プーチン本その3:『オリバー・ストーン オン プーチン』:ストーンが頼まれもしない反米提灯かつぎをする情けない本/映画

Executive Summary

 オリバー・ストーン オン プーチン』(文藝春秋、2018) は、同名のプーチン連続インタビューシリーズの文字版。2015-2017という、プーチンやロシアをめぐる各種の大きな事件が次々に起きた時代で、本当であればまたとない情報源となれたはず。ところが、オリバー・ストーンは自分がしゃしゃり出て、頼まれもしないのに反米妄想をふいて呆れられ、そしてそこにつけ込まれてなんでもアメリカの陰謀のせいにするプーチンの主張を全部鵜呑みにしてしまい、明らかに変なことを言われても何もつっこみを入れず、話も深まらない。おかげで、この貴重な機会が完全に無駄になり、プーチンの本当の腹がまったく見えないままで終わってしまう。映像版は、舞台となったクレムリンや大統領専用機、さらにプーチンの余裕の笑みは一見してもいいが、冗長。


 ダメなプーチン本は、もちろん日本だけに限られるわけではない。ただ通常、日本に入ってくるときには翻訳というプロセスがあり、その中であまりにまぬけなものは、あらかじめ選別されて落とされる。だから、そんなにひどいものはそもそも紹介されないことが多いというだけの話だ。

 が、もちろんそのフィルターをかいくぐって、ろくでもないものが来てしまうことは当然ある。特に、かつてはえらかった人が、高齢になってボケたか、勘違いしたか (この二つは結局同じことだけれど)で、まぬけなものを創ってしまった場合。昔取った杵柄でなんか紹介だけはされてしまうけれど……

 この『オリバー・ストーン オン プーチン』はまさにそんな代物だ。

中身は2015-2017年の9回にわたるプーチンインタビューだが……

 これは基本的に、彼のドキュメンタリーのインタビューだ。映像版は尺におさめるために、端折っているようだ。その意味ではこの本のほうが完全版なのかもしれない。確実ではない。後述する理由から、ぼくは映像版は本当に流してしか見ていないからだ。

 2015年から2017年にかけてこれだけまとまったインタビューを行えたというのは、それ自体としては大したものだ。2013年のスノーデン事件と、2014年クリミア侵略の直後。シリアでの虐殺加担があり、アメリカへの選挙介入が疑われた大統領選のロシアゲートもあった時期。それらについて、十回にわたりかなり長時間のインタビューをプーチンに行えたわけだ。プーチンに関する一次資料はとても少ないので、多くの面でプーチンについては各種インタビューがきわめて大きな情報源となる。だからオリバー・ストーンがきちんと仕事をしていれば、この一連のインタビューも得がたい情報源になっていただろう。

 オリバー・ストーンが、きちんと仕事をしていれば。

 が。

 しねーんだよ、こいつが!!! プーチンのインタビューではなく、プーチンにかこつけた、ご自分のあほな反米陰謀論の開陳の場にしちまってんの! プーチンの手玉に取られた、と言いたいところだけど、手玉に取られるまでもなく自分で勝手にゴロゴロして、むしろプーチンにたしなめられてんの!

ダメなところその1:対等なつもりでストーンがでしゃばる!

 名作『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の最後では、絶好調の旬だった時代のジュリエット・ルイスが「きみたちの姿を世に伝えるために私が必要なはずだ!」というバカ記者の命乞いをせせら笑い、「おまえは人間じゃない、メディアなんだよ」と言い放って殺す。かつてのストーンは、少しはメディア=自分の役割に自覚的だった。撮る側、撮られる側の区別もわかっていた。メディアは決して相手と対等なんかではないというのを知っていたはず。

 ところが『ストーン/プーチン』では、その自覚がまったくない。インタビューを受けてもらえたのが、自分の重要性を認めてもらえた証拠だと思って舞い上がり、何やら自分がプーチンと対等に話ができるつもりになっていて、ひたすらイタい。会ってすぐため口になれると思い込む、アメリカ人の悪いクセをしょっぱなからむき出しにして、延々と自説開陳を続け、あげくにプーチンに「それは質問じゃなくてあんたの意見を言っているだけだな」と何度かせせら笑われる始末。その時点でお話にならないでしょー。

ダメなところその2:反米妄想を即座に見透かされるまぬけさ!

 実際には、オリバー・ストーンプーチンに完全に見透かされているだけ。彼は反アメリカが骨の髄まで染みついている。だから、アメリカの悪口でプーチンと盛り上がれるものと勝手に思い込んでいる。だから、「アメリカはこんなことしてる、こんなろくでもない、あんな悪辣な、ウォール街が、ディープステートが」と一方的にがなりたて、「あんたの意見はどうだ」「あんたもそう思うだろ?」とやたらに同意を求めている。いやあ、そんなアメリカの国内事情についてプーチンに聞いてどうすんのよ。

 その反米ぶりのあまりのひどさに、当のプーチンまでが「私を反アメリカ主義に引きずり込むのはやめてほしい」 (p.85) と釘を刺しているほど。そして「なんで僕チャンに同意してくれないの! あんたはアメリカがひどいとおもわないのか!」とダダをこねるストーンに対し「あんたはアメリカ国民だから、自国批判も好き勝手にできるけど、オレは別の国のトップなんだから、他国の国内事情や政策についてあれこれ論評する立場にないんだよ」と諭しているほど。

 ブッシュやオバマやトランプなど、個別の大統領についても、ストーンは「あいつらはこんなことして、不正直で、わかってなくて」とまくしたてる。それに対してプーチンは、それぞれの大統領個人についてはかなり高い評価をする。あいつらはわかっていた、あいつらは結構考えていた、きちんと話もした、と。当然だ。「いやあ、ブッシュは本当にアホな小者で世間知らずのボンボンでさあ」なんて言えるわけないじゃん。ストーンは何やらそれが不満らしいのだけれど、「いや悪いのはその大統領にいろいろ吹き込んで手足を縛る側近とその背後の利害関係者だよ」とプーチンが述べるとストーンはすぐに「おお、ディープステートだね」と嬉しそうに食いつき、またもプーチンに「いや呼び名はどうでもいいけど、産軍共同体みたいなのはどこの国にもあるからさー」と理性的に返されてしまう。

 そして、そういう相手だと見切ったプーチンは何をするか?

ダメなところその3:アメリカの悪口さえ出てきたら何も疑問視しない!

 もちろん反米妄想に巻き込むなと言っておいて、ひたすらアメリ陰謀論をぶつのだ。そうすれば相手が喜ぶから。そしてストーンのまぬけな反米妄想をたしなめた後なので、プーチンアメリ陰謀論は何やらえらく中立的で根拠のある、まともなものに聞こえてしまう。

 反米に巻き込むなと言ったその口で、プーチンはあらゆるものをアメリカの陰謀、CIAの工作に仕立て上げる。チェチェンの分離独立も、ダゲスタンの分離独立運動も、すべてCIAが工作した。NATO拡大もアメリカの工作。ソ連崩壊後のロシアの低迷もアメリカのせい。マイダン革命は、アメリカによるテロ工作。クリミアやドンバスは、アメリカによるテロ工作で生じた虐殺をロシアが救いにいっただけ。イラクもシリアもイスラム国もアメリカのせい。

 これに対してストーンは、一切つっこみを入れない。「そうだよなー、アメリカひどいよなー」「やっぱあいつらの仕業だったかー」みたいなことを言って、全部スルー。彼は、アメリカが悪いという話をききたかっただけで、それが出てきたらもう満足しちゃう。

ダメなところその4:反論つっこみ一切なしで不勉強!

 明らかに事実とちがう話をされたら、少しは反論したり問いただしたりしないのか? しないんだよ。ウクライナのマイダン革命で、当時のヤヌコーヴィッチ大統領がロシアに逃げたのに対し「いや逃げてなくて外交旅行だったのに、そのすきに国が乗っ取られてアメリカがフェイクニュースを〜」なんて話をされたら、普通は「いやそれはないだろー」と突っ込むはず。クリミア侵略に対して「いやだってコソボは〜」と言われたら、「ちょっと待て、話をすり換えないでくれ」と言うのが普通じゃない? そういうのまったくなし。マレーシア航空撃墜の話も、「いやあれはウクライナ軍がやった」と言われて何もきかないの? アメリカ大統領選での選挙工作だって、ロシア系のアカウントがいろいろデマながしたり工作したりしていた事実はかなりはっきりしている。それがどこまで影響したかは議論の余地はある。でも、「ロシアはまったく手出しをしていない」と言われて、はいそうですか、と引き下がるか、ふつう?

 でも、ストーンは、あっさり引き下がる。プーチンの言うことはすべてそのまま額面通りに受け取る。いやはや。軍事費の話で、アメリカの軍事費の絶対額はロシアの10倍だ、と言われると、普通はそこで「いやでもアメリカのほうが国がでかいんだからさあ、GDP比ではロシアのほうが高いぜ」くらいの反論はほしいところだけど、ストーンは「アメリカの産軍共同体のディープステートが〜」の話に流れて平気だ。

 ストーンはさらに、信じられないほど勉強不足。彼はなぜか、ビン・ラディンアルカイダがロシアの手先だと思っている。だからプーチンに、なんでビン・ラディンの居場所を教えなかったとか言う。それに対してプーチンは、「そんなの知らん、あいつらを育てたのはアメリカだ、オレたちは関係ないしコネもないぞ」と言う。そして、それはその通りなのだ。ストーンがこういうオウンゴールをやるおかげで(つーかこのシリーズすべてが壮大なオウンゴールではあるが)、プーチンの主張がなおさらご立派に聞こえてしまうという……

スノーデン(字幕版)

スノーデン(字幕版)

  • ジョセフ・ゴードン=レヴィット
Amazon

 このインタビューは映画『スノーデン』を撮るついでに実現したものだという。だからスノーデンの話が結構たくさん出てくるのは、まあ当然なんだけれど、そのスノーデンがらみの質問もしょうもないものばかり。また、キューブリック博士の異常な愛情』にやたらにこだわって見せて、挙げ句の果てにそのDVDをいっしょに見たりする。なんで? 何のために? それってあまりに壮大な時間の無駄じゃないですこと? いまのアメリカもこれと同じだ、とか言うんだが、どのへんを問題にしたいんだろうか? 忙しいプーチンの時間を割いてこれをわざわざ見せる必要が本当にあったの? そういうポイントもなく、プーチンがあれを気に入ったと言ったことに満足して (いや社交辞令ってもんがありましてですね) それでおしまいにしてしまう。

 さらにロシアの民主制について尋ねるにあたり、大統領の独裁が強くて議会が弱く、メディアが統制され、LGBTの権利がないがどうする、と尋ねる。(pp.161-2) LGBT??? まったく粒度のちがう話じゃないの? なんでそれが同列に出てくるわけ? そしてプーチンに、そこを突っ込まれる。アメリカの一部の州だって、同性愛を刑事犯罪にしてるじゃないか、ロシアにはそんな法律はないぞ、と切り替えされたら、もうそれっきり。レベルのちがう話をごっちゃにして、そこを突っ込まれて大事な民主主義の話はもうそっちのけ。情けない。

 結局、何か言ったらプーチンに一蹴されるか、あるいは反米の宣伝をとうとうと語られてそのまま納得してしまうので、これを見るとプーチンがすべてに対して見事に隠し事もなく誠実に答えているように見えてしまう。インタビューなら、相手を多少は怒らせるくらいの質問ができなくてどうすんのよ。あまりにプーチンの言い分しか聞かず、つっこみもないので「おまえ、これを公開したら殴られるぞ」とプーチンに心配されるありさま。

いやあ最初のうちは「いやこれはおだてて反米言質を引き出すための高度なブラックウィドー的策略かもしれない」と無理に思おうとしたけど、ストーンのほうがひたすら雄弁で、むしろ引き出されている感じ。まったく、なにしに出かけたんだよ、オリバー・ストーンくん。

映像版は、舞台やプーチンのご尊顔を見るにはいいが、冗長。

 最初に述べた通り、基本はドキュメンタリー用のインタビューだ。だから、これを読まなくても、ドキュメンタリーのほうを倍速で流して見る手はある。また、実際のプーチンの受け答え、インタビューの舞台となったクレムリンや自家用飛行機の中やその他様々な場所、ストーン相手の余裕のかましかたなどは、見ておいて損はない。Amazonプライムで無料だし。

 その一方で、一応はえらい映画監督であるオリバー・ストーンが (高校生のときに見た『ミッドナイト・エクスプレス』は衝撃だったよなー) 、撮る側と撮られる側の境界をだらしなく忘れ去り、プーチンと親しくお話している自分に酔いしれ、手玉に取られるまでもなく次々に自爆し、プーチンへのインタビューというまたとない機会を、己のくだらない反米陰謀論開陳に無駄遣いしている様子を見せられるのは、結構苦痛ではある。映像的に各種の時代のニュース映像を混ぜているが、それがあまり効果的でもなく、冗長。

訳者あとがきと解説がトホホ。

 これが発表されたらアメリカでは罵倒の嵐で、プーチンに甘すぎ、突っ込みなさすぎ、飼い犬でも人質に取られていたのか、と叩かれたとのこと。訳者の土方奈美は、こうした批判が不当なものであり、アメリカで意見が単一の方向に流されている証拠なのだ、と訳者あとがきで述べている。へー。突っ込みの甘さを指摘すると、意見が一方的ですかあ。つまり土方奈美としては、本書におけるストーンの勉強不足、つっこみ欠如その他は問題ではなく、本書で提示されているプーチンの姿が適切なものである、と判断しているわけですね。

 なお、彼女の主張は以下にある。営業の一環とは言えプーチンの主張を一理あるものとしてほめ、その旗をふったストーンもほめているのは、どんなによくても軽率のそしりは免れ得ないとは思う。

gendai.ismedia.jp

 さらには本の解説は、鈴木宗男プーチンに初めて会ったのはオレっちだ、本書を読めばプーチンが独裁者じゃないとわかるはず云々かんぬん。いやまあ、いまやだれも何も期待しないと思うけど。

 

まとめ:別に批判しなくてもいいが、つっこみがないので資料的価値が皆無なのがあまりに残念。

 ここで言いたいのは、プーチンに甘いからけしからんとか、プーチンに批判的であるべきだとか、そういうことではない。ただ一応、ジャーナリスト的な体裁で行ったインタビューである以上、相手の話をどう聞き出すかとか、相手が変なことを言ったらそれなりに突っ込みを入れるとか、政策面で予習をしていくとか、そういう基本的な部分をやってから臨んで欲しかった、というそれだけのことなのだ。

 本当に、これはすごく惜しいチャンスを逃してしまっている。こうした各種のアメリカ陰謀説、プーチンは本当にそれを信じていたのだろうか? それとも方便? その中間? これは今のウクライナ侵攻に到るプーチンの考え方を分析する上で、貴重な情報になっていたはず。でも、このインタビューだと、彼が本当にそう思っているのか、それともストーンのバカさ加減を見て「こいつ、反米的なことを言っておけば手玉にとれるな」と思ってエサを投げているだけなのか、全然わからない。映像でのプーチンの余裕の笑みを見ていると、ストーンを適当にあしらって楽しんでいるだけに見えなくもない。が、いまのウクライナ侵攻とそれにまつわる各種の主張を見ると、なんか実は、あのとき言っていた話はかなり本気だったのかもしれない、という気もかなりしてくる。そこらへんを見極めるだけの情報でもあればねえ。でも、ストーンの反米妄想のおかげで、それは一切見えないのだ。本当にもったいない。

 

 柳下毅一郎や町山智洋なら「いやオリバー・ストーンは『JFK』あたりからずっとそんな感じだよ」とか教えてくれるとは思う。あるいは『アメリカ史』とかなんとかあたりから (ぼくは鬱陶しくて長かったから、ナチュラル・ボーン・キラーズ以降は見てないんだよね) 。彼らなら、このプーチンインタビューを見て、別の発見があるのかもしれない。「実はストーンはアレでもかなりカマかけて頑張ってるんだよー」とか。とはいえ、それで話が変わるわけではないけれど。

 実は、そのストーン、キューバカストロと何度も会って、長時間インタビューをしている。キューバの仕事はしばらくなさそうだけれど、カストロ伝を一通り読んだ行きがかり上、それも見ておくべきなのかもしれない。

 が、このプーチンの扱いを見ると、こっちも期待できないなー。たぶんプーチンはこいつを見て「あ、このバカは使えるな」と思ってインタビュー企画に応じたんだろうと思うし……

付記:

 オリバー・ストーンによる、ウクライナ情勢をめぐる (最悪な) ドキュメンタリーがあるそうで

Ukraine on Fire - YouTube

 プーチンの主張垂れ流しだそうです。物好きな人はどうぞ。

 あと、カストロを相手にした『コマンダンテ』も見た。突っ込みナシの相手の言い分垂れ流しはまったく同じ。でも、変なでしゃばりはご自分の意見開陳はない分、まだこのプーチンよりはしっかりしているとは思う。

cruel.hatenablog.com

カブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』:葉巻をめぐる、愛情あふれるウンチクと小ネタとダジャレ集。気楽で楽しい。

Executive Summary

 カブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』(青土社、2006) は、葉巻をめぐる歴史、文学、映画、政治、その他ありとあらゆるエピソードを集め、さらにダジャレにまぶしてもう一度昇華させた楽しい読み物。著者が逃げ出したキューバへの郷愁もあり、単なる鼻持ちならないウンチク談義に終わらないまとまりを持つ。ギチギチ精読する本ではなく、楽しく拾い読み、流し読み、如何様にも読めるいい本 (つーか、こんなエグゼクティブサマリーつけるべき本ではそもそもない)。若島正の翻訳も、言葉あそびが強引にならずお見事。


 最近、プーチンがらみの話とか、マジな堅い本ばっかり読んでいるし、こちらも真面目に読んで怒ってばかりなので、ときに気軽で楽しい本を読むとホッとする。そんな一冊が、このカブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』。

 出てすぐに手には入れたんだけれど (確かそれ以前に、高田馬場の洋書屋に原著ハードカバーがあって、ずーっと持ってたんだよね)、なんだかんだでずっと寝ていた。そしてこれまた断捨離途中で、処分する前に目を通しておこうと手に取った次第。

 そして、予想外におもしろく楽しかった。

 映画『フランケンシュタイン』で、怪物は途中で葉巻をすすめられ、うまいうまいと大喜びする。そんなエピソードから始まり、小説、映画、実際の政治家や作家などの葉巻にまつわるエピソード、さらには紙巻きタバコを含め各種タバコをめぐるエピソードをひたすら書き続ける一冊。脈絡は、あるようでないようである。キューバでの葉巻の位置づけ、その創られ方、コロンブスによる初めてのタバコ発見、それが広まる一方で葉巻へと結実する様子。

 脈絡があるわけでもない。葉巻について、何かを主張しようとするわけでもないし、論説でもない。だから、精読の必要なんかない。ダラダラと、あちこち拾い読みするだけでもぜんぜんかまわない。

 どっかリゾートとかにでも持っていって、バーなどで本当に葉巻を吸いながら気軽に読むべき本。Amazonの唯一のレビューでは、禁煙の時代にアナクロだとか、節穴眼を丸出しにした書かれ方になっているけれど、本書の中でも禁煙ヒステリーの猛威の中でだんだん肩身がせまくなる葉巻やタバコのあり方について触れられていて、カブレラ=インファンテ自身がこの本の (そしてその意味では自分の) アナクロぶりを熟知している。そのうえで、かつては葉巻を吸うこと自体がある種の通過儀礼であり、人間たる証ですらあった時代 (フランケンシュタインの怪物の葉巻は、怪物の人間性を示すエピソードでもあるのだ) をふりかえり、それを人々がどう描き、どのようにつきあってきたかを考察してみせる。

 同時に葉巻は、カブレラ=インファンテの故郷でもあるキューバの特産物でもある。当然ながら、カブレラ=インファンテにとっての葉巻は、郷愁の象徴でもある。陽気でノンポリに見える本書の中で、ときどきちょっとその悲しさも顔を出していて、よい味を出している。

 こういう本は、読書に明解な目的を求める人、起承転結のストーリーがないと我慢できない人、時間がもったいなくて倍速で読みたがる人、他人のつくったまとめやパワポのレジュメばかり読みたがる人にはまったく向かない。そういう人々は、そもそもこんな本自体、読む価値はないし利得もないし、したがって存在意義はないと思うことだろう。確か、ぼくがこれをずっと本棚に寝かせっぱなしだったのも、なんかウンチクをひたすら並べているだけで、主題とか主張とかが見えずピンとこなかったからだったように記憶している。

 でも、もちろん本というのは (そして映画も音楽も) そういうものに限られはしない。葉巻自体が、人の暮らしにおいてはまったくの無駄だ。そうした無駄が人間を人間たらしめている。同じタバコを賞賛するのでも、アイン・ランドはそれが火を己の手の中に収めて自由に操るという、人間の火の支配、ひいては文明活動すべてを象徴するものなのであーる! と大上段にふりかぶってほめていた。本書はそこまでおめでたい大風呂敷を広げたりはしない。そしてその無駄をめぐっての人々や文化芸術上のエピソード、それを愛おしげに集め、さらにそれだけではただのウンチク集になるのを、さらにダジャレまみれのそれ自体のお遊び作品に仕立て上げるこの本そのものが、その無駄なもので構築される人間の豊かさを体現する存在になっているとさえいえる。

 もうちょっと早く読んでおけばよかったな、と思わないでもない一方で、別にいつ読んでもいい本だというのも事実。ぼくは喫煙者ではないし、葉巻やシーシャのおもしろさが少しはわかるのは、キューバや中東圏に少し仕事ででかけたおかげで、その前に読んでいたらピンとこなかったかもしれない。紙巻きタバコのおかげで、喫煙自体がすごく悪者視されてしまっているけれど、なんかこう、ニコチン中毒の部分を抜いた喫煙の楽しみみたいなものはあるはずだ、とは思う。本書を読んで、そんなことを考える必要はまったくないんだけれど。

 あと、若島正の翻訳はお見事で野暮な註釈も最低限。ダジャレの翻訳って、がんばって無理な語呂合わせをしても報われないことが多いんだけれど、本書はその苦労をむき出しにすることもなく、うまく文中にちりばめて原文の雰囲気もうまく出していると思う。解説は、カブレラ=インファンテの他の作品が英訳されるときのエピソードを大量に交えておもしろい。

 そんなこんなで、いい本です。絶対読めとか推薦するような本ではないし、現代文学の一大問題作でもないし、余裕のない読者には向かないけれど、でも明るさと豊かさを持った本。これは処分せずに取っておくことにしようか。

ゴルバチョフ『ペレストロイカ』(1987) :あまり中身がなく理念とスローガンばかりだった。

Executive Summary

 ゴルバチョフペレストロイカ』(講談社、1987) は、ソ連の体制の刷新と解体から、やがてはソ連そのものの消滅をもたらしたという、当時の世界構造の一大変革につながった図書として、いつか読もうと思いつつ果たせずにいた。いま、35年たって読んでみると、ペレストロイカはスローガンでしかなく、社会主義のダメなところは書いてあるが、それを具体的にどうなおすか、という方策はなく、また書きぶりも社会主義的な制約 (これはレーニン様の路線を継承するものなのだ、等) と、ウソすらまじえた弁明 (レーニン社会主義を世界に広めようとなどしていない、ソ連にそんな疑念を抱くのはゲスの勘ぐりである!)等ばかりが目立ち、あまり勉強にはならない。


 本の断捨離を敢行しているが、その中で「あー、こんな本あったなー」とか、後で読もうと思って何かしら先送りにしていた本とかが出てくるので、メモを。

 まずはこの、言わずと知れた、ゴルバチョフの『ペレストロイカ』。

 まだソ連があった時代から生きている歳寄りにとって、ゴルバチョフソ連改革というのはすごい事件だったし、彼のやったグラスノスチとかペレストロイカとかが、いかに当時画期的だったか、というのはなかなか若者にはわからないと思う。

 だから個人的には、結構すごい文書のはずだと思っていて、これをいつかきちんと読まねばと思いつつ、少し敷居が高いようにも思っていた。で、ずーっと本棚に寝ていた。

 いまやもちろん、ソ連自体がないし、ペレストロイカの中身とか評価も、それがプーチンの登場にどう影響したか、みたいな部分での興味はあれ、それ自体としてはもう歴史的な好奇心でしかない。正直、読まないで捨ててしまおうかとも思ったけれど、まあ目くらい通してもバチはあたるめえよ、というので読み始めた次第。

 で、正直言って、いささか拍子抜けというか期待外れだなあ。いや、いまの視点で言うのはアレなんだが。

 そもそも1987年の本、つまりはもう35年前の本だ。ペレストロイカって具体的に何をしたんだっけ、というの自体がよく覚えていないので、そこらへんをざざっとご説明いただけるものと期待していた。これやるぞ、あれやるぞ、みたいな話がいっぱい出ているものと思っていたのだよ。

 ところが、そういうのがあんまりない。

 これまでの体制の悪口はたくさん出ている。官僚主義がはびこっている、事なかれ主義で新しいものを採り入れない、買い手がいるかどうかも考えずに、求められないものばかり使って、品質も顧みず、無駄が大量に発生している、みんなやる気がないし、停滞しまくっている、けしからん。非効率だし云々。

 で、それを打破するためにペレストロイカしなくてはならん、官僚制を打破し、効率を改善して、新しいものを採り入れ、品質をあげなくてはならない……

 はい、それはごもっともです。で、具体的にどうやって?

 そこのところがほとんど書かれていない。だからペレストロイカだ、ペレストロイカは果てしなく続くプロセスだ! みたいなかけ声がひたすら並ぶんだけれど、具体的に何をするかというと、ほとんどない。唯一それらしいのが、国営企業に対して、品質チェック委員会みたいなのをつくったぞ、という話なんだが、官僚組織の改善のために官僚組織を増やすという、ありがちな(そしてたいがい失敗する)話に見えるよなー。

 で、ペレストロイカ社会主義を壊すものではない、それを正しい道に引き戻してさらに発展させるものだ、というスローガンは大量に出てくる。あと、ペレストロイカがいかにレーニンの本来の思想に忠実なものか、という弁明も山ほど出てくる。ペレストロイカソ連をぶち壊すものではなく、それをさらに発展させるものなのだ、という。レーニン様もNEPをやったぜ、という。そういう話は必要だったんだろうねー。

 さらにゴスプランや国営企業とも議論してペレストロイカの大方針に合意した!全国の労働者からもペレストロイカ支持のお便りが続々!レーニンの基本精神に立ち返るのだ!というのがさんざん出てくる。でも具体策は薄い。まあ親玉の書いた本だし理念中心になるのは当然で、どこかに『ペレストロイカの実務』とかあるのかな。今さら探す気もしないけど。

 ちなみに、2021年末から2022年頭にかけて、キューバがかなり大幅な経済改革を断行したんだが、いろいろ細かい配慮があちこちにあって、当方がそれについて書くときも市場経済化と言ってはならず、市場メカニズムの一部導入と言えとか、計画経済の見直しと言ってはならず、部分的な自律性の導入と言えとか、いろいろ制限がつけられた。この本の書きぶりも、そういう奥歯になんか挟まった書きぶりになっているとはいえる。全体のスローガンの出し方とかはそっくりで、するとキューバの改革の未来も、いろいろ懸念される部分はなきにしもあらずではあるが……

 その後、数年でソ連が崩壊したのは、ペレストロイカが進まなかったせいなのか、それをなまじ進めたせいなのか、それとも別の要因と考えるべきなのか、みたいなことを考えたこともあったけれど、その中身がこういう抽象度だと実際どうだったのか、というのはちょっと思ってしまう。

 あと、外交や軍事面の話もあるんだけど、ソ連は拡張主義的な意図は持っていない、社会主義を広めようともしてない、レーニンだってそんな意図は一度も述べていない、というんだけど、えー、コミンテルンって何するものでしたっけ。当時ですら、こういう物言いはどこまで真に受けてもらえたことやら、という気はする。

 まあともあれ、一応ずーっと抱えていた宿題をササッと終えて、少し肩の荷が下りた感じはあるけれど、30年前にさっくり片づけておくべき本だったなー、こんなに長いこと本棚を占拠させておくべき本ではなかった、と少し悔しい気もする。

ホール『都市と文明』 III: 創造性完全無視、ITはWIREDコピペ、結論ぐだぐだ。

Executive Summary

 ピーター・ホール『都市と文明 III』は、突然イノベーションの話をはずれて、インフラの話をはじめる。だがそのインフラがこれまで重視してきた創造性とどう関わるかはまったく触れない。それぞれのインフラの事例として挙がる都市の記述も、あれこれ詰め込んで整理されず、論点がぼやけてばかりだし、また事例も一大都市から、ドックランズという地区開発をごちゃまぜにして、政策も都市のレベルと国のレベルが混同し、要領を得ない。

 さらに最後はITが都市に与える影響だが、1990年代末のWIRED受け売りばかりで、20年たったいまは無惨に古びてしまい、読むだけで恥ずかしいほど。そして来るべき都市の黄金時代と称するまとめは、いろいろ問題を羅列するだけで、これまでの長い二千ページ近くから得られる将来への指針や視点、重視すべきポイントなどが一切ない。結局、全巻通じてこれだけの長さを読んでそれに見合う知見は得られず、徒労感のみが大きい。


はじめに

 やっと出ました、ホール『都市と文明』の最終巻。これまでは、もうひたすら罵倒になっておりました。

cruel.hatenablog.com

cruel.hatenablog.com

 が、満を持しての最終巻。これまでの二巻分の、支離滅裂な惨状を挽回してくれる逆転満塁ホームランを期待していたんですが (いやまあ、その可能性はないと思ってはいたが、期待はしていたんだよ)。で、1日半かけて目を通しました。

 しかし、期待は (予想通りとはいえ) かなわなかった。というより、これまでの二巻にも増して混乱しており、最後は収拾つかなくなって何を言っているのかもわからなくなっていると言わざるを得ない。

 これまではイノベーションとか創造性とかいうのが主題だった。それが都市の本質だという。そしてそれは、ある種のオープン性で、異質な要素が集まり自由が許されたことから生まれてきたものだ、というのが、混乱しつつも打ち出してきたメッセージだ。大ざっぱな方向性は、最近訳されたノルベリ『OPEN』と同じだ (とすかさず宣伝)。

 ところがこの最終巻では、それが一切消えてしまうのだ。

インフラの話が創造性の話とまったくつながらない。

 この最終巻の話は、都市秩序。都市を支えるインフラの話だ。上水道とか鉄道とか住宅とか高速道路。あと、財政なんてのも入ってる。

 さて、イノベーションこそが大事、都市の創造性こそが大事、というのが主題であれば、こうしたインフラのあり方がどのように創造性を支えたのか、という話になるんだろう、とぼくなら期待したいところ。たとえば、住宅政策のおかげで従来は都市から排除されてきた層が流入して新しい文化を作りましたとか、鉄道が新しい結節点を可能にしてそれが文化の拠点となりましたとか (渋谷とかそういう例だと言っていいと思う)。

 ところが、本書はそれがほとんどない。普通のインフラの話。創造性とは何の関係もない。

 著者もヤバいと思ったらしく「いやでもこうしたインフラそのものに創造性がいっぱいこめられている」とのこと。もちろん大規模インフラづくりには、いろいろ創意工夫が必要になるのは確かなんだけどさあ…… でもそれは、何か異質な要素がぶつかりあい、刺激し合うことで出てきたような形のイノベーションではありませんよね? つまりこれまでの話と「イノベーションです」と言って連続性を持たせられるものではありませんよね?

事例の粒度がめちゃくちゃで、記述が整理されずに論点が不明。

 そして採りあげられているローマ、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ロサンゼルス、ストックホルム……そして次にくるのがロンドンのドックランド開発? 都市全体の話をしているんだと思っていたときに、いきなり都市内の一地区の再開発の話で丸一章というのはなんですの? 話の粒度も何もめちゃくちゃ。

 そのそれぞれの都市についての記述も、あれもある、これもあるの雑然とした寄せ集め。ローマは、二千年前の水道の話がしたいというので、そのための行政機構の話や資金調達の話が出てくるのはいい。でも食料輸送がダメだったとかやり方が強権的だったとか、二千年前の都市を今日の基準であれこれ言ってどうする? その後の都市の話もすべて、だれそれがこう提案したのを別の人がこんな反対してこんな問題があって格差もあり人種問題もありもっといい解決策があったのに云々。そんな、完璧でなかったといって揚げ足とってどうするの? そんなケチつけるんなら、もっといい解決ができた都市をもってきて事例にすればよかったのでは?

 以前書いたことだけれど、歴史は一回限りのものではある。だから細かく見れば見るほど「このときこいつが出てこなければこれは起きなかった」「このときたまたま地震が起きなければこれはあり得なかった」というのが山ほど出てくる。でも、それをやりすぎると、歴史から学ぶことは一切できない。あらゆる事象は、何やらたまたま偶然に条件が揃ったことで、可能になっただけ、ということになる。本書はすべてその調子になってしまう。所得再分配や財政に関しては、都市政策というより国の施策だった面も大きいのに、そういう切り分けもなしで、もうごちゃごちゃだ。

 ドックランズ開発の話が出てくるのは、何か不動産開発が主導する都市開発のあり方という話がしたいから。書かれた当時は、これをやった開発業者オリンピア&ヨークが倒産してえらい話題になっていて、そういう話をしなきゃいけないと思ったのかもしれないね。でも今にして思えば、いつでもどこにでもある話だ。不動産業者主導なら三菱地所とか、東急の田園都市の話をするほうが、ずっとよかったのでは?

 そしてドックランズは、グローバリゼーションの影響なんだという話だけれど、そこでのグローバリゼーションって、ロンドン、NY、東京の都市間競争、くらいの意味でしかない。1999年の本で、それはないんじゃないか。第一巻の冒頭で、都市の事例が欧米だけなのはごめんね、とは言っているけれど、事例はさておきその背景理解として、あまりに不十分じゃないかと思う。

経済の話はすべて景気波動にこじつけようとするが無意味。

 そしてインフラや不動産開発の話は、景気とは切り離せない部分はある。が、景気/経済の話でこの人が出してくるのが、景気循環の波動理論。コンドラチェフだジュグラーだ、というアレ。

 でもそもそも、景気は上がったり下がったりするけれど、それを無理に何か法則性のある波動にあてはめる必要はまったくない。それが何年周期か、なんてことを詮索しても仕方ない。これは経済理論としてもそうだし、さらに都市開発の話をするにあっては、何か知らないけれど景気がよくてそれが不動産開発とも連動しました、というのが前提としてあればすむ。その景気のよさが何とか波動の影響だったという話はまったく何の役にもたたない。ところがホールは、このコンドラチェフ波動が〜と言うのが何か重要だと思っているらしくて、要領を得ない議論をあれこれ。前の巻についての話で触れたけれど、本当にレギュラシオン学派に頭をやられていたみたい。でも、その何とか波動って、実体的にあるものじゃないから。この本には一切貢献してませんから!

 で、最悪なのが最終章。

IT話は当時のWIREDの聞きかじりもどきで最悪

 ここは、IT革命と都市、みたいな話をしたい部分。1999年でみんなITで浮かれ、おじいちゃんも「インターネッツっつーもんをやってみたいんじゃが」みたいに思っていたのはわかる。WIRED必死で読んでバズワード漁っていたのはわかる。

 が、自分がどういう本を書いているかわかってないの? そういう目先の流行りにおたついているような話ではなく、千年、せめて百年レベルの話でしょうに。それが、ネグロポンテ〜、情報スーパーハイウエイ、キラーアプリ〜。マルチメディア〜。いろいろ聞いた風なことを言うんだけれど、たぶん自分でもよくわかってないと思う。なんで『ジュラシック・パーク』のSFXやった企業が云々なんていう話が得意げに出てるんだ? MosaicMacUNIXだけにしか提供されなかったことになってるし。ああそうそう、翻訳は、同じページでbpsのbがビットなのかバイトなのか混乱していてアレだし (p.1899)。

 また何かテッキーなことを言おうとして「これらすべての鍵は、一対の電極に挟まれた特定の種類の重合体ポリマーがスクリーンとして機能するという発見である」(p.1862) とか。これって何のことだと思う? ぼくもしばらく考えちゃったよ。液晶の話ね!! いや、1999年でもこんなもったいつけるほどのものではなかったと思う。そうそう、考えて見ればすでに1990年代初頭には、ケチなぼくですらPowerbook180持ってたし、液晶はそこそこ普通の存在だったよね。カラーはDSTNとか、最初の頃はまだ発展途上だったけれど、それも急速に改善されて前世紀末には普通だったはず。いや待て、1993年くらいには、DEC Hinote Ultra買ったし、TNTカラー液晶もだいぶ普及してきてたぞ。この本が出た1999年とかの時点では、そんな特筆するものではまったくなかったはず。だれか止めてやれよ。

PowerBook 180. いいマシンでした。DEC HiNote Ultra。あの薄さは当時革命的だった。

 すべてこんな具合。現時点ですべてが完全に古びてしまっているのは当然どころか、当時としてもかなりはずしていたんじゃないかな。そしてそういうのを羅列した挙げ句に、最後に都市への含意として出てくるのが、距離の死と言われるけれどレストランでの食事とか完全に代替できないものはあるよね、という話。

 いやそんな話であれば、ムーアの法則ILMがどうしたいう話も何もいらなかったのでは?

 原著刊行から四半世紀たってから、そういうのをあざ笑うのは、まあフェアではないんだけどさ。別にスマホの話がないからといってケチつける気もない。いや、がんばってはいるんだけどね。でも次の一節を読むと、脱力してしまうのは人情でしょう。

 1995年6月に日本で画期的な出来事があった。「簡易型携帯電話システム (PHS)」は、小型の低電力ベースステーションを使用して、待機時間400時間と通話時間5時間の化粧コンパクトの大きさの電話を提供した。帯域幅を非常に経済的に使用して、画像と音声を送信し、携帯電話を介して通信でき、パーソナルステレオまたはノートブックパソコン、一種の「ワイヤレス・マルチメディア」に接続できる。(p.1861)

 やはり2022年にピッチ絶賛の本を読むと、遠い目になってしまう。もちろん、後のスマホやモバイルにつながる話ではあるし、目のつけどころはよかった、とほめることはできなくもない。が、それが都市をどう変えるのか、都市にとってどんな意味を持つのか? WIRED的なうわっついた一過性の話を見通して、これまでの都市についての知見をもとに何か見通しを出せるのが、歳寄りの存在意義ってもんだろ? 「都市計画の大家」っていうんだから、その大家の矜持ってもんだろ?

 そして原著刊行から四半世紀後にそれを翻訳出版しようと思った人、たとえば監訳者の佐々木雅幸は、これに現代的な価値があると思ったんでしょう? それはどこにあるんだろうか? 監訳者あとがきは情報量がないも同然で、目次を読んでいたほうが話がわかるくらい。もう少し弁明なりなんなりがあってしかるべきでは?

あれもある、これもあるで結局結論は……何もなし!

 そして最後に、エッジシティってどうよ、とか自動車中心の都市から云々とか、あるいは貧富の差が都市内格差になってしまってとか、交通機関の発達がそれを煽るかも、あーこれから技術失業が出てくるかも云々という話がまったくまとまりなく続いて、教育投資したほうがいいよね、格差を解消することは考えた方が良いよね云々、といった都市レベルとは関係ない話があれこれ羅列され、そして結論は:

 以前と同じように、技術の進歩は逆説的に悪役でもあり英雄でもある。一方では、雇用、企業、産業全体そして生活様式を破壊するが、他方では、広大な新しい経済的機会を創出し、都市社会の手に負えない問題を解決する。しかし、われわれがそれをどのように利用するかはわれわれ次第だ。それが都市の歴史の次の世紀、そして次の時代へのメッセージである。(p.1926)

 ……全三巻、二千ページ近く読まされてきて、これがまとめだ。

 これだけ。

 いやあ、これを深みのある何かだと思う人も、いるのかもしれないねえ。でもぼくは、ふざけるなと思う。これまで読んできた時間を返せと思う (ついでにこれ全三巻買ったお金を返せと思う。さっさと転売してしまおう、まったく)。

 こう、都市の歴史、いろんな都市のいろんな成功や失敗の事例をみてきた結果として、少しは引き出せる一般論ってないの? 最初のほうでは、都市は創造性がだいじだ、という話だったよね? それを実現するための都市政策とかインフラ作りとか、何かしら示唆はあっていいんじゃない? マンフォードの「都市はネクロポリスになるのだ」みたいな見通しを批判して、いや都市は活気にあふれてこれからも文明の基盤になるんだ! というのが冒頭での宣言だったように記憶してるんだけど、最後は「こんな問題も、あんな問題も、未来はわかんないし、不透明だしうだうだ、でもそれをどうするかはわれわれ次第だ!」って、なんか都市の可能性がまったく見えない終わり方なんですけど! このITがらみの話から続く章の題名は「来るべき黄金時代の都市」なんだけれど、黄金時代の話が一切ない!

 たとえば黄金時代というのは、次のポール・クルーグマンの短い半分ジョークまじりの文章などだ。

cruel.org

 ここでクルーグマンは、様々なテクノロジーの発達が実はさらに大都市を巨大にする役割を果たすことを指摘する。ホールが言いたがった創造性の話も、それがどんな展開を見せるかについて一定の知見を示す。そして、それは当たっていたようだ。いや、短期的には当たらなくても、そこできっちりした視点、見方、都市の捉え方さえ出ていれば……でも、ホールの本にそれはない。結果的に、この二千ページの本よりも、このクルーグマンの小文のほうが、都市や創造性の未来についてずっと明解な知見を出しているという悲しい状態。うーん。もちろんこの頃のクルーグマンは、いろいろな意味で天才的なひらめきを見せていた。それと比較するのは可哀想かもしれない。が、天才のひらめきでも、凡人の二千ページの鈍重ながらも生真面目な作業が少しは超えてほしいと思うんだが……

結論:読むだけ無駄な本だと思う。

 結局…… これだけの長い重い高い本を買って読んで、ぼくはとても激しい徒労感にうちひしがれている。第四部はいいよ、というマイケル・バティの書評を信じていたんだけどなあ……何がよかったんだろうか。

 そのバティの書評によると、ピーター・ホール自身は、この本がかなり自信作だったそうな。本当に決定版の新しいスタンダードになると思っていた。ところが、実際にはほぼ完全といっていいくらい無視されて、まともな書評もほとんど出なかったとか。ホールにとって、それはかなりショックだったらしい。うーん。

 ぼくは最初この話を読んで、読み手にがそれを受け止めるだけの度量がなかったのかもしれない、とは思った。ピーター・ホールだし、まあそんなに外すとは思わなかったし。でも、いま自分で通読してみて、これが無視された理由はよくわかる。それは受け取る側の責任ではない。読んだ人たちがバカだったとかいうことではない。正直、書評を書く人間としては、あのピーター・ホール (いや、業界ではかなりえらい人ではあるんです) 畢生の大作となれば、ほめるほうが簡単だ。でも、それすらできなかったということだ。整理されず、論点もまとまらずに、都市の未来についての知見も指針も希望も出せない——それで誉めるのはむずかしい。

 しかしピーター・ホール自身にとってはこれが自信作だったということは、本当にこれでいいと思っていたんだろうか? うーん。どこらへんを見所だと思っていたのか、訊いてみたかったような気はしなくもないが……まあ、訊いてどうする。それで評価が変わることはないと思う。

 なんというか……全体にこの人、この第3巻で顕著だけれど、あまりに目先の話にとらわれすぎる。ドックランズの話もそうだ。ITの話もそうだ。PHSで大騒ぎしてみせる話もそうだ。レギュラシオン景気循環の話もそうだ。全体的な話に関係ないでしょうに。そしてそれは逆に、大局的な視点がないということ。長い歴史の中で、何が重要かを抽出する能力がない。そうなると、都市の創造性が大事ですとかイノベーションが大事です、といった話も、当人の都市観察や実務から出た知見なのかどうか怪しい。ちょうど、いろんなところでイノベーションとか言われ始めていたのにのっかっただけでは? だからこそ、それが全体を貫徹することもなしに尻すぼみになってしまうのでは? そう勘ぐられても仕方ないだろう。すると最終的に、ピーター・ホールは実務家であって目先の問題を解決するのが得意な人であり、大きなビジョンがある人ではなかった、ということなのかもしれないね。それでもなあ。

 あと、翻訳は生硬。著者が無用にもってまわった言い草をしたところが多いせいもあるんだけれど、訳している人が本当にその意味をわかっているんだろうか、というのが疑問に思えるところが多々あって、ただでさえ要領を得ない記述がなおさらわかりにくくなっっている。そういえば、監訳者の名前はあるけれど、実際に翻訳した人の名前が見あたらない。それは仁義にもとるのでは?

プーチン本その2:プーチンご自身『プーチン、自らを語る』:基本文献。ストレートで明解なインタビュー集

Executive Summary

 プーチン他『プーチン、自らを語る』(扶桑社、2000) は、突然ロシア大統領になってどこの馬の骨ともわからなかったプーチンが、生い立ちから大統領としての問題意識までを率直に語ったインタビュー集。幼少期の記述などはこれがほとんど唯一の文献で、他の本はこれに対する註釈でしかない。また、まだ隠蔽すべき悪事などがないので、かなり率直かつ正直に語られているし、全部が本当ではないとはいえ、一言半句に勘ぐりを入れる必要もなく、ストレートに読める。家族のインタビューも交え、プーチンの全体像をしっかりまとめているし、またチェチェンへの高圧的な態度、反体制ジャーナリストへの冷淡さなどもはっきり出ている。なお英語からの重訳だが、英語版のほうが追加のインタビューを加え、ロシア語版で削除された部分も含んでいることもあり、重訳のデメリットよりはメリットのほうがずっと高いので、懸念には及ばない。


 悪口シリーズ続けるつもりが、図書館で順番がまわってきてこの本が読めました! 英語では読んでいたけれど、日本語のほうが楽なので助かります。

 この本は、題名通り、プーチンが就任直後にロングインタビュー受けたのをまとめた本。

 プーチンに関する基本資料といっていいもの。プーチンの子供時代から大統領になるまでの経歴をまとめた文書といえば、基本これしかない。他の本はすべて、ここの記述をベースに、検証したり疑問視したり、その後の話を追加したりするものになっている。

 プーチン自身が公式に大統領就任直後に行ったインタビューで、世界的に「プーチンってだれ?」状態のときに、それに答えるべく出た本。当時は、エリツィンがほとんど気まぐれに首相の首を次々にすげ替えていた頃で、プーチンもそうした短命なツナギの存在としか思われていなかった。だからそれが大統領になったときにも「マジかよ」「またツナギじゃないの?」みたいな感じではあった。

 後からの検証で、ここのところはウソだった、とかいうのはだんだん明かされている。完全に額面通りに受け取っていい本ではない。が、それを言うならプーチンがらみで額面通りに受け取れる本はなかなかない。そして本書は、就任直後の本ということもあって、プロパガンダ的な配慮がそれほど周到ではない。いろんな質問にストレートに答えてくれるし、隠蔽も何やらウソをでっちあげるのではなく、答えたくないという形で対応するので、とってもストレート。

 さらにもちろん、その後の大統領就任後の悪事 (クリミア併合したりとか) 以前だから、各種行動をレトリックでごまかす必要もない。この時点のプーチンの見解として、かなり正直。そしてそれがために、通読していても「こいつ、何が言いたいの?」的な曖昧な発言が少ない。実際の行動を隠蔽する必要がないので、それなりに正直な意見を出しているし、基本的な考え方の表明になっていて明解。

 最後に載っている、「新千年紀に向けたロシアの道」というプーチン論説は、軍事力ではなく経済力やイノベーションによる国力増強を訴える一方で、愛国心、国力、強国、国家主義といった基本的な方向性を打ち出しているのは、その後の動きを考えるにあたり重要なポイントになるのは言わずもがな (英語のキンドル版は、なぜかこれを本に含めず出版社サイトに置いている——そしてリンク切れ)。そして本書で明言されている「チェチェン絶対独立なんかさせない! それ認めたら連鎖反応が起きるし他の国が口はさむようになるし、山の中まで悪党共を追い詰めてぶっつぶす!」という明解なメッセージは、その後の活動にあたっても基盤となる発想なのは明らか。

 聴く方も、おっかないプーチン像を無理に造り出そうとはせず、手持ちの情報の中で、これはどういう人物なのかを素直に尋ねており、相手を罠にかけようとか、失言を引き出そうといった工作もない。また手放しの翼賛個人崇拝インタビューでもなく、結構きつい突っ込みもしている一方で、奥さんや娘たちへのインタビューも交え、それなりにプーチンの全体像を2000年という時点でうまく描き出せていると思う。

 あと、本書は英語からの重訳。前にレビューした朝日新聞『プーチンの実像』は、この本をさんざん参照しておきながら、英語からの重訳だとかケチをつけている。でも文学作品ではないので、重訳であることに大したデメリットはない。朝日新聞も、重訳によってどんな部分に支障があるかについてはまったく指摘できておらず、ぼくはこれはかなり陰湿な印象操作だと思う。

 (ちなみにあの本は、この『プーチン、自らを語る』のインタビューを行ったゲヴォルキアンへのインタビューにかなりページを割いている。その意味で、あの本は本書の注釈書みたいな位置づけではある)

 一方で、本書の解説によれば、英語版は単なる翻訳ではなく、新聞インタビューも加えて内容が拡充されている。さらにロシア語版と英語版を比べると、チェチェン紛争についての質問や、拿捕された反体制ジャーナリストに対するかなり辛辣な発言などロシア語版では削除されている部分があるそうな。該当部分を観ると、かなり重要な部分だと思う。英語版をもとにするほうが、その意味では情報量豊かなので、重訳だからダメ、というものではない。

 ホント、いい本なので扶桑社は再刊してくれないかなー。Kindleでもオンデマンドでもいいから。

プーチン本その1:朝日新聞『プーチンの実像』:ゴシップに終始して最後はプーチンの走狗と化す危険な本

Executive Summary

 朝日新聞プーチンの実像』(朝日新聞社、2015/2019) は、日本のぶら下がり取材的にプーチンが日本や自分たちと行った会見やその周辺人物のインタビューをあれこれ行っているが、明確な視点がないために、それが単なるゴシップのパパラッチに堕している。そのゴシップの価値にゲタをはかせようと、歪曲による祭りあげまで行ううえ、プーチンの軍事的な意図についてまったく触れず、このためプーチンは外国に対し、主権を持っているかとかいう抽象的な視点で判断を下しているという、ナンセンスな主張を行う。そしてそれは最終的に、日本はアメリカのイヌで主権がない、北方領土を返してほしければ日米安保を廃止して主権を回復せよ、という信じられない主張を暗に匂わせる、得たいの知れないプーチンの走狗本と化している。


 ぼくも人並み以上にミーハーなので、ウクライナ侵攻が始まってから、いろいろプーチン関連本を漁ってみてはいる。

 そんなものを読む理由は、基本的にはなんでプーチンがこんな暴挙に出たのか、というのを知りたいわけだ。最初のうち、ドンバスなどに傀儡政府をつくって独立宣言させて、「助けてーといわれたので助けにきましたよー」といって乗り込んで、既成事実化するという、クリミアでも使った手口をやろうとしているのかな、という感じはした。それも、そういう形式が整う前に軍を国境に動かしたりして、かなり強引で急いでいた感じはあったけれど、まあわかる。でも、その後いきなりストレートな侵攻を始めたのは何? プーチン、頭おかしくなったの? それまでの周到さはどこへ? それとも何か遠謀深慮 (深謀遠慮、が正しいのかな? どっちでもいいや) があるのか?

 そして、それと同時に、プーチンその人についても知りたいよね。ずっと、この侵攻はとにかくプーチン個人の判断であり、プーチンの胸先三寸次第というのをさんざん聞かされてきた。だったら、彼のこれまでの考え方や行動、力関係、そうしたものの中に今回のヒントがあると思うのは人情。

 で、いろいろ読んではみた。まあ当然ながら、かなりのピンキリ。それらについて、Cakesの連載で触れようかと思ったけれど数が多いし、特にキリのヤツは罵倒だらけになってしまう。でも、せっかく読んだのに何もコメントしないのももったいないし、言えなかった不満がどす黒く内心に溜まるのもいやだから、こっちで扱おう。

 全体に日本の本はキリが多い。そのほとんどは、プーチンの「平和条約を結ぼう!」「ぼくは柔道マンだ! 北方領土もヒキワケ精神だ!」発言に完全に頭が冒されてしまい、それ以外のことが考えられなくなっている。ヒキワケというのは四島のうち二島返還のことだよね! と勝手に解釈し、それ以上一歩も頭が進まなくなっている。

 政府がそうなってしまうのはわかる。政府としては北方領土問題の解決は悲願だから。そしてそれがあり得ないと思っても、他に解釈がないかのようにしつこく言い続けて相手をなんとか土俵に乗せる、というのは政府の動きとしてはあり得る。だけれど、分析する人々、報道する人々はそれではいけないと思うんだが……でもそうなっている。そういう人たちを政府が委員会とかで重用してその人たちが幅をきかせるせいなのか、それともプーチンの手口がうまくてみんな他のところに目がいかなくなるからなのか (でもそれは同じことではある)。

 扱うのは、比較的伝記的な記述、プーチンその人の話を中心としたもの。ロシア情勢の分析となると、多すぎて手がまわりませんわ。


朝日新聞国際報道部『プーチンの実像』(文庫版2019):ゴシップに終始して最後はプーチンの走狗と化す危険な本。

 で、最初がこれ。順番に特に意味はないんだけれど、かなり実際の取材とインタビューを中心にしているようだし、ジャーナリストで何か特定のアジェンダがあるわけではなく、中立的に書かれているだろうと思ったので、まずこれを手に取ってみました。

 が……

 いやあ、アジェンダがないどころではなかった。いろいろ読んだなかで、これほど露骨かつ悪質にアジェンダを持って情報操作する本はなかったのでは、というくらいのすごい本だった。しかもそれが結構巧妙に隠されている。ぼくですら、二回目に読むまでは気がつかなかったほど。本当にこれを、ジャーナリズムと言っていいんですか?

歪曲によりプーチン凄いヤツとイメージ操作

 まず、この本はプーチンすごい、というのを手を尽くして言いたがる。その筆頭にくるのが、KGB職員としてドレスデンに配備されていたときの、ベルリンの壁崩壊のときに起きたエピソードだ。

 なんでも、東独政権が崩壊したので、その秘密警察を襲った群衆の一部 (20-30人) が、「KGBもやっちまえ」とプーチンたちの建物に押し寄せてきた、という話。ところがプーチンは彼らとたった一人で対峙し、それを追い払ったという。その様子を、この本はそのときにその建物の中にいたKGB職員にインタビューして、見てきたような迫真の記述を行う。そしてそのまとめとして、朝日新聞は、一応はインタビューを受けた目撃者の証言としてだけれど、こう書く。

 武装していない将校が言葉を発しただけで群集は去った。権力で人を意のままに動かすことができる人間だということだ。(p.40)

 が。

 まず、この本の中の証言者ですら、プーチンの横には自動小銃を持った護衛がいて、途中で装弾までしている。「武装していない将校」なんかじゃないでしょう。

 そして、何やら気迫で群集を撃退した、という話がどうして「権力で人を意のままに動かすことができる人間だということだ」なんていう話になるの? まったく意味不明。何かオーラを持っていたというのと、権力があるというのとは全然話がちがうでしょうに。

 でもこの本は、そういう印象操作を平気でやる。プーチンが、なにやらすごいオーラを備えたとんでもないやつだ、というのを演出するほうが、ネタの価値があがるという計算をしているわけだ。そしてそのオーラこそが、後の権力掌握につながったのだ、という印象をこじつけたいわけだ。

(2022.05.03付記:ふと思いついたんだけれど、これってたぶんインタビュー受けた人 (ドイツの政府系研究所エンジニア) は、「authority」にあたる表現を使ったんじゃないのかな? 「権力で」ではなく、威厳でとか権威を持ってとか威圧感でとか高圧的にとか、そういう意味合いで言っていたのではないかと思う。でもそれなら、こういうニュアンスをまったく変える「翻訳」はしないでほしいもんだ)

 そしてこの本が出る2015年のはるか前に、オレグ・ブロツキーによる、公式に近い評伝が2002年にロシアで出ていて、その中でのインタビューでプーチン自身がこれについて詳しく語っている。

www.amazon.com

 それによると、プーチンはこの建物の一階から大量に自動小銃を群集に向けて構えさせていて、いつでも発砲できるようにしていた (これはぼくも孫引き。ごめん、ロシア語そんな読めない)。さらに、おまえは妙にドイツ語がうまいが何者だと群集に問われて「いやおいらはただの通訳です」とごまかしたとのこと。これは『プーチン、自らを語る』でも自分で言っていることだ (p.103)。丸腰で、何やら魔闘気により群集をひるませた、というのとは話がぜんぜんちがう。朝日新聞のエリート記者は、こういう資料をきちんと読まなかったんだろうか?

プーチンの対外対応の分析ができない:無能なの、それともわざと?

 そしてそれ以前に、これを書いた朝日新聞国際報道部には、そもそもまともな分析能力がないのかもしれないとすら思える部分さえ見られる。たとえばこの本は、プーチンの国際的な動きについてまとめるにあたり、彼が公式にいろいろ不満の声をあげたり介入したりした世界的な動きを羅列してみせる。それは、NATO拡大/コソボ問題/米国のミサイル強化/旧ソ連諸国のカラー革命/カダフィ政権崩壊/シリア問題、という具合 (pp. 289-94)。

 オッケー。それはいい視点かもしれない。で、そうした発言を元に何が言えるだろうか? この一覧を見て、ロシアの影響力の捉え方、同盟関係のあり方、いろいろ見方はあると思うんだ。ところが朝日新聞がこれらから抽出した知見とは?

 これらの経緯を見て一貫して言えることは、プーチンはとにかく体制の転覆を忌み嫌うということだ」。(p.294)

 は?

 体制の転覆を忌み嫌う? プーチンがクリミアを併合し、ドンバスで政権転覆工作をさんざん行った後の2015年の本で?

 それは一見しておかしいと気がつくべきじゃない? 自分に都合のいい体制の転覆は絶賛/黙認、そうでないものには文句、という当たり前のことをしているだけだというのは、一瞬でわかるべきだと思うんだけど。だからそこで見るべきはプーチンがその選り分けをどうやっているか、という話のはずでしょう。

 ところがこの本を書いた朝日新聞の記者たちが、まっ先に言うのがこれだ。要するに、国際的なつながりとか力関係、軍事バランスといったものについての知見が一切ないんじゃないか? 一見するとそう思われても仕方ないと思う。(が、これは無能を装いつつ、実はプーチンの軍事的な意図に一切触れないための高度なボケ技だった可能性が高い。本稿の最後あたりをみてほしい)

日本関連ではゴシップばかり

 では、それなしにこの本は何を書いているんだろうか? 基本的に、ゴシップとパパラッチ。

 冒頭はプーチンが2018年に「条件つけずに平和条約結ぼうぜ」と言った話 (単行本は2015年刊だから、ここは文庫版での加筆)。それで、安部首相がどう出て、それに対してだれそれがこんな勘ぐりをして、だれそれがそれに入れ知恵して、とその会議や前後の様子を延々と書く。でも、それって何か臨場感を出しているように見えて、実はまったく情報量はないのだ。そして結局、プーチンは即座に対応できてエライ、安部首相と取り巻きはすぐに対応できずにプーチン様をわかっていないダメなやつ、というのが結論だ。

 その後も、森喜朗や柔道の山下との話を見てきたようにあれこれ書いたり、現地での細かいインタビューの細部をあれこれ書くんだけれど、それによって何かあまり知られていない事実が出てくるということはまったくない。いろいろ世間的に言われている話の裏が取れました、というのは、まあ価値がないわけでもないかもしれない。また途中で、プーチンの公式発表で山下との会談の日付がずれたり、写真が操作されたりしているのを見て、いろいろそこから延々と推理をして勘ぐる部分があるけれど、それも無価値ではない。が、それにより何かすごいことがわかるというわけでもない。

記者会見で符牒を使ってもらえただけで舞い上がる

 そして15章では、プーチンが国際記者会見のときに、柔道用語をたくさん使って、日本の記者だけがその「ヒキワケ」とか「ハジメ」とかいう意味がわかった、というのがたいへんに嬉しかったらしく、そのときの様子をこと細かに書いてみせる。それが嬉しかったのはわかる。自分たちが特別扱いしてもらった気分になったんでしょう? でも、プーチンが人たらしで云々、というのはこの本にもさんざん書いているじゃありませんか。自分がそれにあっさりのせられてどうするんですか。

 でもこの記者会見の結果、日本ではありとあらゆる関係者が「プーチンは柔道マンでヒキワケ精神だから二島返還」という、いまや一顧だにする価値のない愚論がまつりあげられることになる。そしてそれが日本の外交を左右し、ロシアにさんざん貢がされるはめになり……

 その後、いろいろ進展がないことについても、G7で圧力かけようとしたりアメリカと仲良くしたりするのがよくない、もっとプーチンに忖度して寄り添うべき、向こうは仲良くしたいと思っているのに日本がダメなのだ、プーチン様の御心を日本側が理解しないのがよくないのだ、とひたすらいいつのるのがこの本となる。

プーチンの軍事的意図に一切言及せずに日米安保と米軍撤退まで示唆する倒錯

 で、最終的にこの本は、基本的なところで非常にいやらしい倒錯をする。この本が最終的にどこに議論を落とすかというと、次の通り。


  • 日本はアメリカの属国であって主権国家の体をなしていない
  • アメリカとの関係を切って主権を確立できないと北方領土は返ってこない
  • 主権が確立できたかどうかは、プーチン様がご判断あそばされる


 これが明確に出ているのは、プロローグに書かれ、文庫版の帯にも使われている次の一節だ。

 今後、プーチン北方領土問題で日本にわずかにでも譲るとすれば、日本が米国から「主権」を取り戻したとプーチンが考えたときなのかもしれない。
 国家の「主権」や「自立」についての独特の理解と、強いこだわり。NATO日米安保条約といった軍事同盟への加盟を「主権の放棄」として嫌悪する姿勢。これらはいずれも、政治家プーチンを支える太い根っこになっている。(pp.35-36)

 何を言ってるんですか? プーチンNATO日米安保を嫌うのは、「主権の放棄」とかいう抽象的な理由ではなく、ロシアにとって軍事的に不利だから、というだけなのは、火を見るより明らかでしょうに。プーチンがなんで他国の主権のありかたなんかいちいち心配してると思うんですか? クリミアを侵略したのは、ウクライナやクリミアの人々の主権や自立に配慮してたとでもいうんですか? 軍事同盟結ぶことについて、あれこれケチをつけることこそ主権と自立への口だしでしょうに。でも、朝日新聞国際報道部は、そういうことは思いつかないらしい。全体に、プーチンがそういう軍事的野心を持っていること自体、なるべく触れようとしない。その結果が「主権」「自立」とかいう抽象概念をプーチンが気にしているという、まったくもって変な見方だ。

 そしてこれは実質的には、日本政府は日米安保やめて基地を追い出せ、そうしないと北方領土帰ってこないかもよ、と言っているに等しい。書いた記者のうち二人は、ぼくと同年齢で、安保闘争には若すぎるはずだけれど、朝日新聞の中にはそういう思想のケツミャクがいまだに残っているんだろうか。安保はんたーい、米帝の軍事支配を打破せよ、アジアの人民と連帯して真の独立主権を〜。そして、それがちゃんとできたか判断してくれるのは、プーチン……

 いや、それはおかしいでしょう。2015年にもおかしかったし、文庫版が出た2019年にもおかしかったし、いまはなおさらおかしいのがはっきりしてきたと思う。

まとめ:プーチンの軍事的意図を隠して反米をうちだす危険な本

 結局本書は、ゴシップに終始し、プーチンを変にまつりあげようとし、その軍事的な野心や計算についてはなるべくプレイダウンしようとし、「ヒキワケ」だのという妄言で日本を狂わせ、ひたすらプーチンへの忖度を訴え、そして最後に日米安保反対と孤立を主張しその審判をプーチンに委ねるべきだとまで述べている。ぼくは、かなり悪質な本だと評価せざるを得ない。最初に読んだときはぬるいだけかと思ったし、いろいろインタビューしてあるので、がんばっているなー、とさえ思った。「政権の転覆を嫌う」なんて、単なるボケだとばかり思っていた。でもそこから引き出されるこの壮絶な主張は、どうしましょうか。

 それをわかった上で読むと、いろいろ味わい深いところはある。が、これだけ読んで何かわかったような気になっては絶対にいけない、とても危険な本だと思う。

ロシア帝国300周年記念に寄せて (2022/02/04): ロシア停戦交渉団親分の「帝国バンザイ!」

我らが偉大なhicksian 様のこのツイートで紹介されていたブログ記事、とてもおもしろい。

broadstreet.blog

この著者はMITのソ連ロシア史教授、エリザベス・ウッズ。プーチンは、ヒル&ガディの現時点ではベストなプーチン伝「プーチンの世界」で紹介されている、「プーチンは歴史の男だ」というまとめを敷衍して、その「歴史」というのがおとぎ話に近いネトウヨ妄想なのだ、という点を指摘している。

このブログでは、その妄想ぶりについてかなり細かく指摘されているけれど、基本的にはこれまでしょっちゅうお目にかかった、大ロシア帝国復活こそが歴史的必然であり、民族の悲願なのであり、それを西側がじゃましくさっておるのよ、という話。いやそれよりひどくて、ロシアは昔から、優しい民主的な共存共栄の「帝国」の実績があるので、オレたちが帝国復活させてもじゃますんなよ、という話。

そしてそれを如実に示しているのが、ロシア側の停戦交渉団親分をやっている、ウラジーミル・メジンスキーという人物だ、と彼女は言う。

この人は、ロシアの文化大臣だ。そして侵略直前の2月22日には「ウクライナなどというのは歴史的亡霊でしかない」と言い放っている。

現在の政府は、みんながウクライナと呼ぶのになれてしまっていますが、歴史的な亡霊でしかありません。 (中略) そして、ウクライナの歴史と称するものは、ルーシ/ロシア/ソ連の千年の歴史と不可分にからみあっているどころではありません——同じロシアの歴史にすぎないのです。

つまり、ウクライナはそもそも国なんかじゃないよ、ということだ。そんな人が、ウクライナとの「交渉」をどう思っているか、というのは想像に難くない。そしてそんな人物を交渉団に派遣するということは、この「交渉」にロシアがまったく本気でないことを如実に示している。

これだけなら、まあありがちなプーチンのマウスピースだろう。でも、もっとあるのだ。

リンクしたWikipediaでもあまり詳しくないけれど、ウッズはこの人物の経歴をかなり細かく見ている。1970年ウクライナ生まれだけれど、1987年にロシアの国家エリート養成機関モスクワ国際関係大学に行っている。2004年からは国会議員を経て、博士課程に行ってもいないのに、いきなり2011年に博士号をもらっている (!!) 。そしてプーチンの寵愛を受けて、2012年にはいきなり文化大臣。さらにその2012年末に、彼は新設された「ロシア軍事史協会」なるものを率いるように命じられている。一応は軍の下にある組織なんだけれど、一般人も参加できる協会で、会員一万人とか。しかも国からものすごい予算がついている。

もちろんその「軍事史」というのは、架空オレ様捏造偽史ですな。

でもプーチンは、他にもこういう「歴史協会」を作っているのだとか。プーチンと対外情報局のセルゲイ・ナルイシュキンは、やはり2012年に「ロシア歴史協会」なるものを作っている。もちろんやることは同じ。百田尚樹の愛国おとぎばなしみたいなものを、まともな歴史だとして広めようというのを、国家レベルでやっているわけだ。偉大なロシア帝国。大ロシア復活、民族統一の悲願。

プーチンは、いきなり今回の侵略を思いついたわけではないし、最近になって急に変ななろう小説ラノベにはまって暴挙に出たわけでもない。もちろん、(あまり) ボケたわけでもない。国内的には10年以上前から、こうしたプロパガンダをきちんと整え、組織を作って予算をつけ、ベースを作り、人心を操作して今回のような侵攻が受け容れられる準備を整えてきた。

そして、いまこの侵攻が起こったのも、単なる日和見的な判断ではなかったかもしれない。このメジンスキーの文章が示す、ロシア帝国300周年、ソ連100周年という歴史の節目は、意外とその判断の中ででかかったのかもしれない。あまりこういう符合を深読みしても仕方ないのかも知れないけれど、プーチンはそういう意味合いももたせられるというのを、計算の中に含めていたのかもしれない。

あるいは彼自身がそういう変な歴史観にだんだんはまっていった可能性も……

 

ということで、人のふんどし持ってくるだけではアレなので、そのメジンスキーの「帝国」史観を如実に示す文章をどうぞ。ウッズ教授は「頭痛もの」と言っているが、まさに。言わば、八紘一宇のロシア版そのものです。ロシアの帝国はよい帝国! ちなみに敵同士が政略結婚したという『イーゴリ遠征物語』は、おとぎ話です。その後のイワン雷帝などの「遠征」やポーランド分割が実は地元住民の自治権を重視した「共存」でした、なんていうのもデタラメ。現実には血みどろの征服に民族浄化です。皆殺しにならなかったのは当時の技術的な限界のせい。そして本稿で指摘される「自主性尊重しまーす」という協定などは、たいがい3日以内に踏みにじられている。

そんなのを全部無視して、「帝国」はみんながいっしょに暮らすというだけのことですよー、とのニュー・スピーク。帝国ってすてき! 帝国って共存共栄! みんな仲良しの証拠。ああそうそう、ポーランドもドイツもみんなロシア帝国の一部とニコライ皇帝が言ってるよね! もちろんそこからは、したがってみんなロシアが奪取してかまわない、という話になるわけで……でもたぶん当人たちは本気。

発表された2月頭なら、「ぎゃははは、お花畑乙です!」と笑えただろうが、いまは笑えないねー。

なお、全部読んでも、あまりの歴史修正主義に頭がクラクラする以外は何のメリットもありません。ぼくも、次にどんなバカなことをどんなふうにこじつけるのか、という興味だけで訳してます。エル・カンターレ様の守護霊インタビューよりひどい代物。でもそれがずいぶんと要職についているということだけはお忘れなく。


ロシア帝国300周年記念に寄せて

ウラジーミル・メジンスキー (ロシア大統領補佐官、停戦交渉団の団長)

2/4/2022

300年前、ロシアは公式に帝国の地位を獲得した。ちなみにソヴィエト帝国——USSR——の100周年記念は来年だ。

この「節目」の日付はだれもが気がついている——学術的な会議や展示会が実施されている。だが問題は、それが目立つかどうかではない。ずっと重要なのは——我々の歴史の帝国時代とどのように取り組むべきか、ということだ。帝国そのものの崩壊とともにその時代は終わったのか? その崩壊を嘆くべきか? 復活を夢見るのか? それとも歴史プロセスの必然を受け容れるべきか?

手短で簡潔な答を出すのはほとんど不可能だ。だがまずは帝国に加わり、そしてその破壊を見た人々がどうなったかをふり返ることは可能だ。まずは、歴史に少し立ち戻るとしよう。


ラテン語で「Imperium」は「権力」という意味だ。政府の形態によっては、「帝国」は王政にも共和国にもなれる。帝国とは何かという考えは、一度ならず変化してきている。単一民族国家のイデオローグたちは、多くの反帝国的なウソを持ち出すだろう——見え透いた政治的な目的のためだ。そしてその結果として「帝国」という言葉そのものが、ある種の邪悪と関連づけられてしまう——ハリウッドのスターウォーズ式に。だが「帝国」という言葉は悪い言葉ではない。単に民族、文化、言語、宗教の異なる人々が、通信や通商、経済、そしてときには軍事的な統一性を客観的に必要とする領土の中で、共存するための国家形態にすぎない。

古典的な帝国——ローマ帝国は、当時の通信通商システムである地中海を中心とした人々の連合だ。後の大英帝国は (他の植民地帝国同様に) 彼らが支配した通信通商ルーツのまわりの土地をまとめたのだ——グラスゴーからボンベイまで。

ローマが統一したというのは、少なくとも「法と市民という共通の分母」をもたらしたというだけだった。ところが新時代の帝国は、ヨーロッパ大都市国家がまとめた領土から資源を吸い上げるだけで、これは残虐な植民地政策と化した。だからこそローマ帝国は何世紀も続いたのに、植民地帝国はその何分の一もの期間しか続かなかったのだろう。基本的に、これらは少なくとも二つのまったくちがう帝国だった。統一の利益が一方的なものだと、「隷属の帝国」が生まれた。連合の利益が共通のものであれば「帝国プロジェクト」が生まれる。現代の高名なイギリスの 学者ドミニック・リーベンによれば、帝国は次のように定義される:

      a) 大きな領土を大きな国が占拠し

      b) 多くの人々がそこに含まれ

      c) 軍事・経済にとどまらず、文化、イデオロギー的にも権力と魅力を持つ

300 年前のロシア元老院は、すでに実現していた現実を形式的に追認しただけだった。彼らはツァーのピョートル・アレクセーヴィッチに、大帝という「元老院が与えた」称号を授与したのだ。言葉は変わっても、本質は変わらない。ロシアは何世紀にもわたり、多民族、多宗教国家として、強い中央政府と多様な文化を持つ存在として形成されてきた。つまり、帝国という地位の獲得は歴史の全体を通じて自然に準備されてきたものだったのだ。そして、もしロシアが当初は「単一民族国家」として発達し、部族の「帝国的な」連合でなければ、そもそもロシアはありえだろうか? スカンジナビアや、スラブや、フイン=ウゴル起源の部族という国際エリートが手を結んだのでなければ、ロシアはありえただろうか?

第一段階のロシア国家は、二つの通信通商システムのまわりに人々を統合した。バルト海から黒海ビザンチウム (「ヴァリャーグからギリシャ」まで)、そしてバルト海からカスピ海ペルシャ中央アジアの道だ。通商と軍事の統合はイデオロギー的な統合を必要としたので、これはキリスト教の採用により定式化された。こうして、ラドガからキエフまで巨大な国家が誕生し、これが12世紀半ばまで続いた。比べて見よう。シャルルマーニュの有名な帝国は、少し前に勃興したが、その成立から40年後に崩壊した。ロシアは数世紀にわたり内的な統合を維持した。断片化の時期においてすら、ロシアを構成した人々は、単一の王朝と共通の文化で結ばれていた。これはまさに、独自の共存体験の存在を如実に物語るものではないだろうか?

『イーゴリ遠征物語』を思い出そう。コンチャーク汗とイーゴリ王子の戦いで重要なのは、単一民族部族同士の破壊ではない。王子の息子が汗のロシア正教に改宗した娘と結婚するという部分だ。多くのロシア王子は韃靼人の女性と結婚し、これがかつての敵との「和解」に貢献して、一般に相互の文化的な豊かさを高めた。だが、もしロシア拡大が「絶え間ない暴力」として提示されていたなら、「従属させられた人々」が、こんな広大な領土において、何世紀にもわたり恐れることもなくまとまりを維持できたのかは、まったく理解不能になってしまう。

その後のロシア拡大をめぐる実際の状況をしめす赤裸々な例が、「カザン征服」と呼ばれるものだ。イワン雷帝の遠征のはるか昔から、100年近くにわたり、モスクワは敵対するカザン貴族が詣でる中心地となっていた。汗国カザンの全住人が、モスクワのツァーを崇拝していた (それ以前は、チュヴァシュ族とマリ族はチェチェンのグロズヌイに忠誠を誓っていた)。カザン遠征自体でも、カシモフなど臣下のタタール人に加え、カザン貴族の大きな一部がコソロフ=ベクに率いられて参加した。このカザン貴族たちは、現代的に言うならカザン亡命政府の代表だ。つまり「ロシア人によるタタール人の隷属」などはなかったのだ。起きたのは、完全に民族とは無関係の貴族同士の対決であって、一つの国という枠組みの中で、もっと有効なコミュニティ生活の形態の形成が起きただけなのだ。

カザン汗の所有物がモスクワに召し上げられても、あの残虐な時代にありがちだった地元住民の抹殺は起きなかったし、彼らにモスクワの規則が押しつけられることもなかった。それどころか習俗は維持され、地元エリートは統合された。1554年にバシキール人もロシアのツァーから「勧告状」を受け取った。だが外敵から守るというモスクワの義務を受けて、自分たちの土地の権利や統治方式温存は認められた。だからこそ間もなく——「動乱時代」(16末-17世紀冒頭) に——カザン人、バシキール人など、ボルガやウラル地方の「非ロシア」住民たちは、その好機をとらえてあわてて「独立」回復を宣言したりはしなかった。それどころか、外部の侵略者との対決で積極的にモスクワを支援したのだ。

似たような状況が、帝国史上で最も議論の分かれるエピソードにおいてすら繰り返された——18世紀の「ポーランド分割」とポーランド領土の一部編入だ。文化的にはロシアの貴族にとって、ポーランドは多くの点でお手本だった。ポーランドの洋服なくしては名士を名乗れないほどで、「プチブルジョワ」(都市住民) や「インテリゲンツィア」という概念そのものが、ポーランドからロシアにもたらされたのだ。セントペテルスブルクは、何十年にもわたり、ポーランド貴族内部の矛盾を繊細に利用し続け、「彼ら」の中の僭称者を玉座につけようと工作してきた。だがエカチェリーナ二世は、ポーランドをヨーロッパの地図から消し去ろうとしただろうか? まともな歴史家ならだれでも知っている——いいや! そんなことはしなかった。彼女は最後のポーランド王ポニャトフスキを、可能な限り「保護」し続けたのだ。そして「分割」にもまったく乗り気ではなく、プロイセンオーストリアからの圧力に負けて従っただけだ。さもないとこのドイツの両国は、ポーランドをあっさり「二分」して、ロシア正教会のロシア人たちがいるすべての土地を自分たちの懐におさめてしまっただろう。これは歴史的な事実だ。そしてエカチェリーナ二世は意図的にロシアを、古来の各種ロシア公国の旧領土だけを含めるように抑えた。

だが地元のロシア正教徒たちにとって、これはひたすら有利な話となった。ポーランドの貴族も一般的な帝国エリートに参入できるし、地元の自治体制は何十年にもわたって維持されたのだ。

帝国に自ら参加した多くの民族も、積極的に「ロシアのツァー」の庇護を求めた。17世紀には、「周縁部」の小ロシアのコサックたちは、国民宗教弾圧政策に抵抗し、一度ならずアレクセイ・ミハイロビッチ (モスクワ大公、静寂皇帝) への忠誠を誓ったのだった。モルダヴィアとワラキアの両ロシア正教公国は、しつこくモスクワの庇護を求めた。当時のモルドバ都市住民ドシテオスは「モスクワから光がもたらされる」と書いている。

ロシアには、民族丸ごとが移転している。17世紀初頭、オイラト族 (西モンゴル) は戦争好きな満州女真族の攻撃に抵抗できず、現代のカザフスタンとシベリアの土地に移住することにした。これはまた、彼らが生き残るための方法だった——文字通り。オイラト族はモスクワの庇護を求め、ロシアに移転したことで新しい名前を得た。カルムク人だ。

カルムク人たちは正直かつ勇敢に新しい故国に仕えた。ピョートル一世は「大使節団」に出かけるにあたり、ロシア南部国境の保護を公式に「カラマツキーのアユク・カーン」に任せた。大北方戦争では、カルムク人たちはカルル十二世を捕まえる寸前まで行き、1812年にはボロディノ付近で戦い、ロシア軍の先頭に立ってパリに入城した。

カザフのジュズ (部族連合体) は18世紀に「自発的に」ロシアの一部となった。これはズンガリアからの軍事的脅威のためだ。その後まもなくジョージアオスマン帝国ペルシャからの脅威を受けてロシアの一部となった。もちろん、帝国は「自然に」こうして生まれた。だが一つ確実なことがある。一般人にとって、「帝国に加わる」のは常に多くの利点をもたらしたということだ。奴隷貿易廃止、血みどろの部族抗争終結、そしてもちろん社会経済発展の大きなきっかけの原動力になったからだ。

帝国の中心は常に、地元住民の私有財産権を擁護してきた。たとえばブリヤートでは、遠いアガ・ブリヤートたちの土地保有を保護するため、アレクサンドル三世が別個に専門の帝国勅令を出している。これはロシア帝国をヨーロッパの植民地化とはっきり区別しているものだ。ヨーロッパの植民地化は、土地の奪取、飢餓、土着民の殲滅を伴うものだった。周縁部を統合することで、ロシアは住民たちが「大きな世界」に参加する機会を開き、臣民たちに安全と発展を提供したのだ。同時に——そしてここは特に強調しておきたいところだが——そしてこれは、ロシアの拡張と、その「参照先」となるヨーロッパのものとの最大のちがいだが——イデオロギー言説の中で「白人」による「文明化」の使命などという話は一切出たことがない。

ロシアは「ロシア人国家」が非ロシア人を支配するなどと自認したことはない。それどころか原則として、農奴制は新領土には拡張されなかった——ひどいことに、ロシアの農民たちのほうがポーランドやバルト国やフィンランドの農民よりもひどい状況に置かれることになってしまったほどだ。

コーカサスイスラム教地域では、カーディーの裁判官たちが国庫から給料を得ていたのに、シャリーア法 (!) が並行して維持された。地元住民は、どこに苦情を申し立てるか選ぶ権利を与えられた——「民事」帝国法廷か、地元のお馴染みの法廷か (公式には、シャリーア法廷が廃止されたのはやっと1927年になってからだった)。

帝国のバランス追求は常に、地元エリートの吸収により行われてきた。それにより彼らはまったく別種の新しい機会が与えられたのだ。これは当初から、ロシアでは普通のことだった。モスクワは、ロシア人だけでなくリトアニア人、ポーランド人、タタール人、コーカサスなどの貴族を受け容れた。モスクワと新エリートたちの「相対的な地位」を決めるため教区名鑑 (訳注:貴族名鑑って事かな?) が導入された。当時のロンドンで「イギリス、インド、アラブ、北米インディアンの権利と相互の敬意を確保するため」の似たような出版物など想像できるだろうか?.

帝国のエリートたちは常に多民族エリートだった。「カザン征服」の数年後、最後のカザン支配者ヤデガル=マグメット自身が、リヴィオニアでロシア軍の一員として勇敢に戦った。1530年代には「外国人」グリンスキーがこの国を統治し、1575-76年にはサイン=ブラート・カーン (洗礼名シメオン・ベクブラトヴィチ) はツィラヴスカヤ皇女と結婚して、モスクワで (ソ連映画の表現を借りるなら) 「王代行」として統治するのだ。

ポチョムキン (ポーランドのポテムスキー末裔) と Czartorysky, Kochubei, Gurko, Paskevich and Dibich, Shafirov and Bagration, Osterman and Gordon, Kapodistria and Totleben, Osten-Saken, Benkendorf and Palen, Bellingshausen and Minich, Barclay de Tolly and Miloradovich, Kotlyarevsky and Loris -Melikov, Aivazovsky and Glinka, Witte and Korf… 個別にはそれぞれドイツ人、ギリシャ人、小ロシア人、ポーランド人、タタール人、ジョージア人、ユダヤ人、オランダ人、アルメニア人、セルビア人だ。だがここサンクトペテルブルクにおいては、みんなロシア人だった。伝説によれば帝国建設者であるニコライ一世はそう言うのが習わしだったそうだ。


つまり我らが国家は、思い出せる限りの時代からずっと帝国であった。そして人々や領土、市民の統合の形において、これは常にロシア国家における最も自然な存在形態だった。ピョートル一世が皇帝へと変身したのは、単に帝国的な制度形成の原動力をもたらしたにすぎない。「いまは学者であり、いまは英雄であり、今度は航海士であり、今度は大工」というのが、万人を「共通の福祉」のために奉仕するよううながす国家の理想として広まっている (訳注:ピョートル一世は多才で、こうしたさまざまな技能を自ら習得して活用していた)。彼の下で、地域分割が実施され、帝国国家制度が作り出され、単一の「官等表」が承認された (重要な点としてピョートル一世自身が、無限の専制君主だったのに、その官等表における地位は「衛兵大佐」止まりだった)。ピョートルは「地位としての」王であると感じ、家臣にはその勤務において、怠りなしに同じ態度で臨むように要求した。

20世紀になると、ソヴィエト版の「人民の召使い」が、ピョートル大帝の「帝国の兵士」要求の生まれ変わりとなる。このよい見本は、ソ連における党エリートの子弟の運命だ。彼らは戦争中に、後方ではなく前線に出ようとした。スターリン、ミコヤン、フルシチョフ、ヴォロシロフの息子は、みんな敵との戦闘中か捕虜として死んだ。

エカチェリーナ二世は啓蒙主義の精神に則り、柔軟な法律を開発することで帝国を強化しようとした。ボルガ川に沿って旅行しつつ、彼女は1767年にカザンからヴォルテールにこう書いている。「ここの都市では、人口は二つのちがった国民で構成されていて、お互いまったく似ておりません。一方で、万人に適切な衣装を縫うことが必要なのです。(中略) この帝国は特別で、現在の法制が帝国の現状とほとんど整合していないことは、ここにこないとわかりません」。彼女が召集した法制委員会は、その代表性において空前のものであり (農民代表や外国人代表まで含まれていた)、単に便利な一般的帝国法を示すだけのものとされていた。残念ながら、これは実現しなかったものの、その後の都市への「憲章」、貴族への規制、宗教的寛容の方針——こうしたすべては、次第に帝国から地元の特色にあわせて「試着」されたのだった。

彼女の孫アレクサンドルの下で、周縁部は未来の改革を検証するための実験場となった。農民はバルト諸国で解放された。立憲政府がポーランドフィンランドで試された。だがアレクサンドル二世は、帝国的なバランス探すという分野で、他のだれよりも先に進みおおせた。地主の権力は、地方自治のシステムにより置きかえられた。ゼムストヴォ (訳注:地方自治の仕組み) のおかげで、多くの経済や税制問題を草の根レベルに移譲できるようになった。「自分で管理したい? なら責任を取りなさい」と当局は公衆に告げたのだった。市の評議会は階級がなくなり、資産資格だけに基づいて形成された。これは当時としては最も進んだやり方だ。また普遍的徴兵制の導入も忘れてはならない。農民、俗物、各地からの労働者たちは、いまや同一の戦闘と教練を受けるようになった。軍は帝国にとっての人種や階級のるつぼとなったのだ。

だが同時に、大ロシアナショナリズムの発想が力を増してきた。だから、帝国の最も忠実な僕たちが、杓子定規な「ロシア製」の尺度に当てはまらないと、裏切りの嫌疑をかけらるようになった。同時に、特に「ドイツ」問題が浮上した。すでにアレクサンドル二世はこう認めている。「さて……これは問題だが、以前の若かりし時代には、だれもバルト海を見ようとは思わなかったし、彼ら自身も見知らぬ存在として自分のことを考えたりしなかったように記憶しているぞ」。その半世紀後、「国内の裏切り者」——ドイツの名字を持つ将軍や役人、さらには皇后ですら——第一次世界大戦敗戦の責めを負わされることになる。

同じまちがいが中央アジアでも冒された。中央アジア諸国の併合は、以前の帝国の習慣とはちがい、必ずしも地元エリートの完全な統合を伴うものではなかった。それどころか、サンクトペテルブルクからの役人が、「ヨーロッパモデル」に基づく管理手法を導入した。そして帝国の中心部は相変わらず中央アジアに大量投資を行い、道路をつくり、灌漑をし、それは見返りに受け取ったものよりも多かったのだが、これが中央にとっては異例の緊張関係を引き起こした。

帝国はまだ呪われていたのか? 憲法制度の基盤は1905年の時点ですでに敷かれていた。政党、議会があった。国内資本が経済の中でますます重要な役割を果たすようになった。ちなみに革命後、かつて「権力の座にあった者」たちがひとたび移住してみると、その輩はほとんど乞食だった。というのもみんな、その資産をロシアの中にとどめておいたからだ。

なぜすべてが崩壊したのか? 経済的な理由は、パラドックスめいてはいるが、発展の成功にあったのであり、空想上の「危機」などにはなかった。成功は期待をふくれあがらせてしまい、急進派の眼をくらませた。経済成長を生み出した工場の持ち主たちは、政治権力をほしがった。その手で成長を作り上げた人々によって生み出されたのが——社会正義だ。輸入物のヨーロッパ理論のレンズを通して、統治形態としての帝国は何か不活性なもののように見えてしまった。帝国建設の成功は、一目でわかるものではない。さらにその上——当局のひどいまちがいが重なった。世界大戦にひきずりこまれるのを容認してしまったことだ……

ロシア、ドイツ、オーストリアハンガリーオスマンといった帝国の廃墟の上に、新しい国民国家の「主権国の大行進」が即座に展開した。しかも、それが平和裡かつ穏やかに行われるところだけに限らないものとなった。

20世紀の歴史は全体として、帝国の崩壊後は「平和な離婚」の例をほとんど知らない。ここで第一次世界大戦の結果にしたがい、ポーランドの「国民自決」プロジェクトはやっと実施されたが、すぐにユダヤ人のポグロム、小ロシア人やベラルーシ人に対する差別が起きた。そして ヴォルィーニをナチスが占領すると、反対のことがおきた。ウクライナ国粋主義者たちは、自分たちの「独立」のビジョンを体現した。そして何千人ものポーランド人の血を街頭に流したのだった。

オスマン帝国のエリートたちは、その少し前に、「時代精神」に則って、「自己国粋化」の方針を始める。その結果はアルメニア人口の虐殺だった。

ユーゴスラビアは眼の前で崩壊しつつあった。「青色」その他のヘルメット (訳注:青色ヘルメットは国連軍) の仲裁を通じて「平和的な離婚」はどんな結果になっただろうか? 戦争、民族浄化、難民……ソ連の崩壊へと早送りしよう——何世紀も平和裡に共存してきた家や土地を失った何百万人もにとっては悲劇だ——それも、帝国の境界内に暮らしていたというのに?

ロシア帝国の崩壊に話を戻すと——当時のボリシェヴィキたちは、内戦後に、統一国家創設の道をたどれただろうか? 私は、それはどう見てもうまく行かないと思う。単一の不可分な「ロシア国家」という発想は、古い国境内での国のすばやい復活を不可能にしてしまう。したがって、未来の新しい魅力的なイメージが形成された。USSRというプロジェクトだ。つまり「人々の家族」だ。そしてある程度までは、これはうまくいった。その証拠は、1930年代の経済的な大発展、1945年の勝利、科学、スポーツ、宇宙飛行の達成だ。

だが共産主義の見通しが破綻したとたん、1922年の連邦結成条約の基盤に埋め込まれていた地雷 (残念ながら間に合うように除去されていなかった) が作動した。国粋主義者たちが勢いづいた。そしてそれは、ロシア共和国内部ですら同じだった。ご記憶だろうか? 周縁部に補助金を出すために、共産主義者どもはロシア国民から活力を奪っているのだという叫びを?だから三国だけでまとまろう、ロシア、ウクライナベラルーシ。そうすれば生き延びられるよ! だがだれも残留しなかった。そうした「発想」は連邦の崩壊に拍車をかけただけだった。だが同じ形で、ロシアが破壊された可能性もあった。ありがたいことに「ロシアはロシア人のために」「周縁国にエサをやるな」といった主旨のスローガンは醜悪なもので、父祖の地の千年史すべてに反する幽霊でしかないのだということを、我々は間に合うように気がついた。そうしたスローガンに抵抗することこそが、あらゆる愛国者、あらゆるロシア文化内の人物の仕事なのだと気がついた。そしてそれは、その人の民族は関係ない。


現代の国民国家は、帝国とはちがい、ほんの数百年の歴史しかないから、その長命性をみきわめるにはまだ時期尚早だ。いまや見られるのは正反対のトレンドだ。こうした「新しい国」が、何か共通の基盤に基づいて統合したがっているのだ。EUプロジェクトはまた、それが基本的には新種の帝国だという点でこれまた興味深い。

今日、我々が「ロシア帝国の復興」「USSRの復活」などというノスタルジックな夢に陥るのは、バカげているしおめでたい。だが客観的に言って——友愛に基づく連合の可能性、共通の利益に基づく深い統合、独特な共通の歴史と文化——これこそが世界における我々の圧倒的な競争優位なのだ。これが子供たちの未来だ。それはありとあらゆる人にとって、ひたすら有益で便利なのであり、EUの例からもわかる通り、グローバルトレンドにも合致している。

さらにロシアは1990年代からその影響圏を急激にせばめたが、超大国であることは止めていない。そして、ロシアは帝国となるという歴史的に条件づけられた状態を失ったであろうか? 今日我々がこの用語を使う意味では——世界最大級の権力として、北ユーラシアの人々を単一の政治経済文化的な中心のまわりに統合できる存在となるという意味で、その能力を失ってしまっただろうか? いやいや、それどころかロシアは、この立場においてむしろ己を強化してきた。その自給自足性を示し、制裁や世界での役割を制限しようとする試みが、その自然の——帝国的な!——性質を強めるばかりだというのを示したのだ。

20世紀のあらゆる動乱ですら、ロシアを多くの単一民族国家にばらせなかった。これはつまり、我々は自分自身の意思を持って暮らしつつ、多様性を管理するための独自の独立主権システムを構築できるということなのだ。

特に、これは我々が受けついだ連邦主義のソヴィエトモデルに関係してくる。この体験や、ロシア帝国の体験は、ちがう民族の伝統を考慮しつつ明確な地方構造をうまく組み合わせてきたのだ、という点は、認識すべきだし研究する価値がある。国家の強さ、その長命は、美しい帝国のファサードだけに依存するものではない。むしろ地方部の福祉と利益、その単一のインフラや通信通商ルートの枠組み内における「接続性」こそが重要なのだ。

ロシアは常に、友愛的な共存体験と、文化の認知、ご近所のまさに生活や思考のありかたの受け止め方に強みを持っていた。虚勢も、傲慢さもなく、帝国をつくりあげるあらゆる国民が、国とその子供たちの共通の福祉のため、肩を並べて働いたのだ。これにより、最も混乱した時代においてすら、国の統一は維持されてきた。そしてロシア帝国300周年を祝うにあたっては、これが学ぶべき最も重要な教訓なのだ。

Previously published in The Historian #1, 2022.


今回も、機械翻訳さんのお世話になっております。原文はこちら (ロシアの元サイトはいま遅すぎるので、Waybackマシンにしてあります):

web.archive.org