ストーレンハーグ『エレクトリック・ステイト』拙訳についての論難は不当だと思うのです。

Executive Summary

 シモン・ストーレンハーグ『エレクトリック・ステイト』の山形の翻訳について、アマゾンレビューで悪口が出ているけれど、山形自身は不当だと思う。その主張と山形の言い分は以下の通り。

  • 話者が二人いるのを、一人だと誤解している! → まさか。一人称を見なさい。訳し分けてます。原文でもその差は、内容で判断するしかないんです。
  • それをごまかすため重要な一文をわざとぬかした! → ぬかしてません。原著にはバージョンが二つあります。その差です。
  • そのもう一人の話者は絵に出てくる男なのだ!→ その解釈は明らかにまちがっています。山形が正しいかどうかは、続編 and/or 映画をお楽しみに!
  • 2刷りから、削除された文章がこっそり追加されているのに他の部分がそのままだ!→ 文章の追加は原著者の意向を確認した結果です。他の部分はまちがっていないので修正の必要がないのです。


The Electric State by Simon Stalenhag – Animated

はじめに

 先日訳した、シモン・ストーレンハーグ『エレクトリック・ステイト』、おかげさまをもちまして大変好評をいただいており、訳者としてはありがたい限りです。ちなみにこの翻訳は買取制でして、好評だろうと不評だろうとぼくの懐にはまったく関係ないのですが、それでも関わった本が売れるのは嬉しいものです。

エレクトリック・ステイト  THE ELECTRIC STATE

エレクトリック・ステイト THE ELECTRIC STATE

 が、アマゾンでの評判を見ますと、この山形の翻訳がよくない、というコメントがいろいろ見られます。もちろんあらゆる人を満足させるのは不可能であり、また批判は批判として真摯に受け止めねばなりません*1。中でも目につくのが、特に具体的な形で、山形の翻訳がまちがっており、それを隠蔽するために原文の改変削除までしているというきわめて厳しい糾弾を行っている、VARCO氏のレビューです。

SFグラフィックノベルの傑作だが翻訳に欠陥 : (スクリーンショット)

 おそらく多くの方は、上のリンクをわざわざ読む手間はかけないと思いますので、そこでの主張を整理しておくと、次の4点となります。

 

  1. 山形は話者が二人いるのを、一人だと誤解している!
  2. それをごまかすため重要な一文をわざとぬかした!
  3. そのもう一人の話者は男なのだ! 山形はそれを女の子だと思って訳している!
  4. 2刷りから、削除された文章が追加されているのに他は放置していて不誠実!

 

 さて、ご批判はたいへんありがたいのですが、この4点いずれも、読み違えと誤解に基づくものだとぼくは考えます。そのそれぞれについて、以下に説明をしましょう。が、その前に……

1. 本書のあらすじ

 本書は、何か大きな戦争後20年前後たったアメリカ (パシフィカ) を舞台に展開します。その戦争はドローンを使って戦われ、その操縦のために操縦者の神経系をドローンに直結させる仕組みが開発され、そしてそれが戦後にエンターテイメント用途に転用され、VRをさらに没入させた、ニューロキャスターなるものが一世を風靡し、世界はそのための巨大ネットワークインフラが乱立。戦争の巨大兵器残骸とともに、風景は一変します。やがて、神経系をVR界に直結させて没入する人が増えるにつれ、その世界に完全に中毒し、もはや離れられなくなる人々が増加し、次第に現実世界は放棄され、荒廃に任される一方で、ネットワーク経由で接続された無数の人々の神経系が、どうもある大きな集合意識を創発させているようにも思えます。

 主人公の少女ミシェルは、その世界の中で、弟がニューロキャスター経由で遠隔操縦するロボットと共に、荒廃したアメリカを車で横断してゆきます(白地のページ)。そしてその一方で、その世界の成り立ちについて、黒地のページで何者かが「ウォルター」に自分の思い出を交えて語ります。やがてその両者が交錯し……

 本書は、こうした世界観を鮮烈なグラフィックで描き出す……というより、もともとこのグラフィックの連作があり、そしてそこから作品を選び出しつつ、その背景となる物語が書かれたものです。本書に収録されていないものも含め、以下にそのいくつかを挙げましょう。

f:id:wlj-Friday:20190728015619j:plain

 現代のアメリカ地方部や郊外部の日常に、そのニューロキャスターのネットワークが生み出した巨大インフラが重なり合う異様なグラフィックが、単なる思いつきではなく、確固たる詳細な構想を背景として描かれていることがよくわかります。

2. 批判 1:「山形は話者が二人いるのを、一人だと誤解している!」について

 さて、VARCO氏の批判の第一点は、山形は、白地の部分と黒地のページの話者がちがうことに気がつかず、同じ人間 (主人公の女の子) の語りとして訳してしまっている、というものです。

 さすがにそれはない。ティーンの子がかなり前の戦争に従軍していたとかいう場面が出てきたら、普通の訳者なら気がつきます(山形が普通の訳者か、という問題はいろんな意味でありますが)。

 それが証拠に、山形はその両者をちゃんと訳し分けています。まずいちばん明らかなこととして、このそれぞれの一人称を見ると、ちがっています(どうちがうかは、実際にご覧になってください。2刷りでは、これをもう少し明確にすべく追加で修正しています)。そして、その語り口も、そこそこ変えてあります。語り口の区別がつかなかったというのは残念なことでが、その差を読み取れた人もいます。たとえば以下の、おたんちん氏による批判レビューです。

クソ翻訳

 おたんちん氏は、一部の部分の語り口がなっていない、と憤っています。そしてまさに、黒地部分の文章を引用して、こう批判します。「百歩譲って、ティーンの女の子のモノローグですよ?」

 はい、十代の、高校中退の女の子は、こんなしゃべり方はしないでしょう。それはまさに、そこはティーンの女の子のモノローグではないから、なのです。おたんちん氏は、VARCO氏とはちがい、この二つの部分の語調が翻訳でもある程度ちがうことは読み取ってくれています。逆に、それを無理に同じ人間だと思い込んでしまったために、山形訳がクソだという結論に達しています。

 そしてもう一つ重要な点として、原文も別にそんな露骨に文体がちがうような書き分けはされていないということです。原文でも、内容から推測するしかないのです。

3. 批判 2:「山形は、自分の翻訳のまずさをごまかすために、故意にある一文を削除している」について

 VARCO氏のレビューを読んでいて、ぼくがいちばん慌てたのはここのところです。「あいつらを見つけた、ウォルター、もうすぐ終わる」という原文の一文がぬけており、それは語り手が一人だと思ってしまった山形が、つじつまをあわせるためにわざと削除した可能性さえある、というのがそこでの主張です。己の無能をごまかすため、わざと翻訳をきず物にしたと言われると、さすがに見すごすわけにはいきません。

 当然、即座に作者から送られてきたファイルや、出版社からのハードカバー原著を見ました。が……そんな文章はありません。だから最初は、何かの勘違いだろうと思ったほどです。しかしファン掲示板で、それに類する一節への言及があり、いささか賦に落ちないので少し調べたところ、事情がわかってきました。実はこの本、2種類のバージョンがあるのです。

 本書は、当初はクラウドファンディングにより出版されました (2017)。以下の本で、これが山形の手元にある原著です。

Electric State クラウドファンディング版
Electric State クラウドファンディング

 そしてそのクラウドファンディング版が好評だったため、商業版が出ました (2018)。それが次のバージョンです。

The Electric State

The Electric State

 この両者、いちばん明らかな部分としては表紙に使われている絵がちがいます。また、クラウドファンディング版の巻末にある、サポーター一覧への謝辞は商業版にはありません。

 そして本文は、ほぼ同じなのですが、唯一大きくちがうのが、その問題の一文です。クラウドファンディング版にはこれがありません。その後の商業版で追加されています。

f:id:wlj-Friday:20190728151837p:plainf:id:wlj-Friday:20190728151916p:plain
該当ページ対比。最初がクラファン版、後者が加筆のある商業版

 山形は、巻末にサポーター一覧があることからもわかるように、クラウドファンディング版をもとに翻訳を行っています。このため、その問題の一文は邦訳の初刷には含まれていないのです。

 邦訳版の初刷りに、その下りが含まれていなかったのは、このように元にしたバージョンのちがいによるものです。決して山形や日本の関係者が勝手に削除したものではありません。この点については、是非ともご理解ください。

4. 批判 3:「黒地部分の話者は男である」について

 さて、黒地部分は白地部分と話者がちがうことはわかっていた、という説明をいたしました。だから邦訳で両者の語り口をもっと露骨にちがったものとする手もありました。しかしながら、原文(といってもこれは、スウェーデン語版を英訳したものとなりますが)は、必ずしも明確にちがった語り口にはなっていません。だいたい、英語では一人称は全部「I」です。男とか女とか、若いとか年寄りとか、中身で判断する以外にないんです。ぼくも最初に訳していて、「あれ、なぜこの子がこんな昔の話を知ってるんだ?」と思い、それが別人だと理解するまでに少しかかりました。原文であまり語り口に差がないものを、必要以上に誇張するのは、ぼくは翻訳として適切ではないと思っています。ここはもちろん、人によって考え方はちがうとは思いますが。

 でもVARCO氏は、その差がもっと顕著なものだと述べます。具体的には、その黒地部分を語っているのは男だと断言しています。

 この指摘を受けて、あらためて原文を読み返してみましたが、まずこの本には、この黒地の話者が現在はどういう立場にいる何者なのかについて一切説明がありません。そして男性がそれを語っていると断言できる材料は、一切ありません。ぼくは語り口から、これが女性だと思って訳していました。本書で言及されている女性は、主人公のミシェル以外に、そのお母さんがいるので、そのお母さんである可能性もあるとは思っていましたが、これも断言できません。でも女性であるとは思っていました。

 ではなぜVARCO氏は、それが男性だと断言しているのでしょうか? それは、その語り手が絵の中に登場している、とVARCO氏が考えているからです。こんなふうにご指摘いただいています。

「そのページの絵には常に語り手の男の乗っている赤い車や、男の姿をはっきり描いている」

「語り手の男」?? ストーレンハーグ『エレクトリックステイト』より
「語り手の男」??

 なるほど、こうした絵ですね。確かにこの絵に描かれているのは男性です。が……

 残念ながら、この解釈は明らかにまちがいです。この絵に登場する男は、語り手ではありません。この人は、その語り手が語りかけている相手、ウォルターなのです。そして、それをはっきり示しているのが、まさにVARCO氏が問題にしている一文です。原文はこうです。

You're almost upon them, Walter. It is almost over.

 主人公ミシェルとその弟に迫っているのは、”You" であるウォルターなのです。語り手ではありません。VARCO氏はこれを「あいつらを見つけた、ウォルター、もうすぐ終わる」と訳されていますが、これは誤りです。「あなた=ウォルター」が、二人に追いつく寸前まできているのです*2。語り手は、どうもどこかから(『24』のクロエみたいに) ミシェルと弟、およびウォルターの動きをモニタリングして、ウォルターに指示を出しているようなのです。

 語り手とウォルターは、何か共通の狙いがあるようで、主人公の二人を追っているのはそのためのようです。が、それが具体的に何なのかは、本書でははっきりしません。でも、実際に物理的に「upon them」なのはウォルター一人なのです。この数ページ後に、ウォルターは拳銃を抜いて主人公二人がいる家に迫ります。おそらくウォルターがあちこちの場面で、ニューロキャスターをかぶっているは、それを通じてこの語り手から、このモノローグを(どこか離れた場所から)聞かされているのでしょう。

 では、その「語り手」は男性なのか、女性なのか? (最近はここに、「ノンバイナリーLGBTなのか?」とか入れなきゃいけないんですか?) それについては、ここでは申しますまい。ただ、このシリーズの絵は本書に収録された以外のものもたくさんあり、その中に出てくる人物がそれなのかな、とも思えます。いずれにしても、本書の世界は今後も広がり、映画化も予定されています。その中で、これについてはおのずと明らかになるかと存じます。お楽しみに!

5. 批判 4:「山形は批判を受けてそれをごまかすために、2刷で削っていた文をこっそり復活させたくせに、他の部分はそのまま!」について

 山形が問題の文を、故意に削ったわけではないことは、すでに説明した通りです。

 が、実はこの一文、かなり決定的なものです。これがないと、この話者と、その人物が話しかけているウォルターという人物が、主人公ミシェルとその弟を積極的に追いかけているということを示すものは一切ありません。黒地の話者は、ミシェルたちとはまったく関係なく、この世界の時代背景をウォルターなる人物に対してモノローグしているだけに読めます。いったいなぜ、その人がここでクローズアップされてモノローグしているのかは、この一文がないと明確にはわからないのです。

 また黒地ページの絵にしばしば登場する、Yシャツとネクタイ姿でニューロキャスターをかけている人物 (VARCO氏が語り手だと思った男) がウォルターだということについても、決定的な材料はありません。そもそもあちこちに出てくるこのYシャツの男が同じ人物かどうかもわかりません。この世界ではどうもほとんどの人間はニューロキャスター中毒なので、そういう連中が何人か描かれているだけ、とも読めます。この一文があるから、黒地の語り手がこの二人と何らかの関係があり、またYシャツの男が主人公の二人を追っているウォルターなのだ、というのがようやくはっきりわかるようになります。

 で、これを追加したほうがいいかどうかを著者に確認したところ、追加したいという意向がありました。2刷り以降で、商業版にしかない一文を追加したのはそのせいです。これがなくても、クラウドファンディング版の翻訳としてはまったく問題ないのですが、あったほうが読者には親切だろうと判断してのことです。もちろん、それを余計なお世話だと思う向きもいらっしゃるでしょうが……

 その他のご批判の部分 (黒地の語り手が男だとか) は、上で述べたとおり、誤解ですので直しておりません。そういうことです。

6. おわりに

 VARCO氏は明らかに、ストーレンハーグの絵に深い感銘を受け、原著まで入手の上で対比させ、そしてそれが適切に訳されていないと思ったからこそ、あのような辛辣なレビューを投稿されたようです。そうした読者を得たストーレンハーグ氏は実にアーティスト冥利に尽きると思います。

 そうした強い思い入れがあればこそ、抜けているように見えた一文に気がつかれたわけです。ぼくも、VARCO氏にご指摘いただくまで、その一文の存在については気がついておりませんでした。これについては、深くお礼を申し上げます。ありがとうございます。

 おそらく、その一文を今一度読み返していただき、絵と対比させて考えていただければ、黒地の語り手が男だとは必ずしも言えないこと、ましてそれが絵に出ている男ではないことは、ご理解いただけるかと思います。そこまで行かず、山形訳についての評価や話者についての解釈が変わらなくても、少なくとも本書にちがったバージョンが存在し、初刷での脱落に見えるものは、そのバージョンちがいの反映であって、決して脱落などではなく、まして悪質な隠蔽工作などでないことだけは、ご理解いただければと存知ます。そしていつか、本書の続編が出たときに、山形が決してデタラメを言っていたわけではないのかもしれないということも、思い浮かべていただければ幸いです。

 

 ……というようなことを山形が書いている、ということをどなたかアマゾンのVARCOレビューのコメントに貼ってあげてくださいな。山形はアマゾンレビューに書き込めないもので。(早速 studio-rain 氏がやってくれた。ありがとう! いまはレビューにurl 貼れるんだ! また捨て垢とおぼしきaaaa氏も、要約つきでやってくれました。ありがとう!)

cruel.hatenablog.com

*1:もちろん実際にはぼくはこんなことは思っていない。ぼくの翻訳が読みにくいとかわかりにくいとか言うやつは、山形になんだか恨みを抱いていてなんでもかんでも悪口を言わねば気が済まない人か、「だが/しかし」ではなく「でも」を使っただけで文章が読めなくなるとかいう連中を皮切りに、何やら難読症の面妖なバージョンに捕らわれているか、そもそも読んで理解できないものが高尚だと信じ込んでいて、理解できてしまうのがこわい連中だと思っている。でも、こういうことを書いておくと、謙虚でいい人に見えるでしょうに。

*2:それは山形の勝手な理解だという人もいるでしょうが、実はこれ、作者に確認済みです。ぼくのほうが当然ながら正しいのです。