三浦『シビリアンの戦争』:シビリアンコントロールは本当に有効か?

シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき

シビリアンの戦争――デモクラシーが攻撃的になるとき

本書は、ぼくたちの多くが慣れ親しんでいる軍や戦争に関する基本的な考え方に大きな疑問をつきつける本だ。従来の発想では、軍人は戦争大好きだとされる。だから平和を愛する文民が彼らの活動を常に監視し、抑えなくてはならない。これが文民統制シビリアンコントロール)の発想だ。
でも近年の多くの戦争の実態はちがう、と著者は指摘する。軍人たちは、戦闘で真っ先に死傷するのは自分たちだ。だから勝算のない無意味な戦争にはきわめて慎重だ。むしろ文民たちのほうが、独裁政権打倒とか対テロとか、その時の勝手な思い込みと勢いで、軍人たちを(民主主義のおかげで!)戦争に引きずり込んでいる、と。すると、文民統制というのは本当に有効なのか?
恐ろしいながら、これが正鵠を射ていることは否定できない。今回の選挙でも、国防安保面で勇ましい発言を繰り返す政治家が多い。その多くはまさに本書の指摘する、当事者意識のない文民たちの安易な好戦論だ。むろん軍人が常に慎重ではない。いったん戦争が始まれば、軍は兵員の消耗を抑えたいが故に、逆に一発即決を狙って戦線と軍備の拡大を求める。文民による統制の発想も重要だ。だがどこまで? そしてだれが文民を統制するのか?
本書は、ここでこれまた恐ろしい提言を持ち出す。戦争抑止には、国民の相当数がその当事者として軍隊的な体験を積むべきではないか、と。それがあればこそ、人々は実感を持って平和を主張できる!
右傾化、軍事化を憂慮する人々の最も嫌う徴兵制に近い体制こそが、実は最も平和維持に有効ではという本書の主張に拒絶反応を示す人も多いはず。だが、いかにして人々に平和・戦争の当事者としての意識を持たせるのか? 文民は平和好きという思い込みが揺らいだとき、ぼくたちは本書のつきつけるこの問題に対する答えを、実は持ち合わせていないのではないか。(2012/12/165 掲載、朝日新聞サイト

コメント

これが出たらすぐさま「山形が徴兵制を肯定している! 許せん、人民の敵め!」というような人が湧いて出るかとびくびくしたが、そうはならなかった模様。そしてもちろん、本書の議論をそのまま鵜呑みにして、「シビリアンコントロールだめ、軍のことはすべて軍人に」なんて話にしてはいけないとは思う。

本書の議論は、一般論としては考えられても、やはり実際にどこまでそれがあてはまるか、というのはもう少し検討が必要かもしれない。本書の議論だと、実戦経験があるところはどこでも戦争に慎重になりそうなものだけれど、中国はそうはなっていない。また文中の「戦争が始まったら云々」という部分は、ベトナム戦争に関するハルバースタムの記述などを念頭においたもの。これらを見ると、軍人のほうが反戦的という主張は、ひょっとしたら成り立たないかもしれない。

が、自分が戦争に行く見込みの低い人ほど勇ましいことを言いたがる、というのは確かにその通り。いやもちろん、ネット掲示板で国防を強化しろとか言っているネトウヨ諸君は、もちろん一声かければみんな一兵卒としてはせ参じてくれる意識の高い人ばかりで、別に安全な場所から付和雷同のかけ声をかけているだけではないと思うけれど。うまく選挙の日にこれが誌面に掲載されたのはまったくの偶然ながらいいタイミングだったと思う。

本当の戦争傾向については、たぶん両方の面があるんだろう。それも含め細かく検証すべき点はあると思う本だけれど、問題提起としては実におもしろい本だと思う。

ちなみに、この本のもとになった研究も科研費もらって、しかもこれが岩波書店から出ているというのにぼくはびっくりした。シビリアンコントロール否定、徴兵制もどきの提案の本を岩波が? 科研費が? すばらしいことです。



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