ジャット『失われた二〇世紀』:巧みで味わい深いが、初出時点で完結してしまっている印象強し。

失われた二〇世紀〈上〉

失われた二〇世紀〈上〉

うーん、むずかしいなあ。

本書は、20世紀は知識人(それも左翼系知識人)の時代で、それがいまやいなくなったという。まあそうかもしれない。が……全体にその知識人の役割という話は希薄。時評・歴史に題材をとったエッセイ集と言うしかないと思う。

上巻は、各種の知識人の伝記に対する著者の書評。アーサー・ケストラー、プリーモ・レヴィ、ハンナ・アーレントルイ・アルチュセールアルベール・カミュ、あまり聞いたことのない何人か、エドワード・サイード

さて、ケストラーなんてすでに読む価値ないし、その伝記なんかなおさら読む必要はなく、それについての書評なんて本来ならさらに読まなくていい感じ。でも本書の書評は、ケストラー(あるいはその他)についての評価(そしてその人が立派な知識人扱いされた時代についての評価)をたくさん含んでいて、実に勉強になる。その意味で、その本の付属物に留まらないきわめて優れた書評なのはまちがいないんだが……やっぱどうしても指摘せざるを得ないこと:勉強してどうするね? その他すべてそんな感じ。左翼が左翼であるだけで立派な知識人ヅラできた時代があった――それ以上の話を本書から読み取るのは難しい。

稲葉振一郎が匂わせているように、いちばん面白いのはルイ・アルチュセール(の自伝)についての文章(なんと翻訳されてんのか!)。アルチュセールは、マルクスを精読してその根源的な意義をウダウダ、とニューアカ時代に浅田彰が喧伝していたものだけれど、この書評では、そういう見方が一撃で破壊されて実に壮快。そしてそういうものがなぜ当時もてはやされたのかについての分析も巧み。ついでに、アルチュセールってキチガイで奥さん殺したの!?! 知らなかった。これを読むだけで、もはやアルチュセールに現代的意義がないことはじゅうぶんわかり、非常に有益。

一方この文脈で、なぜサイードがえらく誉められているのかは不明。パレスチナ出身を詐称し(おばさんの家にしょっちゅう行っていた、というのは出身を名乗るに値しないと思う)、西洋向け知識人に英語でのみ書いていたサイードは、本書の上巻で扱われた他の思想的ファッションにより台頭してその後忘れられた知識人とあまり変わらないと思うんだけど。

失われた二〇世紀〈下〉

失われた二〇世紀〈下〉

そして下巻は歴史的なエッセイ。キューバ危機のケネディの対応とかブレア政権についての厳しい評価。全体に機知に富んでいるし、「国家なき国家:ベルギーがなぜ重要なのか」の終わり方とか、実に決め方もうまい。でも……

全体に、この人が想定している読者はぼくたち日本人ではないな、という気がする。上巻で書評されている各種の本が、そもそも日本では翻訳されておらず読めない。後半の時評も、やっぱり想定読者はイギリスの読者。グローバリゼーションやパレスチナ問題云々と帯にはあるが、著者の関心はそれがイギリス人(そしてヨーロッパの読者)にとって持つ意味合いなんだという印象。そしてまた、エッセイ集として仕方ないことなんだが、せっかく一冊にまとまりながら本書はまとまった提言なり結論なりが出せない。結びの「よみがえった社会問題」でも、目新しいことは言えていない。エッセイや短い記事にありがちな「こうした課題をわれわれは今後真摯に考える必要がある」という(実は何も言ってない)まとめに近いものだ。

どのエッセイも洞察は鋭く、書き方は巧妙で機知にあふれ、実にうまくまとまっていはいる。そこにこめられた、マルクス主義の興亡(というより左翼の興亡)に対する批判的なノスタルジーとペーソスに満ちた味わいも、とっても素敵。これを雑誌や新聞で読んだら、本当に感動しただろう。でも、うまい分だけ、その初出時点で完結してしまっていて、時間の経過に耐えられない感じ。単行本になったとき、そのテーマがうまくまとまっただけでは足りない。まとまらず、次の部分につないでくれたほうが本としての流れもでるんだよね。そして本全体としてもまとめるだけで終わらずそこから一歩、その先を与えてくれないと。それを望むのはぜいたくかもしれないんだけれど、本書の見事な洞察やまとめを見ると、ぼくはそう思う。まとめはうまいけれど、それだけで終わってしまっては……いやそういうのも必ずしもフェアじゃないかな。少し提言はある。でもそれは、その回顧部分(現題通りの Reappraisals) の立派さに比べてあまりに慎ましくおずおずした感じで、印象に残りにくい。帯にある「道徳的な記憶の回廊」をうろうろするだけでは、積極的に読むようにお奨めすることはむずかしい。と言いつつ、読んで決して損をする本ではないし、上手で知的な時評と書評(辛辣に罵倒しつつもぼくより上品)を読みたい人は是非読んでほしいんだけど。

コメント

これ、実はぼくは書評候補本の入札で落選していて、だれか他の人が書評権を持っている。だからひょっとしたら、その人が紙面で書評してくれるかもしれない……と思ったらキョウ尚中が書評をしている……が、ぼくにはあまりいい書評とは思えない。前半の知識人が輝いている? いやむしろ、なぜかれらが輝きを失ったか、というのが前半の主眼なのに。後半についても、自由の問題はそんなに中心的なものではないのだが。かなり偏った、いろんな意味でアンフェアな書評だと思う。



クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.