統計の不備と、各種統計の「相関」の話

Executive Summary

統計の信頼性について疑問を呈した柳下毅一郎のツイートを、山形は一蹴した。が、その後勤労統計の集計方法の不備が露見した。ここから、この統計は捏造であり、それが相関しているならすべての統計が捏造だ、という極論を述べたブログが出た。しかし統計は、一かゼロか、完璧かすべて捏造か、というものではない。またその相互の関係も、機械的な関係があるということではない。信頼性の非常に広い幅の中で上下するだけなので、実際にどんな不備があってどのくらい影響を及ぼすのかを具体的に考えないと、妥当性のない陰謀論に流れてしまうだけだ。

はじめに

しばらく前に、柳下毅一郎がこんなツイートをした。

ぼくはそれに対して、こうリプライした。

ところが最近になって、ご存じの通り勤労統計の調査・集計方法に不備があったことが判明した。そして、それを受けて次のようなブログ記述が登場した。

d.hatena.ne.jp

柳下が疑問を呈したことが裏付けられた、というわけね。そして山形はまちがった統計を絶対視していてバカだね、そうでなければ統計全体が共謀して操作されていて大問題だね、というわけだ。

さてこれは困った代物だとぼくは思う。一かゼロかの非常に極端な見方をしているせいで、非常におかしな極論になってしまっている。それをここで、少し説明しよう。

まずは法華狼の主張を簡単に整理しよう。それは概ね、二つの部分に分かれる。

Part1: 「統計集計に不備があったので捏造だ!」

  • 柳下毅一郎は、統計を疑問視した。
  • そして実際に統計集計に不備が見つかったから、統計はまちがった捏造である。
  • よって柳下が正しかった。

Part2: 「統計は相関しているので全統計が捏造だ!」

  • 山形は、統計が相互に関連しているから絶対に正しいと述べた
  • でも実際には正しくなかった
  • よって、山形はバカだった。あるいは、山形が正しいなら相関している統計すべてがおかしい!!??

さて、これに類似した疑問について、ぼくはその後以下のようなツイートをした。

今回の記述は、これを一歩も出るものではないけれど、法華狼を含め、これが何を言っているのかわからなかった人もいるようだ。だから、長々と詳しく説明しよう。ぼくがこのツイートで書いたことを、「あたりまえじゃん」と思う人は、この先を読む必要はまったくない。

前提:統計はそもそも「絶対」はない

まずこの法華狼のブログ記述で、ぼくが統計を絶対視している、という題名には面食らった。統計が「絶対」というのが、そもそも意味不明だからだ。

簡単な例を見よう。日本の人口統計を見るなら、国勢調査が基本だ。でも、五年に一回しか行われない。それ以外に人口のデータとしては、住民基本台帳がある。各自治体の住民票を元に、その人口を出すものだ。これは毎年(いやもっと頻繁にでも)出せるから便利だ。でも、住民票は引っ越しても移さない人も多い。実際には住んでいない人が計上されたりする。だから精度は低い。実際、両者は一致しない。

ではこれは、国勢調査の人口が絶対であり、住民基本調査の人口データはまったくの捏造で使えないということか? もちろんそんなことはない。

まず国勢調査だって完璧なわけがない。国勢調査は、みんなへのアンケート調査だ。答えない人もいる。ウソを書く人もいる。以前オーストラリアでは、確か国勢調査の「宗教」の欄に「ジェダイ」と答えるという遊びが流行して、国民の相当数がジェダイ信徒、という結果になったことがあったはず*1

そして住民基本台帳ベースの人口は毎年(いやもっと)出る。年ごとの計画を作るならこのデータは無視できない。すると、実際の分析では、五年ごとに国勢調査の数字を使いつつ、その間の動きは住民基本台帳ベースの増加率を元にして補間する、なんてやりかたがある。遺漏があって絶対水準は少し怪しくても、その遺漏に一貫性があると想定できるなら、変化率はある程度信用できるはずだからだ。

そしていまのでわかるように、よいとかダメとかよいとかいうのも、すさまじく幅がある。山形は途上国援助が仕事なので、途上国の統計を山ほど見るけれど、まあピンキリだ。そしてトルストイナボコフではないけれど、よい統計はみな同じような形でよいけれど、ダメな統計は実に個性豊か。単純に能力不足だったり、そもそも調査しようがなかったり(識字率の低いところでは日本の国勢調査みたいなことはできない)、あるいは明らかに数字を作っていたり、場合によっては数字にあわせて現実を操作したり。

だから統計というのはそもそも、絶対的に信用できるものなんかではない。それぞれの統計を少しいじってみて、それをもとに絶対数まで信用できそうだなとか、それは無理だが変化率くらいは参考になる、各年ではノイズが多すぎるが五年平均くらいで見ればなんとか使える、変化率もあやしいが、符号くらいは何とか、というのをまずは見極める必要が出てくる。

そういうのを日常的にやっていると、そもそも「統計を絶対視」とかいう発想自体がないのだ。だいたい統計学というのはまさに、完全な情報がないところで信頼性をどう考えるか、という話なのだもの。

そして、その中でほぼ確実に言えること:

個人の勝手な印象<<(越えられない壁)<<ダメな統計<<優れた統計

Part1:労働統計の不備は、それがまったくの捏造だということか?

法華狼は、何か統計の集計(そしてその補正)に不備があった、というのを見て、つまりその統計がまったくの捏造だ、という結論にとびついた。

でも、上の「統計に絶対はない」という話がわかれば、そういうものではないことはわかるはずだ。完全に信頼できるか、まったく出鱈目かの1かゼロじゃないのだ。統計の信頼度には大きな幅がある。だから、統計に不備があったというだけで、「だから信用できない」という話にはならない。信用のほうにだって大きな幅があるのだ。どんな不備があって、結果がどう歪んだのか、というのを見ないで、不備だ捏造だ、と騒ぐのはまったくのピントはずれだ。

今回何がおかしかったかといえば、発端は全数調査であるはずのものが、三分の一ほどのサンプリング調査になっていた、ということだ。これはもちろん、よくないことだ。でもそれは、その結果がまったく捏造ということではない。サンプリング調査で十分な信頼性はだせる。ただもちろん「十分な」というのが、何に十分なのか、というのは使う人がきちんと考える必要がある。そのために、標本抽出理論というものがあるわけだ。

さらにその後、それに加える補正がおかしかった、という話も出てきている。標本調査なのをごまかそうとしてそれを三倍したりしてたとかいう話も伝わっている。はい、これも困ったことだ。厚労省、呆れたね。そしてその調査の資料を捨てていたという話に到っては、悪質にもほどがある。

が、それでも一応は調査は行われ、それに基づいた集計が行われている。まったんくの出鱈目ではない。補正する作業も進んでいるし、またその原因は人と予算が足りないことだったのも見えているので、まず何よりも統計専門の人を増やし、予算をつけないといけない。以前に比べて信頼性は下がったのは否定できない。でもそれは、100%だった信頼性が0になったという話ではない。

以上で、法華狼の主張の最初の部分は妥当性がないことが示せたと思う。統計に不備があったのは事実。でも、それがまったくの捏造だったということではない。

Part2:山形はすべての統計が相関しているので絶対だと述べたか? 一つ統計がねつ造されたらすべての統計はねつ造か?

法華狼の主張によれば、山形はすべての統計が連動しているから捏造はあり得ない、絶対なのだと言ったけど、でも実際に捏造されていた、すると連動しているはずの他の統計すべて捏造かもしれない、という。

これは、上と同じで、物事をあまりに機械的に理解しすぎている。そしてその結果として、なんだかあらゆるものが操作されているという変な陰謀論に堕している。

まず、今回の統計調査の不備がまったくの捏造とはちがう、というのは理解していただけたことを願いたい。したがって、そもそもこの理屈は成り立っていない。そもそも統計に「絶対」があるなんて、ぼくは思ってはいないのも前述のとおり。

さらに、ぼくは各種の統計が連動していて相互にチェックされていると述べた。でもそれは、あらゆる時点で完全に機械的に整合しているという意味ではない。変に数字を作ったりすればバレるよ、ということだ。

そんなことが本当に起こるんだろうか? もちろん起こる。それをまさに証明しているのが、今回の統計の不備の事件なのだ。たとえば、日本銀行厚労省の統計に関して早くから疑問視して、それを除外して様々な計算をしている。

www.nikkei.com

これは2018年11月、今回の騒ぎ以前の話だ。そしてGDP統計に関しても疑問があると述べているそうな。

ぼくが言っていたのはそういうことだ。統計の整合性を見ている人がいて、おかしな結果が続いていれば、疑問の声があがるのだ。厚労省の統計については、「そういえば変だった」「変化率しか使わなかった」といった見解が(後出しジャンケン的にではあるけれど)いくつか聞かれている。

もちろん、これはすぐには起こらない。分析の結果がずれてきたとき、それは実態の反映なのか、統計の何らかのバイアスによるものなのか、それとも故意の改変なのか? 統計の捏造でありがちなのは、あまりにきっちり他の統計に合わせすぎることだ。あと、なんか成長率が何年もまったく同じだったりとか。世の中はノイズが多いから、あまりに細かいところまで数字が合いすぎるのはかえっておかしい。少しずれるほうが自然だ。だから、統計を使うほうも、ちょっとずれたくらいでは変だとは思わない。

でも、しばらくすると、なんだか変じゃないか、ということなる。そしてそれが十分に根拠ある疑問であれば、今回のように調べ直され、場合によっては補正が行われることもある。場合によってはそのままで、「この期間は怪しい」という注意書きつきで使われることもあるだろう。でも、こうした活動を通じて統計の精度を保とうとする努力は続く。

法華狼の記述は、そこらへんを誤解している。ぼくがその後のツイートで、まさに機械的な相関があるわけではなく、ずれたらチェックするという話だといっているのを読んでも、それが意味することが理解していただけないようで、それは柳下の直感が正しかったのでは、と言っている。なぜそういう話になるのだろうか?

そして統計の精度をどう保つか、という話も、そう簡単ではない。たとえば、さっきのオーストラリアの統計で、いきなり国民の一割がジェダイ信徒になっちまった。さあどうしよう。それをどう処理すべきか? おふざけのインチキだから、そんなのはなかったことにして、残りの宗教の比率をジェダイ回答者にも割り振るべきだろうか? そんなおふざけをする連中は全部無宗教ということにしてしまおうか? それとも、調査の結果は結果として尊重し、お調子者の国民を呪いつつも、その数字をそのまま使うべきだろうか? これはホントに、その人の見方やデータの使途次第だ。

するとどういうことになるだろうか? 各種の統計は、相互に連動しているのであらゆる時点で絶対なのか? そんなことはない。でも変なことをしていれば、今回のように発覚する可能性は高まる。そして、相関があるからといって、他のあらゆる統計も捏造だなんてことにはまったくならない。その相関がおかしくなるというだけだ。したがって、二つ目の点でも法華狼の記述は妥当性がない。

結論

統計は、一かゼロか、完璧かすべて捏造か、というものではない。またその相互の関係も、相関は当然あるけれど、それは常にr=1.0の機械的な関係があるということではない。でも法華狼はそこを根本的に誤解しているために、まったく妥当性のない極端な見解を導いてしまっている。統計の集計不備は、もちろん信頼性や統計の連動性にある程度は影響する。しかも、もとの調査資料まで捨てちまったというのは、トホホな話だ。ついでに、ほかの統計も大丈夫かチェックは必要だろう(すでに始まっているみたいだ)。もっと人と予算をつぎ込もう。だけど、一つがおかしいから他のも連動してすべてでたらめ、なんて話はまったく出てこない。

おまけ:柳下毅一郎は正しかったのだろうか?

さて、法華狼の記述やこれに関するツイートを見ると、なんだか素人柳下の直感が、専門家山形のドグマに勝利した、と思いたい人もいるようだ。そして確かに、素人の直感は、ときには侮れない。でも、柳下の言ったことをきちんと見よう。いったい柳下は何を言っていただろうか?

今回柳下が「勤労統計はなんかおかしい」と言ったのであれば、それは柳下がすごかったといえるだろう。が、柳下のツイートは、どの統計がおかしいとか、どうおかしいと思うのか、なぜおかしいと思うのかも述べていない。そもそも、どこが統計をまとめているのかも誤解しているので、実際の具体的な統計が念頭にあるようでもなさそうだ。ツイートの雰囲気から見て、単にアベノミクスがそこそこ成果を挙げているような結果が出ているのが気に入らない、というだけの話だ。

それは、統計の誤りを素人の直感により鋭く見抜いたとはとても言えないんじゃないかな、とぼくは思う*2。そして当の柳下も、自分がそんな千里眼の持ち主だったのだと主張するほどは厚顔ではないと思うな。

だいたい……さっきも述べたように今回の統計の不備は、日銀もずっと指摘して、それもあってチェックした結果として露見したことだ。もし柳下が勘ぐっているみたいに安部の陰謀でアベノミクスマンセーを主張すべく統計が改ざんされているのだったら、まさにそのアベノミクスの先鋒として異常な金融政策を平気で続けている日銀が、それを指摘すること自体が変だと思わないのかな? 統計がそんなになんでも捏造できるなら、インフレ率もいじくって2%超にしないのはなぜだろうと思わないのかな? もちろん、多くの人はホントに統計のことなんか気にしているわけではなく、なんかリフレ派の悪口を言いたいとか、アベガーと言いたいとかいう程度のことなので、そういう整合性は特に考えてもいなさそうだ。それは不毛だと思うんだけどね。


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*1:オーストラリアだけじゃなかった。世界中で流行ったみたい。でも、これで宗教について変な回答が増えた一方で、このジョークをやりたいだけのために国勢調査のアンケートにちゃんと回答してくれる人が増えたので、むしろ国勢調査の精度向上に役立った、というのは笑える。何が幸いするかわかったもんじゃない。

*2:素人が「専門家」を蹴倒す話は、ぼくは大好きだし、またそういうことは実際にある。だがそんなにない。それは偶然や様々な条件、そしてその素人の資質にも大きく依存する。そういう話は、昔こんなところに書いた。

「平成の30冊」への山形の投票

朝日新聞が、「平成の30冊」なる企画をするのでアンケートをされた。回答すると、図書カード3000円だそうで。3000円だとあまり深く考える気も起きないし、また山形の選評とかがどこかに載るわけではなく、トップ30を選ぶために集計されるだけなんだよね。

通常、こういう本を選んでくれという企画だと、いろいろひねった選書をしてドヤ顔をしてみたい感じになるんだけれど、集計されるとなると、ひねりすぎて誰も知らない本を選んだところで、有象無象に埋もれるだけで終わってしまう。ケインズ美人投票の話と似たように、他のみんなも選びそうで(故にトップ30に入る可能性があり)、しかもその中でまともな重要な本が上位に行くように考えると、まあベストセラーっぽいものから選ぶようなことになってしまうなあ。

てなことを考えただけで3000円ではすでに足が出ていると思うが、そんなこんなで、次のような投票をしてみましたよ。さて、どんなもんでしょうね。もっと科学っぽいものとか入れたかったけど、5つしか選べないし……

第1位:岩田規久男『デフレの経済学』

デフレの経済学

デフレの経済学

平成は、日本経済がバブル絶頂期から果てしないデフレに突入し、そしてそれがようやくアベノミクス/黒田日銀のリフレ策により回復して元の状態になんとかたどりつこうとした、長くつらい転落と回復の時代だった。それを早めに認識し、インフレ誘導を主張し、やがては日銀副総裁としてそれを実践する立場に回った岩田規久男のこの本は、それを評価する人もしない人も、平成という時代の大きな背景を作ったものとして忘れてはならない。

 リフレなんかダメー、と思う人もいるだろうけれど、でもそれが平成という時代を左右したのはまちがいないことなので、これは鉄板です。

第2位:アラン・ソーカル&ジャン・ブリクモン『知の欺瞞』

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用

バブルと同時にニューアカポストモダン思想が一気に凋落した。ポモをありがたがっていた日本の言論界が、同時期に存在感を一気になくした。平成はそれを克服するため、無内容なポモ言説を無内容なものだと認め、それを廃し、地に足のついた中身のある議論を再構築するプロセスの時代だった。その動きの先鞭をつけ、多くの人々の蒙を啓き、知識人とその物言いに大きく貢献した重要な本。

第3位:トマ・ピケティ『 21世紀の資本

21世紀の資本

21世紀の資本

世界的に驚異のベストセラーとなり、現代の世界における格差問題についての人々の関心を明らかにすると同時に、経済学のモデル偏重から実証への動きを示してくれた重要な本。平成の日本の様々な経済的背景も、様々な格差をあらわにするものでもあり、それを改めて世界的な動きと関連づけてくれた本となっている。

第4位:村井純『インターネット』

インターネット (岩波新書)

インターネット (岩波新書)

平成はパソコン普及からインターネット普及、さらにはケータイとスマホの普及を通じて人々の情報環境が大きく変わった時代。この中で、妨害に遭いつつもインターネットの急激な普及に尽力し、それを実現させた人物によるインターネットの解説本。もちろん今はすでに古いものの、当時何が考えられ、どんな希望があったのかを理解するのに重要。いま改めてふりかえり、現状と比較する中で平成も見えてくる。

第5位:J・K・ローリングハリー・ポッターと秘密の部屋

ハリー・ポッター文庫全19巻セット(箱入)

ハリー・ポッター文庫全19巻セット(箱入)

言わずとしれたハリポタの第一巻。2000年に出た本書は、21世紀児童書、ひいては小説のスタンダード。世界的な大ヒット作になると同時に、ネットでの評判の広がり、メディアミックスなど様々な形で、従来の本とはちがう動きを示したし、また最終刊が出るまで、平成の中盤はこのシリーズへの期待と共にあったと思う。(だんだん尻すぼみになっていったのも平成らしい、かな)

付記:ツイッターで、「第一巻は賢者の石だろ!」とご指摘いただく。そうだった!まあいいや。

これを挙げるなら、アメリカでは電子書籍普及に貢献したラーソン「ミレニアム」もありかな、とは思ったが、ちょっと新しいので。


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マクナマラの悲しい弁明

マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓

マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓

久々にバンコクにきたのに、約束時間までの空き時間が少し中途半端で、せっかくだから部屋で持ってきたマクナマラ回顧録を読み終えた。なんでマクナマラ? 別に理由はない。前から一読して処分すべえと思っていた本で、それがたまたま今のタイミングになったというだけのこと。

本としては、マクナマラベトナム戦争についての回顧録。生まれて大学に入り、フォード社長になるまでがものの20ページほど、そしていきなり国防長官になって……そしてベトナム戦争の泥沼にはまりこむ。

たぶん、マクナマラ自身としても、書くのがつらい本だっただろうし、また読むのもつらい本。もちろん、当人の弁明ではある。かれ自身は、いろいろベトナム戦争について思うところもあったのに、あとちょっとで戦局が変わるから、とか、これまでの努力が無駄に〜とかウェストモーランド大将の要求や、アメリカが勝てないわけはない、撤退するとはアカどもに利する気か、というワシントンの勇ましい政治家に押しきられ、十分なデータも分析もないまま、弱々しい懐柔策を出すしかなかったというのがその主な記述。

そしてあらゆる部分で「ここでこうしていれば」「あそこでもっと見通しについて関係者に議論させれば」「北ベトナムとの交渉をもっと進めていれば」という後悔と自責の念だらけ。

かつて、『ベスト・アンド・ブライテスト』の書評で、外部から見たこの人々についての見方について書いたことがある。

cruel.hatenablog.com

マクナマラの本書での記述は、まさにこの「ああすれば」「こうすれば」「でも自分は、だれそれは、そういうことはできなかった」という話に終始する。それをこうやってきちんと書いたのは誠実だとは思う。自分の失敗——それも何度も続いた失敗——をここまで認めた頭を下げたのは立派だとは思う。当時のマクナマラに深い遺恨を抱く軍人が、「どの口で言うか!」と思いつつも本書を読んで、それでもこれが書かれたことは評価する、と言った意味はよくわかる。

でも……弁明するつもりはないと言いつつ、やはり弁明に思えてしまうのも事実。ああすればよかった、というのは、どうすればできるようになるんだろうか。自分はこの泥沼が見えていて止めようとした、というのは立派だけれど、それができるためには何が? うがった見方をすれば、マクナマラが一人でいい子になろうとしているような印象さえある。

特にそれは、マクナマラが辞めてすぐに世界銀行の親玉になっちゃうあたりの脳天気ぶりとか、そして自分がやめてすべてが終わりという、ベトナム戦争の記述にしてもいささか中途半端な感じが否めないところとかにある。本書でかれが認めているくらいの失策、無策を続けたあとで、いきなり世銀の親玉になれるというのは——だってまさに、ベトナムでの失敗の原因は途上国の状況とかかれらの背景とかわかってなくて、傲慢にいろいろアメリカの優位性を押しつけようとしたからだ、と言った舌の根も乾かないうちに、それを世銀で続けようとするってのはどういうこと??——ぼくにはとても理解できないし、彼の本書で言っている反省がどこまで本気なのかも怪しいという気がする。いや、本気なんだろう。でも、本気でもやっぱり本当はわかってないな、という印象はどうしてもしてしまうのだ。

最後の、冷戦後の世界の見通しとかの話も、その後の変な状況を知っているぼくたちからすると、まあ教科書的な印象は否めない。でも一方で……いまのアメリカ政府に、このくらいの人たちがもっといれば、という気はする。大統領にしても、リンドン・ジョンソンルーズベルトニクソンケネディも、いまのヤツに比べれば後光が差して見えるし、国をどうしようという考えはあった。それがいまや……

処分する前に、一回読んだのはよかったと思う。たぶん、二度目は読まない、というかこのままバンコクに捨ててくるので、読みようもないのではあるけど(図書館で借りる手はあるか)。それでも……上の「ベスト・アンド・ブライテスト」評の冒頭に書いた大学時代のぼくの感想通り、なんのかの言っても、おまえら仕事もっときちんとすればよかったんじゃん、という気はするし、どうしても弁明でしかないという印象はまちがいなくある。それが、ここまで悲しいものではあっても。


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内蒙経営策:満州帝国の二番煎じプロジェクト(実はちがう)の全貌

その昔、CUTにこんな文章を書いたことがある。

アゾット/亜素州をめぐる幻想と現実。

かのクラフト・エヴィング商会『クラウド・コレクター』の書評なんだけど、その枕に使ったのが、ぼくの曾爺さんかなんかのインチキプロジェクトの話しだった。

その曾爺さんの一世一代の大ばくちが、大日本帝国の傀儡国家たる満州帝国の成功にあやかって、蒙古帝国ってのをでっちあげて搾取しようという一大計画だった。いろんなお膳立てまで整えて、関東軍とも話がついていたとかいないとか。どっからか傀儡用にフビライ汗の末裔ってのまで見つけだしてきて、擁立の準備は着々と進んでいたらしい。

さてもちろん、これを読んで真に受けた人は、まあいないだろう。そんな変なやつ&変な計画、あったわけないよねー、と。先日、小川哲『ゲームの王国』について、著者&大森望と座談会をしたときにも、この話をちょっと出して、おもしろがってもらえたんだけど、まあ聞いている人もたぶん、あまり気にもせずに流したと思う。

が、この話、まったくの本当なのだ。少なくとも、そういうプロジェクトはあった。うちの曾爺さんの一味は本当にその企画書を書いて関東軍に出している。関東軍がそれをどこまで真面目に検討したかは、知りようもないけれど……

というわけで、その企画書をお目にかけよう。

「内蒙経営策」(pdf, 7.6MB)

書かれていることはなかなかおもしろい。当時のアメリカが権益を求めてモンゴルあたりでうごめきつつ、朝鮮半島独立運動を焚きつけようとしていて云々という前振りのあたりとか(ネトウヨ諸君! エサですよ! 朝鮮独立なんて米帝の陰謀だったんですよ! でも、たぶんこれはマジにそうだったんだと思う。アメリカがそのくらいの工作しないわけないもん)。でもうちの曾爺さん、むしろアメリカの脚の速さや鋭い計算には感嘆していて、「敵ながら痛快」と感心していて、おまえいいのかよ、という感じ。でもそれに対して日本はまるで対応できてなくて、無気力許すまじ、という。んでもって、日本経済は不景気で、銀行共とかがアレで農業も商工も不況で、しかも日本の財界はまったくバカで銅相場なんかで火傷こきやがって、もっとガーンと売ってでて資本に生気を与え(アニマルスピリットってやつですな)この蒙古帝国再興やったら、「水はその低きに就く経済に国境なし」だから世界から資本がなだれこんでウハウハ、優柔不断してねーで、さっさとやろうぜ、という内容。

大正9年だから、1920年ですな。不況回復に一大(公共)事業を、というわけで、1920年にすでに文句なしのケインジアンだったというわけ。さすがぼくの先祖です。いまならリフレ派の旗を強力に振ってくれたことでしょう。で、第1期の資本金1億円がすでに払い込み、とあって、第二期のお金を優先株で調達しよう、というわけ。

もうちょっと具体的な内容がどっかにないのかなー、という気はするが、手元にあるのはこれだけ。なんでもこの曾爺さん、我が家の伝承によればこの計画のためにジンギスカンの末裔というのを見つけてきて(って、モンゴル人全員、たぶん系図をたどればどっかでジンギスカンにつながるはず)、その王位の証たる、蒙古王の翡翠、なるものを手に入れたとかなんとかで、それが実家のどこかにあるとかいう噂が流れて、一時かなり大騒ぎになったけど、何も出てこなかったのは、いまはもう笑い話(のはず)。第1期の払い込み金1億円が、現物で納付と書いてあるのは、たぶんこの蒙古王の翡翠とか、なんだろうねー。

この爺さんの、他のインチキ事業の名残も母の実家のどこかにあるらしくて、いつか見てみたいんだけどねー。

付記

柳下毅一郎より、この蒙古総合自治政府とは関係ないのかと質問がきた。

この企画書は1920年、それに対して自治政府は1936年。曾爺さんが直接関係していた可能性は低いし(1932年に死んでるから)、間接的にも、年が離れすぎてる。関係者が、ヒントを得た可能性はなきにしもあらずだけれど、一方でそんなにオリジナルな発想というわけでもないし、たぶんまったく別物と考えてかまわないと思う。が、もちろんぼくは専門家ではないし、もしその筋のプロが「いやこれぞこの分野で長年論争の的となっていたミッシングリンク!」というようなことがあって、我が家を日本史の片隅に載せてくれるというなら、もちろん拒むものではありません。

付記2

1920年だから、1932年の満州国の二番煎じではないとの指摘があった。言われて見ればそうだ。我が家の中ではそういう前振りで話されるのが常だったので、チェックもせずにそういうものだと思い込んでいた。ありがとう!

内蒙経営策:満州帝国の二番煎じプロジェクト(実はちがう)の全貌 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

満州国の成立が1932年で、これが1920年の話だとすれば満州国は関係ない

2018/06/05 00:59
b.hatena.ne.jp


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スマートシティって結局なんなのよ。

 ぼくは、こんな何やってるかわからんやつではあるけど、一応都市計画畑の出身ではあって、いまもそういうのを追いかけてはいる(ときどき仕事にもなるし)。で、最近の都市計画がらみで流行というと、スマートシティってやつ。スマートシティ開発します、こんどのナントカはスマートシティ、あれやこれや。日本のインフラ輸出の一環でも、スマートシティを作りますとかいうのがある。

 が、結局それって何なのよ、というとよくわからない。スマートシティと称するもののパンフを見ると、暮らしやすい街作りとか、あーだこーだ出てくるんだが、でも「じゃあ、どこらへんがスマートなんですか」というのを探そうとすると、なかなかわからない。だいたいありがちなパターンとしては

  • スマートメーターとか入れて消費量とか最適化したり、ソーラー発電とか自前で持ったりして、場合によってはスマートシティ全体で電力会社と契約して仮想発電所とかそういうのでエネルギー消費を抑えます。

  • 全域にWIFIとか入れてネット使い放題みたいな〜

  • 家にジジババどもの見守りサービスみたいなのをあらかじめ組み込んでおきます

なんかそんな程度。で、この手の腐った図がコンセプトと称して出てくるのね。この手の図を苦し紛れにでっちあげた経験が山ほどある身としては、近親憎悪をのようなものをビシビシ感じてしまうのだ。

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で、先日、柏の葉スマートシティというところの説明会に行ってきたわけだ。この開発自体は、それなりによいものではある。東大工学部の柏キャンパスのあるところね。昔は東大生に柏送りといえば、なんかソ連時代のシベリア送りみたいな感じだったけれど、かなりいい感じになっているし、つくばエクスプレスのおかげでそんなに遠くないし。東大その他のキャンパスとの提携でいろいろ産学協同みたいなこともできるし、雇用創出で単なるベッドタウンではない起業とか職場とかの可能性もある。開発としても、まだ新しいから駅前に空き地とかあってアレだけど、でもだんだん新しい店とかもできてきて、いい感じではある。

でも、どのあたりがスマートシティなのかというと……ちょっとしたエネルギー管理みたいな話と、ジジババどもの見守りサービスみたいなのと、そのくらいなのだ。

www.kashiwanoha-smartcity.com

コントロールセンターで、集中的なエネルギー管理は排出管理をして、災害時には電力融通みたいなのは考えていると。それから、実証実験のところに、まあちょっとしたユビキタスがどうしたとかいうのはあるけど……あんまり大きくないよね。

で、実際に説明会にいっても、あまりそういう「スマートシティ」みたいなのは前面に出ないで、住民に優しい、暮らしやすさの追及を、高齢者にも配慮を、職住近接でインキュベーションシェアオフィスみたいなのも作って、みたいな説明で、各種関係者間の協議会を開いて地道な意見調整を通じた街作りを、というようなこと。そして、登壇者はしきりに「スマートシティとかいうのは好きじゃない」「ITが前面に出るのはよくなくて、人が中心」というようなことを述べ、柏の葉の欠点は、古い店がないとか、昔からの畳屋とか居酒屋が賃料があがったので残れない、多様性がアレで問題だとか、そういうことをしきりにいっている。

さて……人が中心とか、暮らしやすさが大事とかいうのは、ぼくもお題目としては当然ありだと思う。が、スマートシティというのは、それを何かITのゴリゴリ活用で実現しちゃうよ、というのがメインだったのではないの? ついでにいうと、畳屋さんの営業が続かないのは、賃料がどうしたいう以前に、そもそも和室が減ってきて畳の需要が限られてるからでしょ? 新規開発で賃料があがらなくても、早晩消える運命にあるよね? それは都市開発で面倒見るべきことなの?

この説明会は、不動産や都市開発関係の学会というか専門家会議みたいな、Urban Land Institute というのが主催したものだった。で、この日は重慶の都市開発関係者が大挙してやってきていた。かれらは本当に、こんな通りいっぺんのお題目を聞きたかったんだろうか? かれらの質問は、高齢者のための住戸とか多世代居住に適用した住戸プランとかはあるのか、その見守りサービスはどんな形で集約されて医療機関と結ばれているのか、ということ、さらに交通のオンデマンド配車も含めた交通へのIT活用はあるのか、各種のITサービスは収支的にもとがとれてるのか(とれてないって)といったことだった。その雰囲気からして、かれらはホントにスマートシティというものについて、IT活用について知りたかったと思うんだよね。たぶんがっかりしたと思うなあ。

そして、比較的優秀なスマートシティとされている柏の葉がこういうレベルなら、日本がインフラ輸出でやろうとしているスマートシティって、どうなのかなあ、という感じではある。スマートシティの看板あげるなら、ホントにもっとITをエグイくらいに使わないと。実はここ、あの矢野「データの見えざる手」和男のいる日立の研究所なんかもあるので、そっちがらみでもっと、ビッグデータで住民の完全操縦、みたいなのを期待していたのだ。こう、住民全部をスマホで追跡して、そのインタラクションが下がると犯罪率があがるし起業も含めた経済活動が停滞するのがわかっているから、インタラクションが一定水準以下に落ちたら、インタラクションを刺激する居酒屋や公共施設の割引券をどんどん市内でばらまいて、デベロッパー主催の無料でビールでも配るイベントでも開催して、するとインタラクションがあがって経済活動が回復するんですワッハッハ、みたいな。本郷でちょいと無料サービス券ばらまいただけで、馬鹿な東大生がどんどん柏にやってきて、ちょろいもんです人間なんて、ビッグデータの神の前にはゴミクズですわ〜、とかね。

スマートグリッド/スマートメーターも、実は言われてるほど大したもんじゃなくて、少なくとも一部では全然効果ないってことだし、するとやっぱ、スマートシティって何なのよ、というのは改めて考えないと、ダメだなあ、とは思う。

www.cbc.ca

そしてたぶん、そのためにはもっと、上でいったような完全人間コントロール作戦とか、完全自動運転オンデマンドとか、その手のとんでもないと思われている話を実際に色々試してみないとダメではないかとは思うんだよね。まあ日本で実際の人間でそれをやるのはなかなか日本ではつらいから、中国の完全顔認証監視都市とかみたいなのには絶対にかなわなくて、日本がインフラ輸出の目玉にできるほどのものをホントに作れるのか、というのはなかなか絶望的ではあるんだけど。

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これは皮肉ではなくて、本当のスマートシティはこういうものであるはずだとは思うのだ。


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セックス妖精、なぜ殺したがるの?

いま見ているすっげえ分厚いファンタジー本があって、そこで万能の主人公がセックス妖精と出会う場面がある。いやホント。セックス妖精。

そのセックス妖精、千年も前からどんな男でもそのあまりのよさに、身も心も虜になってしまい、彼女のもとから帰ってきた少数の男も鬱になって気が狂って数ヶ月で死ぬという伝説の存在で、それに出会った主人公、ウハウハでついていくわけだ。

で、この主人公くんは童貞だったので、そのセックス妖精に筆おろしまでしてもらって、もう心身ともに奪われそうよー、あー二発目したくなっちゃったー、我を忘れそう、というところでなんだか急に自制心を発揮して、なんか自分のつらい過去を思い出しているうちに、いきなり「自分は自分だ」と悟りを拓いてしまい、それにより突然風の真の名を操れる力が覚醒する!

そしてその覚醒した力で何をするかというと……

いきなり怒りが沸き起こって、そのセックス妖精を殺そうとするのだ。

えーと……

なんで殺そうとするの? 何を怒ってんの?

ぼくは、自分が何か見落としたのかと思って、そのセックス妖精の章をまた読み返した。彼女が主人公を殺そうとしたとか、なにか悪辣なことをしたような部分があったっけ? 何もなし。

しばらく考えているうちに、ここで何が起きているのかわかった。このセックス妖精に心身ともに奪われる=こいつは自分という人間の理性を失わせようとした=自分に対する攻撃である、よって怒って、殺してやる、という発想なわけか!

でもさあ、まずそういう相手だって知ったうえで、自分から進んでついてったんだろ?何を文句言ってるの?心身ともに奪われるって、別にセックス妖精があんたの心を懐に入れたわけじゃないだろ?テメーが自分の性欲に負けてサル状態になっただけでしょ?悟り開いたんなら、己のそれまでの意志の弱さを恥じるべきだろー。まして筆おろしまでしてくれたセックス妖精ちゃんに、怒ったり、殺そうとしたりなんて、なにこいつ?

……と思ったんだけど、考えて見れば、インドとかサウジとか、あるいは欧米でも(かつてだけでなく、いまでも!)、女は男を誘惑するから邪悪だとか、強姦は女が悪いとかいうのは、まさにこの発想なわけだ。でも、そういう発想と価値観をここまで当然のこととしてむき出しにするというのは、かなりすごいなあ、とかなり呆れてしまった。それも、殺そうとする!

ファンタジーだから、ちょっと中世ヨーロッパじみた世界を舞台にしているから、価値観もそれにあわせているだけと思いたいところだけれど、他の各種側面では開明的で、そういう古い価値観を出すときには、それなりに説明があったり言い訳じみた記述が伴ったりしているけれど、ここはホント、何の説明もない。作者はこれが当然、だれでもすぐに理解できるあたりまえの反応だと本当に思っているわけだ。

このIncelどもの議論とかも、日本のネラーみたいに「しょせんイケメンしかもてない、おれたちダメだ」という主張まではわかるんだけれど、そこからなんで女を殺してやるとかいう話になるのかさっぱりわからないんだけど、たぶんなんかそういう飛躍って関係あるはず。

www.vox.com

でもって殺されそうになったセックス妖精は、怖がって泣いちゃうんだけど、主人公はいったん覚醒した自分の力がすぐに消えてしまったことで涙を流して、相手の涙を見ても申し訳ないとか後ろめたい気分は一切なく、自分の力の喪失だけのことしか考えない。これまでも、小賢しい主人公ではあるんだけど、ここまでゲスになってくるとさらに萎えるよなー。

ちなみに、結局殺すのは思いとどまって、またその後も何発もやって、その後主人公はうまいことヤリ逃げします。


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ネットハラスメントにはパスワード変更を奨めよう!

ツイッターフェイスブックも、あれもこれも、ネットコミュニティが同じ意見の連中が集まるエコーチェンバーと化し、その連中がお互いをブートストラップしあって勝手に舞い上がり、威勢良くなって、するとますます引っ込みがつかなくなって中にははた迷惑な実力行使にまで及ぶバカがたくさん沸いてくる、というのはもちろん周知のこと。

で、これを抑えるにはどうしたらいいのかってことで、みんなで注意しましょうとか、理性的に説得しましょうとかいうのは正論ながら無力なのももちろんご存じの通り。すると、「運営に言って取り締まらせろ」なんてことをみんな言うわけだが、これまたむずかしい。いきなりアカウント停止にすべきなの?ゼロトレランスとか言ってそういうのをやるところもあるけど、結局何を許すか赦さないかは、かなり恣意的にならざるを得ない。やられたほうは、なんで自分だけが、と不満に思い、またどっちサイドでもかなりの人は「あれがいいのになぜこっちは取り締まられる」「あれがダメなのになぜこっちは野放しだ」と文句タラタラになり、あげくの果てに「ツイッター思想統制してる」とか「運営はトランプシンパ」とか、単にプラットホーム提供してるだけのところが、あれやこれやと痛くもない腹を探られる。

一方でゲンロンの自由なんてものもある。バカな人たちは「ヘイトスピーチだ」と言えばなんでも弾圧してかまわないと思っているようだけれど、そんな安易なものではない。ちなみに、スペインではヘイトスピーチ取締の規制が成立しているけれど、カタロニア独立運動の各種発言がスペインに対するヘイトスピーチだとして、この規制のおかげでガシガシ取り締まられたりしているヘイトスピーチは常に、自分の好きなものは健全な批判でゲンロンの自由にされ、自分の嫌いなモノはすぐにヘイトスピーチだ。アメリカでもカナダでもイギリスでも、進歩派がなんでもかんでもイスラモフォビアだLGBT差別だ、排外主義者だレイシストだ、他者を受け入れる寛容性のない偏狭なミーイズムの田舎者め、とレッテル貼りをして悦にいっていたら、逆にそれこそまさに社会の分断を煽る不寛容でしかなく、言われたほうはさらに態度を硬化させて、おかげでトランプが出てきてしまったりあれやこれや。

でもネットの場合、各種のろくでもない発言に対する対処のやり方があるんだそうな。運営がそいつに対して「おまえの発言はダメ~」と言うと、言われた側は態度を硬化させて悪化したりする。でもそこで「あなたのアカウントがクラックされて、なんか変な発言がいっぱい投稿されてるみたいだけど~。パスワード変えたら?」と連絡してあげると、そいつはその手の発言を止めるんだって。

Building successful online communities: Evidence-based social design - AcaWiki

要するに、相手に逃げ場を与えてあげること。「おまえがやった」と正面切って糾弾したら、相手はメンツをつぶされてしまう。逃げ場がないから、強情張る以外に手がない。でもそこで「変な発言出てるけど、これはきみじゃないよねえ?」と言ってあげることで、相手はもちろん自分の発言が婉曲にたしなめられているのを知りつつ、でもメンツを保てる逃げ場が少しはできる。自分のまちがいを認める必要はない。つっこまれても、そいつも「アカウントがクラックされちゃってぇ」と言えばいい。見え透いたウソではあるけれど、でもそれを言うなら、小さなウソは社会の潤滑油だ。ネットで勇ましい発言をしている連中のある程度の部分は、それがあまり感心される発言でないのを知っている。というか、まさにそうだからこそ、それを敢えていうことにスリルがあって楽しい。そういう人に対しては、これはもう一つ「おまえ、バレてるよ」というメッセージになり、だから引っ込まざるを得ない。

この上の中でも特にすばらしいところを少し抽出。

ここが重要な点だ。[パスワード変えたら、と言われた]受け手は、自分に罪があると一切認めたりはしないし、何の罰も受けないが、それでもやめる。[この仕組みは]私たち(管理運営側)と下手人どもとの間の、対決姿勢の論争を大幅に減らし、同時によくない行動の再発も減らした。下手人を正面から糾弾すると、その人たちはしばしば、自分のよくない行動は自分の権利の範囲内だと主張する(そしてそれはその通りかもしれない)。そしてその主張を改めて強調するために、そのよくない行動を敢えてくり返し、こちらの権威に挑んでみせるのだ。そのよくない行動をやったのが彼らではないというふりを(その当人に対してだけでも)してあげて、メンツを保たせてあげると、プライドを傷つけられずにすみ、もっと責任ある市民になる傾向が強い。

この引用で特に重要なのは「自分のよくない行動は自分の権利の範囲内だと主張する(そしてそれはその通りかもしれない)」という部分。言論の自由というものを認めるということは、いやがらせ、粘着、反社会的、差別的となる発言をする権利はある、というのを認めることだ。よく「ヘイトスピーチ!」とふりかざして糾弾する連中は、ヘイトスピーチをする権利そのものがない、ヘイトスピーチはそれ自体が違法だといいつのり、そしてそれを強制するための法律や規制を作らせようとする。

でもたぶんそれは非生産的で、運用面でさらに混乱を招くことになる(実際招いている)。そしてもう一つこうした発想の多くのまちがいは、世の中すべて法律でいいか悪いか決まる、と思い込んでいること。でもそういうものではない。レッシグを引き合いに出すまでもなく、世の中法律ですべて決まるのではない。そして、決めさせるべきでもない。会話――ネット上であろうとなかろうと――は通常は規範が律するもので、それを法律的に規制しようとするとかえってこじれる。ある意味で、ネット上の議論が極論化して過激になるのは、それを高圧的に法律や規制で取り締まろうとする反動なのだ、とさえ言える。

これは一般論としてだし、ケースによっては強い対応が必要ではある。そういうケースをあれもこれもと掲げることはできるし、それは個別に考えたほうがいいかもしれない。でも、それで上のような論点が否定されるものでもない。

ネットだともう一つありがちなのは、「匿名だからいい気になってみんな大言壮語する、だから実名登録を~」みたいな対応だ。実は照会した記事の中でも、匿名性を下げるのが有効なはず、という意見を出している。ネトウヨも現実生活ではおとなしい温厚な人だし、ネトサヨがみんなしばき隊でリンチしてるわけじゃない。だから実名出させれば発言もおさまる、というわけだ。でもいまの話を考えると、これも必ずしも効果的ではないかもしれない。これまた逃げ場をなくしてしまうから。前世紀の名掲示板だった黒木のなんでも掲示板では、実名を挙げる必要はないけれど、ヘマをしたときに恥をかくだけの一貫したアイデンティティを保つような形での投稿が推奨されていた。古い例ではあるけれど、やっぱ先駆的だったよな、とは思う。

黒木のなんでも掲示板

もちろん、これが万能ではないだろう。黒木掲示板でも、まあ有害で有毒な投稿者は定期的に出てきて人々を消耗させていた。引用先のコラムであがっているのは、MITでの例だ。それに2012年の本に出ている、一九九〇年代の報告の例で、いまはかなり変わっているのかもしれない。でも、対応の方針として一つのヒントにはなるはず。

それにしても、香山リカなどの芸能人が、ツイッターでバカな発言をしてつっこまれると、「アカウントが乗っ取られた」とヘタレた言い訳をしていっそう嘲笑される件が多々あるけれど、そういうときに「ああそうですかあ、乗っ取られたんですかあ。それにしてもずいぶんひどいこと言う乗っ取り犯ですねえ。パスワード変えたら?」と見え透いた返しをしておけば、ほどほどのところでみんな止まるのかもしれないね。

news.mikimedia.net

上のネタは、このツイートで知ったもの。役立たずのツイッターも、ときにおもしろいネタがあります。


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