藤沢『アフリカの風に吹かれて』:身辺雑記だけでは……

アフリカの風に吹かれて―途上国支援の泣き笑いの日々

アフリカの風に吹かれて―途上国支援の泣き笑いの日々

援助の現場はかなりきつい状況だ。甘い顔をするとみんなにたかられるし、かといって杓子定規にして本当のニーズを見落とすのもダメだ。援助関連の人々や地元役人にも汚職があり、得体の知れない無駄もあり、それに伴い住民にも不信が生じ、また助けようとしている人々だって、純粋無垢なんかではなく、自分の利益を最大化しようとしてウソもつくし私腹も肥やすしゴネるし、その中で自分自身の仕事に関する意義すらときに疑問に思え……でもやはり、苦境の中で精一杯生きようとする人々の活力には、ときに感心させられ、ときに圧倒され、そこでときに希望が感じられることもある……

ぼくも援助関係者だから、この人の書いているような状況はわかる。彼女は医療援助の現場なので、ぼくなんかより凄惨な現場も見ている。ぼくはこんな、目の前で人の生死に関わるようなことが日常茶飯に起こるようなところにはいない。それでも、似たような状況はしょっちゅう起こる。無力感も希望もわかる。

が、残念なのが、各国ごとの記述を呼んでもあまり差が感じられないこと。多少の背景説明があって、あとはどれも似たりよったり。もちろん医療援助の現場なんてどこも同じだということなのかもしれなけれど。そして、身辺雑記や個人的な悩みからもう少し広く普遍的な援助自体に関わる課題や、アフリカということで何を学ぶべきか、といったところに議論がおよばないこと。アフリカでいろいろ苦労しました――その苦労話はまあおもしろい。でもこれだけ現場にいたら、彼女としては援助のあり方をどうすべきだと考えるのか。援助の偽善を指摘する人のコメントも出ている。彼女としてはそれをどう思っているのか? 援助は役にたつんだろうか?

この最後の疑問は、ぼく自身の疑問でもある。「我々は所詮、その国の土にはなれない。でも風にはなれるんだ」という、著者の先輩コンサルタントのことばがこの本のタイトルでもあるんだけど、風として何ができたのか、とりあえず自分としてはがんばりましたという以上の何かができたのか、そもそもできるのか。ぼくは十年やってきた人には、もう少し広い視野を期待したいんだが。この内容は、五年目くらいの人なら許されるだろうけれど、このくらい経験ある人だとなんか総括がないとだめでしょう。ということで、書評にはとりあげません。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.