなら……

  • 本命:成長理論でローマー、アギオン、ホーウィット

  • 次点:金融経済学でテイラー、ウッドフォード、バーナンキ

  • 穴馬:スタンリー・フィッシャー

こんなあたりでいかが? 穴馬があんまり穴になってないけど。当たるも八卦、当たらぬも八卦

しかしこうして考えると、清滝以外の非「ファラン男性」がまったくいない。うーん、偏りが過ぎるなあ。でも実際、あまり見当たらないのだ。意表をついてクリスティーナ・ローマー……ってこともないだろうし(デヴィッド・ローマーと夫婦受賞! とかいうのはウケるだろうが、だからこそないだろう)。アセモグルあたりがくるまで待つしかないのか……

というわけで、10月9日の放送を刮目して待て!

live.nicovideo.jp

追記:

田中秀臣下馬評が出た! 山形のいい加減な印象論に比べてずっとシステマチック。ディキシットは確かに見落としてたなあ。

d.hatena.ne.jp

というわけで、いまの段階では両者の共通集合になっているジョルゲンソンが最有力ってことですか。

また、タイラー・コーエンの下馬評も出た。ぼくのと結構重なっている。三人すべてで共通するジョルゲンソンあたりが最有力、二人で共通しているのが結構有望、というところでしょうかねー。

タイラー・コーエン「今年のノーベル経済学賞の受賞者は誰?」 — 経済学101

さらに、キャス・サンスティーンが「現実世界へのインパクトでノーベル経済学賞が決まるなら」という記事を書いている。ヴィスクーシの名前が出てくるのは、うなずける面もあり、またサンスティーンらしくもある。

www.bloomberg.com

追記:そして受賞者はリチャード・セイラー!

なんか行動経済学はカーネマンが取ってしまったので、ないんじゃないかという気がしていたのでノーマークでしたが、カーネマンが取ったのは2002年か。ずいぶん昔なんだねー。かれの『逆襲の行動経済学』は、虐げられていた時代の恨み節全開で楽しゅうございますよ。

行動経済学の逆襲 (早川書房)

行動経済学の逆襲 (早川書房)

『人民元の興亡』:人民元をネタにした単なるゴシップ本。

人民元の興亡 毛沢東・鄧小平・習近平が見た夢

人民元の興亡 毛沢東・鄧小平・習近平が見た夢

うーん、せっかくもらった本なのであまり悪く言いたくはないんだが、もう少し何とかならなかったんだろうか。いや、おもしろいところはあるんだが、それがゴシップでしかない。本来、つかみでしかない部分だ。でも本書はそれで終わり。本当に重要な話に踏み込まない。

まず、「興亡」というので、ちょっとびっくりするよね。ぼくは人民元が滅びたとか、そんな兆候があるという話は聞いたことがなかったもので。では人民元が滅びる話がどこから出てくるんだろうか? それがねえ……

ないんだよ、これが。何も、まったく。何一つ。

強いて言うなら、最後ビットコインの話がちょっと出てくるくらい? あとはスマホ決済で紙幣が使われないとかだけど、それは人民元がなくなる話じゃないよね。

まあ「亡」がないのは勇み足だし、タイトルはマーケティング上の配慮で針小棒大になることもあるだろう。ではそれ以外の部分は? 「興」の部分は?

これまた、実にしょぼい。基本、かつて軍閥とかいろんな地方ごとにあったお金が人民元として統一されたという通り一遍の歴史のおさらいを経て、冒頭部分で毛沢東人民元紙幣に自分の顔を使わせなかったというエピソードを並べる。で、その理由は? 多少の時系列めいた話に、いろんな人の雑談めいた憶測が並ぶ。でも結局なにか分析があるわけではなく、いろんな人に話をききました、いろんなところに行ってみました、というだけで、その旅行記を並べておしまい。

毛沢東とお金の話なら、もっと重要でおもしろネタはあるはずなんだけどなー。毛はお金そのものに不信感を持っていて、その廃止を真面目に考えていたこともあったはずなんだ。ポルポトたちが政権をとってカンボジアを地獄に陥れていたとき、連中は毛沢東に会いにいくんだけれど、そのときに毛沢東が「おれたちですらできなかったお金の廃止をやるとは!」と驚愕したという話がある。紙幣から、毛沢東のお金に対する見方を掘り下げ、それが中共の金融政策をどう左右したかを見ることもできるはずなんだけれど、そういった本質的な話は一切なし。

そしてそのしょぼい「興」と、中身のない「亡」の間はなにがあるかというと、目立つエピソードをもとにしたゴシップだけ。戦前の日本が中国で円を普及させようとしたが苦労したし、日本負けちゃってご破算となりました、という話とか、最終的に日本が敗戦した以上、どうでもいいエピソードでしかないと思うんだがそれを延々とのべたてる。そして、そこから日本の円と人民元とのつながりを述べようとして、三重野以来のバブル戦犯日銀総裁たちが中国の中央銀行とそれなりにつきあいが深かったことを述べる。でも、それがすべて個人レベルのつきあいがありました、という話の域をでない。日銀マンのだれかがウォンというイヌを飼ってました? それがなんだっての? まして著者がその犬に会ったことがある? そんなことに何の意味があるの?

たとえばそこで、かれらの影響で中国がやたらに緊縮的な金融政策を採るようになりました、というような話であれば、そういう交際について紹介する意味を持つだろう。でも、そういうのはまったくない。単に、つきあいがありました、というだけ。ちなみに白川について、インタゲ話に翻弄されたというんだけど、どこがぁ? かれがもっと翻弄されてくれたら日本経済もずいぶん変わっていたと思うが、かたくなに緊縮を保っただけ。

あとは、世銀と中国のつきあいが~というんだが、中国でかいし融資先としてでかくなるのは当然でしょう。でも世銀の中国融資はチベット問題をめぐって波乱もあるし、世銀の融資方針が変わるにつれて中国への融資内容も変わったはずだけど……そんな話もなし。青木昌彦スティグリッツが中国にいっぱい来ていたというんだけど、かれらは中国に何を指導したの? それで中国はどう変わった? 何もなし。

あとはチェンマイイニシアティブの話とか、アジア通貨危機人民元切り下げ圧力の話、そのときのAMF構想の話とか。そしてAIIBの話とそれに伴うADBの話。いずれも何も本質的な話がない。そもそも、人民元の運用ってどういう考え方でこれまで行われているのか、管理通貨としてどんな考え方で実施されてるの? そういうきちんとした記述を行った部分なし。

たとえばIMFのSDRに導入されたとき、透明性の低い管理通貨を大量に混ぜていいんですかという批判がずっとあった。まずそこで言われている批判とは何なのか? 人民元ってどういう管理がされているの? そういう具体的な話はほとんどなし。さらに、SDRへの組み込みでラガルドがIMFの親玉になったのが大きな契機だったという話をする。ほほう、するとラガルドがなにやら中国の懐柔を受けていたのか? 何か特別なつながりがあったの? あるいは前任のストロース=カーンと大きな考え方のちがいがあったとか? ところがそんな話は一切なし。出てくるのはラガルドがスマートでタカラジェンヌみたいでとかいう話だけ。それならラガルド出てきても意味ないじゃん。契機になってないじゃん。

すべてそんな具合。何か大きなトピックが出てくる。そしてその周辺にいる人々のゴシップが並べられるんだけれど、そのゴシップが大きなエピソードの展開にどう関わったかはまったく書かれず、著者個人がその人に会ってインタビューしたときに、着こなしがーとか宴会の食事がー、入り口の置物がー、とかホントどうでもいい話になって、その人のインタビューも通り一遍の公式声明以上のことは何も聞き出せず、最後に「通貨はその国の基本である」とかなんとか、何のまとめにもなっていない漠然とした話がでておしまい。

結局、著者がいろんな人に会ったのはわかった。でも会ったことで何が明らかになったのかといえば……何も。アマゾンのレビューを見るとずいぶんほめられている。多くの読者はバカで、こういうゴシップをありがたく拝聴してなんかわかったつもりになるので、それはそれで仕方ないんだが、正直いってこれだけの人にインタビューしたんなら、もう少し何か本質的なことが一つでも解明できるはずだと思うんだが。ぼくは読んで、かなりの徒労感しかおぼえなかった。すみません、せっかくもらったのに。

付記:

上のはちょっと厳しすぎるかな、という気もしないでもない。多くの人は、AIIBって聞いたことがあっても、なんだか知らないし、また詳しく知りたいとも思っていない。AMFについてだって、きちんと理解したいわけではない。だからそういう読者向けに、通りいっぺんの解説をして、それにちょっとアメリカや日本や中国の政治的陰謀めいた話を、ちょっとえらそうな人のインタビューをもとに憶測っぽくからめておけば、なんか多くの人はわかったような気分になったうえ、「実はあれはアメリカの陰謀で〜」みたいな知ったかぶりもできるようになる。アマゾンのレビューやツイッターで誉めている人たちは、そういうのが嬉しくてたまらないみたいだし、その意味で商品としてはなりたっているとはいえるかもしれない。新聞の連載囲みコラムなんてほとんどがそんなもんだし、それに忠実といえばそれまで。いろいろ聞いた結果として何がわかったか明確にしないのも、新聞らしい日和見&責任逃れではある。

が、それにしてもだ。たとえばADBの本部が東京にならなかったのだって、政治的な策謀をあれこれ勘ぐってみせるのも結構だけど、東京ではADBの業務に必要な英語のしゃべれる一般スタッフがまったく調達できないというものすごい現実的な理由が大きかった、という話もよく聞くよ?  他の話だって、どういう現実的な要請から中国は各種の手だてを実施してるのか、という視点がないと、ほんと憶測と公式発表だけで何も深みがない。この手の話で、一つのバロメーターになる言葉が「基軸通貨」ってやつで、これを意味ありげに使ってる人はたいがい何もわかってないんだけど、この本はまさにその典型でもある。基軸通貨ってなに?食えるの?これでも読んでね。クルーグマンは「基軸通貨」なんていうまぬけな言葉は使わないけどさ。

Who's Afraid of the Euro?: Japanese

それに人民元の話をするんなら、国際的な要因の話だけでなく、国内要因の話がいるでしょ。通貨価値を維持するのは、為替レートの話とインフレの話と両方あるし。国内のバブルとかインフラ整備とか国営企業問題とかさ、そういうのと為替レートや国際化の話とはどう関連してるのかとか、まったくそういう視点もない。注目する現象は本当に通りいっぺん。そしてそれを何らかの枠組みでとらえなおす試みも皆無。一部の話は、いまの中国が最適通貨圏になってるか、という話に還元できると思うんだけど、それについての評価もなくもぞもぞしたインタビューのキャッチフレーズ出しておしまい。山形は、この分野で必要以上に耳年増だから、というのもあるだろう。でも、別にぼくにとって新しい知見がなくても、それを体系だってきちんと述べるのだって、こういう本の役目だと思うんだけどね。