うわべ「だけ」ではダメだけど、うわべがなくては始まりません。

2017年12月になって、藤岡『ハードウェアのシリコンバレー深圳に学ぶ』の書評っぽい記事を書いて、それがネットに出た。

これはとってもよい本で、それとその書評まがいを書いているときにちょうど、メイカー系中国関連有識者ライターたちが、「最近の深圳記事って安易だよねー」という話をしていたこともあって、この本は安易な表層なでただけじゃないぞー、というのを強調する感じになった。で、それを受けて編集部も、こういうタイトルにしてくれた。

president.jp

で、ぼくとしては「そうだそうだ」と(自分の記事だから)思う一方で、ちょっとこそばゆいような、うへー、というような思いをしている部分がある。というのも、かくいうこのぼくだって、そりゃずっと昔から深圳に通っていた強みはあるものの、うわっつらに毛が生えた程度じゃねーか、と言われればその通りだからだ。

そしてそれ以上に、個人的にこの歳になると、いろいろ人生に後悔もあるわけで、その中の大きなものは、浅はかとかうわべだけとか表層的とか言われるのを恐れるあまり、必要以上にかっこつけて実際にそのモノ自体に手を出すのを避けてしまったことがあまりに多いよなあ、ということだったりするからだ。

気になっていた女の子に、外見だけしか見てないと思われるといやだなあと思っていろいろウダウダ探りを入れているうちに結局何も起こらなかったりとか、昔のクラブ流行のときに、好奇心はあったのに流行に流されてるだけと思われたらどうしようとか(誰にそう思われるのを恐れていたのかは謎だ)、あれとかこれとか、いまにして思えば、うわべ「だけ」と思われるのを恐れるあまり、うわべそのものを拒否してしまい、結局うわべ「すら」ない状態に陥ってしまったことが多々ある。やっぱりそれはつまらないよ。

そして、当然ながら人はいきなり核心に到達したりはできないんだから、うわべから入るしかないんだよね。

同時に、うわべだけのにわかを見て苛立つ人というのも、実はまさに当人が昨日まではうわべだけのにわかで、少し深く入れたからこそ昨日の自分がもどかしいだけ、ということも多い。そしてそういう人が最初のうわべから入る人をいじめるが故に、その分野自体が狭くなってしまうような場面もときどき見かけるように思う。

有名な話として、Linuxには「タコは財産」という考え方がある。ニワカの初心者で、バカな質問をやらかし、FAQって何かも知らない、そんな人たちでもLinuxのコミュニティに参加してくれるだけでありがたい、そういう人たちこそが財産、という発想だ。これはもちろん、お客さん気取りでふんぞり返ってあれこれ要求する人にヘイコラしろということではない。でも一方で、だれでも最初はタコだし、タコを増やさないとその次のステップにいく人も増えない。

つーことで、深圳に関しても、まずはうわべ。行ってみて、まずはうわべにびっくりしましょう。んでもって、だんだん深入りすればオッケー。うわべの人々を増やしつつ、うわべ「だけ」に安住しないよう適度に押しやるにはどうすべきか、というのが課題ではあるんだけど、それもうわべだけの人がそれなりにいてこその話ではある。うわべ「だけ」は恥ずかしいけれど、それはしょせん、自転車に補助輪つけて乗ってるぜーと言われて小学生が感じるレベルのちょっとした恥ずかしさで、自転車にそもそも乗れる楽しさに比べれば小さい小さい。はやく補助輪取れるようになろうねー、というだけの話なのです。

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それに……「恥ずかしさ」って言っても、だれもあなたが深圳行って何しようが気になんかしてない!もっと恥ずかしい人たくさんいるから平気平気! それをぼくが学んだのはマニラのHRギーガーテーマのクラブで……という話はまたいずれ。

中国深圳

中国深圳

いろんな人がまずうわべから入って深圳に感動し、でもそれ以上に向かう方向でいろいろ考察を進めている本としては、多少我田引水ながら以下をどうぞー。

(あとうわべの人が、非うわべの人が苦労して学んだネタを、まるで自分で発見したかのように言いつのるのがおもしろくない非うわべ人もいて、それは非常にわかるんだけど、半分以上の場合、うわべな人々はまさにそれを自分で発見した気分になって高揚しているので、仕方ない面もあるのよねー。でもできれば、自分がだれから何を学んだかについては明示的になってもいいとは思う)