Executive Summary
コルトマン『カストロ』は、イギリスの外交官が書いたカストロ伝。一応は客観的な書き方になっているが、個人的にカストロと親密だったせいか、きわめて好意的な書き方、というより公式プロパガンダからあまり逸脱しないものとなっている。
カストロの強権性、民主主義の手続き軽視といった面についての批判はあるが、それが全体の視点やストーリーに貢献していない。カミロ・シエンフエゴスの死の謎、愛人による暗殺未遂等々の「ヤバい」話はどれも華麗にスルー。産業政策も、晩年のバイオ注目だの温暖化注目だのは挙げるが、過去の失敗のきちんとしたまとめもない。その意味で、長いがあまり読んだ甲斐は感じられず、すでにキューバの基本的な歴史を知っている人なら、徒労感を抱きかねない。
チェ・ゲバラ伝を一通り制覇して、まあカストロのほうもチェックするのが筋だよな、と思ってはいたが、なかなか手をつけていなかった。理由の一つは、カストロってチェ・ゲバラほどは波瀾万丈の人生を送っていないから。
いや、そういうと語弊はあって、もちろん迫害しつつ反政府運動して、だれも予想しなかった革命勝利を実現させ、ソ連と米国のはざまで独自路線をつらぬいた人生は、波瀾万丈ではある。が、こう、急な転身、突然の天啓で革命への目覚め、派手な愛と別れ、挫折と天工といったものはあまりない。かなりはやい時期に社会正義に目覚め、大学時代から反バティスタで、反ファシスト、反帝国主義、反米の急進的な活動を貫き、妥協もなく、それがずっと変わらず死ぬまで続くというのが基本路線。単線的なんだよね。
革命戦争に勝利して、その後もアフリカその他の戦争に口だしし、それなりに戦争遂行力や戦術面で優れているのは確かなんだけれど、どこかでものすごい軍事訓練を受けたわけでもないし、なんかいつの間にか実力つけてOJTで学びました、という感じ。
また単線的な方針がいろんな形で苦境に立たされても、NEPしようとかいう新しい試みもなく、演説して「おめーらがんばれ! 革命か死か!」と国民を煽るだけでだいたいおしまい。レーニンのようなおもしろい後継者争いもないし、粛清するほどの政敵もおらず、最大の危機は初代大統領がカストロの社会主義路線に反発したのを始末したときくらいかな。
私生活面も、あまり派手なことはない。女性はいたし、子供も生ませてはいるけれど、すごいぐちょぐちょの愛欲関係が展開されたりはせず、あまり縁故採用で親戚が傍若無人で、それを泣く泣く始末したり、なんてこともないと思われている。せいぜいが兄弟のラウル・カストロだけど、最後まで日陰の存在だし。
(付記:その後、ラフィ『カストロ』を読んでここでの記述から考えが一変した。でもこの時点ではそう思っていたという記録として残しておく)
そういったあたりを、非常にあたりさわりなくまとめた伝記が、このコルトマンによる伝記だ。
コルトマンはもと外交官で、カストロとも仲良しではあったとのこと。だから全体的に、カストロには大変好意的。ぶれることなく、ずっと反帝国主義や反米みたいなスタンスを維持したことを評価。後半はキューバが、アメリカとソ連に翻弄されつつ独自の立場をつらぬき、双方に依存しつつも属国になるのは潔しとせず、ミサイル危機で冷戦の手駒にされたことに怒り等々。同時に彼が強権すぎた部分、キューバの「民主主義」が形式だけだということ、その他それなりに悪い点は一応は指摘。その意味では、ニュートラルな体裁は整えている。
そして特に後半は、国際情勢の急変や次々にいれかわるアメリカ大統領とのやりとりみたいな話でそれなりにおもしろさをもたせてはいる。
が、それ以上には踏み込んでくれないのが非常にもどかしい。チェ・ゲバラとの関係は「仲良しでした、信用してました」でおしまい。出会いとかも、「会って話し込んで仲良くなった」でおしまい。カストロ的に、チェ・ゲバラのゲリラ能力をどう見ていたのか? 革命時のゲバラは単に実行部隊でしかなく、戦略たてていたのはカストロだったのに、ゲバラがゲリラ本とかまでいっちょまえに書いて、自分の功績まで横取りするのを、あんまり快く思ってなかった説も聞いたことがある。どうなんだろう。金融政策(の不在) や産業政策 (の不在) をどう評価していたのか? そういうのは描かれない。
また、キューバ革命の中で、カストロ、ゲバラに次ぐ、人によってはゲバラよりえらいと評価している、カミロ・シエンフエゴスという人がいる。
この人は謎の飛行機事故で突然死んでしまう。そもそもなんでそのときに、小型機にのっていたのかもはっきりしない。その直前にカストロの方針に反発していて大げんかしていたという話もあり、その死をめぐっては憶測もかなりある。このwikipediaのエントリーですら触れられていることだ。が、本書はそういった話には「証拠はない」の一言ですませる。うーん、ないものはない、という話なら仕方ないんだが。それなのに、別のスパイ機がその日撃墜されたという記録があるので実はそれがまちがってカミロ・シエンフエゴスの飛行機を撃墜しちゃったのかも、なんて話を書いている。何も証拠がないといいつつ、なんでそんな憶測の話を持ち出すんだろうか。まあそれ以上何を調べることができるわけでもないんだけどね。
その周辺のウーベル・マトスをはじめとする、革命の共産主義化に反対する人々の一斉粛清についてもあまり触れない。カストロのプロパガンダを完全に垂れ流すほどおめでたくはなく、そこでカストロが強権発動して独裁者への道を歩んでいることはそれとなく書くけれど、何も明記はしない。
さらに、マリータ・ローレンツというドイツ系の女を愛人にして、妊娠させると、子供だけほしくて母親を殺しかけ、彼女がその後CIAの手先になってカストロ暗殺に失敗した事件については一切触れない。さらに他の女性関係についてもまったく言及なし。
というわけで、完全にカストロべったりではなく、多少は疑問や批判的なコメントを入れつつも、ほぼカストロの公式プロパガンダを穏健になぞっただけの伝記、という評価になる。ぼくもカストロについて詳しくはないので、この伝記で衝撃の新事実が明かされているのか、とかはわからない。キューバはバイオ分野に力を入れていて、新薬開発も盛んなんだけど、それはカストロの肝いりだったし、温暖化対応を (アメリカへのあてつけもあって) がんばろうとしていた、というのはおもしろかった。が、これも一段落だけだし、全体としてまったく意外なカストロ像が描き出されているわけではないと思う。
というより、まったく意外なカストロ像というのがそもそもあり得るのか、というのはある。そんなに裏表のある人ではなかったようだし。そしてそれならば、そもそもこんな長い伝記に意味はあるのか、というのはどうしても思ってしまう。単線的な人生なら、もっとシンプルに新書くらいでまとめてしまえるのではないか? もちろん、個別エピソードにはおもしろいものもあるけれど。晩年のアメリカへの亡命者をめぐる事件をはじめ、なんだかんだ言いつつ、細かい経緯は今さら知ってどうなる、という面も大きい。
ここらへん、これから他の伝記を読む中で比較のポイントにはなってくるはず。結構長いのは他にもあるけど、そこらへんどうなってますやら。