他の人の間宮訳『一般理論』批判について

山岡洋一による『一般理論』間宮訳批判の批判をまちがって消してしまい、書き直すのも面倒なので放ってあったけれど、いま書き直そうかと思ってかれの批判を読み返してみると、やっぱり間宮訳のほうが誤訳で、山岡のほうが正しいと思う。六章の翻訳をするときにきちんと見直すけど、とりあえず勇み足をお詫びします。

で、後で加筆した別の人による批判については、エディタのバックアップファイルがあったので復活:


付記:
また、別のところで間宮訳の批判があるのを発見。この人物(池田信夫)自体の見解は見るに値しないけれど、具体的な批判箇所は米倉茂によるものの孫引き。でもぼくはその批判がずいぶん的外れだと思う。(付記:この記事を書かれたせいか、池田信夫は当該ページを削除した模様。そのキャッシュは以下の通り:
池田ページのキャッシュ


具体的に批判されているのがどの部分かは書かれていないが、その内容からして、たぶん13章だと思う。

債務にあたる「債券」(debts)が訳文では大半が「債権」と訳され

debtsは債券と訳すべき、とのお考えだとか。でもbondも別に出てくるんだよね。ケインズが本書で厳密な使い分けをしているとは思わないけど、債券でない債権だってあるし、取引できるでしょう(面倒だけどね)。訳し分けて、debts は債権、bondは債券でまったく問題ない。ちなみにぼくはdebt は「負債」と訳し、bondは債券としている。

ついでに、15章にはby purchasing (or selling) bonds and debtsという下りがある。どっちも債券にするわけには、いかないでしょ?

投機好きのアメリカの「国民性のこの弱点は株式市場に表れている」の「弱点」は投機への「偏愛」(weakness)

意味的にはおっしゃる通り。だがそれはその直前の部分を読めば当然わかることなので、無理に weakness に「偏愛」という訳語をあてる必要もないでしょ。「おれ、浪花節には弱いんだよね」と言ったらまあおそらく浪花節を偏愛してるってことだけど、それは文脈から読み取るべきこと。まちがいとはとても言えない。

ベア・ポジションが「弱気の状態」と訳されているが、正しくは「株価下落に賭ける投機」のことである
具体的にどこを指しているのかはわからないけど、ちがうと思うなあ。普通に「弱気の状態」でいいと思う。たとえば (because at that level they feel “bearish” of the future of bonds) なんてのはよく出てきて、bearishが別に株価の話だけを言ってるわけじゃないのは明らか。それにこの当時、先物やオプションを駆使したポジション設定がそんなにできるわけがないでしょ。今の用法にひきずられすぎ。

(付記:その後、『貨幣論』をチェックした。上巻の終わりのほうに出てくるんだが、ケインズはそこで、ベアポジションというのはふつう、株を空売りするような話だけれど(つまり上のような意味)自分はそこに、株よりも貯金を増やすような選択も含める、と明記している。だから上の批判はピントはずれで不適切)

「[実物]資産と債権」(同)は「株という資産(assets)と債券(debts)」

これもどこに該当するのかわからないけれど、怪しいと思う。なんだか全般に、すべてに株を見ようとする変なバイアスかかってません? ただ、もしこれが13章セクションIVに出てくる部分であれば、たぶん正しいかも。『お金の理論』についての話なので、そっちを見ないとはっきりしないけど。

という感じで、この批判もろくなものではない。映画『ロクサーヌ』で、スティーブ・マーチン演じる現代版シラノ・ド・ベルジュラックは、「このデカ鼻野郎」と言われて「おまえ、この鼻を見てその程度の悪口しか思いつかないのか」とやりかえしていたけれど、ぼくも同じ思いですよ。この間宮訳をみてそんな批判しか出てこないのか??!!

でも、わざわざこの部分を抜き出した引用者は、これが的確な批判だと判断したんだよねえ……



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