Amazon救済 2010年分 1: 毛沢東関連書など

若き日の毛沢東の数少ないまとまった第三者の記述, 2010/6/10

毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年)

毛沢東の青春―その秘められた日々 (1976年)

毛沢東が第一師範学校にいた頃の上級生で友人、シャオ兄弟の兄が書いた、長沙での学生時代の毛沢東。現題は「毛沢東とわたしは乞食だった」というもので、なんだかずいぶんキワモノに思えたが、実際には扇情狙いの部分は全然ない、とてもストレートな毛沢東の青春時代の記述になっている。原題の「乞食だった」というのは、本書の後半を占める二人の貧乏旅行のこと。  すごく目新しいことがあるわけではないが、エドガー・スノー毛沢東が語った若き日の話はおおむねその通りだったことが第三者の記述で裏付けられるのは貴重。毛沢東といえど、普通の若者だったことがわかる。あと後に毛沢東の奥さんになったヤン・カイホイが、本当に惚れていたのは実は……といった暴露話はほほえましい。

 毛沢東の奇矯な行動についての記述には多少小説的なおもしろおかしい脚色があるかもしれないとフィリップ・ショートは述べているものの、事実関係の歪曲はない模様。話は第一師範学校時代(高校生くらい)に限られ、新民学会の解体くらいで終わっているので、革命や粛清や闘争などは全然でてこないので、そういう期待をしている人はアレだが、毛沢東の人間くさいエピソードに触れたい人はどうぞ。

追記:なお、以下の二つはこれと同じ本のはず。翻訳がちがうのかな?

若き日の毛沢東―秘められたその青春 (1965年) (フロンティア・ブックス)

若き日の毛沢東―秘められたその青春 (1965年) (フロンティア・ブックス)

毛沢東と私は乞食だった―秘められたその青春 (1962年)

毛沢東と私は乞食だった―秘められたその青春 (1962年)

元データすら必死で隠蔽する「気候科学」って? クライメートゲート事件の全貌を描く好著, 2010/6/2

地球温暖化スキャンダル−2009年秋クライメートゲート事件の激震

地球温暖化スキャンダル−2009年秋クライメートゲート事件の激震

 日本ではほとんどまともに報道されていない、通称クライメートゲート事件の非常によいまとめ。  クライメートゲート事件は、温暖化調査の中心的な機関からメールが大量に流出し、その中にデータ隠蔽工作や自分たち(温暖化の深刻さを是が非でも強調する立場)に少しでも異論を唱える論文やその掲載誌に対する組織的な圧力工作が大量に含まれていたことから、温暖化の科学的な議論の信憑性にまで疑問が投げかけられたもの。  むろん、公開されると思っていないメールで、あまりお行儀のよくない書きぶりが頻出するのは当然のことだ。でも、本書はメールに並行する実世界のできごとをきちんと併置させる。それを読むと、元データを必死で隠そうとし、まったく当然の公開要求を話をそらしてうやむやにしようとしたりしている状況がわかり、メールの内容も単なる罪のない仲間内での悪態ではすまないものであることがよくわかる。

 たぶん本書の内容を歪曲して「反地球温暖化」に分類したがる論者がたくさん出ると思う。誤解のないように書いておくと、本書の著者は、温暖化を否定する立場ではない。穏健な温暖化が起こっていることは十分に認めているし、CO2がそれに貢献していることも完全に求めている(p.294)。ただしそれがどの程度なのか、きちんとデータに基づく科学的な議論は不可欠だと語っている。ベースとなるデータすら隠蔽するような「研究」に基づく、他にだれも追試できないような代物は、科学的な議論といえるだろうか? IPCC はコンセンサスに基づいて議論すると述べている。それなら、元データを示してもっと多くの人が追試できるようにして、まともな科学的議論のベースを作るべきだろう。いまの気候科学は、残念ながらそれができておらず、それなのにそのあやふやな議論をもとに、何兆円もの投資が行われているのは、いいんだろうか? 本書はそう問いかける。

日本の左翼知識人のうろたえぶりだけが伝わってくる一冊。, 2010/5/17

毛沢東 20世紀思想家文庫 15

毛沢東 20世紀思想家文庫 15

たいへんに不思議な一冊。小田実は、ベ平連ベトナム戦争への反戦団体、ひいては反米サヨク市民団体)で有名な人だが、別に中国に詳しいわけでもないし、中国語が読めるわけでもない。毛沢東の伝記的、思想的な記述は本当に通り一遍で、受け売りレベルにとどまるし、それすらあまり勉強していないのは明らか。

そんな人が中国にちょろっとでかけてあれこれ見聞きするのだが、それによって毛沢東について何か新しい知見が出るわけでもない。かれは文化大革命でコロコロ変わった毛の発言に戸惑い、それでも毛沢東サマのおっしゃることなら、と盲信していたら、その後毛の方針自体がまちがってました、とはしごをはずされて、どうしていいかわからずにひたすら途方にくれている。あれもわからない、これも判断がつかない、これもどうしていいかわからない、結局毛沢東をどう評価して良いかよくわかりません、というだけの本になっている。

現代の偉人を新しい目で見直すはずのシリーズに、なぜこんな「どう見直して良いかわからない」などという本が入っているのは謎だが、一方でこれは当時の(そして今の)日本の、良心的にはちがいないが今にして思えばおめでたい左翼知識人、ひいてはそのお先棒を担いでいた岩波書店が置かれた状況をよくあらわしている。かれらはずっと社会主義毛沢東を絶対的な正義として掲げてきて、その評価が変わってしまったときに、どう対応していいかわからなくなっている。そのうろたえぶりを、本書は素直に伝えているといえなくもない。その意味では、その戸惑いぶりを見るために一読する価値はあるかもしれない。が、一読だけ。そして読んでも、毛沢東については何もわかりません。日本の左翼知識人の混乱ぶりに興味がある方だけどうぞ。

文化大革命翼賛文書, 2010/5/16

中国の女たち (アジア文化叢書)

中国の女たち (アジア文化叢書)

クリステヴァ中国共産党の手配で、文革末期の1974年に中国を二週間ほど訪れた。そのときの感想文が本書。二週間のパック旅行(それもかなり駆け足で各地をまわっている)ではろくなものが見られなかったようだ。話を聞いた相手はすべて、共産党の(当時の)公式見解しか語っていない。それは当時ですら明らかだったはずなんだけれど、クリステヴァはそれをまったく指摘できず、そのまま垂れ流し、要するに文革の提灯持ちに堕しているだけ。それでも分量が足りず、半分以上はマルセル・グラネの受け売りで昔の中国における女性の話をしたり、共産党初期の女性党員の話をしたりだが、いずれも聞きかじりレベル。

そして最終的には、共産革命が中国古来の男性重視家父長制を打ち破ろうとしていたとか、文革で女性の地位はかつてないほど向上とか、紅衛兵たちは親たちの劉少奇的な反動主義を打ち破ってさらに前進しようとしているとか、林彪がのさばっていたらひどいことになったとか、共産党プロパガンダをそのまま繰り返し、「中国においては《神》のない、また《男》のない社会主義を目指す道が選ばれている」などと結論づける。

要するに、小難しい言葉で中国と文革の翼賛をやっているだけなのだ。当時のゴダールの映画やヴォネガット作品なんかを見てもわかるとおり、当時はおそらく先進知識人の間では文革を持ち上げるのが流行っていたようだ。彼女はその流行に安易に乗っていただけというのがよくわかる。そしてかつて日本の一九八〇年代末のニューアカデミズムはそれを見抜けず、本書を「異邦の女のまなざし」などと持ち上げていたけれど、いま読むとひたすら悲しく情けないだけの無内容な本。

支離滅裂で大躍進の意味すら理解できていない悲惨な本, 2010/5/15

毛沢東 (岩波新書)

毛沢東 (岩波新書)

著者は毛沢東関連資料の研究で名高く、一般向け毛沢東解説書の書き手としては適任、と思ってしまうのが人情。それだけに、本書の惨状には目を疑った。

著者は毛沢東の著作に基づいてあれこれ論を展開するが、古典文芸的うんちくに終始。発言内容と現実との対比がほとんど行われず、毛沢東著作から聞こえのいい建前論ばかりを抽出して散漫な記述が展開されるうえ、意味もなく著者の卑近な身辺雑記でお茶が濁されるのには閉口する。

そして信じがたいことに、著者は大躍進の偽装を1989年の時点でまったく見破れずにいる。1958年にどこぞの村に招かれ、石炭を地面に広げて燃やしてコークスを作るとか(そんなやり方でコークスができるもんか!)、子供が上にすわれるほど高密に植わった稲(ありえん)を見せられるが、一切疑問を呈することなく鵜呑みにする(pp.98-100)。それこそまさに、大躍進で毛沢東の追従に使われた偽装そのものなのに! そしてかれはこれにより、鉄鋼や穀物の生産高が実際に上がったと主張するのだ。その統計自体がごまかしなのだということも、1989年の時点でわかっていないとは!

さらに毛沢東は、常に言うことがぶれまくる。まず思いつきで勝手な方向性を唱え、その実現努力が足りないといっては人々を粛清し、思った通りの結果が出ないと粛清し、最後には行き過ぎだと言って粛清する。ところが著者は、これがぶれていないという。ぶれない中心があって、そのまわりでますます大きな円が描かれているだけ、なんだそうだ(p.194)。こうした空疎なレトリックで、毛の方針を「ぶれていない」と強弁し、毛沢東の欠点をひたすら言い逃れた、ごまかしに満ちた一冊。もはや岩波文化などに幻想は持っていないつもりだったが、ここまでひどいとは。

毛はヒーローとして美化されすぎているが、それ以外はかなりきちんとしていて有益。, 2010/5/11

劇画毛沢東伝

劇画毛沢東伝

毛沢東の前半生の伝記。冒頭が中華人民共和国誕生で、そこから回想になり、毛沢東の誕生から主席になるまでの生涯が語られる。文化大革命や大躍進は描かれていない。

他のレビューを読んで、いまではあり得ないすごい歪曲された内容なのかと思っていたが、実際に見てみるとその記述は現在の中国の、公式的な毛沢東像ほぼそのもの。金 冲及の『毛毛沢東伝(1893‐1949)〈上〉』と何ら変わらない内容となっている。ドラマチックな誇張はあるし、廬定橋の戦いなどもくどいくらい派手に描かれてはいる。でも、過去の毛沢東像として片づけられるものではない。

むろん、毛沢東をかっこよくヒーローとして描こうとするものなので、かれの悪いところや粛清や陰謀はまったく出てこない。毛は常に清く正しい正義の味方で純粋で人民に尽くす存在だ。でも劇画ですしぃ。それさえ承知して、主人公が美化されていることを念頭においていれば、決して悪い伝記ではない。重要な事件も一通りおさえてあるし、毛の共産党時代のライバルなどもしっかり描かれている。岩波新書の竹内実『毛沢東 (岩波新書)』や小田実毛沢東 20世紀思想家文庫 15』のような、文革時代の評価に戸惑って支離滅裂になった代物を読むよりもまとまった理解は得やすいのではないか。

都合の悪いことはすべて歪曲抹消され、あまりに偏っている。, 2010/5/7

毛沢東伝(1893‐1949)〈上〉

毛沢東伝(1893‐1949)〈上〉

執筆陣は、中共中央文献室であり、したがって中国共産党の資料を縦横に駆使して詳細に書かれた伝記であるのは確か。だがその一方で、本書は中国の毛沢東に関する公式プロパガンダの一環でもある。毛沢東に対する中国の公式な立場は、前半生は立派だったが後半生では大躍進や文革など、まちがいもありました、というもの。本書はその前半生までの伝記なので、毛沢東はとにかくひたすら人格者、清廉潔白で人民のことを常に考え、理論的にも軍事的にも卓越し、常に正しく絶対無謬な存在として描かれる。

 しかしながら、実際の毛沢東はそんな聖人君子ではなかったし、当時の中国や共産党はそんなおきれいなお題目だけで話が進むほど甘いところではなかった。毛沢東はライバルを蹴落とすためにすさまじくエグい粛清や虐殺を大量に繰り広げている。ところが、本書はそれを全然描かない。たとえば後の文革につながる知識人粛清活動である、延安整風運動では、自分に対する批判者を難癖つけてつるし上げて粛清しまくった。ところが本書では、それは単なる理論偏重批判だったことにされ、行きすぎはあったが、それはすべて康生の勇み足に責任転嫁されている。そして数万人規模の大粛清となった、でっちあげのAB団なるスパイ組織を口実にした富田事件については、何と一言の記述すらせず、なかったことになっているという悪質さ。

 各種の細部については、類書の及ばない詳細な記述があり、参考文献にはなるが、全体的な記述は公式見解にしてもあまりに歪曲がひどく、伝記としては評価しがたい。

毛沢東のよいところだけ見るプロパガンダ。訳者の解説も変。, 2010/5/7

毛沢東伝(1893‐1949)〈下〉

毛沢東伝(1893‐1949)〈下〉

この伝記は1949年の中華人民共和国成立までの話しか扱っておらず、伝記としてはぜんぜん完結していないことに注意。その後、本国では 2003 年に 1976 年までの後半の伝記が出ているが、邦訳は 2010 年時点では未刊。

 毛沢東伝(1893‐1949)〈上〉上巻のレビューに書いたように、本書は中国の公式プロパガンダの一環としての毛沢東像であり、かれに都合の悪いことは一切書かれない。上巻ではAB団/富田事件が抹消されていたが、下巻では整風運動が二章かけて記述される。だが、そこでも批判粛清拷問その他は他の人がやって、毛沢東は最後にその行きすぎをたしなめただけのような記述になっている。

 また下巻は訳者が解説でひたすら本書の提灯持ちに終始し、いまの中国繁栄をもたらした鄧小平的な資本主義路線が、実は毛沢東の前半生の思想の継続なのだという我田引水が行われている。自分の努力と才覚で豊かになった各地の地主たち(毛の父親のような)や商人を粛清し、その財産をばらまくことで支持を得てきた毛沢東の初期の思想が現在の中国の資本主義と同じだという議論は、あまりに苦しい。ついでに本書は中央委員会全体会議(いわゆる中全会)を中央総会と書き、中全会のかわりに中総会、三中全のかわりに三中総と書いているので、最初のうちはかなり戸惑う。ただしこれは当時比較的よく見られた表記らしい(毛沢東側近回想録でも採用されている)

リスクという考え方を中心にしたよいエッセイ集, 2010/2/3

リスクの正体!-賢いリスクとのつきあい方 (木星叢書)

リスクの正体!-賢いリスクとのつきあい方 (木星叢書)

リスクについての系統だった解説ではないものの、一般の人が持っているリスクをめぐる各種の誤解をわかりやすいエッセイで説明する。たとえばリスクはひたすらなくすもので、ゼロにしなくてはならないというまぬけな誤解をきちんと批判し、わかんないことはわかんないので、リスクゼロなんてあり得ない、等々。

そしてむしろリスクを活用する方法、リスクと共存する考え方などを、結構上手に解説し、ところどころ株のチャート式予想屋をいじってみたり、なかなかおもしろおかしい、楽しい本にしあがっている。

主張そのものに怪しげなところは一切なく、知っている人なら常識そのもの(同時に、それが世間に理解されていないことも常識)なので、読みながら深くうなずける。知らない人は……説明されてもなかなか腑に落ちない場合が多いので、本書を読んで納得してもらえるかはわからないのだけれど、でもどういう考え方が展開されているのかは十分にわかるだろうし、いつの日かはたと気がつくこともあるでしょう。

一点だけ。冒頭に

「一つの怪物が、日本を俳諧している。——「リスク」という怪物が。

 右の文章はもちろんカール・マルクスの有名な『資本論』の冒頭の一節をもじったものだが(後略)」

なる一文がある。ちげーよ。それ、「共産党宣言」ですから。この分、星引いときます。