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川床『漱石のデザイン論』:漱石は結局ダシで、ありきたりなデザイン哲学に堕すもったいない本。

漱石のデザイン論―建築家を夢見た文豪からのメッセージ

漱石のデザイン論―建築家を夢見た文豪からのメッセージ

夏目漱石はもともと建築家志望だった! 知らなかった。でも彼は、明治の日本ではセコいものしか作れない、文学のほうが世界とタメを張れるぞと言われて建築家を断念したんだけれど、ひょっとしたら辰野金吾のライバルになっていたかも……という本書のつかみはおもしろい。で、そこから漱石の建築関連、デザイン関連の発言を漁り、彼のもっていた独特な都市建築観を明らかに……と期待するんだけれど、実はあんまりそうしたネタがない。で、その後はくだらないデザイナーの現代文明批判論、西洋文明批判論が得意げに展開され、漱石もそういっていたのなんの。

そりゃ漱石は言うだろう。明治の人だもの。彼らは本当に、従来の日本文化と西洋文化の葛藤を現場で体験していたんだから。でも、それから百年以上もたった時代に暮らす人間が相変わらず同じことしかいえないって、あまりに進歩がないだろう。漱石の時代は、漱石はたぶん西洋文化を拒絶する道だってあったはず。でも、いまの川床にせよ、ぼくにせよ、そういう選択肢はない。いまはここに純粋日本文化なんてものはない。すでに西洋文化が入り込んでいる折衷文化が生まれながらにしてある。漱石の西洋文化との葛藤は、本物の葛藤だ。川床の葛藤(だと当人が思ってるもの)は、単なるままごと。ありもしない選択肢を勝手に妄想しているだけ。

大量生産文明はよくないとか、インドのいなか暮らしはすばらしいとか、アンケートをしたらモノより心を重視したい人が多いとか、ありきたりなお題目を並べる。ふーん、だったら地方に引っ込んで、あるいはそのインドにでかけて、自給自足の生活すれば? だれもそれを止めていない。でも、川床はそういう覚悟はないので「いちがいに否定するつもりはない」と弁解がましく繰り返し、でもやっぱり現代文明はダメでうだうだうだうだ。

漱石は、本当に時代と格闘していろいろ苦悶していた。彼の悩みは本当なんだけれど、それをダシに展開される川床のデザイン論(これはホントは漱石のデザイン論なんかではなく、川床のデザイン論なんだけど、自分がきちんと立論できずに漱石によりかかっているだけだ)というのは単なる百年一日の進歩のないだらしない妄想。最初の30ページくらいでは、おもしろいかと思ったが、その後どんどんダメになるのにげんなり。ほんと、百年たった現代人としての思想や進歩のあとを少しは見せろよ。書評なんかしませんわ。



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