- はじめに:レムは社会主義/ソ連から距離をおいていたか?
- レムと社会主義の親和性
- ソ連社会主義に取り入るレム? ぼくのかんがえた さいきょうの戦車!
- レムの1967年レーニン様絶賛エッセイ:未来学は史的唯物論??!!
- スタニスワフ・レム「ウェルズ、レーニン、そして世界の未来」

はじめに:レムは社会主義/ソ連から距離をおいていたか?
レムは、最初の頃は社会主義リアリズムというか英雄小説的な『金星応答なし』『マゼラン雲』を書き、『主の変容病院』も当局の要請にあわせて社会主義的な二作をでっちあげ、それをくっつけて三部作として出版した。でもそれはずっと意に沿わぬもので、できが悪いとして再刊を禁止してきた。またその後もあちこちで、自分は社会主義なんか昔から見限っていた、『対話』(1957) でも中央統制経済がうまくいかないことを指摘している、と言いたがる。
レム自身がそう言うし、再刊を禁止してきた実績があるし、まあみんなそれを特に疑う理由もなかった。沼野充義は、『マゼラン雲』の解説で、このレム自身の説明をほぼ踏襲して繰り返している。
レムと社会主義の親和性
それは一面の真実だ。でもよく見ると、必ずしもそうかはわからない。『対話』は、サイバネティクスの未来を論じた本で、それを社会統制に応用する話が出てくる。その中で彼は、市場はフィードバックが働くのでうまく機能する、社会主義の中央統制経済はそれがないからダメ、という。
が、彼は一方で、そのフィードバックを完全に統制できるかのような夢をふりまく。サイバネティクスというのは、平たくいえばそういう学問ではある。フィードバックにより系を制御するわけだ。これは実は、いわゆる社会主義計算論争に近い。市場の仕組みを完全に計算できたら、経済を統制できるぞ、というわけ。実は社会主義の発想はかなり残っている。
沼野充義は上の『マゼラン雲』解説で、レムの発想を、エフレーモフの社会主義SF観、つまりヒューマノイド至上論と対比させる(知的な存在はみんなヒューマノイドになるはずであり、ついでに社会主義になるはずだ、だからBEMとか異様なウチュージン出してくるアメリカSFはクズだ、という話。小松左京が怒って『拝啓イワン・エフレーモフ様』を書いたネタもとだ)。レムはもちろん、ソラリスでもわかるとおり、知性体がヒューマノイド型になるなんて思っておらず、そういう考えをバカにする。ここからも彼の反社会主義SFはわかるはず、というわけ。
だがその一方でレムは、文明が発展して必ずある種の発展段階を経て、必ず星体工学にいたる高い水準に達すると信じている(いた)。だから彼はSETIに入れ込んで、『技術大全』ではその展望を述べつつ、実際にはSETIが何の成果もあげないので、おかしいなあ、ああもあろ、こうもあろ、と憶測をひたすら重ねる。後に、その憶測の部分だけとって「おれはSETIがうまくいかないことを指摘していた」と言い出すが、それは後付の歴史改変だ。レムはウチュージンが人間型になるというのは信じていなくても、ある種の固定された発展段階には固執して、『SFと未来学』の最後やその後に『完全な真空』でも作品化された「新しい宇宙創造論」とかを出し続ける。宇宙の超知性体同士の調和連携、みたいなものは、信じているかはさておき好意的だ。エフレーモフほどおめでたくはないけれど、意地悪な見方かもしれないが、その方向性はそんなに変わっていないとも言える。
さらに『SFと未来学』でも彼は、自由を非常に恐れている。宗教がなくなり、文化的な価値観が崩壊して、いまや価値の基盤がなくなってしまった、と。それを再構築しなくてはならないという。その思想は、7割くらいは社会統制思想ではあるのだ。レムの思想は、社会主義理論と、実は結構親和的なのだ。
ソ連社会主義に取り入るレム? ぼくのかんがえた さいきょうの戦車!
そして昨日あちこち見ていたら、おもしろいものを見つけた。彼は1945年頃、つまりは20歳過ぎくらいに、「ぼくのかんがえた、さいきょうの戦車」案をソ連に送って、取り入ろうとしている。超重量級無敵戦車のアイデアで、すでに航空爆撃と制空権の重要性が明らかだった時代に、まったくのアナクロではある。それがこの記事冒頭にあげた、パンツェルニク号。さらに他の案も作っている。このスケッチとか、かわいい。


彼はこうしてソ連にすりよっていた。まあそういうのは、だれしもあるのかもしれないし、それでどうこう言うべき話でもないかもしれない。1945年の戦争の最中だし。
レムの1967年レーニン様絶賛エッセイ:未来学は史的唯物論??!!
だがそれ以上に面白いのが今回の本題。レムが社会主義のべた褒めをして、レーニン万歳をしている新聞記事だ。史的唯物論こそが、未来学の始まりなのである!! ウェルズとSFはレーニン様の慧眼には太刀打ちできなかった!
しかもこれが書かれたのは1967年。レムが、自分は社会主義のダメさに気づいたと主張する時期はとっくに過ぎている。さらに、おそらく『SFと未来学』(1970) はすでに構想され、書きかけだった頃だと思う。つまりこの文章とほぼ同時期だ。
SFの果たすべき未来学的な役割について述べ、その中でウェルズは頑張ったけどだめだった、という評価をしている。SFの果たすべき未来学的な役割について語り、ウェルズを評価し、その他のSFを罵倒する『SFと未来学』とは非常に重なる。
そして『SFと未来学』で明示されない、そんな罵倒するなら結局何がいいのよ、という疑問に対する答えがここにはある。社会主義に基づく未来像が大きな基盤となるわけだ。なるほどね。
レムがこれをどういう事情で書いたのか——なんか保身のためのたちまわりとして書き散らしてみせただけか、それとも本気でこれを信じていたのかは、議論の余地はあるだろう*1。が、レムのこういう面があることくらいは、頭の片隅においといても、バチは当たらないかもしれない。
原文はこちら(ページの下のほうに全文あり):

スタニスワフ・レム「ウェルズ、レーニン、そして世界の未来」
"Wells LENIN i przyszłość świata"
Gazeta Krakowska No 264 of 4-5 November 1967
(ポーランド統一労働者党 地方機関紙)
現在、新たな学問分野が生まれつつある。それが未来学(futurologia)と呼ばれるものである。その誕生は、現実的な必要性による。すなわち、人間世界、特にその基礎である技術・科学的な基盤が、変化の速度を絶えず加速させており、現在ではその速度が極めて速いため、今日の政治的・文化的・社会的・技術的な課題を解決しようとする際には、この「変化」という要素を無視することはできなくなっている。
百年前の世代は、まだ次の世代が引き継ぐ世界は本質的に同じもので、違いは量的なものに過ぎないと考えることができた。すなわち、人は少し増え、道路や機械、都市も少し増えるだろうが、それだけだ、と。しかし、そんな判断は今日では全く笑止である。かつては、各世代は自分たちの問題だけを解決すればよく、それは次の世代の問題ではないと考えられた。現在では、今日の課題が明日の課題と不可分に結びついていることが明らかになり、今日我々が為すこと、あるいは為さないことが、ある程度、明日の世界の姿を決定し、その住人たちの前にどのような課題が立ちはだかるかを決めることになるだろう。
しかし、未来学という学問分野は、実は十九世紀に、マルクス主義の形、特にその「史的唯物論」と呼ばれる部分としてすでに誕生していたと言える。私はそう考えている。
とはいえ、史的唯物論は、人類の社会的発展に関する一般理論ではあっても、「万物の理論」ではない。他のいかなる科学理論も「万物の理論」ではないのと同じである。史的唯物論は、人間が持つ道具的技術、すなわち生産手段の領域で起こる、進化的なあるいは革命的な変化の結果を示し、予測する。しかし、それはそれらの生産手段そのものの発展についての理論ではない。すなわち、今後百年の間にどのような自然的・技術的な発見が最も起こりやすいかを予測する理論ではない。
この理論は、人間社会がどのように構築されているか、そしてその結果としてどのような発展の道が開かれているかを示すものである。社会現象を扱わない科学におけるその対応物は、たとえば宇宙がどのように構築されているか、星や惑星の運動の法則やその変化を教えてくれる天体物理学であろう。そうした知識がなければ、当然ながら宇宙船を設計することはできない。しかし、宇宙船の設計理論は天体物理学の一部ではない。
この意味において、未来学は史的唯物論に敵対するものでも、これを無視するものでもなく、むしろ史的唯物論によって一般的に枠組みが定められた理論の内部で、予測という技能としての我々の知識を、さらに具体的で詳細なものに発展させるものとなり得る。
ここで興味深い疑問が生じる。未来学とは、いわば「空白の場所」に生まれた学問なのか、それともむしろ、地球文化の中に古くから存在していた他の人間思想の方向を、ある種——精緻化し、科学化したものと見なすべきなのか。具体的に言えば、いわゆる「SF」という文学ジャンルの形で。
この問いに対して、「はい」または「いいえ」という簡潔な答えを出すのは難しい。基本的には、SFには三つの、非常に性格の異なる方向が存在し得る。
第一の方向は、作者の力と能力の限りにおいて、ある特定の分野の現状を正確に調査し、その分野において今後どのような出来事の進行が最も高い実現確率を持つかを明らかにしようとするものである。
第二の方向は、最も実現確率の高い道を探すのではなく、極めて劇的で、悲劇的で、喜劇的、あるいは単に異常な——すなわち現状から最大限に逸脱した状況へと導く道を探すものである。
第三の方向は、意図的に空想的な前提を置き、現在存在するものから完全に切り離された仮定から出発し、そこから結論を導き出す。その結論こそが、その「SF」の一派における文学作品の内容と実体となる。
この三つの方向のうち、第一の方向のみが、今日未来学と呼ばれる学問分野の前提とある程度重なる。しかしながら、まさにその第一の方向で活動する作家は、決して多くはなかった。
したがって、世界のSF書籍の総体の中で、学者・未来学者にとって一定の価値を持つものは極めて少ない。なぜそのような文学の状況になっているのかという問いを解くことは興味深いが、今はそれが我々の主題ではない。
文句なしにSFの父の一人とされる人物に、H・G・ウェルズがいる。その作品を全体として見ると、彼の中には理性的な要素と非理性的な要素が共存し、交代しながら現れていたことがわかる。さまざまな発見や出来事の社会的帰結を考察する作家は、社会的発展の将来の状態を予測しようとする一般理論に依拠すべきである。もしそのような理論は存在せず、存在し得ないと考えるならば——なぜなら社会的発展そのものが何らの法則性や規則的法則にも従わないからだ——彼は単なるおとぎ話や神話を語ることに甘んじざるを得なくなる。現象に規則性がないところに科学理論はなく、両方が欠如しているところでは、どのような予測も原則的に不可能だからである。
このような考察は、H・G・ウェルズが、単なるおとぎ話を語るつもりではなかったSFに取り組むという選択をしたことにより、19世紀末にすでに存在していた人類の社会的発展に関する唯一の全体的で首尾一貫した包括的な理論であるマルクス主義に、極めて深く関心を持たざるを得なかったことを示唆している。ところが驚くべきことに、彼はマルクス主義を研究対象として全く魅力を感じなかったばかりか、「影のなかのロシア」の中で彼がマルクス主義に対して述べた反論は、その姿勢が完全に非科学的、あるいはむしろ反科学的であることを如実に示している。

彼はまず、マルクス主義を「誤っている」「不条理である」と言うだけでなく、「退屈である」(マルクスの『資本論』について)と呼んだ。このような発言は、理性主義者の口から出るものではない。問題はマルクス主義が「退屈」かどうかではない。そもそもそのような観点から評価できるようなものではないからだ。学者は、宇宙論的理論や生命起源の理論、社会発展の理論が「退屈」かどうか、あるいは「難しい」かどうかなどとは問わない。ただ、それが現象を記述し、その進行を予測する道具として真実であるかどうかのみ問う。ウェルズの態度は、この点で露骨に非合理的ではなかったが、「審美的な」態度として、明らかに非科学的であった。この厳密な自然科学的教育を受け、『世界史』を書いた人物でさえ——その書は太陽系における地球上の生命の出現から始まる——史的唯物論が人間の歴史の流れを説明する道具としてどれほど有効かを、適切な研究を通じて確かめようともせず、それを「不条理」として、そしてさらに「退屈な不条理」として事前に拒絶したのである。
彼は『神々のような人々』のようなユートピア的作品を書いた人物でありながら、レーニンを「夢想家」「空想家」と呼び、ロシアの電化計画を全くユートピア的で実現不可能なものとした。——彼は疑いなく誠実な人物であり、鋭い事実の観察者であった。だからこそ「霧の中のロシア」の中で、当時西側がロシア革命に対して浴びせかけた中傷、恐るべき嘘、ナンセンスの山に対して明確に反対したのである。彼は革命が少数の狂信者によって発明され実行されたものではなく、社会的要因によって引き起こされたものであることも理解していた。しかし同時に、この革命を恐るべき文明的災厄と見なし、それによって打撃を受けた国民は、西側からの積極的な外部援助なしには自力で立ち直れないと考えていた。共産主義者たちの誠実さ、レーニンの思想の壮大さ、民衆の不幸、貧困、苦しみを見ていたが、それらを別々にしか見ていなかった。人文主義者としては革命直後の困難な状況にあるロシアを助けるべきだと考え、思想家としてはその革命の理論的前提が誤っており、目的そのものが単に実現不可能であると判断した。クレムリンでの忘れがたい会談でレーニンが語った内容を悪いとは思わなかったが、一部は不要であり、一部は架空で非現実的であると考えた。
数十年を経た今、あの場面を振り返ると、二人の対談者のうち、どちらがユートピストで、どちらが現実的に考える理性主義者であったかは明らかである。ウェルズの構想——資本主義体制を「飼い慣らし」、穏やかで緩やかな進化的な移行によって社会主義的集団化の状態へ移行するというアイデア——こそが明らかなユートピアであった。したがって、彼の著作から知られるウェルズ、そして「影のなかのロシア」を書いたウェルズは、今日ではレーニンよりもはるかに謎めいていて理解しがたい人物に見える。レーニンは、数十年という時間の視点から見ても、思想・言葉・行動の一貫性を保っている。ウェルズは、マルクスを読んでいなかったことを自ら認めているだけでなく、どうやらレーニンも十分に読んでいなかったらしい。彼の小著の中で、レーニンは彼が実際に会った人物と、理論的・論説的な発言で知られる人物とは別人だと言っている。しかし実際には、レーニンは自分が書き、語った通りに正確に行動した。一方ウェルズは、内的に分裂した人物であった。彼は自分を形成した安定した世界に強い愛着を持ちながら、同時にその世界に道徳的に反発し、そこに蔓延する悪を批判していた。このような二重性・アンビバレンスからこそ、彼の作品は生まれたと言えるだろう。作品は同時に二重の動機を持っていた——未来に対する恐怖と、未来への希望。恐怖が勝ったとき『タイム・マシン』のような作品が生まれ、希望が勝ったとき『神々のような人々』が生まれた。彼の中の科学に対する敬意と愛情は、理論的概括による大きな合理的説明へと彼を駆り立て、他方それと矛盾する部分は、現実的な不可能性に目を閉じ、非合理的な希望と憧れを抱かせた。ユートピアとは何か? 自分が望む世界の姿であり、同時にその世界へ至る道を知らず、あるいは存在しないとさえ考える世界の姿である。しかし、ウェルズを単なるユートピストだったと言うのは、彼に対して不公平である。『月世界最初の人間』は地上の現実の諸関係に対する辛辣で現実的な風刺であり、『タイム・マシン』では、資本主義が(19世紀末と本質的に似た状況で千年単位で持続・発展した場合に)敵対的な相手なしに地球全体の体制的独占者として存続し得るという仮定から、論理的推論の連鎖によって導き出された姿が示されている。
今日では、20世紀後半の資本主義は、少なくともある形態においては19世紀後半の状態に比べて「穏やかになった」と言われることがある。それが事実であると認めるとするなら(ただしすべての資本主義国でそうとは限らない)、その「飼い慣らし」は高度に工業化された一部の国家における、資本と労働の間の人間関係の特定の領域に限られる。したがって、この現象を認めれば、ウェルズが悪い現在から善いユートピアへの「穏やかな移行」の形が存在すると希望したことは、部分的には正しかったと言えるかもしれない。しかし、ここでも彼は誤っていたのではないか——すなわち、資本が労働に対して行った譲歩は、時代と場所を問わず、地球上にすでに実在する資本主義の敵対者——社会主義——に対する恐怖から生まれたのではないかと。資本主義は、ある意味で「教育され」、一歩ずつ、政治的な譲歩が「大きな悪」——社会変革の連鎖による自らの滅亡の脅威——に対する「より小さな悪」であることを認めたのではないか。しかも、そうした譲歩は、通常、しなければならなくなったときにのみ行われた。力を用いた暴力で置き換えられる機会があれば、いつでもそれを最も好んで選んだ。だからこそ、階級間の合意と調和が漸進的に生まれるという神話は、今日も、レーニンがウェルズと世界の未来について語り合った当時と同じく、神話に過ぎない。したがって、「未来学的」要素、すなわち世界の未来の予測は、SFと呼ばれる文学の中に常に存在する必要はない。ウェルズの文学作品(他の多くの作家の作品も同様)が持つ非予測的性格は、それらの芸術的価値を否定するものではない。作家——より広く芸術家——の想像力は、科学者の発想としての想像力と同一である必要はない。両者が現実に対して同じようにアプローチする必要はなく、行動の目的が必ずしも一致しないからである。もし一致し、科学がすでに最終的な言葉を述べたところに文学が入る余地がなくなれば、文学は緩やかな死を宣告されるだろう。将来的には『罪と罰』を読む代わりに心理学の教科書を手に取り、SF小説は大量の統計的研究に基づく学術的な未来学の論文に取って代わられるだろう。文学作品はもちろん予測の要素を含むこともでき、それは付加的な価値となるが、そうした要素がなくても、どのような現実にも不可能な出来事の形象を通じて、我々の文化とその発展的方向に本質的に属する内容を伝えることができる。そうでなければ、予測的には時代遅れとなった作品——例えばJ・ヴェルヌの作品——が今日も人々の興味を引く理由を、読者の奇妙な異常性以外に説明できなくなるだろう。誰も健全な精神の持ち主が、ヴェルヌの『海底二万里』よりも現代の潜水艦建造の教科書を優先すべきだなどとは主張しない。「ノーチラス号」は技術的には時代錯誤であり、乗組員の異常な冒険も同様であるにもかかわらず。芸術家の主たる義務は未来を予言することではない。芸術家であることをやめ、「影のなかのロシア」に書かれたような判断を下すときだけ、状況は変わる——その判断は我々を驚かせ、時には笑わせる。我々が尊敬する作家がそのような誤りを犯すたび、我々は驚きと不安を同時に感じる。賢明なトーマス・マンが最後の戦争 [訳注:第一次世界大戦] の終わりに、文明世界全体がドイツの戦争犯罪を千年忘れず許さないだろうと書いたとき、彼はどれほど間違っていたことか。あれは今日から見れば誤った、しかし高貴な夢想であった。我々は、マンのような、ウェルズのような創造者が、芸術家としての職業だけでなく、あらゆる分野で完璧であることを望む。しかし、ほとんど常にそうではない。ウェルズは——レーニンと比べたとき——結局のところ、自分の国の伝統に忠実な誠実なイギリス人であり、懐疑に近いほど冷静な人物であった。だからこそ彼の著書の中でレーニンを「クレムリンの夢想家」と呼ぶことができたのだ。ヨーロッパと世界の上を過ぎ去った半世紀は、アクセントを完全に逆転させた。時間が示すのは、あのときクレムリンで語り合った二人のうち、どちらがユートピア的な未来を見、どちらがその現実の姿を見ていたかということである。

*1:以下の記事原文では、これがソ連『イズヴェスチア』の依頼で書かれて断れなかったという説が紹介されているが、『イズヴェスチア』自体には出なかったそうで、それはウェルズのレーニン批判が出ていること自体がまずいとされたのでは、という憶測もある。その一方で、ソ連で出せない代物ならポーランドの党機関誌にでかでかと載るのが許されるはずもないとも指摘されており、単に『イズヴェスチア』の期待したほど明るい科学万歳の記事になっていなかっただけかも、と述べる。真相はわからない。
