殷代の甲骨占いの再現! メイカー的実証歴史研究。甲骨占いの割れ目の出方は操作できる!

Executive Summary

 落合淳思『殷』は、落合の甲骨文研究に基づく、殷の社会についての分析で、非常にしっかりしていておもしろい。同時にその殷の研究自体が、直接資料である甲骨文を中心に研究しようとする立場と、後代の創作があまりに多い文献を重視する立場が交錯する場になっていることもわかり、研究の現在の状況が如実にうかがえるのも楽しい。

 特におもしろいのは、中で紹介されている「殷代占卜工程の復元」(2006)なる論文。実際に骨を加工して甲骨占いを再現し、どこにひびが入るかは加工次第でコントロールできてしまい、実は占いなんかではなく、為政者の意志を後付で正当化するインチキだったことを暴く! 実際にやってみる手法も楽しく、安易なオカルト古代史や神権政治妄想を踏み潰し、古代人のずるさと合理性を実証できているのがすごい。


 以前ほめたことのある落合淳思。

cruel.hatenablog.com

 その後、ノーチェックだったけど、キューバに出かける前にふといきあたり、帰国して自主隔離の間に読んだのが、彼が書いた殷についての本。

 殷は亀甲占いを多用していて、甲骨文による直接資料がたくさん残っている。亀甲占いはもちろんいろんな政治場面の判断に使われるので、甲骨文をいろいろ調べることで、当時の統治者がどんな政治判断を迫られていたのかわかり、それによって殷という国の実態がかなり明確にわかるとの本。文献での記述は後世の創作も多くて、結構眉ツバなんだけど、中国ではまだ幅をきかせているとか。

 あと面白かったのは、中国の歴史は唯物論的な歴史の発展段階に従わねばならず、そのドグマとして、必ず奴隷に依存した社会があったはずだということになっていて、このため非常に限られた記述を元に中国の学者が、殷こそがその奴隷社会だったのだと断言しているという話。その解釈があまりに強引で、その後の研究で妥当性が疑われているんだけれど、中国ではこの見方に異論を唱えることはできないそうな。こんな古代研究にまで政治判断が入るのか!

 (奴隷がいなかった、ということではない。奴隷制社会というのは、奴隷が生産活動の主力を担うような社会のこと。だからかつてのカリブ海とか米国南部とか、一部の説ではギリシャ都市国家奴隷制社会。殷は、奴隷はいたけれど生産は一般人が主力で、戦争なんかに奴隷は狩り出されたらしいとのこと)

 が、それと並んで面白かったのが、中でさわりが紹介されている、著者の落合淳思の次の論文。以下のやつだときちんとタイトルが出てこなくてアレだが、「殷代占卜工程の復元」(2006)なる論文。

ritsumei.repo.nii.ac.jp

 何をやっているかというと、実際に骨を削って焼いて、亀甲占いを再現して、どのくらいの厚みにするとうまく割れ目が出やすいかとか、実際の甲骨に見られるいろんな跡はどんな意味を持つのか、というのを確認している!

 で、その結果として、結構あらかじめ決まったところに割れ目が出るような加工ができてしまうのだ、というのを立証して、それが呪術ナンタラなどではなく、当然ながら為政者の権威づけのためのインチキであり政治的ツールだったということを示してしまっている。

 一般人や、それに釣られてか一部の研究者もだけれど、古代史のオカルト史観って大好きで (いやぼくも大好きよ)、こう、諸星大二郎の「暗黒神話」の「卑弥呼は金印の力で暗黒星雲を操り〜」みたいなのに大喜びしたりするし、古代シュメールの恐るべき言霊がとか、荒俣宏帝都物語とか、日本橋は実は水の都だった江戸が近代東京にしかけた呪いだったとか、そんなのがたくさんある。だから殷もすべて甲骨占いに基づいて生け贄と祭儀と呪術合戦で運営されていたオカルト神権政治だった、みたいなことを夢見がちなんだけど、そんなことねえよ、しょせん人間のやることよ、呪術なんか昔からおためごかしよ、打算とインチキと合理主義よ、という身も蓋もない話。すばらしい。

 そしてそれ以上に、実際に骨を削ってやってみる、というのがすごい。というかコロンブスの卵。やっぱり、なんでも実地にやるのがえらい。メイカー精神。ここからもう一歩進んで、「あなたにもできる亀甲占いキット!(好きな結果が出せます)」みたいな商品化するとおもしろそうではある。