バラード『太陽の帝国』新訳は、当然大きく改善されています……と書きたかったんだけど。

先日ふと、バラード『太陽の帝国』の新訳が出たのを知った。しかも山田和子訳。

これについては、国書刊行会の高橋訳がイマイチだという話は結構聞いていたんだけれど、ぼくは英語でしか読んでなかったので、どの程度イマイチかはあまり知らなかった。いつか読むべえと思って、いま見たら家に2冊もある。最初のやつと、映画になったときのカバーのやつと。

太陽の帝国

太陽の帝国

で、いい機会だからちょっと比べて見ようと思った。もちろん、新訳のほうがずっとよいにちがいないとは思っていた。一見してすごい名訳という感じではなかったが、でも山田さんはそういう名文家とかではないし、バラード自体がかなり悪文だ。これが新訳決定版なら、旧訳はよほどひどかったんだろうな、一瞬で審判は下るだろう、というのが当初の期待だった。

でも、そうはならなかったんだよ……

 

まず、冒頭部。英語はこうだ。

Wars came early to Shanghai, overtaking each other like the tides that raced up the Yangtze and returned to this gaudy city all the coffins cast adrift from the funeral piers of the Chinese Bund.

昔の高橋訳は以下の通り:

戦争は、揚子江をさかのぼる潮流のように先を争いながら、次々と上海にやってきた。その潮は南島のバンド (黄浦灘路) の弔い桟橋から漂い出た棺をすべて、けばけばしいこの都市に押し戻すのだ。

山田訳はこう:

戦争の波が早くも上海に押し寄せていた。揚子江を勢いよく遡る上げ潮が、葬送桟橋から投じられた中国人たちの棺をすべて外灘に再び押し戻してくるように、戦争の波は互いに競い合いながら次々とこのけばけばしい都市に到来した。

うーん、この二つだと、ぼくから見れば……高橋訳のほうがいいかなあ。でも、これは趣味の問題ではある。

まず、ちょっとしたまちがいから。山田訳だと、棺が外灘へと押し戻されることになってる。でもこれはちがう。葬送桟橋が外灘にあって、そこから投じられた棺桶が上海(その中のどことは明示されていない)に戻ってくる、という話。「中国人たちの」というのは、たぶんそういう葬送をされたのは中国人だけだったからなんだろうけど、でも原文にはない。

そして山田訳のほうがやたらに長い。これはその翻訳方針のせいだ。高橋訳だと、表面の意味的には問題ない。でも文章を切ったせいで、後半は潮だけの話になってしまう。原文では棺が川を遡って押し寄せるというのが戦争のイメージと重なりあう。一つの文章で、文章全体の主語が「戦争」だからそうなる。でも切ってしまうと、それがなくなってしまうのだ。山田和子はそれを補うために、「戦争の波は互いに競い合いながら次々とこのけばけばしい都市に到来した」という、最初の「戦争の波が〜」という文章のほぼ繰り返しを最後にくっつけている。

ぼくは、原文にないものはなるべく追加したくない。だから、どっちかというと高橋訳なんだけど、山田訳のやりたかったこともわかるし、原文の意味に忠実なのは山田訳かなあ。長い修飾節が後にくっつくのって、ホント処理しにくいんだよね。でもその一方で、その棺桶に「中国人たちの」と原文にないものをつけてしまったせいで、普遍的な死を暗示する「棺」が、なんかずいぶん限定的になって、せっかく温存しようとしたイメージを弱めてしまっているのは大減点だなあ。

ぼくがやるならどうするかなあ。

戦争は早くから上海に次々と押し寄せ、揚子江を激しく遡る潮の波のように折り重なった。それは外灘の葬送桟橋から流された棺桶をすべて、この派手な都市に送り返す。

うーん、うまくない。「それ」が何を指すのか曖昧にすることで、棺桶と戦争の漠然としたつながりを残せないかな、と思ったんだけれど。

次の段落は、だいたい両者同じなんだけれど、ここは山田訳が勇み足で、高橋訳の勝ち。両者がちがっているのは一文だけ。次の一文:

During the winter of 1941 everyone in Shanghai was showing war films.

この両者の訳は次の通り:

1941年の冬のあいだ、上海では至るところで戦争のフィルムが上映されていた。(高橋訳)

1941年の冬、上海では誰もが戦争映画を見ていた。(山田訳)

高橋訳は、だいたい原文のまんま。山田訳は、上映していた (showing) を「見ていた」にしてしまっている。なぜこんな改変をしたかは不明。しかもこれをこう処理してしまうと、次の段落の冒頭がわからなくなる。

To Jim's dismay, even the Dean of Shanghai Cathedral had equipped himself with an antique projector.

だれもかれも戦争フィルムを上映していて、司祭さんまで映写機を手に入れて戦争フィルムを上映するようになっていた、というのがポイント。だから前の部分でも、人々は見ていただけじゃない。自分で上映していた、と言う話なのだ。

でもって、このいま引用した部分、二人とももう少していねいにやってほしい。

上海大聖堂の主任司祭まで旧式の映写機を手に入れていたのを知って、ジムは仰天した。(高橋訳)

驚いたのは、上海大聖堂の主席司祭までもが古い映写機を持っていたことだった。(山田訳)

この文脈でdismay というのは、単に驚いたってことじゃなくて、がっかりした (または、せめて「呆れた」) ということ。ジムくんは、あちこちで戦争フィルムばっかり流れるのがちょっといやだったのだ。夢にも戦争が出てきて、目が覚めてもそれが続いているみたいで、うんざりしていたのだ。そこへ神父さんまで映写機を手に入れてきて (持っていた、ではなく、どっかから手に入れていたのだ。この点も高橋訳のほうが正確) 戦争フィルムの上映を始めるというので、えー、となったわけ。驚いただけだと、ジムくんが感じていた、戦争を見せられるのがいやだという気分がまったく表現されない。やるなら:

上海大聖堂の主任司祭さえも旧式の映写機を手に入れていたので、ジムはがっかりしてしまった。

このくらい。

うーん。ぼくは自分ではNW-SFの残党のつもりなので、山田和子訳を絶賛したい気持はすごくある。が、その他頭の部分を見ていると、それがなかなかできない。17歳の子守りヴェラについて「This bored young woman」となっているところ、高橋訳は「すでに人生に倦んだこの若い女性(p.15)」だが山田訳は「このうんざりする若い女性(p.25)」だ。「退屈している若い女性」でいいと思うんだけど、山田訳は明らかにまちがっている。これに対して高橋訳は、ここだけを見るならちょっと違和感あるという程度で、まちがいではない。

が、もちろん話はここだけではない。この文は「usually followed Jim everywhere like a guard dog」と続く。当然ながらジムは、ついてこられるのがいやだったわけだ。だから山田訳はそれをソンタクして、つい「うんざりする」にしてしまったわけだ。一方高橋訳は、文脈とかまったく無視して勝手に「人生に倦んだ」なんてしてる。

そんな悩む話ではぜんっぜんないと思うんだけどなあ。このヴェラちゃんは東欧の戦争難民で、他にすることがなくて、ホントに暇で退屈してたのだ。だからジムくんのあとに律儀にくっついてくるのだ、というのがこの文意。この文章全体のジムの気分は理解しつつ、でも文を歪めた山田訳と、雰囲気をあんまり理解せずに字面だけで勝手な訳をした高橋訳。山形的には、どっちも却下だけれど、どうしてもどっちか選ばないと殴ると言われたら……ごめんなさいと言いつつ、高橋訳を採るだろう。

30分程度の対比だから、あまり断言するわけにはいかないんだけど、ここまで見たところでは……うーん。高橋訳にみんなが不満を述べたのはわからないでもない。固い字面だけの直訳だものね。でもそーんなにひどいとは思えない。一方で山田訳が決定版と言えるほどの改訳になっているかは、口ごもるところ。意図は山田訳のほうが汲めているけれど、そのために原文を歪めるのは、ぼくはあまり感心しないのだ。

ホント、これまでの部分はすごくもどかしい。こう、スケートとか各種の競技を見ていて、こっちのほうがいい感じなんだけど、でも審査基準に従うとあっちのほうが得点が高くなってしまい、外野がブーブー言うことがあるでしょう。これはそれよりむずかしくて、採点基準からすると高橋訳にもかなりよい点をあげざるを得ない一方、山田訳は意を汲むのはいいんだけどそのために特に必然性もなく採点基準でマイナス点をつけなくてはならないようなことをしている。うーん。そしてそれで芸術点をドーンとつけられるかというと、そこまでは行っていない。

そしていずれの場合も、特にいま挙げた中では冒頭の一文と「bored」が顕著なんだけれど、なんか変な凝り方していじくらないで,普通にストレートに訳せばいいじゃないか。余計な付け足しするから、二人ともかえっていろいろ穴が出てきているように思う。

 

ここまでのところだけだと、なんか山田訳の旗色がずいぶん悪そうに見えるけれど、そういうわけではない。ぼくが見た中で唯一、絶対に山田訳が正しい部分。

I hear you've resigned from the cubs.

オオカミの子供の世話を止めたと聞いたが。 (高橋訳 p.29)

カブスカウトをやめたそうだね (山田訳 p.40)

これはまあ、文句のないところ。高橋訳の、字面しかみないところが最悪の形で出てしまっている。そんなふうに、改良されたところは確実にある。でもなあ、もう一段改良の余地はあると思うんだ。ごめんなさい。

 

でもこれも含め、いろんな「新訳」とかいうのがどのくらい直っているのか、どこがちがうのか、みんなもっと情報を求めていないのかなあ。旧訳はゴミ箱にたたき込んで買い直すべきなのか、そこまでする必要はないのか、それとも稀なケースとして、かえってひどくなってるから旧訳は大事にしましょうね、となるのか? それについて、いいとか悪いとかいう印象論だけじゃなくて、具体的にこういう改善が行われている、というのを示してくれると、みんな嬉しいと思うんだけど。

以前、『ソラリス』についてはそんなことをやってみた。検閲で削除されていたのを復活、というから、どんなヤバいことが書いてあったか気になるもの。

cruel.hatenablog.com

みんなそこまで考えないということなのかな。

トルコ大統領が不敬にも捨てたという、トランプ大統領閣下のありがたきお手紙を植民地の下等民どもも味わってみたまえ。

もう多くの人が言っていることだけれど、ぼくは最近、フェイクニュースと現実のニュースの区別がつかなくなっていて、冗談ぬきで途方にくれている。このニュースが最初に出てきたときもそうだった。

www.asahi.com

この手紙の実物が最初にでまわったとき、ぼくは絶対これはインチキだろうと思ったんだけど……ちがった。朝日新聞のこんな機械翻訳ではその真の味わいがかけらもわからないので、その文体も含め訳してあげました。

トランプ大統領閣下のありがたきお手紙
トランプ大統領閣下のありがたきお手紙

(ウソだと思う人(思うよねえ)、現物はこちら リークしたのがフォックスニュースだしホワイトハウスも認めてるそうです)

ごめんね、ぼくはこういう格調高い文章の翻訳になれてないので、ちょっとまちがってるところもあるかもしれないけど……

山形がまた超訳してるんだろうと思う人もいるかもしれないけど、ほぼこの通りです。これを口述筆記させられた人はその場で辞職したくなったと思うし、伝達させられた外務省や在トルコのアメリカ大使館の人たちも、「これマジ?」と百回くらい聞き返して、泣きながら届けたと思う。ホンッとかわいそうに。こんなのがきたら、まあゴミ箱送りも無理ないよ。エルドガエルドアン、最初に聞いたときは大人げないと思ったけど、これはまあそうだろう。こんなものがこのレターヘッドできたら、どうしろってのよ。

ちなみに、エルドガエルドアン怒ってます。「仁義の切り方も知らねーのか。急ぎではないが、然るべきときがきたらきっちりあいさつさせてもらうからなー」だそうです。

ほかにもこの次のツイートの「わが偉大にして並ぶものなき叡智をもって」とか、ふつう正気では書けないけど、すごすぎる。

わが偉大にして並ぶものなき叡智をもって,トルコ経済破滅させまーす
わが偉大にして並ぶものなき叡智をもって,トルコ経済破滅させまーす

でもこの人、次も勝つんだよねえ……

付記 コピペ用テキスト

拝啓 大統領どの

うまいこと話まとめようぜ! あんただって、何千人も虐殺した責任はかぶりたくないだろうし、おれだってトルコ経済を破壊したくなんかねえよ——でもやっちゃうよ? ブランソン牧師のときにおれがちょいとお仕置きしてやったの、忘れたか?

おれのほうも、あんたの問題も多少は片づけるように頑張ったんだぜ。世間をがっかりさせるなって。あんたならバッチリ話まとめれるから。マズロウム将軍だって手打ちしたがってるし、これまでなら絶対やんなかったみたいな妥協だってするってさ。いま将軍の手紙が届いとこだから、ないしょで入れとくな。

これをきっちり人道的にこなしたら、あとでほめてもらえっから。でもいい結果になんないと、おまえずっと鬼な。イキがってんじゃねえぞ。バカなまねすんなよ。

あとで電話すっから。

敬具

ウィリアム・ギブスン:意匠だけのファッションショー小説

Executive Summary

 ウィリアム・ギブスンの1990年代三部作と、2000年代三部作は、いずれの小説としての体をなしていない。ストーリーはどれもほぼ同じで、まったく必然性のない探索を、まったく必然性のないアート系女子が、大金持ちに依頼され、必然性のないところをうろうろして、最後に目的のものが見つかっても何も起きない。途中の必然性のない場所や出会う人々のスタイル、ファッションといった意匠をやたらに並べ立てるだけのファッションショーでしかない。1980年代の大傑作のおかげで万人の期待が大きく、駄作でも深読みしてもらえていたが、かつては鋭敏だったファッションアイテムへのセンスや社会観もすでに停滞し、作家としての価値はすでにないも同然ではないか。


はじめに:ギブスンの意義

ウィリアム・ギブスンはそれなりに特別な作家だし、ある時点では文化的にとても重要な役割を持っていた。ぼく個人にとっても、SFとネットと現実経済とのからみあいみたいなものがだんだん具体的に感じられるようになってきたとき(そして同時に、多感な大学生の時期に)、彼の『ニューロマンサー』が時代とすさまじいシンクロぶりを見せつつ浮上してきたのは、ある種の決定的な体験ではある。

そしてもちろん、『ニューロマンサー』に代表されるサイバーパンクが、当時のぼくの狭い世界の中で重要な役割を果たすとともに、その後の様々な人間的、社会的なつながりの発端になったのは、とても大きい。サイバーパンクの多くの作品はもちろん、一過性のものではあった。多くは忘れ去られたし、それが当然ではあった。それでも、ぼくはそうしたものすべてがはらんでいた、当時のある種の興奮を覚えている。そしてそれがしぼんでいったその後の様子も。それについては、こんなところで書いたりもした。

cruel.hatenablog.com

でも、それが沈んだ後になっても、ウィリアム・ギブスンだけはぼくにとって、そして多くの人にとって特別な位置を占める作家ではあった。彼はサイバーパンクというジャンルの中の作家ではなく、ジャンルを定義づける作家ではあったし、それがまたもや何か新しいビジョンを見せてくれることを期待はしていた。そして新作も、しばらくは一応目を通すようにしていた……ある時点まで。ある時点というのは、『あいどる』の頃くらいまでだったろうか。でもその後、何が出ているかチェックすることもしなくなり……

 

そして特にきっかけがあったわけではないんだけれど——新作が来年出る話をどっかで読んだんだっけ、それともだれかがギブスンのツイートをリツイートしていたのを見かけたんだっけな?——そろそろまとめて見直そうかな、という気になった。考えて見れば、「見直す」どころか最近の三部作は読み終えてもいないや。そして考えて見れば、その前の『あいどる』とかの三部作も、なんかこう、ピンとこなかったうえに、何も起こらなかったという記憶しかない。そうそう、『あいどる』って、トレント・レズナーバーチャルアイドルが結婚するとかで大騒ぎして……「結婚した、よろしくー」で終わって脱力したんだよな。どうなったんだっけ?

ということで、読んでなかった最近の2000年代になってからの三部作を、まずは読みました。そして……すさまじく失望した。これまでギブスンに抱いていた期待とか夢みたいなものを、もうすべて捨ててもいいと思った。というのも、そもそもこれは小説と言えるものではないからだ。そして小説でなくても読み物としてかろうじてそれを成り立たせていたもの——ある種の時代感覚、ガジェットやスタイルに対するセンス——が、もはや完全に失われ、ピントはずれになっているのもわかった。それはある意味で、時代に追い越された結果だ。同時にそれは、ギブスン自身がすでに鑑識眼を失っていた結果でもある。でも……考えて見ればギブスンってそういう作家だったよなー、というのを改めて思い出す契機にはなった。

「ブルーアント社」三部作:21世紀の三部作はストーリー不在のガジェットファッションショー

2000年代の三部作は、『パターン・レコグニション』『スプーク・カントリー』、未訳の『Zero History』の三作。

一応、これは「ブルーアント社」三部作と呼ばれている。マーケティング会社のような調査会社のような、広告代理店のような商社のような、ブルーアント社というのがあって、それとその創業者で親玉のビゲンドが背後で蠢いているから、ではある。いずれも、舞台はリアルタイムの世界。つまりは2000年代のその描かれた時代ということだ。

でもいずれの小説も、まずとても読みにくい。というのは、そのときに、そこにいる人が何のために、何をしようとしているのか、多くの場合ほとんどわからないからだ。なぜわからないかというと……何も解決すべき重要な課題や謎がないから、なのだ。

「パターン・レコグニション」 (2003) は、なんかネット上に転がってる断片的な映像「フッテージ」なるものの出所をつきとめろ、とそのブルーアント社の社員のおねーちゃんがビゲンドに言われる。何か問題でもあるの? わからん。なぜ彼女なの? 特に理由なし。で、見つかったらどうなるの? それが何も起きない。なんかロシアのマフィアがセキュリティホールを確認するために使ってたとかなんとか。で、それがわかって何か? 何も。

「スプークカントリー」 (2007)では、なんかいろんな場所の特性を直感的に把握して映像化できるロケーションアーティストを見つけるよう、元有名バンドのおねーちゃんホリーがビゲンドに依頼される。なんか架空の雑誌の記事にしてくれ、という名目で。

なぜホリーが選ばれたのか……さっぱりわからん。そしてそれを雇うのに、なぜ架空のアート雑誌をでっちあげ、それの記事を書かせる必要があったのかもわからん。彼女は有名なバンド(その親玉は、レズ・インチメールというんだってさ。ローレズもそうだけど、ナイン・インチ・ネイルズトレント・レズナーがお好きなんですね) にいて、その知名度のおかげでその引きこもりアーティストと会える可能性がある可能性があるとかないとか。ふーん。でもなんでそんなアーティストを見つけたいの?それがねえ。マネーロンダリングかなんかのネタになる物資を積んだコンテナがどっかにあって、それにマーキング剤をつけてどこへ行っても足がつくようにしてロンダリングに使えないようにしよう、とかいう話。そのコンテナがどこにあるかわからないから、場所をイメージできるやつが欲しかったんだって。で、そのコンテナが見つかってどうなるかというと……何も。

「Zero History」 (2010) の想定はさらにくだらない。かつてミリタリーファッションが、ストリートファッションに大きな影響を与えるかっこいいものとされたけど、いまや軍はそういうデザインができないので、新兵募集にも影響がある。そこで軍の人気を高めるため、かっこいい軍服デザインを求めてるそうな。

そこでビゲンドは、その軍の需要に応えようとして、幻のブランドであるガブリエル・ハウンドのデザイナーを見つけ出し、軍服デザインをさせようと考え、そのために、なぜかまたホリーを雇う。メインの話はそれだけ。でもさあ、なんか他のブランドだっていいんじゃないですか? どうしてもそのガブリエル・ハウンドでないとダメという理由は? まともなものはなかったように思う。最後の50ページになって突然、同じことを企んでる(Wikipedia とか見るとドラッグの関連で云々と書いてあるけど、そんなの出てきたっけ?) 元海兵隊フィクサーがライバルを倒そうとして〜という、とってつけたようなアクションが、それまでほとんど伏線も何もなしに出てくると、これまた何の脈絡もなしに登場ホリーの元旦那が、たまたま(!!)すごいコネをあちこちにもってたとかで (たかがベースジャンプやってるユーチューバーみたいなヤツで、まるっきり説得力ないんだ、これが) 一日で何やらすごいハイテク迎撃態勢を構築し、一瞬でその相手を倒し、その過程でホリスはガブリエル・ハウンドのデザイナーと出会って、それはパターン・レコグニションの主人公でしたー、という話も出てくるんだけれど、それもなんかさらっと流されて、結局デザイナーはビゲンドには明らかにならず(でもそのデザイナー、そろそろ逃げ隠れもきついからカミングアウトするんだとか言ってたので、隠す理由ぜんぜんないと思うんだけど)……おしまい。

いずれの作品でも、基本構造は同じ。

 

  • ビゲンドがサブカルアーティストっぽい女子に、特に理由もなくくだらない依頼をする
  • 何の意味があるかもわからん探索で、どうでもいい偶然やきっかけで金持ち世界とギャングや傭兵の裏世界とを往き来
  • なんとなく、その捜し物を探す理由が明らかになるけど、超絶くだらないどうでもいい話
  • 捜し物が見つかるけど、何もおきない。

 

こんな具合で、読んでいて全体に散漫きわまりない。話に全然求心性がない。各場面も、何ら必然性がなく、話にほとんど貢献しないものばかり。そして読み終えても、何のカタルシスもない。では、この話が何で成立しているかというと……意匠なのだ。主人公の女子がピラティスやってましたとか、そのロケーションアートの細かい話とか、そのガブリエル・ハウンドの黒ミニマリズムでロゴすらほとんど見せないデザインの説明とか、やたらに詳しい。さらに何の必然性もなく場面が変わると、ギブスンはそこのデザインがミニマリズムを基調とした直線の中にゆるやかな曲線が屹立して天へと向かい見下ろすようにゴシック調の天蓋を形成し、その鈍い輝きが映し出す窓のそとの風景が云々かんぬん、と細々した意匠の説明をくどいほど続ける。カーチェースの場面でも、いっしょに乗っていた女が鋲打ちのハイブーツにボンデージ風レザーをまとった脚をのばして車から降りたち、とその場面の緊迫感を全然無視して、ファッション解説が始まる。大金持ち専用超ブティックホテルとか特殊ミネラルウォーターとか。あるいはストリート系の意匠や、たまには貧民街とかね。

だから基本、これは小説ではない。小説の形をとった、意匠羅列のファッションショーでしかないのだ。

ただそれが、あまりかっこよくない。パソコンやスマホは、とにかくiPhonePowerbookMacBook だ。金に糸目をつけないはずの連中が、2010年の時点ですら3Gネット接続もできず、wifi難民状態。ちなみに2010年には日本ですらLTEが始まってます。今はもちろん、当時読んでもかなりアナクロな感じがしたはず。本国でも、このアップル奴隷ぶりは嘲笑されたことがAmazonのレビューなんかからうかがえる。

そのストーリーの(きわめて弱い)駆動力となるはずのネタすら、ファッションでしかない。コンピュータセキュリティってなんかポイントだよねー、とかマネロンみたいな話が結構くるよねーとか、ギブスンとしてはそういうのを誇示したいわけだ(Zero Histry はそれすらないけど。軍がストリートファッションを採り入れたい?ちょっとマヌケすぎませんこと?)でも、意匠としてそういう言葉を知っているだけで、それを具体的に話の中に組み込むだけの中身の知識はない。

そして問題はそういう意匠だけじゃない。2010年の時点で、相変わらずスーツ姿の日本の企業戦士さらりまんがうろつき、ミニマリズム系やストリート系最新ファッションの出所は日本で、パリをうろつくのも日本人女子の観光客グループ。この人の時代認識ってどうなってんの? そういうと、iPhoneのことでも日本のことでも、必ず深読みしてあーだこーだ言う信者が湧いて出てくる。でもぼくは、単なる勉強不足だと思う。訳書の解説では、このシリーズがポスト9.11のギブスンであーだこーだと騒いで見せる。でも、何一つ9.11とか関係ない。ビン・ラディンの話とかちょっと出てくるくらい。

そして、2010年の作品で、世界金融危機についての何らかの認識でも示されているかというと、それもまったくなし。「スプーク・カントリー」と「Zero History」はもう完全に同じ作品といってもいいくらい。日本がバブルだった時代の話が、2010年になってもまったく途切れず続いている。

さらにもう一つ。ギブスンの世界は、レーガノミックス/サッチャリズム時代のいわゆるネオリベ的な世界観の反映でもある。そこでは、軍隊以外の政府はほとんど機能していない。世界は大企業の大金持ちとマフィアがほぼ支配している。でも、そうした見方はだんだん覆りつつある。スノーデン暴露は2013年で、ギブスンのこの三部作より後だから仕方ない面は、ないわけじゃない。が、そうした世界観は、1980年代バブルの継続という印象にまちがいなく貢献している。

すると、小説として破綻していて、そのかわりに出てくるファッションがダサく古いうえ、時代認識までピントはずれとなったら、その存在意義ってなんだろうか? ぼくは皆無だと思う。たぶん世間的にも、2000年代半ばくらいまでは、それでも多少の期待はあった。かつてのご威光もあった。でも、それが急激に薄れ、Zero Historyではほぼ完全に見放されたようだ。それは、たとえばZero Historyはもはや邦訳がないことからもわかる。英語版Wikipediaで、スプーク・カントリーまではあらすじ、テーマ、受容、各種評価、その他きわめて詳しい記述があるのに、Zero Historyではそれがまったくない。かつてのギブスンであれば、愚作は愚作なりに話題にもなっただろう。もうそれすらない。

 

でもこの気配、確かそれ以前の作品にもあったよなー、と思って読み返したのが、その前の三部作だ。

「ブリッジ」三部作:Same same, ただし時代にもっと激しく追い越されてる。

その前の三部作は『ヴァーチャル・ライト』『あいどる』『フューチャーマチック』だ。いずれも邦訳あり。

この三部作、最初の二作は読んだ。『ヴァーチャル・ライト』は、なんせスプロール三部作以来初のギブスン作品、期待はすさまじく高く、発売と同時に原書で読んだ。そして……なんとか誉めねばならないと思って、「未来への希望と予感が〜」とかいう書評を書いた記憶がある。『あいどる』についても「え、これで終わり??!!」とかなりがっかりしたけれど、まだなんとか期待をつなごうと「何も起きないが予感が〜」みたいな苦しいことをどっかに書いた。自分のサイトを検索すれば出てくるだろうけど、赤面しそうなのでやらない。三作目は、なんか読まなきゃという義務感はあって、本棚に20年近く置いてあったけれど、『あいどる』で力尽きたので、読んでいなかった。

が、四半世紀たった今読むと……ひどいね。話は、「ブルーアント」三部作の構成と似たり寄ったり。

『ヴァーチャル・ライト』(1993)は、自転車クーリエやってる女子が、金持ちの宴会に迷い込んで出来心で盗んだサングラスが、神経に直接作用する最新VR装置のバーチャルライトで、それを取り返しにおっかない人がくるんだけど、その子は震災後にスラム化して無法地帯となったサンフランシスコ-オークランドベイブリッジに住んでて、そこではAIDS抗体を発達させたゲイを拝む新興宗教ができて変な儀式もしてました、というだけの話。

『あいどる』(1996) は、大物ロックバンド、ローレズの親玉がバーチャルアイドル投影麗と結婚を発表したので、アメリカのファンクラブの子がそれがホントか探るために日本にやってきくるときに、知らないうちに怪しいナノテクの運び屋にされ、一方でネットを流れる大量のデータ流からその結節点を見つける才能を持つ男コリン・レイニーも、なんかそれが何の冗談/陰謀なのかつきとめろと依頼されてやってくる。ひどいご都合主義の結果、全員がラブホにやってきて、そのバーチャルアイドルも登場して、なんかナノテクで結婚も可能になるようなならんような、でもまあそういうことで一件落着って、何がどう落着したのかわからないうちに話はおしまい。

『フューチャーマチック』(1999)は……ろくなストーリーがなくて、東京でホームレスになったレイニーが、なんか1911年のキュリー夫人がらみの事件(なんだかは明らかにされず。ギブスンも単なるジョークで書いてただけで、意味はないんだって) 以来の大結節点の到来を予測して、それがやってくると人類が滅亡とかで、なんかその背後に広告代理店の親玉がいて、そいつは結節点後に自分が重要存在になろうとして己をバーチャル化しつつデータをどこかに送りこもうとしているところへ、投影麗があらわれてなんかそれを阻止しようとしたかなんかなんだが、結局その大結節点って何だったのかわからず、特に何もおきず、人類も亡びず、なんかその中でベイブリッジのスラムも放火されたりするんだけれど、それで何も起きるわけではない。おしまい。普通は無用に詳しいネタバレ上等の英語版Wikipediaですら、こいつについてはろくにストーリーが説明できていない。

いずれも、小説にはほとんどなっていない。一作目では、そのバーチャルライトがえらく重要そうなんだけど、ただのマクガフィン以下で、とにかく何の必然性もなく、なぜそんなに殺し合いまでするほどのものかもわからず、その後もまったく登場しない。二作目は、そのバーチャルアイドルとの結婚というのがマクガフィンなんだが、それも何もないも同然。フューチャーマチックは、それすらない。「結節点」とか言うけど、みんなが何のために動いているのかさっぱりわからない。2000年代の三部作と同じで、小説としての骨格があまりになさすぎる。

では意匠か? うん、そうではあるんだが、それが見事に古びてしまっている。「バーチャルライト」は当時話題になってた、第一次VRブームにのっかろうという下心が見えていたんだが、これは今から見ると、古くさい。二作目と三作目でデータの結節点を感じ取れるとかいう重要な役まわりは、当時台頭しつつあったネット検索——ヤフーとかアルタヴィスタとか——の役割に目をつけたものではあるけれど、いまならビッグデータ解析に勝てるはずもない。当時ですらごく普通の目のつけどころで(サイトが増えて検索の重要性が増すからデータベースのサーチャーが新しい時代のナントカ、という報告書をこのぼくも当時でっちあげた記憶がある) いまや苦笑するしかないものになってしまった。「ブリッジ」三部作と言われるのは独立無法地帯の独自文化を、スラム化したベイブリッジやネット内の九龍城砦での治外法権的な自然発生的自治がやたらにほめられていて、登場人物たちの一種の安息所みたいな役割を果たしているからだ。そういうのを称揚したいのはわかる一方で、当時まさにそうしたスラム/スクワッターの自治みたいなのは、ベルリンでもアムステルダムでも衰退に向かっていたし、九龍城砦も取り壊されたし、発表当時ですら懐古趣味ではあったはず。そしてそこでの文化的発展について、とってつけたような大阪の「社会学者」が脈絡なしに調査していろいろ解説するという、安易きわまりない仕掛けはどうしたもんだろう。

というわけで、この三作はもはや現代的価値がまったくないのではないか、とぼくは思う。読みながら「これ、どうしようか」という困惑以上のものは、もはや感じられなかった。

ギブスンまとめ

六冊まとめて読むと……ギブスンはスプロール三部作のあまりのできのよさのため、過大評価されてきたんじゃないか、という気がしてならない。おかげで、凡作・駄作を書いても、「ギブスンだから、何かあるんじゃないか、これも布石で次こそ何かくるんじゃないか」という期待があり、各種のくだらない文化的レファレンスを深読みしなくてはならない義務感に (ぼくを含め) 多くの人がかられていた。でも、そんな義務はないし、また深読みするほどのものは実はなかったんじゃないだろうか。

彼の世界観は、1980年代前半の日本のバブル時代で止まっている。それ以後の話は、非常にとってつけたような時事ネタ (カリフォルニアの地震とか) しかなく、見るべきものはない。意匠を並べるのが強み、というか読みどころのようなものだけれど、それが話の中で必然性を持たされていないために、単なるファッションショーに堕し、しかもそれがあまりかっこよくない。

うーん。ひょっとして上のような特徴って、スプロール三部作にもあったような気はしなくもない。『カウント・ゼロ』は確か、画廊の女子が金持ちに依頼されて、ジョセフ・コーネルもどきの作者を探しにいく話が柱の一つだったように記憶している。ちょっとスプロール三部作までアレだと、なんかぼくの若き日々の想い出の大きな部分が毀損されそうな気がするので、この三部作を読み返すのは、また今度にしよう(とはいえ、『ニューロマンサー』は何度か読み返したけれど、いまなお大傑作として通用すると思う)。

だがそれより、今後どうしようか? いま、手元にはギブスンの最新作が一応ある。

読むべきだろうか? 各種レビューは未だにギブスンへの過大な期待に冒された人々が書いていることが多く、イマイチ信用できないのでどうしたもんか。さらに、来年早々に新作が出るはず、なんだけど、うーんどうすべきか。少し様子を見ましょうか、という感じではある。

しかし、「SFには再読に耐えない名作が多い」と言ったのは村上春樹の手下のだれかだったと思うけど、初読にすら耐えないとはなあ*1。これで本棚のギブスン関連本のスペースが空くのは、ちょっと悲しいことではある。

加筆(202002)

Periphery 読みました。あと、最新作 Agency のレビューもだんだん出てきた。なんかでかい事件があって世界経済が崩壊したかなんか(ここらへん、すごくわかりにくい)の後の世界で、量子コンピュータで時間線がある意味で混乱し、過去の様々な断片が未来とからみあい、その未来に暮らすロシアのオリガルヒみたいな大金持ちたちがVRを通じてその過去にちょっかいを出し、一方その過去の断片(たとえば我々の世界)は何やらあまり悲惨でないディストピアみたいなもので、貧乏人がその日暮らしのギグエコノミーをやって、VRでの代理ゲーマーとかをしている中で、その未来のヤバい連中と関わり合いをもってしまい……みたいな話。

そして上で書いたことはだいたい同じ。舞台は、まあすごくわかりにくいけれど、おもしろいところもある。その中でパパラッチドローンが飛ぶVR空間内の代理ゲーマー云々といったアイデアや、それに伴う各種ファッションはちょっと気が利いたところもあるんだけれど、だれが何のために何をやっているのか、ほとんどわからない。衣装と、おもわせぶりな台詞や新語は散りばめられるけれど、それが何にも奉仕していなくて、それ自体のためにある感じ。そして、例によって中心的な事件もマクガフィンも、なんか結局なぜ問題になっていたのかもわからない。

新作も、各種レビューを見る限り同じ評価。例によって、クリエイティブな女の子が金持ちの怪しい依頼を受け、という話らしい。「ギブスンは、爆発しない爆弾をこちゃこちゃ作ってるだけ」等々。以下のレビューでは「決まり切ったテンプレに目新しいネタを散りばめただけ」と酷評。

www.kirkusreviews.com

アマゾンの英米のレビューを見ると、なんか絶賛レビューばかりだけれど、ぼくはみんなまともに読んでるかどうか怪しいと思う。ということで、この新三部作(そう、一応なんかシリーズみたい)は、たぶんもう読まないと思う。

*1:たとえば「24」は、二度見るとまったくナンセンスでまともに見ていられない。だれが裏切り者かわかって二度目を見てると、どうしてこのときこいつはちゃんと動かないんだ、あのときなんでこれをやらなかった、と疑問点が多すぎるから。でも、初見だと、その場の勢いと、少し前の話なんてかなり忘れてるから、いろいろうやむやにしておもしろく見られる。でもギブスンは、その場の勢いもないんだよね。

ガルシア=マルケス『戒厳令下チリ潜入記』:ガルシア=マルケスは潜入してないし映画のおまけ。潜入して何が見えたかはまったくなし。

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

ずっと本棚にあったのを初めて読んだんだが、いろんな意味で看板倒れのような代物だなあ。

まずこの題名を読むと、ガルシア=マルケスが潜入したんだと思うでしょう(ぼくはそう思って買っていた)。でも実際は、潜入したのは映画監督のミゲル・リッテンで、ガルシア=マルケスはそれをインタビューして潜入記に仕立てただけ。なーんだ。

話の中心は、潜入のプロセスやその過程でヒヤヒヤしたとかいう話はいろいろ出ているんだけれど、話だけで写真も何もない。ボヘミアン暮らしのよいご身分の監督が、潜入のためにウルグアイブルジョワになるとかで、体重を落としたり髪型変えたりとかいろいろやったそうなんだけれど、使用前/使用後の比較写真とかそういうのはまったくない。ガルシア=マルケス様の文章からそれを想像しなさいってことなのかもしれないが、でも映像作家の潜入記だろうに。銀塩フィルム時代で、いまみたいになんでもバカみたいに撮影できないのはわかるし、またもともとリッテン当人はこんな潜入記をつくるつもりはなく、あとからガルシア=マルケスの発案でできた代物だから、そんな自分たちの様子を映したりしようという発想がなかった、ということなんだろう。とはいえ、それで迫力がなくなっているのは否定しがたいところ。小道具になって、後にピンチを引き起こしかけたというそのジタンのタバコの空き箱に殴り書いたメモとか、少し見せてよ。

当時のチリの状況について潜入して何か目新しいことがわかったかというと、結局言ってることは、独裁政権が圧政してて、不満が高まっています、というだけ。その具体的な記述はほとんどなく、いま読んでも何か特に発見があるわけではない。その状況を如実に示すような写真もない。当時(1980年代)なら、報道管制で弾圧があるとか、治安警察があちこちにいるとか、デモがあるということ自体が何か新しい話だったのかもしれない。でも、写真もほとんどないし、そこらへんのリアリティはあまり迫ってこない。そもそも、その滞在中にあまり大したことが起きているわけでもない。デモ隊と警官隊が衝突しているわけでもない。いま香港で起こっているのを日々見ているのと比べて、ずいぶん呑気な感じがしてしまうのは、野次馬の身勝手な感想ではあるけれど、でも実際問題としてそんな緊迫した状況が何かあるわけではないのだ。

この監督は、その潜入の様子をルポ映画にしたとのこと。ぼくはその映画は見ていない。

戒厳令下チリ潜入記 [VHS]

戒厳令下チリ潜入記 [VHS]

そしてたぶんその映画を見ていない人にはまったく意味がない。かなりの危険をおかして、レジスタンスみたいな人の親玉に会いにいった、という下りがある。読者としては、会ってその親玉が何を語ったのか、というのを知りたいと思うんだが……いろいろ合い言葉を用意して目隠しされて隠れ家につれていかれ、という話の後で、やっと会えた、と書いてそれでおしまい。インタビューの内容とかは一言もない。映画にはあったのかもしれないね。が、この「ルポ」だけでは要するに何もわからないということだ。読む価値ほとんどなし。

コルタサルニカラグアルポは、完全にお膳立てされた完全なヤラセではある。でも、それでもまがりなりに実際に見たという迫力と、薄っぺらとはいえそれについてのコルタサルの興奮はつたわってくる。それがあの本を一層悲しいものにしているのではあるけれど。

cruel.hatenablog.com

でもこの本は、そういう楽しみもあまりない。一過性の本にすぎないとは思う。当時は、たぶんここに書かれていない多くのことが同時代的に共有されていたので、出版/翻訳当時はもう少しおもしろく読めたのかも知れないけれど。棚からは除却処分です。

Qubes OS 4.0 をLenovo Thinkpad X230 Tablet に入れてみると

Qubes 4.01 を Lenovo X250 にインストールして、少しずつ環境を作るとまあ使えるようになってきました。特にフォントがきれいになると、結構いい感じ。

そこへたまたま、ヤフオクでジャンクの Lenovo X230 TABLETを落札してしまいました。タッチスクリーンがついているし、画面が回転するし、スタイラスもあり、タブレットモードにもなる。で、どうでしょう。Qubesはこれも扱えるかな? インストールはたぶんできるだろうけれど、タッチスクリーンとかはどうだろうか? 答は、一応扱えます。

Qubes4.0 on X230 Tablet
Qubes on X230 Tablet

ちなみに、このX230 Tablet はキーボードを X220のものに交換してある。Thinkpadのチクレット型キーボードは決して悪くないけど、でもどっちかといえばこういう普通のキーボードのほうが好きなもので。この頃のThinkpadは、こういうのが実に簡単にできてすばらしい。

インストール

インストールは、 X250の場合とまったく同じ。xen.cfg への加筆もまったく同じ。だから前のやつをみてほしい。

cruel.hatenablog.com

ちなみに、インストールの間はタッチスクリーンが機能している。すばらしい。

インストール後

インストール後、起動もX250とまったく同じだけれど、もうタッチスクリーンは使えなくなる。画面を回転させることはできても、それだけ。画面をフリップしたりするボタンも動かない。

でも、デバイス選択メニューの下に、タブレットというのが出てくる。これを何かVMにつないでみよう(たとえば personal とか)。

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Tabletバイスを "personal"VMにつなぐ

すると、タッチスクリーンが動くようになる……んだけれど、そのデバイスをつないだVMの中だけ。だから同じ画面の中で、この場合だと「Personal」VMのウィンドウの中だけタッチスクリーンが機能する。変えればそのVMのウィンドウ内だけ。

(日本語版のYouTubeビデオ作るの面倒なので、英語で堪忍してくれ。別に言ってることがわからなくても、画面の片方のウィンドウではタッチスクリーンが使え、もう片方では使えないこと、そしてタブレットの接続先をデバイスで変えると、タッチスクリーンが機能するウィンドウが切り替わることだけわかれば十分だし)

 


Qubes OS をLenovo X230 Tableで使う。タッチスクリーンの挙動はちょっと変わってる!

 

なんか異様な感じではある。またウィンドウ自体の移動とかはできないし、メニューの選択とかもできない。かなり直感に反するものとなっている。当然ながら、タブレットモードで画面にソフトキーボードが出てきたりもしない。が、使えることはわかった。

その他の面では X250 と同じ。メモリが16GBと二倍なので、いろいろ高速になるかと期待したけれど、それほどでもないかな。

注意

X230 Tablet はジャンクで、HDD さえついてなかった。バッテリーは完全に死んでる。カメラもない。ハードの試験用にWindows10をインストールしてみたけれど、どうも画面の回転やフリップのボタンはこちらでも機能しないので、ハード的な問題なのかもしれない。Qubes のドライバの問題ではないのかも。

結論

というわけで Qubes4.0 を Lenovo X230 Tablet で使うことは可能だし、タッチスクリーンも機能する……ただしちょっと予想外の形ではあるけれど。だから、敢えてQubes用に X230 Tablet を使う必然性はない。普通の X230 とまったく同じにしかならない。ぼくみたいに安く手に入るなら、ご検討ください。

それにしても、ラップトップは10年前のものでも重いだけで、現在のものとそーんなにちがわない。少し重くても、普通は机の上とかで使うし、ひざがつぶれたりはしないだろう。でもタブレットは、この10年の進歩はすさまじいものがある*1。特に携帯性。いまのタブレットは、本当にずっと持ったまま使える。でも2キロ近い「タブレット」をずっと持ち続けて使うというのは、まず無理だ。X230 Tablet を本気でタブレットとして使うのは、いまはちょっとあり得ないでしょう。さらにQubesは、タブレット利用なんかまったく想定していない。その意味でも、まあちょっとした実験以上のものではない。

*1:え、X230って、2013年の機種なの? たった5年前? なんかはるか古典古代のマシンのような気がしてた……

Qubes OS 4.0 on Lenovo Thinkpad X230 Tablet: Very Wierd

After installing Qubes 4.01 on Lenovo X250, things were pretty comfortable. After installing some decent fonts, things were becoming really useful.

And then, I happened to get my hands on a junk Lenovo X230 TABLET. This thing has a touch screen, a stylus, rotatable screen to go into tablet mode. I was curious; could Qubes handle this? Short answer; yes, although not perfect.

Qubes4.0 on X230 Tablet
Qubes on X230 Tablet

BTW, I changed the keyboard to the one from X220. I'm not a fan of chicklet keyboards, even though the ones on Thinkpads are pretty good.

Installation

Installation was exactly the same as X250, including the additional lines to xen.cfg. So please refer to my former entry.

cruel.hatenablog.com

Interestingly, during the installation, the touch screen works. Great!

After Installation

After installation, Qubes starts up, exactly the same way as X250. However, the touchscreen doesn't work. I can rotate the screen, but it really doesn't do anything. The buttons to flip and rotate the screen doesn't workBut then, I noticed that under the Device selection, there is the touchscreen stuff. I can connect it to a specific VM.... say, personal.

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Connect tablet device to "personal"VM

And then, the touch screen works..... but only in that specific VM. So within the screen, the touchscreen only registers for the apps under "Personal"or "Work" or whatever you choose to connect the touchscreen device.


Qubes OS on Lenovo X230 Tablet: the touchscreen works.... in a weird way!

This is VERY WIERD. I can't select any other window, or choose the global menu using the touchscreen. This is so counter-intuitive!!! But at least it works.

Otherwise, it is the same as X250. I thought X230 might fare better, because it has 16GB of RAM as opposed to 8GB, but nothing significant.

Caveats

I got my X230 Tablet as a junk. It didn't have an HDD. Bettery's totally dead. Just to test the hardware, I installed Windows 10. The built-in camera doesn't work, the buttons to flip and rotate the screen doesn't work in Windows10 either. So maybe these buttons are hardware issues, not necessarily Qubes problems.

Conclusion

So Qubes4.0 on a Lenovo X230 Tablet is useable, and it can even utilize the touchscreen.... in a wierd way. There's no serious advantage in getting one. So if you can get one cheap, why not? But don't expect to have a tablet-mode Qubes. Qubes doesn't have those soft-keyboards and stuff. Also, the tablet mode is really impractical today. Laptops are more or less the same today compared to 10 yrs ago, only slightly lighter and thinner, but tablets from 10 yrs ago are really nowhere near today's tablets or "Yoga" type machines*1.

*1:What??? X230 is a machine from 2013?? Only 5+ years old? I had the impression that it's from the stone age.....

Qubes OS 4.0 を Lenovo Thinkpad X250 にインストールしてみた

(See the English version here)

"Qubes4.0 on Lenovo X250"
Qubes4.0 on Lenovo X250

Qubes OSを、Lenovo Thinkpad X250にインストールしてみたので、ご報告。

2019年7月、ちょうどエドワード・スノーデンの自伝を訳し終えた。

prtimes.jp

もちろんこういうのを読むとパラノイアになる。なんでもNSAの陰謀に思え、パソコンのカメラにはテープを貼る。一方で、パスワードマネージャを使ったり、メールをPGPで暗号化はしないまでも(だって受ける側が使ってないから)署名くらいはするようにした

そして、スノーデンがこの本でも推奨しているQubes も見てみることにした。

Qubes のインストールガイドは、本家のドキュメンテーションも含め、ないわけじゃない。でもかなり専門的で特殊といえば特殊なOSで、いまのところインストールしようという人は、それなりに「わかった」人で、各種ガイドもそれ相応に専門的だ。ぼくは昔からLinuxとかいじってはいるけれど、最近はご無沙汰だし、それにQubesはLinuxをベースにしつつも、根本のところでかなりちがう考え方をする。そうした部分についての情報はあちこちバラバラで、見つけるのも一苦労だし、書きぶりもむずかしい。あのバージョンではこうだがこのバージョンではこうで、ああいうやり方もあればこんな考え方もあり……

そこで、まずは自分でやってみて、その過程をざっと述べることで、あまり知らない人がとりあえず使えるところまで持って行けるようにしたいなと思って、これを自分のメモも兼ねて作ってみた。

0. はじめに

Qubes OS と言っても知らない人がほとんどだろう。本家のサイトを見てね、と言いたいところだけれど……

www.qubes-os.org

基本的には、高セキュリティのオペレーティングシステムとなる。ただしセキュリティを謳う他のOS、たとえばOpenBSDなどとは根本的に考え方がちがう。

ほとんどのOSは、様々な活動が全部ごっちゃになっている。同じブラウザでネットバンキングをやった直後にいかがわしいインチキサイトにでかけ、仕事で部外秘の資料を作ったワードやエクセルで詐欺メールの添付ファイルを開く。だから、インチキサイトのブラクラでネットバンキングのパスワードを抜かれたりするし、部外秘の書類がいつの間にか流出したりする。さらにどこかでウィルスを拾ってきたりしたら、それはシステム全体にすぐ広がり、コンピュータ全体がやられ、それが社内すべてに広がり……

Qubesは、こうした各種の活動を完全に切り離す。各種の作業、たとえばシステム、利用者の仕事、遊び、怪しいものを分けて、それがお互いにアクセスできないようにしている。具体的には、それぞれの活動について、バーチャルマシン (VM) を作り、完全に仕切っている。だからウィルスに感染しても、それは外に広がらない。そのVMを消せばおしまいだ。そして外部とのアクセスや内部のプロセス通信には、必要とあらばTorを使い、各種のトラフィックがどこから来たか追跡されないようにしている。使われているWhonixとかはまだ勉強不足でぜんぜんわからないけど。でも全体として従来のOSとはかなりちがう考え方で、なかなかおもしろい。

というわけで、いじってみることにした。手元に Lenovo X250 が転がっていて、ハードの要件を見ると、使えそうだし、すでにインストール実績もある模様。

0.1 Qubes はむずかしいか? Linux 経験は必要か?

いる。少なくとも、ある程度は。

Qubes の各種 FAQ や掲示板を見ると、「簡単だよ」「だれでもインストールできるよ」「Linux経験なんか不要だよ」みたいなことが書いてある。そりゃ言われた通りにやって何も問題が起きなければ、経験のない人でもインストールできるだろう。またウェブブラウザが使えればいい、何も入力しない、という人なら確かに未経験者でも問題ない。

でもインストールで問題が起きたら、トラブルシュートが必要だ。何かアプリケーションを追加したければ、そのために rpm とか deb とかの何たるかと、その扱い方はいるだろう。QubesはLinuxFedoraDebianをベースにしているけれど、各種ドキュメンテーションFedoraって何かも説明しないし、まして yum/dnf や apt についても、いきなり出てくるだけ。

ブラウザのFirefoxとかTorとか、メールソフト (Thunderbird) はある。でもどっかにアイコンがあるわけではなく、インストール済みのものですらコマンドラインからソフト名をタイプして呼び出さないといけない。完全な初心者にも使えますよ、というのはちょっと話を盛りすぎだと思う。

0.2 Qubesを走らせるのに必要なマシンは?

ぼくも X250 (i5, 8GB RAM, 500GB SSD) で使っただけだけれど、このくらいが使い物になる最低限じゃないかな。特に画面サイズは、ぼくは大画面になれすぎているのでX250 の 12.5インチ 1366 x 786 LCD は、ちょっとつらい感じだ。

Qubes のサイトには ハード要件と、 ハードウェア実績リスト があり、Qubesインストールに成功した各種マシンが報告されている。ただ、インストールに成功したというのと、それが実際に使えるというのとは、話がかなりちがう。

もともと手持ちの X250 は、8GB RAM, 500GB HDDだった。これだとかなり遅い。Qubes は仮想マシン (VM)を使う。VMWare や Pararelles 上のOSでソフトを走らせるようなものだ。オーバーヘッドがかなりあるし、CPUもいる。さらにディスクアクセスも多い。HDDのときには、新しいソフトを別のドメイン(VM) で開こうとすると、すさまじい時間がかかり、実際にそのアプリが開いた頃には、何をしようとしていたのかも忘れているほどだった。

SSD にしたらこれはずいぶん改善された。サクサクとまではいかないけれど、別のVM上でアプリを開いても、何をする気か覚えている間には立ち上がる。最近はSSDも安いし、これに交換したらQubesの評価は激増した。

たぶんRAMを16GBにするのも効くだろうけど、16GB びSODIMM DDR3L PC3L-12800 (X250はメモリスロットが一つしかない) はやたらに高くて、中古の X250がもう一台買えそうなほど。ちょっとそこまでするのは本末転倒に思えた。

さて何より画面サイズ。Qubes は複数のドメイン(VM)を使い、そのそれぞれはまったく別個の世界なので、仕事用、遊び用、私用それぞれで別々にブラウザを開き、別々にメーラーも開き、ヘタすると別々にオフィススイート開くことになる。それがそもそもの狙いではあるけれど、同時にまちがいなくふつうよりウィンドウの数は増え、デスクトップもごちゃごちゃになる。12.5インチだと、ちょっと小さいかなあ。

Qubes のページにはお墨付きの推奨マシンがあるけれど、これはX230だ。i7, 16GB RAM, SSDという構成。小さい画面を除けば、これでかなり本格的に使えるということね。 X230 をベースしたのは、RAM増設も簡単で安上がりだし、各種の改造も簡単だし(X250のキーボードを換えたときは死ぬかと思った)、ということなんだろう。昔のIBM/レノボはよいマシンを作りました。そしてもう一つ、BIOSを完全に狂ったようなセキュリティのオープンソースHeads Open source firmwareと入れ替えられるのがあるようだ。これはおもしろそうだけど……別の機会に譲ろう。

1. まずは準備から

1.1 BIOS (と各種ファームウェア)

まだウィンドウズ環境にいる間に、BIOSチップセットファームウェアを最新版にしておくほうがいいとは思う。Windows Updateではなく、Lenovoの更新ユーティリティを使うか、以下で最新アップデートを見ておこう。

pcsupport.lenovo.com

もちろん後からLinuxやQubesからBIOS更新もできるけれどちょっと面倒ではある。とはいえ、BIOSを更新してもインストールが楽になるわけではないので念のため。

1.2 起動インストール用USBメモリを作る

まず Qubes4.0のISOイメージ をダウンロードして、 balenaEtcher などの書き込みソフトでUSBメモリに書き込もう。他にもいろいろ書き込みソフトはあるので、何でもいいはず……だけれど、ぼくがやったときは手持ちのEtcherの古いバージョンでうまくいかず、ちょっと苦労した。この段階で問題があるなら、ソフトが最新版か見ておくのも吉かもしれない。

Etcher (mac 版) の書き込みウィンドウだけれど、まあ使い方はすぐわかるはず。左から、isoイメージを選び、書き込み先を選んで、書き込めというだけ。

qubes iso を Etcherでusb ドライブに書き込み
qubes iso を Etcherでusb ドライブに書き込み

2. BIOS の設定を変える

では X250を再起動しよう。

f:id:wlj-Friday:20190817153711p:plain

ロゴが見えたら Enter (リターン) を押して、スタートアップメニューに移ろう。

f:id:wlj-Friday:20190817153718p:plain

ここでは F1 を押して BIOS 設定画面に入る。

2.1 Secure Bootを無効に

まずUSBから起動できるようにする。矢印キー <-- -->でてっぺんのメニューを移動し、「Security」を選ぼう。

f:id:wlj-Friday:20190817153728p:plain

その中でいちばん下の「Secure Boot」を選び、 Disabled にしよう。

f:id:wlj-Friday:20190817153735p:plain

ESC で戻る。

2.2 ハードウェアによる仮想化を有効に

QubesはVMの切り替えにメモリ仮想化を使う。これをハードでできると高速だ。「Security」メニューから「virtualization」を選び、どっちも Enabled にする。

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ESC で戻る。

2.3 security chip (TPM) の設定を見る

Qubesは内蔵のセキュリティチップのTPM 1.2 モードの機能を使うので「Security」メニューの「Security Chip」を見てTPMTPM 1.2 モードか確認しておこう。「Discreet ナントカ」になっていれば大丈夫なはず。

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2.4 BIOSはおしまい!

BIOS 設定は完了なので、保存終了のため F10 を押す。

3. インストール

3.1 USB ドライブから起動

さっきISOを焼いたUSBメモリを差し込んで、X250を起動しよう。またロゴのところで Enter(リターン)を押し、 F12を押して起動先一覧を出して、USB メモリを選ぼう。

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するとすごく小さい字の行がびっしり出てくる。インストーラーが動いているので、30秒ほど待とう。

3.2 インストール設定

画面がGUIになり、インストールで使う言語を選ぶところにくる。

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好きな言語を選ぼう。日本語でまったく問題ない。すると、インストールの準備画面にやってくる。

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「Installation Destination」についてる、ビックリマークを始末しよう。そこをクリックして欲しい。

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写真がひどいのは堪忍。ここでは、ディスクを丸ごとQubesにするので、それまで入っている中身は全部消す。デュアルブートも可能なのかもしれないが、QubesのようなOSでそれをやる意味があるのか不明だし、最近のHDDやSSDは安い。ケチってどうなりますか。だからここでは「Automatically configure partitioning」を選び「I would like to make additional space available」にもチェックを入れる (日本語ではどういう表記になっているか未確認)。つまりそれまでのディスクの中身は全部消える。てっぺん左の「Done」を押そう。

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するとディスク構成が表示され。消していいか聞いてくる。よほど理由がない限り、右端にある「Delete All」をクリックし、左下の「Reclaim space」をクリックしよう。

すると、ディスク暗号化パスワードを聞かれる。強い好きなパスワードを選んで、忘れないように!

するとさっきのページに戻ってくる。ついでに、日時と、追加の言語を足しておこう。時間は後で変えるのが面倒だ。それと、Torは接続のときの暗号化で時間データを使うので、システムの時計が30分以上ずれていると、接続できなくなってしまう。だから、時間帯と、そして画面左下にある時計は、きっちりあわせておこう。

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時間設定の画面

言語の追加は、何をするのかよくわからない。日本語入力とかも面倒みてくれるかと思ったけど、そうでもない。フォントやメッセージの日本語訳を入れてくれるのかな? が、どうせついでだからやっておこう。

f:id:wlj-Friday:20190817153835p:plain

これで完了。「Begin Installation」をクリックしよう。

3.3 待ってる間にユーザアカウントを作ろう

インストールが始まるけれど、結構時間がかかる。とはいっても、かつてのカーネルコンパイルほどではないけれど。

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この間に、この画面になるので、管理者のアカウントとパスワードを作っておこう。右側のビックリマークつきのやつをクリックする。なお、ユーザはこの一人だけになる。後で足したりできない。だからあまり気取った名前にしないほうが後々恥ずかしくないかも。

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さてこのまま5分くらいかかって、インストールが終わったという表示が出る。でもここで再起動してはいけない!次をやっておかないと立ち上がらなくなる。

3.4 xen.cfg の編集

各種の報告を見ると、X250で何もいじらなくても最後までいったという人もいる。でも問題があったという人もいる。いろいろ細かい字で表示が出ていきなり画面が暗くなり……それっきり。

これは BIOS 1.27 と 1.34の両方で起きた。

先に進むには、設定ファイルに加筆が必要だ。説明はここに出ているけれど、いろいろある中に埋もれているので見つけにくい。必要なところだけ説明しよう。

  1. Ctrl-Alt-F2 を押す。ちなみにここでF2を押すためには、左下のFnキーを押さねばならないから、実際には「Ctrl-Alt-Fn-F2」になる (こういう細かいところが結構引っかかる)。すると tty コンソールになる。

f:id:wlj-Friday:20190817163630p:plain

  1. /mnt/sysimage/boot/efi/EFI/qubes/xen.cfg を、あの (うひゃー) vi エディタで編集しよう。viなんて最後に使ったのは前世紀じゃないかな。

まず、以下をタイプして vi で問題のファイルを開こう;

vi /mnt/sysimage/boot/efi/EFI/qubes/xen.cfg

f:id:wlj-Friday:20190817163636p:plain

ファイルは開いてカーソルは動くけれど、何も追加できないはずだ。

f:id:wlj-Friday:20190817163642p:plain

「i」をタイプすると、インサートモードになって字が入力できる。

以下の2行をファイルの最後に加筆しよう。

mapbs=1

noexitboot=1

f:id:wlj-Friday:20190817163800p:plain

ESC キーを押して、viコマンドモードに戻ろう。

ファイルを保存して vi 終了には、次を入れる。

:wq

これでコンソールに戻ったので「reboot」とタイプしてシステムを再起動させよう。

4. 再起動の後で

4.1 インストール後初回の設定

再起動すると、なんか細かい字が出てきて、しばらく画面が暗転して考えた挙げ句、ペンギンTuxが何匹か出てくるはず。さらにいろいろ表示は続く。

そして画面が暗くなり、Qubes のロゴが出て、ディスク暗号化のパスワードをきいてくるから、入力しよう。

すると、この初回設定画面にくるはず。

f:id:wlj-Friday:20190817143507p:plain

ビックリマークつきの「Qubes OS」をクリックしよう。こんな画面になるはず。

f:id:wlj-Friday:20190817143501p:plain

ここで何を聞かれているかわかるなら、こんなガイドを見る必要はないはず。そのままにして先を続けさせよう。さっきの画面に戻ってから、インストールがさらに5分くらいは続く。そしてさっきの画面に戻ってくる。ここで、「QUBES OS」をクリックすると、またさっきの設定画面に戻ってしまうので、右下の赤で囲んだ「FINISH CONFIGURATION」をクリックしよう。

f:id:wlj-Friday:20190817143725p:plain

ログイン画面にきたかな?

f:id:wlj-Friday:20190817143513p:plain

作成したアカウントのパスワードを入力。これでインストール完了だ。

4.2 ログイン後

Qubesへようこそ……でも、最初の画面にはほとんど何もない。そのままの画面を撮るのもなんだから、メニューを少し出してみた。

f:id:wlj-Friday:20190817155003p:plain

他のOSを使った人なら、ubuntuなどのLinux系のものでさえ、もっといろいろアイコンとか設定パネルとかがあるのに慣れている。アプリももっといろいろ出ている。確かにメニューを見ると、ブラウザはあるみたいだ。ターミナルを開いてコマンドを入れてみたりできるし、「gedit」とかアプリ名をタイプしたら、起動するものもある。でも日本語入力もできず、他のソフトも使えない。

が、まずはいろいろ確認から。画面の明るさや音量はキーボードから変えられるはずだ。キーボードのバックライトも使えるはず。ではネットにつないでみよう。Wifiでもイーサネットでもいい。画面上右のタスクバーにいろいろアイコンが固まっているので、赤いのをクリックするとwifiを選んだりできる。ちゃんとつながるか確認しよう。USBやSDスロットも、何か差すとなんか言ってくる。ウェブブラウザを開いて YouTube でも見てみよう。動画も音声も出るはずだ。

内蔵カメラと指紋センサは、なんか使えないくさいように思える。が、ご心配なく。あとでやります。それにいまはそんなに重要じゃない。

4.2.1 新しいユーザは追加できない

管理者としてログインしているので、一般にLinuxBSDを使ってきた人なら、一般ユーザをつくって普通の作業はそっちでやろうと思うはずだ。Qubesの利用者はセキュリティ意識が高いはずだから、特にそういう考えが浮かぶはずだ。でも、そのための設定メニューとかが全然ない。

実はQubes-OSでは、ユーザはそんなにない。 Qubes はマルチユーザシステムではない! 唯一のアカウントが、いま使っている管理者アカウントだ。ログインのときに、他のユーザを選ぶ余地もあるみたいだけれど、どうやってそれを作るべきかはよくわからない。

こう、ある意味で本来はユーザの使い分けで実現していたはずのセキュリティを、QubesではVMの使い分けで実現し、その分ユーザは一人だけにした、と考えるといいのかもしれない。

上のリンクを見つけるまでに30分はかかった。そうかなー、という気はしていたけれど、Qubesでは新ユーザは作らないのだ、というのが確認できた

4.2.2 ドメインをいろいろ見てみる

限られたメニューから、ちがうドメインのウェブブラウザを開いてみよう。たとえば「Work」「Personal」でやってみよう。ブックマークを片方に追加しても、他方に影響しない。履歴もちがうものになる。

でも、このドメインの区別は、すぐに混乱してくる。クッキーは確かに共有されない。でもFirefoxではブラウザと同じく、利用者がFirefoxのアカウントにログインしてブックマークや拡張機能を一本化できてしまう。するとドメインの独立もあいまいになる。さてどこまでドメインを分けられるのか? ちょっとむずかしい問題なので、深入りはしません。

4.3 日本語入力

日本語入力をどうしようか? 公式文書では、やり方は以下にある。これはibusを使ったピンイン入力の中国語だけれど、日本語でもやり方は同じだ。

www.qubes-os.org

ではやってみよう。重要なのは、個別のドメインVMでおこなうのではなく、TemplateVMでおこなうということ。インストールした時点であらかじめ作ってあるドメイン(VM)は、Fedoraを使っている。だから、いまあるドメイン(WorkやPersonal) に機能を追加するには、FedoraのTemplateVMに追加することになる。そこでメニューから「Template: fedora-29 --> fedora29: Terminal」を選ぼう。

Fedoraでは、ソフトの追加はrpmというパッケージ管理システムを使う。ソフトは、他のソフトに依存することが多い。その依存関係の面倒をチェックするのがrpmと思えばいい。それをもっと拡張し、いろいろ気を利かせてあらかじめネット上に置かれたパッケージを探して、必要なものをあわせて入れてくれる管理ソフトもある。それが昔はyumだったけれど、いまはその後継のdnfというものになっている。

日本語入力もいろいろあって、さらにそれらを切り替える仕組みもibus と fcitxがあり、いろいろ争いが繰り広げられていたけれど、どうなったんだっけ。いずれにしても、fedoraではfcitxは提供されていないので (gnomeの標準がibusになったってことなの?)、ibus-mozc を使っておこう。

ではさっき開いたfedora29のterminalで次をタイプする;

sudo dnf install ibus-mozc

f:id:wlj-Friday:20190817155018p:plain

いろいろ言ってくるのですべて「y」を押す。

では、インストールが済んだらfedora-29 TemplateVMを再起動しなくてはならない。メニューから「System Tools --> Qube Manager」を選ぼう。

f:id:wlj-Friday:20190817155149p:plain

fedora-29 TemplateVMを右クリックして「Restart qube」を選ぼう。これでおしまい。

f:id:wlj-Friday:20190817155036p:plain

では、何かドメインを開こう。Personalでもなんでもいい。そこでターミナルを開き、こうタイプする。

ibus-setup

なんか出てくる。ここから先の設定はいろいろ自分で調べたりネットを見たりしてほしい。要は設定画面のタブで「input method」を選び、「Japanese」の下から「mozc」を追加すればいいわけだ。するとツールバーの右側のあたりに、言語のアイコンが出てくる。それをクリックすると、さらに設定が出てくる。

なお、ドメインはそれぞれ別れているから、あらゆるドメインで同じことをする必要がある。そしてそれぞれのドメインibus-mozcアイコンは、別個に表示される。だから、同じものがたくさん並ぶことになって、いささかごちゃついている。なんか日本語入力はグローバル設定にしたほうが……でも一方で、ドメインをそう簡単にまたがれてしまっては、ドメインをつくってすべてを隔離した意味がなくなるものね。

f:id:wlj-Friday:20190817154932p:plain

ibus-mozc を自動で起動させるには ~/.bashrc の編集が必要になる。これは、上の本家ドキュメンテーションにある通りなんだが、これをやってもibusが起動せず、しばらく悩んだ。答は簡単で、 .bashrc に起動するよう一行書いておけばいい! だからドキュメンテーションのある3行ではなく、4行追加することになる (nantoka.netの人ありがとう!!)

f:id:wlj-Friday:20190818004814p:plain

たった4行のタイプも面倒だという人向けに、コピペできるようにしておこう。

export GTK_IM_MODULE=ibus

export XMODIFIERS=@im=ibus

export QT_IM_MODULE=ibus

ibus-daemon -rdx

設定した Qube/ドメインを再起動させよう。こんどは ibus-daemon が自動的に起動したはず。

……が、いまだにひらがな入力とか各種の設定を覚えさせておくことができない。毎回設定しなおす羽目になっている。たぶん、何か単純なことを見落としているんだと思うが、とりあえずは放置。

4.4 他のソフトの起動とインストール

一部のソフトはインストール済み。単に画面にアイコンやメニューがないだけだ。そういうのはコマンドラインからアクセスが非通用となる。たとえばメールソフト Thunderbird の起動は、そのドメインでterminalを開いて、次のようにタイプする;

thunderbird &

ちなみに最後の & は、ソフトを裏で動かしてterminalがプロンプトに戻ってくるようにするもの。こうしないと、そのソフトが終了するまでterminalはずっと使えなくなってしまう。

いったん起動したら、Thunderbirdの設定は他のOSの場合とまったく同じだ。

でもインストールされていないソフトはどうする? ここでドキュメンテーションを読まない人(つまり全員)が落とし穴にはまり、混乱する。

たとえば、オフィススイートの LibreOffice をやってみよう。まずコマンドラインLibreOffice を起動してみる。

libreoffice &

すると、ありません、と言われる。だから自分でインストールしなければならない。

4.4.1 まちがったやり方。

Linux 利用者などはここで、自分のソフトをその場でインストールできると考える。つまり(Fedora配下のドメインなら) 、自分がいま使っているところでターミナルを開いて、こうタイプすればいいと考える:

sudo dnf install libreoffice

これは、一見するとうまく行く。インストールは一応終わる。では起動しよう。

libreoffice &

これでちゃんと起動し、そして文書を作れるのだけれど……でも保存できない。そしてそのドメインを閉じて次に立ち上げるときには、LibreOffice ごと消えてしまっている。

4.4.2 正しいやり方

実はここらあたりはちゃんと公式文書に出ている。が、えらく長ったらしい。

www.qubes-os.org

話は日本語入力と同じで、TemplateVMでまずインストールするということだ。すると、その配下のドメインでそのソフトが使えるようになる。

ではFedoraのTemplate VM を開こう。「Template: fedora-29 --> fedora29: Terminal」だ。

そして次をタイプする;

sudo dnf install libreoffice

いろいろ言われたら全部「y」だ。

そしてまたTemplateVMの再移動だ。「System Tools --> Qube Manager.」を選ぶ。

f:id:wlj-Friday:20190817155149p:plain

fedora-29 TemplateVMを右クリックして「Restart qube」を選ぼう。ついでに、自分が使っていたドメイン(たとえば「work」も一応再起動させておこう。

f:id:wlj-Friday:20190817155036p:plain

では、そのドメインに出かけて、ソフトを立ち上げよう。

libreoffice &

今回は、アプリケーションが開き、文書も作れて保存できる。

f:id:wlj-Friday:20190817155007p:plain

4.5 内蔵カメラなどの使用

ここの部分、必ずしもよくわからない。カメラとか、なんだか途中で「見つかった」とマシンのほうから報告してきたけど、最初は検出されなかったような気がする。が、まあいいや。

でも検出されたら、使えます。が、これまたちょっと直感的ではない使い方となる。

たとえば「Work」ドメインのターミナルを開けて、カメラを使うアプリケーションを開こう。たとえば Cheese はインストール済みだ。

cheese &

すると、アプリケーションは起動しても、カメラが見つからないよと文句を言われる。

必要なのは、デバイスをどのドメインに接続するか選ばねばならないということだ。Qubesではデバイスもグローバルなアクセスは持っていない。

これについての公式文書は以下にある。

www.qubes-os.org

うん、これも長い。結局、右上のタスクバーのツールボックスに、デスクトップマシンみたいなアイコンがある。それをクリックすると、デバイス一覧が出てくる。中にカメラもある。それを、自分がいま使っているドメインにつなげよう。たとえば「Work」とか。

f:id:wlj-Friday:20190817154941p:plain

では、「Work」ドメインのターミナルに戻り、また Cheese を起動しよう。今度はカメラを見つけてくれて、己が醜き顔が画面に表示されるはずだ。

f:id:wlj-Friday:20190817155040p:plain

たぶん、さっきのデバイス一覧に出てきた、なんだかわからないものは指紋リーダーかなんかだと思う。これはまだ試していない。

4.6 フォント

Linux などをインストールして多くの人が、なんだか洗練されていないと思って使うのをやめてしまう最大の理由は、フォントだと思う。フォントをちゃんと入れましょう。

使える各種のフリーフォントはいろいろあるので、たとえば以下を見てほしい。

note.kurodigi.com

Qubesへの入れ方は、上のアプリケーションと同じ。各テンプレートでdnfを使ってインストールすればいい。以下のページでのやり方をみてほしい。yumになっているところをdnfにすればだいたいオッケー。他のフォントの入れ方も、類推できるはず。

beyondjapan.com

ものぐさな人のために、ipaフォントとvlgothic については以下でオッケー。noto-cjkフォントとかも同じようにできます。

sudo dnf install ipa-*-fonts

sudo dnf install vlgothic*

sudo dnf install google-notojp

(notoフォントは、全部入れると2ギガを超えるすさまじい量になるので、日本語だけとかアラビア語だけとか自分で取捨選択して!)

こう、フォントはテンプレートごとに入れねばならないのか、それとももっとグローバルに入れる方法があるのか? これはまだ調べがついていない。

こうした好きなフォントをあちこちで使うようにすれば、かなり洗練された印象になるはず。各種ウィンドウのタイトル部分が漢字を表示できないのは、ロケールをいじればいいのかな? これも今後の課題。

つづく……

というわけです。Qubes4.0 をレノボ Thinkpad X250 にインストールし、そこそこのところまできた。ブラウザ、メール、オフィススイート、日本語入力、どれも使える。すばらしい。でもごく基本的なところがまだわかってないかったりする。mozcの設定を保存する方法とかね。

でもここまでくると、自分が使いたいアプリケーションも好きにインストールできるようになる。Linuxではインストールしただけで終わりとなるケースがかなりあった、いやほとんどだったけれど、ここまで一通りできると、少し実際に使うのも視野に入ってくる。そして使うようになったら、今度はドメインをまたがってコピペはできるのか(できるけど、ちょっと一段手間がかかる)、ファイルを別ドメインに移すにはどうすればいいか(前と同じ)、といった新しい課題が出てくるけれど、これはかなり軽い悩みだし、ちょっと慣れないシステムの変わった癖くらいのものになる。すると投げ出すより、文書を読もうかという余裕も出てくる。ちなみに、以下に書いてあります。

www.qubes-os.org

実際ちょっと使ってみると、確かにおもしろいけれど、うーん。やっぱ使う側に制約多い。Firefoxのユーザアカウントでいろいろドメイン間で共有されたら? 全部のドメインで同じGoogleアカウントにログインしたら、結局意味ないのでは? YouTubeやアマゾンは? Qubes的には、そういうの全部別ドメインにしろ、と言うけれど、現実的かなあ。

そしてこれまでの話は、すべてFedoraベースのrpmを使ったドメインだった。でもDebianベースのTemplateもあり、そっちはdeb/aptの世界が使える。仮想マシンをいくらでも作れるので、これは当然だけど、ちょっとおもしろい。そしてさらに、WindowsVMまで作れるそうな。それができたら使い勝手は跳ね上がる……けど、ぼくがそれを実現するまでは紆余曲折ありそうだ。

というわけで、これがぼくのQubesインストールと軽く使った体験。もちろん、X250だけしか見ていないから、他のマシンでは特にインストールの部分で勝手がちがったりはするだろう。あらゆるマシンでこれができると主張するものではないので、念のため。また、なんかとってもバカなことをしてたり、全然見当外れのことを言ってたりする面もかなりあると思うので、助言やご指摘あれば大歓迎!

山形浩生 (hiyori13@alum.mit.edu)


なんか、こういうコメントがきた。

Qubes OS 4.0 を Lenovo Thinkpad X250 にインストールしてみた - 山形浩生の「経済のトリセツ」

セキュアにしたければ普通Firefoxのアカウント共有しないよ・・・

2019/08/18 16:36
b.hatena.ne.jp

言いたいことはわかる。その一方で、あらゆる人がこういう高いセキュリティ意識を持つことを前提にしたセキュリティモデルは、ぼくは持続不能だと思う。バカが(いやバカでなくても)安きに流れて、それでも一定水準確保されるのが、あるべきセキュリティモデルだと思う。うん、むずかしいのはわかるけどね。