コルタサル『かくも激しく甘きニカラグア』:無邪気な、それゆえに悲しい本

かくも激しく甘きニカラグア (双書・20世紀紀行)

かくも激しく甘きニカラグア (双書・20世紀紀行)

コルタサル『八面体』を読んで、もちろん本そのものも素晴らしいんだけれど、ぼくが非常にありがたいと思ったのは寺尾隆吉の解説だった。そこには、ぼくが前から漠然と疑問に思っていたことの答が書かれていたからだ。その疑問とは:なぜコルタサルの後期の作品はイマイチなのか?

『通りすがりの男』とかあまりピンとこなかったし、『海に投げ込まれた瓶』とかは読み通そうという気が起きなくて、でもそのときはこっちの体調のせいかと思ってずーっと本棚に寝かしてあったんだよね。最近出た『愛しのグレンダ』もしかり。でも、それは必ずしもこの読者のせいではなかったのかもしれない。

寺尾の答は明解だ。コルタサルキューバニカラグアの政治運動に深入りして、真面目に創作しなくなったから。

この『かくも激しく甘きニカラグア』は、その政治運動に深入りしたコルタサルによる、実に無邪気なサンディニスタ政権翼賛記だ。

その書かれ方はさすがにコルタサルだけあって、実に流麗。でもその中身は、とても単純なプロパガンダだ。アメリカ帝国主義を斥けた人民の目は輝いている! 何もないけれどそのまなざしは希望に満ちている! そこでは芸術がブルジョワのおもちゃではなく、人民の日常と真の関わり合いを持ち、不可分に存在している! ああ、アメリカ傀儡軍の攻撃により片腕を失った少女が! だがその気高さにぼくは涙した! すべては人びとの真摯な話し合いとサンディニスタ政権の無私の判断で決まるのだ。世界人民よ、ニカラグアと連帯せよ! ああカストロの理想よ! サンディニスタの栄光よ! そこには何の隠しごともない。ぼくはありのままの世界を初めてまのあたりにし、人びとと対等に活き、真の自由を感じたのだ!

でも1980-1983年にコルタサルニカラグアを訪れ、本書(の原著)が出版された直後(そしてコルタサルが他界すると同時に)ニカラグアオルテガ政権が秘密警察を駆使して弾圧拷問幽閉その他、あらゆる左翼革命政権につきものの蛮行を展開していたのだ。当時はアメリカのニカラグアに対するちょっかいはかなりひどいものになっていたので、コルタサルの記述もある程度は正当なものだけれど、やはりその中身はきわめてステレオタイプで、エドガー・スノー『中国の赤い星』とか、本多勝一ベトナム軍はすばらしいルポとかと内容的に似たり寄ったり。そして貧しいニカラグアの状況で、軍や政府が自分のために専用機を仕立てて国中あちこち見せてくれること自体がいかに特別扱いで、自分がニカラグアの人民と対等などではないことを如実に示していることにも気がつかないおめでたさも、この少し前に文革まっさかりの中国を見物してプロパガンダに加担した、ジュリア・クリステヴァ『中国の女たち』と同じ。

そして本書に収録された講演「ラテンアメリカにおける作家とその役割」は、作家がいかにプロパガンダに貢献すべきか、という話。精神的エリート主義の文学から、真に人民の生活と実践に根ざした文化に息づく文学を! そしてそれは真の人民のメッセージを伝え、人びとをアメリカ商業主義のブランドから解放し、各地のゲリラに社会主義の真のメッセージを伝えるものとして、テープやビデオ、マンガなども利用しつつ拡大するのだ!

たぶん、社会主義崩壊をまのあたりにした今のぼくたちが、これを見て顔をしかめるのは簡単なんだろう。その意味で、これはあまりフェアな文ではないのかもしれない。が、世の中フェアではないのだし、岡目八目ということもある。でもこういうのを見てしまうと、あらゆる日常と現実にひそむ異世界への道を描き続けていたコルタサルが見ていたものは何だったのかしら、という思いを抱くのは避けがたいことだと思う。政治参加が決して悪いことではないし、それが有益に働く人もいる。政治意識を有効に作品に活用できる作家もいる。でもコルタサルはそういう作家じゃなかったし、かれの比較優位はまさに本書で否定されている、エリート的な高踏的文化人向けの作品にあった。まったく実生活の役に立たない知的な世界がコルタサルの売りだった。

ひょっとしたら、それがまさにコルタサルのコンプレックスだったのかもしれない。こういうつまんない、泥臭いプロパガンダを書くことで、コルタサルは本当に幸福を感じていたのかもしれない。かつての自分は偽物で、今の自分こそ真の――いや、もうそんなことを憶測しても仕方ないんだけど。

この『八面体』収録作品の持つ、それ自体の世界の無根拠な強さにこそぼくは価値があると思っているし、その無根拠さを当のコルタサル自身が胸を張って擁護できなかったことをぼくは悲しく思うのだけれど、でも己の無根拠さに耐えるのは、実は多くの人にとってはあまりに苦しいことなのかもしれないとも思う。それでも……この『八面体』に収録された短編小説論を読むと、当時のコルタサルはそれを理解していたはずなのに、と再び無念さを感じずにはいられない。




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