フォーゲル他『十字架の時:アメリカ奴隷制の経済学』:おもろいでー。

ポランニーで、ダホメの輸出側の奴隷事情を見ました。

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それで奴隷に興味が出てフォーゲルの『十字架の時:アメリ奴隷制の経済学』を読み始め、訳し始めてしまいました。まだ前半だけ。もちろん、フォーゲルはずいぶん長生きしたし、翻訳権は当分フリーにならないので、みなさんは読んではいけません。以下にあるけれど、見ないように。

フォーゲル&エンガーマン『十字架の時:アメリカ黒人奴隷制の経済学』(まだ前半だけ、pdf18MB)

なぜか知らないが、目次のハイパーリンクがずれていて、きちんと当該の章にジャンプしなくなっている。もちろん、みなさんはご覧にならないでしょうから関係ないけれど。あと、Excelで作り直したグラフの相当分は、目分量で原著のグラフから数字を読み取って再現したものなので、完全に厳密ではありません。プラマイ3%くらいの誤差はあるはず。

著作権を遵守する良い子たちは、すでに邦訳はあるので、こちらを読みましょう。中古で15000円もするので、ぼくはどのくらいのできかは見ておりません。

結局、奴隷はアメリカ南部においてはとても高価な耐久資産で生産財だったので、農園主はそれを気安く壊したり、蹂躙したり、シバいたり、粗末に扱ったりはしなかった、という話に尽きる。

奴隷制というとどこもいっしょくたにしがちだけれど、ジャマイカ奴隷制と、アメリカ南部の奴隷制はまったくちがった。ジャマイカでは農園主が奴隷娘を次々に手込めにし、ろくに飯もあてがわず鞭打って働かせ、病気になったら放置で死ぬに任せたりしていた。これは通俗的奴隷制のイメージでもある。

でも、アメリカ南部では、基本的にそういういうことはなかった。そういうケースが皆無、というのではない。でもそれが到るところで横行してみんなやってました、などということはあり得ないし、また実際にもなかったことが各種統計データをもとにしっかり解説されている。

そしてその地域的な差の理由、経済的な背景までが、実に見事に解説されている。奴隷について、「ルーツ」や「ジャンゴ」で描かれているような非道な話を、みんな真に受けてしまっている。でも実際はかなりちがったらしい。

鞭だけでは奴隷は働かないし、むしろ福利厚生を手篤くし、家庭をもたせて各種ご褒美や温情により、自らやる気を出させるほうがいいのだ、という現代の企業における労働マネジメントとまったく同じ話がここでも展開される。ないのは、農園のミッションステートメントを! とかパーパスを打ちだそう! とかいうくだらないご託くらい。

そして、現代の日本への示唆も当然ある。奴隷の中でも奴隷制が苦しいと思うのは、トップの優秀な人だけ。他の人はむしろ、衣食住完全確保で言われた通りのことをやってれば到れりつくせり。むしろ楽だったかもしれない。そしてアメリカの奴隷は自然増で維持されていたけれど、生まれたときから衣食住や医療をきちんと出してあげて奴隷を育てると、最初は農園主の持ち出しがずっと大きくなり、その累損解消はやっと26歳になってから、というのはすごいなあ (第4章)。16歳くらいからきっちり働かせてもこれだ。いまの日本だと、死亡率はずっと下がっているから無駄になる部分が少ないので、その分累損解消ははやくなるだろう。でも学費その他が高くついて、親の累損解消は奴隷と同じくらいか、ヘタをすると子供が30歳くらいになっても終わらないのでは? すると少子化解消への道は、とかいろいろ現代への示唆も大きい。

いくつか、甘いなー、と思うところはある。特に奴隷制廃止でも農園主はあまり損をしなかったといったあたりは、ちょっとアレだと思って訳者加筆をしておいた。その他の部分は、特にコメントしていない。おそらく、その後の研究で否定されたりした部分はあるんだろう。その一方で、ピケティ『21世紀の資本』においても、奴隷に関するデータのほとんどは、この本に頼っている。データ的にはいまも十分に生きていると思うべきなんだろう。

後半と、補遺の別巻もいずれやります。補巻の、これをやったときに、冒涜だとか敬意がないとか奴隷制を正当化しているとか品がないとか言われたけれど、そんなの関係ねーよ、下品でも口が悪くても、事実をきちんと突き詰めることだけが重要なんだよ、という文章はぼくはすばらしいと思っている。が、おそらくポリコレに染まった多くの人は、そうは思わないだろうね。

文中でも、思いこみと妄想と善意だけの奴隷制廃止論者の説がいかに矛盾していて、むしろ人種偏見がむき出しにされているかが、さんざんに批判されていて楽しいけれど、おそらく現代では出せない本だとは思う。即座にキャンセルされてBLMの標的にされるレベル。