W.S.バロウズ『爆発した切符』全訳

映画『クィア』公開でいろいろバロウズがらみの本が再刊されてめでたい。

gaga.ne.jp

もちろん原作の「クィア/おかま」も再刊だ。

そしてしばらく品切れだった「ジャンキー」「裸のランチ」も版を改めて再刊してくれるとのことなので、ちまちま見直している。

が、昔のやつの焼き直しだけなのもアレなので、長きにわたり懸案のあれを仕上げました。

cruel.org

pdfも上のリンク先にあるのでそれを見て。

底本は、グローブ版/カルダー版を使用した。Archive.orgにあるスキャン版にはかなりお世話になった。

そこそこ面倒な訳。もう20年にまたがる翻訳だから、「彼/かれ」とか表現の統一が最初のほうと最後で取れていない部分が多々あるけれど、正直いってそれが問題になる本ではないと思う。もう一度読み直して全体の統一を……いやまあ商業出版するという話でもなければやんないかもね。

これで「ソフトマシーン」「ノヴァ急報」「爆発した切符」の3部作を一応日本語化したわけで、たまっていた仕事がまた一つ片付いた感じ。まとめて出したいところがあれば……まあないか。

「爆発した切符」はノヴァ急報よりも処方箋的な意味合いが強いとは言える。テープレコーダーを使って現実のことばの支配から抜けだせ、というのが明示的に出ている。

そしておもしろいことだけれど、この作品で彼は、身体がなければダメだ、というのを明記している。特に最後から二番目の「さよならを言うので沈黙」のところ。ノヴァギャングが人々を支配するのは、身体を離れたイメージだけの世界を創り、そこであらゆるものをひたすら反復させることによる。だからそれを脱しなければならない。身体がいる。

ところが後に「シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト」になると、死後の世界があって肉体を離れた再生があって、というテーマが頻発するようになる。彼も晩年になると死が恐くなったのか、現実書き換えのテーマがオブセッションになったのか……

面倒な訳ではあった。普通の小説なら、言うことがわかれば流し読みできるし自分なりの訳文を構築すればいい。「腹がへったな、ピザでも喰おうか」という文章があれば、それを細かく詰める必要はない。ところがカットアップは、ことばを全部読まないといけないし、それぞれの細かい単語の反映を考えなくてはいけない。めんどい。そしてChatGPTで翻訳してもだれもわかりゃしないだろうと思ったが、やってみると、ありがちなことばのつながりを探そうとするChatGPTでは、デタラメなことばのつながりが身上のバロウズは訳せないことがわかる。だから全部手でやるしかなかった。

たぶん、そのために見落としたりとばしたりした部分もあるはず。だがまあそれをチェックしたい人がいれば、チェックしてくれてもいいけれど、その見落としで価値が大きく下がっていることはないはず。あと、オリヴァー・ハリスが校訂した版がその後出ているんだが、それで中身が大きく変わる小説ではないと思う。好事家は比較してみてもいいかもしれない。ぼくも手元にはあるが見てはいないので。

しかし……全部読んでくれる人はいるんだろうかね。「ウォーリーを探せ」みたいに文中に「これを三個みつけた人には『クィア』を進呈!」とかいうのを入れようかと思ったが、さすがにそれは断念。