ロシアの攻勢と新世界の到来 (2022/02/26): 侵略成功時のロシアの予定稿 全訳

訳者まえがき

まちがって公開されたとおぼしき、ロシアがウクライナ征服に成功していた場合のロシア国営通信 RIA予定稿の全訳。すぐに引っ込められたが、Wayback Machineにしっかり捕捉されていた。すごい代物。いくらでも言いたいことはあるが、読めば多くの人は同じことを考えるだろうし、ある100年近く前のドイツの人が書いた文章との類似も明らかだとは思う。

以下のツイート経由で存在を知った。ありがとうございます!

翻訳ソフトの力を借りて、英語経由で翻訳しました。重訳だがそんな複雑な文ではないので、大きなミスはないと思うがお気づきの点があればご指摘いただければ幸甚。また文中のCTSO、ユーラシア連合、ミュンヘン演説などへのリンクは訳者が勝手に入れたもの。

(あとオリジナルでは写真は関連記事へのリンクになっている。その関連記事の題名を、最初は中見出しで処理していたが、文とずれているので写真のキャプションに入れ込みました)

訳者 山形浩生 hiyori13@alum.mit.edu


ロシアの攻勢と新世界の到来 (2022/02/26)

キエフ市中心
キエフ市中心 © REUTERS / Valentyn Ogirenko

ピョートル・アコポフ (Petr Akopov)

目の前で新世界が生まれようとしている。ロシアのウクライナにおける軍事作戦は、新時代をもたらした——しかも同時に三つの側面から。そしてもちろん、四つ目の側面としてロシア国内でも。いまここに、イデオロギー面と、我々の社会経済システムのモデルそのものの両方の面で、新時代が始まる——だがこれについては後で別に語る価値がある。

ロシアはその統一を回復しつつある——1991年の悲劇、我らが歴史上の恐るべき大災厄、その不自然な断絶は克服された。そう、多大なコストはかかり、さらに実質的な内戦という悲しい出来事を経てのことでもあった。というのも、ロシア軍とウクライナ軍に属することで隔てられていた兄弟たちが、いまなおお互いに撃ち合っているからだ。だがいまや反ロシアとしてのウクライナはもはや存在しない。ロシアはその歴史的な完全性を取り戻し、ロシア世界をまとめ、ロシアの人々を一体としている——その大ロシア人、ベラルーシ人、小ロシア人というすべてを。これを放棄してたなら、この一時的な分断が何世紀も続くのを容認していたら、先祖の記憶を裏切ることになるだけではなく、ロシアの大地の解体を許したことで、子孫たちに呪われることになるだろう。

(訳注:小ロシアは、ロシア人によるウクライナの呼称/蔑称)

ロシア大統領ウラジーミル・プーチン、ロシア連邦安全保障評議会常任会員たちとリモート作戦会議 - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022
ロシア大統領ウラジーミル・プーチンロシア連邦安全保障評議会常任会員たちと作戦会議 - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022:「プーチン曰く、ウクライナ国粋主義者たちは外国に煽動されて闘っている」へのリンクだった

ウラジーミル・プーチンは、ウクライナ問題の解決を将来世代に委ねないと決断したことで、まったく誇張抜きで、歴史的な責任を引き受けた。結局のところ、この問題の解決は常にロシアにとって主要な問題であり続ける——理由は大きく二つある。そして国家安全保障の問題、つまり反ロシアと西側が我々に圧力をかけるための前哨拠点をウクライナから排除するという問題は、その中で二番目の重要性を持つものでしかない。

筆頭の問題は常に、分断された人々のコンプレックス、国民的恥辱のコンプレックスだ。ロシアという家はまずその基礎の一部 (キエフ) を失い、さらに二つの国家として、一つの国民ではなく二つの国民として存在するのを受け容れねばならなくなったのだ。これはつまり自らの歴史を放棄し、「ウクライナだけが真のロシアだ」といったイカレた主張に同意させられたり、あるいは無力に歯がみして、「我々がウクライナを失ったとき」 を思い出させられるということだ。ウクライナを取り戻すこと、つまりロシアの一部に戻すのは、十年ごとにますます困難になる——塗り直し、ロシア人の脱ロシア化、ウクライナの小ロシア人たちをロシア人に刃向かわせる動きが勢いを増すからだ。そして西側がウクライナに対し、全面的な地政的、軍事的支配を掌握してしまえば、そのロシア復帰は完全に不可能となる——大西洋ブロックと戦わねば取り戻せない。

訴えかけるロシア大統領ウラジーミル・プーチン RIA Novosti, 1920, 02/25/2022
訴えかけるロシア大統領ウラジーミル・プーチン RIA Novosti, 1920, 02/25/2022:「プーチンウクライナでの主要な衝突は国粋主義者集団とのものである」記事へのリンクだった。
Yesterday, 18:01

いまやこの問題はなくなった——ウクライナはロシアに戻った。これは別にその国家体制が解体されるということではないが、再編され、再確立されて、ロシア世界の一部という自然な状態に戻るということだ。その範囲内で、どのような形でロシアとの連合がまとめられるのか (CSTOユーラシア連合を通してか、あるいはロシアベラルーシ連合国か)? これは反ロシアとしてのウクライナの歴史に終止符が打たれた後に決められる。いずれの場合でも、ロシア人民分断の時代は終わりつつある。

そしてここに、きたるべき新時代の第二の側面が始まる——これはロシアの西側との関係をめぐるものだ。ロシアですらない。ロシア世界全体、つまりロシア、ベラルーシウクライナの三国家が、地政的に単一の全体としてふるまうのだ。こうした関係は新しい段階に入った——西側はロシアがヨーロッパとの歴史的な国境に復帰するのを見ている。そしてこれに対して大声で不満を述べているが、魂の奥底では、その西側ですら、それ以外の形があり得ないことを自分に認めざるを得ないのだ。

ロシアとウクライナの交渉 - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022
ロシアとウクライナの交渉 - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022

旧ヨーロッパの首都、パリやベルリンのだれであれ、モスクワがキエフをあきらめるなどと本気で信じていたのだろうか? ロシア人たちが永遠に分断された人民であり続けるなどと? しかもそれが、ヨーロッパが統合され、ドイツとフランスのエリートどもがヨーロッパ統合の支配権を、アングロサクソンからもぎとって、統一ヨーロッパをまとめようとしているときに? ヨーロッパ統合が可能になったのは、ドイツが統一できたおかげでしかなく、そのドイツ統一はロシアの善意 (だが賢明なものではなかった) のおかげでしかなかったのだ。それがロシアの大地でも起こるのに不興を抱くのは、恩知らずにもほどがあるだけではなく、地政的な愚行だ。西側全体、まして特にヨーロッパは、ウクライナを影響圏にとどめておくだけの強さを持っていなかったし、ましてウクライナを自分で奪取するだけの強さはなかった。これを理解しないとなると、どうしようもない地政的な愚者と言わざるを得ない。

もっと正確に言えば、選択肢は一つしかなかった。ロシア、つまりはロシア連邦の将来の崩壊に賭けるということだ。だがそれがうまく行かなかったという事実は、20年前にすでにはっきりしていたはずだ。そしてすでに15年前の、プーチンのミュンヘン演説の後では、つんぼですら聞こえたはずだ——ロシアは復活しつつあるのだ、と。

ロシア連邦大統領府 副長官 ロシア連邦大統領広報官ディミトリー・ペスコフ - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022
ロシア連邦大統領府 副長官 ロシア連邦大統領広報官ディミトリー・ペスコフ - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022:「ロシア、ウクライナが交渉を行うのに合意、とペスコフ」へのリンクだった。

いまや西側は、ロシアが戻ったという事実のため、ロシアを犠牲にして儲けようという計画を正当化しなかったため、西側の領土を東に拡大するのを容認しなかったために、ロシアを罰しようとしている。我々を罰しようとするにあたり、西側は自分たちとの関係がロシアにとって決定的な重要性を持つのだと考えている。だがもうとっくの昔にそんな状況ではなくなっていた——世界は変わったのだし、これはヨーロッパ人だけでなく、西側を支配するアングロサクソン人たちもよくわかっていることだ。ロシアに西側がどれだけ圧力をかけても、何も起きない。双方には、対立の昇華に伴う損失が生じるが、ロシアは道徳的にも地政的にもそれに耐える用意がある。だが当の西側にとって、対立の高まりは巨大なコストがかかる——しかも、その主要なコストはまるで経済的なものではないのだ。

ヨーロッパは、西側の一部として、自立を求めた——ドイツによるヨーロッパ統合の活動は、アングロサクソンイデオロギー的にも、軍事的にも、地政的にも旧世界を統制している状況では筋が通らない。そう、そしてそれは成功することもできない。というのもアングロサクソン人たちは、統制されたヨーロッパを必要としているからだ。だがヨーロッパは、別の理由からも自立性を必要としている——アメリカが孤立主義に入ったり (これは高まる国内の紛争や矛盾の結果だ) あるいは地政的な重心が移行しつつある太平洋地域に注目するようになったりしかねないからだ。

ブリュッセル欧州評議会ビル上のEU旗- RIA Novosti, 1920, 25.02.2022
ブリュッセル欧州評議会ビル上のEU旗- RIA Novosti, 1920, 25.02.2022:「ヨーロッパ評議会でのロシアの権利停止」記事へのリンクだった。

だがロシアとの対決は、アングロサクソン人たちがヨーロッパをひきずりこもうとしているものだが、ヨーロッパ人から独立の可能性すら奪ってしまうものだ——ましてそれが、ヨーロッパが中国と決別しようとしているのと同じやり方だというのは言うまでもない。もしいまや「ロシアの脅威」のおかげで西側ブロックがまとまるため、大西洋の英米人どもが喜んでいるなら、ベルリンとパリは、自立の希望を失ったおかげで、ヨーロッパプロジェクトは中期的にあっさり崩壊するというのを嫌でもわかるはずだ。だからこそ独立精神のあるヨーロッパ人はいまや、東部国境に新たな鉄のカーテンを構築するのにまったく興味がないのだ。それがヨーロッパにとっては座礁の岩場になると認識しているからだ。世界指導者としてのヨーロッパの世紀 (もっと正確には5世紀) はどのみち終わる——だがその将来に向けて様々な選択肢はまだ可能なのだ。

新世界秩序の構築——そしてこれは現在の出来事が持つ第三の側面だ——は加速しつつあり、その輪郭はアングロサクソン的グローバリゼーションの覆いを通じて、ますますはっきり見て取れるようになりつつある。多極世界がついに現実となった——ウクライナでの軍事作戦を実施しても、西側以外のだれもロシアに敵対するに到っていない。というのも、その他の世界はこれを見て完璧にわかっているからだ——これはロシアと西側との紛争であり、これは大西洋英米人どもの地政的拡張への反応であり、これはロシアが世界における歴史的な空間と場所への復帰なのだ、と。

フランス防衛大臣フロランス・パーリー - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022
フランス防衛大臣フロランス・パーリー - RIA Novosti, 1920, 25.02.2022:「ヨーロッパのだれもロシアとは戦いたくない、とフランス防衛大臣」記事へのリンクだった。

中国、インド、ラテンアメリカ、アフリカ、イスラム世界、東南アジア——だれも西側が世界秩序を率いているとは信じていないし、まして西側がゲームの規則を決めるなどとは考えていない。ロシアは西側に挑戦しただけでなく、西側のグローバル支配の時代が、完全かつようやく終わったと考えてよいのだということを示したのである。新しい世界は、あらゆる文明とあらゆる権力中枢によって構築され、もちろんそれは西側 (統一されているかは知らないが) と一緒に行うこととなる——だが西側の条件に従ったものにはならないし、西側がそのルールを決めることにもならないのだ。

原文は以下。

web.archive.org

Wayback MachineがロシアRIAのサイトから拾っているし、訳者は本物だと思っている。Archive.orgに過去10年以上にわたり毎月少額とはいえ寄付を続けた甲斐があったぜ!

さらにウズベキスタンスプートニクのサイトには、まだそのまま堂々と載っている。おそらく本物。

uz.sputniknews.ru

またパキスタンのメディアには英訳版が載っている。ただしこれ、途中でWestがW-estなったままのところや「ti-mes when “we lost Ukra-ine.”」という変なハイフンの入り方とか、メディアとして正式な記事を渡してもらったのか、翻訳ソフト丸投げかなんかの加工なのかちょっと不明。

https://thefrontierpost.com/the-new-world-order/thefrontierpost.com

また、こちらにも別の全訳あり。

もちろんクリエイティブコモンズなので、いちいち断らず好きに使ってください。原著の人が著作権とか主張するかな〜。でも、いまやもちろんこんなの出したって認めるわけにはいかないと思うんだ。


Creative Commons Licenseこの作品のライセンスはCreative Commons Attribution 4.0 International License. 出所を明記すれば転用、商業利用なんでも可能。

役に立つ研究とは、みたいな話だがまとまらない

昨日、『史記』の記述をもとに「知識人、昔から変わんねーなウププ」という小文を書いた。

cruel.hatenablog.com

するとこれを見てツイッターで「昔の中国の儒学者は、いまの知識人とは役割ちがうんだよ、そんなことも知らないのかバーカ、いまの知識人は何も役にたたなくていいんだよクソが」という非常に建設的なコメントをしてくれた人がいる。えーと、これか。

前半はその通り、というか、あそこに挙げた大室幹雄『滑稽』のテーマはまさにそれ。当時の儒学者とか諸氏百家の「思想」というのは、「ぼくのかんがえたさいきょうの国家統治手法=儀礼プロトコル」であって、儒学者は純粋にお勉強学問をしていたのではなく、自分の国家統治ツールを売り歩く、現代でいえばビジネスコンサルタントだったのだ。

そこらへんは、ぼくが「滑稽」岩波現代文庫版につけた解説でも見てくださいな。

cruel.org

というわけで、ご指摘たいへんにありがとうございます!

でも後半、役に立たなくていいという話は、かつて訳したフレクスナー『役立たずな知識の有用性』なんかでも言われていて、大いに賛成する一方で、ぼくは百パーセント額面通りに受け取るべきではないと思っている。役に立たないことなんていくらでもあるんだけれど、その中でこの役に立たない活動をなぜ特別扱いして「学問」なんて言わねばならないのか? ましてそれを、場合によっては公共的に支援しなくてはならないのか? 知らんがな、とうそぶくこともできるけれど、でもぼくは、それはどこかで問われるとは思う。

cruel.hatenablog.com

さらに、役に立たなくていいんだ、と胸をはるのは結構な一方で、やる側として多少の知見なり見識なりを出せずに、何の研究、何の知識、何の学問なんですか、というのはある。そんなことを思ったのは、イギリスにジェームズ・ボンド研究の国際査読ジャーナルってものがあるのを知って、笑ってしまったからだ。

jamesbondstudies.ac.uk

もちろん日本も在野のガンダム研究だのウルトラマンの怪獣研究だのは大量にある。いずれも何の役にも立たない。それをみんなが真面目な顔で楽しくやるのはとてもいいことなんだけれど、やっぱそれが、単純なウンチクとトリビアの集積合戦から、もう一段高い「研究」と呼べるような抽象度に移行する水準というのはあると思うんだ。

そしてそういう少し高い抽象度に移ったら、それが使える場面も出るかもしれない。世の中で何か、ジェームズ・ボンドのあり方が課題になったとき(たとえばプーチンが、マティーニはステアとシェイクとどっちがいいかと言い始めて岸田首相が入れ知恵求めるとかさぁ、マクロンが来日したときに鬼滅作者に会いたがって断られたというニュースがあったけど、そのマクロンに鬼滅フィギュア贈るならどういうのがマニア的にささるか、とかさぁ)、それなりの知見は出せてしかるべきだとは思う。

いや、そんなことを期待して研究しろって言ってるんじゃないよ。でも、一応研究とかいうからには、そういう利用にもある程度は耐えられる必要はあると思う。

そして「役にたつ」というのはそんな実用的な話である必要さえないよ。往々にして「役に立つ」というと、それはかなり矮小化されて「お金儲けに使える」という意味に解釈されることが多い。あるいは、何か技術的な応用があるとか。でも実際にはそうじゃない。それは、何らかの社会的な関心/興味に応えることであるはずだし、またさらには新しい社会的な関心/興味を作り出すことであるはずだ。

一部の研究と称するものは、よく侮蔑的にオナニーと言われる。一部のヒッキーニート諸氏は、たとえば伊藤舞雪と葵つかさのどっちがぬけるか、というような「調査」を自分を実験台にして日々やっていたりするわけだが、確かにそれを「研究でございます」と言うのはちょっとはばかられるだろう。

でも、そういう「調査」をある程度集めれば、ある種の属性を持つ人々の嗜好に関する「研究」にもなるし、それがいままでわからなかったコーホートの属性を物語ることだってあるだろう。さらにはその研究が、FANZAプレステージさんにとってはビジネス的にも有益なものとなる場合は多かろう。

そういう幅を考えると、絶対に何が何でも役に立つべきではない、みたいな考え方も、選択と集中でとにかくビジネス的な収益につなげないとダメ、みたいな話も変で、基本は好きなことをやりつつも、その活動としての矜持があり、さらには絵空事半分でもそれが別の文脈に位置づけられる可能性みたいなことは、視界の端っこくらいにおいておいてもいいんじゃないか、とは思う。

うーん、まだ自分でもよくわからないな。たぶん社会的な関心に応えるとか、それを作り出すという話のところにポイントがあると思うんだが、まあそれはまたいずれ。

『史記』に学ぶべき知識人の役割とは

Executive Summary

司馬遷『史記』に登場する焚書坑儒は、儒者どもが体制批判したせいだとされるが、実は穴に埋められた儒者たちにもそうされる十分な原因があったのかもしれない。かつて儒者を厚遇していた始皇帝だが、封禅の儀式のやりかたに結論を出せず、しかも後から揚げ足をとって悪口を述べた儒者の役立たずぶりに呆れた可能性がある。

これは二千年以上の時をこえた現代であっても、儒者=知識人の役割について何かしらの示唆を与えるものかもしれない。いやあ、古典って本当にすばらしいですね。


落合『殷』を読んでちょっと興味が向いて『史記』を実際に読み始めておるですよ。

一応歴史記録で話は淡々と進むし、本紀ではなぜか各種エピソードが何度か繰り返されて、続きを読んでいるつもりが話が戻っていたりして面食らうし、おもしろいからみんな是非読みなさい! というような本ではないのは事実。ぼくも意地と酔狂で読んでいるけれど、二度は読まないだろうなあ。

でも各種のノベライズ本のような講談小説じみたおもしろさを期待しなければ、なかなか楽しい部分も多い。いろいろ後の各種おはなしの元ネタもたくさん出てくるし。

やっぱ最初のほうで意外だったのは、酒池肉林で有名な、殷の紂王。酒と女に溺れていたんだから、さぞかし色ボケ暴飲暴食の、デブで暗愚の凡帝なんだと思ってたら「天性能弁、行動敏捷、見聞に聡く、素手で猛獣をたおし、悪知恵があって讒言も言い負かし、白を黒と言いくるめられた」そうな。すごいじゃん!

さらにご乱交を諌めた家臣を「おまえのような聖人の胸には7つの穴があると聞いているが、確かめてやる」と言ってそいつの心臓取り出して眺めてみたとか、最後は周の武*1の攻撃を受けて滅びるんだけれど、そのとき鹿台にあがり、宝玉で飾った服をまとって火に飛び込んで自害とか。北斗の拳のもとネタですか、という感じ。ドラマ作るべき。

あとは、かの九尾の狐が玉藻の前になる(そしてナルトに入る)以前の姿だった褒姒ちゃんが出てきたりすると、おおここにおいでなすったか、という感じではある。

が、閑話休題。しばらく読み進めるうちに、昔大室幹雄の名著『滑稽』で言及されていた、秦の始皇帝の話が出てきてとても懐かしかったと同時に、現代にとってもそれなりの教訓がある話だなあ、と思ったのです。

秦の始皇帝というと、もちろん焚書坑儒で有名ではあり、その後の歴史記録を担ったのは儒学者どもなので、うらみつらみもこめて始皇帝はなにやら反知性主義 (悪い通俗的な誤用の意味で)の暴虐非道な暴君であり、そのために国が滅びたような書き方をされることが多い。史記は基本的に、あらゆる皇帝、ひいては国の興亡は、その君主がどれだけ儒教的な徳を積んでいるかで決まる、という立場だから。一応、儒者が体制批判をしたので始皇帝が怒って焚書坑儒に乗り出した、というのが公式のお話だ。

が、実は秦の始皇帝は、決してそんな無学なバカではなかった。若き聡明な君主でもあった始皇帝は、当初は儒学者もたくさん雇っていたのだ。

でも、それがなぜ豹変して儒学者を皆殺しにするほどになったのか? もちろん自分の政策を批判されたせいもあるだろう。(ここらへんの話は後で始皇帝の話を読んで別に書きました。ご参照アレ)

cruel.hatenablog.com

でも、どうもその前段がある。実は、秦の始皇帝が儒学者とからむ記述は『史記』で他にもある。「封禅の書」という部分だ。上のちくま学芸文庫版だと、第2巻に出てくる。そしてそれは、知識人の役割、という点でなかなか示唆的だ。

興味ある向きは実際に読んでほしいけれど、中国の支配者たるもの、中原を制するにあたっては、封禅の儀式というものをやらねばならない。『史記』の「封禅の書」の冒頭にも、封禅の儀式やらないで、何の支配者か、何の帝か、と書かれている。秦の始皇帝も、それは十分に承知していた。そしていろいろがんばった挙げ句、天下統一と建国の成果もあげたし、ここらで本格的に皇帝となるぜ、と思った始皇帝は、伝統に従って泰山で封禅の儀式をやろうと思ったわけだ。

が、戦乱の世でもあって、長いこと封禅の儀式なんかやった人はいなかったので、やり方がわからない。そこで、手下の儒学者どもに、そのやり方を相談した。ところが儒学者どもは、あれはちがう、これは簡便法で本当はこうあるべきで、とか相争うけれど 、まったく結論が出ない。

でもって頭にきた始皇帝は「あいつら、ごちゃごちゃ議論するばかりで全然結論でないじゃん」と見捨てて、自分でやり方を調べて、独自に儀式を行った。そして、もちろんその中身は儒学者どもになんか教えなかった。

するとその帰りに、始皇帝は嵐にあった。すると儒学者どもはいっせいに「ほれみろたたりじゃ、オレたちにあいさつしないで儀式なんかやるから」と一斉に悪口を言い始めた。

大室幹雄は、これと焚書坑儒との直接の因果関係について『史記』には明記されていないけれど、でもおそらく無関係ではないだろうね、という指摘をしている。

要するに当時の知識人たる儒学者どもは、ごちゃごちゃ身内であーだこーだと、細かいどうでもいいことで議論するばかりで、必要なときに使える知見を一切出せなかったくせに、部外者が自分なりに工夫して実践したら、一斉に結託して揚げ足取ってケチつけるだけだった。なんかどこかで見覚えある光景ですね。

だから始皇帝は「こいつら役に立たないどころか、ウザイだけのクソじゃん」と判断したわけだ。そんな連中、無駄どころかかえっていないほうがマシな穀潰しじゃん。そしてそんな連中が古い話を持ち出して自分の政策を批判するとかいう生意気な真似をするなら、積極的に始末しようぜ、と思ったらしい。

結局のところ要点は簡単な話。

  • 紀元前から、学者どもの役立たずな重箱内輪もめ体質はまったく変わっていないこと

  • 学問も必要なときには多少の役には立たないと、いずれ穴掘って埋められるぞ。

ある意味で始皇帝は、正しい意味での反知性主義(象牙の塔の現実離れしたインテリどもなんか要らねえ!)の非常に立派な実践者だった、ということだ。そして一方の儒学者=知識人は、ここから何かしら考えるところがあってもいいのではないか、とも思う。焚書坑儒から数千年たったこの21世紀にあってもね。

ちなみに落合淳思は、酒池肉林も焚書坑儒も、たぶん創作だよ、というようなことを指摘している。

もちろん、『史記』にある通りの形で起きたとは思わないけれど、たぶんその元ネタみたいなことは、歴史のどこかで起きていたんだろうとは思う。

というわけで、いやあ、古典って本当にすばらしいですね。それではみなさん、サイナラ、サイナラ。(史記はまだ先が長いんだよなー。全部読むのか、オレ)

殷代の甲骨占いの再現! メイカー的実証歴史研究。甲骨占いの割れ目の出方は操作できる!

Executive Summary

 落合淳思『殷』は、落合の甲骨文研究に基づく、殷の社会についての分析で、非常にしっかりしていておもしろい。同時にその殷の研究自体が、直接資料である甲骨文を中心に研究しようとする立場と、後代の創作があまりに多い文献を重視する立場が交錯する場になっていることもわかり、研究の現在の状況が如実にうかがえるのも楽しい。

 特におもしろいのは、中で紹介されている「殷代占卜工程の復元」(2006)なる論文。実際に骨を加工して甲骨占いを再現し、どこにひびが入るかは加工次第でコントロールできてしまい、実は占いなんかではなく、為政者の意志を後付で正当化するインチキだったことを暴く! 実際にやってみる手法も楽しく、安易なオカルト古代史や神権政治妄想を踏み潰し、古代人のずるさと合理性を実証できているのがすごい。


 以前ほめたことのある落合淳思。

cruel.hatenablog.com

 その後、ノーチェックだったけど、キューバに出かける前にふといきあたり、帰国して自主隔離の間に読んだのが、彼が書いた殷についての本。

 殷は亀甲占いを多用していて、甲骨文による直接資料がたくさん残っている。亀甲占いはもちろんいろんな政治場面の判断に使われるので、甲骨文をいろいろ調べることで、当時の統治者がどんな政治判断を迫られていたのかわかり、それによって殷という国の実態がかなり明確にわかるとの本。文献での記述は後世の創作も多くて、結構眉ツバなんだけど、中国ではまだ幅をきかせているとか。

 あと面白かったのは、中国の歴史は唯物論的な歴史の発展段階に従わねばならず、そのドグマとして、必ず奴隷に依存した社会があったはずだということになっていて、このため非常に限られた記述を元に中国の学者が、殷こそがその奴隷社会だったのだと断言しているという話。その解釈があまりに強引で、その後の研究で妥当性が疑われているんだけれど、中国ではこの見方に異論を唱えることはできないそうな。こんな古代研究にまで政治判断が入るのか!

 (奴隷がいなかった、ということではない。奴隷制社会というのは、奴隷が生産活動の主力を担うような社会のこと。だからかつてのカリブ海とか米国南部とか、一部の説ではギリシャ都市国家奴隷制社会。殷は、奴隷はいたけれど生産は一般人が主力で、戦争なんかに奴隷は狩り出されたらしいとのこと)

 が、それと並んで面白かったのが、中でさわりが紹介されている、著者の落合淳思の次の論文。以下のやつだときちんとタイトルが出てこなくてアレだが、「殷代占卜工程の復元」(2006)なる論文。

ritsumei.repo.nii.ac.jp

 何をやっているかというと、実際に骨を削って焼いて、亀甲占いを再現して、どのくらいの厚みにするとうまく割れ目が出やすいかとか、実際の甲骨に見られるいろんな跡はどんな意味を持つのか、というのを確認している!

 で、その結果として、結構あらかじめ決まったところに割れ目が出るような加工ができてしまうのだ、というのを立証して、それが呪術ナンタラなどではなく、当然ながら為政者の権威づけのためのインチキであり政治的ツールだったということを示してしまっている。

 一般人や、それに釣られてか一部の研究者もだけれど、古代史のオカルト史観って大好きで (いやぼくも大好きよ)、こう、諸星大二郎の「暗黒神話」の「卑弥呼は金印の力で暗黒星雲を操り〜」みたいなのに大喜びしたりするし、古代シュメールの恐るべき言霊がとか、荒俣宏帝都物語とか、日本橋は実は水の都だった江戸が近代東京にしかけた呪いだったとか、そんなのがたくさんある。だから殷もすべて甲骨占いに基づいて生け贄と祭儀と呪術合戦で運営されていたオカルト神権政治だった、みたいなことを夢見がちなんだけど、そんなことねえよ、しょせん人間のやることよ、呪術なんか昔からおためごかしよ、打算とインチキと合理主義よ、という身も蓋もない話。すばらしい。

 そしてそれ以上に、実際に骨を削ってやってみる、というのがすごい。というかコロンブスの卵。やっぱり、なんでも実地にやるのがえらい。メイカー精神。ここからもう一歩進んで、「あなたにもできる亀甲占いキット!(好きな結果が出せます)」みたいな商品化するとおもしろそうではある。

ホール『都市と文明』II-1:工業技術イノベーション都市の理論なんだが、何も言ってないに等しい。

Executive Summary

ピーター・ホール『都市と文明 II』は、産業イノベーション都市の理論のはずだが、まず冒頭にある産業イノベーションや都市立地の理論のまとめがあまりに雑でいい加減であり、したがってその後の各種都市の記述にとってのフレームワークを提供できていない。おかげでその後の長ったらしい都市紹介は、長いだけであまり整理されないまま。

さらに記述は都市そのものと関係なしに、蒸気機関の話だったり各種文化産業の話だったり。そして結論も、イノベーションは周縁部で起きて、そこにある自由と周縁的な人びとや移民がチャンスを与えられたときに生じる、といった非常に一般的なものとなっていて、長々とした都市の歴史記述の意義はなおさらはっきりしない。結局、これだけの長さを読んであまりそれに見合う知見が得られたとは言いがたく、本として成功しているとは思えない。


前回の続きです。

ピーター・ホール『都市と文明』IIの最初の7割は、都市における技術革新の話となる。が、I巻で挙げた欠点はさらにひどくなる。ものすごい飛ばし読みになったが、こんな分厚い本をキューバに持っていく気はしないので、とにかく備忘録的にまとめておく。

こう、そもそもI巻を「文化」と称して高踏芸術の話だけにして、その次を工業や技術革新の話にするという分け方自体がかなり問題が多く、この人のお高くとまった価値観を示したものではある。文化というと、少なくともぼくの感覚では旧石器文化とか縄文文化とか、ある種の生産手段を中心とした社会のあり方があって、高踏文化なんてそこに咲くあだ花だ。

が、それはまあ趣味の問題として、工業の話だ。それこそ集積やインフラなどの交換その他に基づく様々な話が、経済学でも地理学でも社会学でもたくさんある。それをまずはきっちり見てくれるんですよね!

ところが。

見てくれないの。

ここでも、まず彼が中見出しをたてている項目を挙げよう。

  • 新古典派経済学:経済地理は静態的だからダメ。アラン・スコットは輸送費用だけでなく革新についての動的な記述を入れたのでエライ。内生的な集積要因があるのだ。

  • シュンペーター:発展や集積をもたらすコンドラチェフ波動に注目したのでエライ

  • ペローの成長概念:寡占的企業が経済成長を生み出すのに注目してエライ

  • エダロの革新的環境理論:各種要素の相乗効果を重視したのでエライ

  • カステルの情報都市:情報のフローが革新を生み出すから地理にとらわれないと主張

  • ポーター、クルーグマン、パットナム:近接性が情報集積を生み出すことに注目したのでエライ

これだけ。

これだけ???!! 都市の産業発展についての理論がこれだけ??!!

正直いって、都市の産業集積と経済発展の理論のまとめとしてこんなものしか挙がらないなら、ぼくはホールって何もわかってなかったのではと思わざるを得ない。

フォン・チューネンやクリスターラーやアロンゾみたいな、初期 (1950年代まで) の経済地理や産業立地論が輸送費に注目した静態的な話しかなかったのは事実ではある。でもそのの不十分さは当人たちがいちばん知っていて、かなりがんばっていろいろ試みていたし、それを受けてクルーグマンとかも自分の空間経済学を構築していったのになあ……

ちなみにクルーグマンの空間経済系の参考文献で挙がっているのは「経済発展と産業立地の理論」だけ (!!!!)。あれだけをもとにクルーグマンの空間経済学理論を語ろうとするのは、あまりに無謀というか、それで語れるわけないじゃん。付け焼き刃を疑わざるを得ない。

cruel.hatenablog.com

シュンペーターの話も、景気循環がイノベーションの原因なのだという捉え方をするのは逆さまじゃないの? イノベーションが起きて、前のが行き詰まって停滞する中で新しいものが受容されて前のものを破壊するプロセスにより、景気循環が生じる、というのが彼の理論じゃなかったっけ?

また経済学も、産業立地論しか見ていないというのはどうなのよ。

しかし新古典派のよく知られた限界は、ここにおいても、そしてより一般的にも静態的であることである。それは、異なる時代に、異なる場所で、産業の消長をもたらす動態的な力への関心がない。同一の産業において、ある企業がある地域またはある国において衰退あるいは消滅する可能性があり、また他の企業は別の場所で堅実に成長し(中略) それらがどのように起こるかについて説明しない。(p. 668)

ちがうと思うなあ。少なくとも国レベルの話では、これはまさにアダム・スミスが考えてきた古典派/新古典派の核で、リカードもサミュエルソンも全部この手の話をしてると思うんですが……

さらに彼は「英系アメリカ人のアラン・スコット」がつくりあげた生産複合体と呼ぶところの理論の話をする。「彼はこれら古い理論と、1980年代に非常に流行したマルクス経済学による全く新しいアプローチとを結合させることによって」その理論を構築したんだそうな。

アラン・スコットってだれ? この人の理論についての話が5ページにわたって続くんだが、まったく要領を得ない。そして1980年代にマルクス経済学が流行った?

ぼくは一応、この手の話はそこそこ知っているつもりだったので、マル経方面で経済地理や産業立地的な話が1980年代に流行ったと聞いて焦っていろいろ調べてしまいましたよ。その結果……

まず、この人物は「アラン」スコットではなく、「アレン」スコット。これ、翻訳のミスなの、それとも原著? (その後確認しました。もちろん原著は正しく、翻訳のまちがいです) UCLAの人ね。この人なら知ってる。でも彼がマル経の影響受けてるってホント?

マルクス主義者による分析によれば(中略)資本主義体制は周期的な危機の中にあり、競争は激化している。そしてグローバリゼーションは生産の海外移転を容易にする。(中略) このように、かつて産業が発達した地域や国では産業の空洞化が生じ、残された企業は労働力を必要としない生産方式を発展させた。

1998年で? 大中庸時代で資本主義かなり安定と思われていた時代に? どうもここでの書きぶり、レギュラシオンの連中とかウォーラースティン一派とかが念頭にあるようなんだけど、うーん。そんな大した思想潮流だったとは思えないんだよね。

そしてその他のペロー(知りません)とかエダロ (同じく知りません) とか、カステルとか (つまんないと思う)、たまたま自分がちょっと考えていたような概念を挙げたというだけで入れているけれど、都市の理論として大きく採り上げるべき存在だとは思わない。というか、まあぼくの認識不足もあるだろうし、そしてぼくが知らない偉大な論者も当然いるだろうし、そういうのをきちんと挙げてくれるなら、とてもありがたい話ではある。ただ、ぼくも決して完全にこの分野に無知なわけではない。その人間に「なるほどこの人は重要なんですねえ」と思わせる程度の説明がないとなると、一体これを読んでだれが納得するの? これ、だれにどう読んでほしいの?

だれかの理論や視点が優れているというなら、それは何なの? 地域の中で情報集積やスピルオーバーがあったとか、文化的なつながりがとか、いろんな要素はあるけれど、結局都市は複雑なので、いろんなことが言えるのは当然だ。そこで考えるべき「都市」というのがどんな規模なのか? 彼等の理論で何が言えて何が言えないのか? そして何より、そうした理論の展開によりどんな枠組みが生まれ、この本ではそうした知見を得てどんな視点から各都市を見ていくのか? それをきちんとまとめてほしいんだが。でも、まったくなし。

こうした、理論的な枠組みや視点がきわめて不安定なので、各都市の記述もすべて、あれもあるこれもあるの総花記述になって、結局何が言いたいのかはまったく見えない。

でもいろいろ見た結果として何かすべてに通じる考え方が出てくるんだろうか? いいや。何もないんだよ、それが。第2部最後のまとめを見ても、こうした工業技術イノベーションによる都市発展みたいなものについての新しい知見はまったく得られない。周縁的な都市が最初は中心で、最初の連中は落ちこぼればかりで、中小企業からはじまりました、地元ネットワークが強く、自由があったので発展しました。でも新しい変化についていけないと落ちぶれます。そんな話。こんなに延々とあれこれ読まされてきた挙げ句、出てきたのがこの程度の一般論だと、腹がたちませんか? ぼくはふざけんなと言いたくなったわ。何も言っていないに等しいではないの。

そして日本の東京圏はすばらしい他とまったくちがう国家主導の長期的ビジョンを持った選択と集中による発展モデルであり、といった話は、いま読むと鼻白む。1998年時点でも、日本の没落は見えていたと思うけどなあ。

この第2巻では、第三部の大衆文化の冒頭も出てくる。でも、この時点でこの本が、いったい都市の話をしたいのか、何やらそのあたりで発達した文化産業現象の話をしたいのかまったくわからなくなってくる。読んでいて、都市というある物理的な実体に根付いた記述という感じが、これまでの部分でも全然しないのだ。文化の話だと、文化の話ばかりになる。マンチェスターの話ではワットの蒸気機関の話がいろいろ出てくる。でもそれがなぜここなのか? それが地元の風土なり環境なりインフラなりにどう関連していたのか?

産業そのものの話にしても、シリコンバレーの解説はサクセニアン『現代の二都物語』の引き写しにしか見えない。他の都市の説明に関してもそうなんじゃないか、という疑念はぬぐえない。すべて孫引きだというのはホール自身が冒頭で認めているけれど、でも材料は他から持ってくるにしても、彼なりの咀嚼はあるべきだと思うけれど、咀嚼のない羅列に終わっていると思う。

(あと、参考文献の邦訳資料の上げ方の雑さはちょっとすごい。『現代の二都物語』は大前訳が上がってるとかポラニー『大転換』も古い訳だとかケインズが何一つ挙がってないとか、さんざん時間がかかっているのでもう少しなんとかできたんじゃないかと思うんだが。ついでに、翻訳も最初は大目に見ていたが、だんだん中身への苛立ちもあり、直訳ぶりがカンに障るようになってきた。あと、agglomerationを凝集と訳すのはやめてほしい。ふつう、集積でしょう)

これから第3巻がでてきて、そこに入っているはずの第四部は見所があるらしいんだけれど(とマイケル・バティが述べていた)、いまやぼくは何も期待していない。が、一応ケリをつけるために目は通します。ではそのときにまた。

cruel.hatenablog.com

付記

でもさあ、一応はイギリス都市計画の大家たるピーター・ホールの本だし、ぼくもそろそろマンフォードに代わる古典として翻訳したほうがいいんじゃないかとか、どっかで書いた覚えがあるし、責任感じてこんな税込み7000円超の本を二冊も自分で買ったんだよー。もっと費用対効果とか、それなりに得るものほしいよう。

ホール『都市と文明』I:文化芸術の創造理論なんだが、出た瞬間に古びたのはかわいそうながら、それ以前に認識があまりに変では?

Executive Summary

ピーター・ホール『都市と文明 I』は、都市がイノベーションの場だからえらいのだ、という結論ありきの本。第一巻では、高踏文化に見られる創造性がテーマとなっている。しかし冒頭にある創造性の理論のレビューがあまりにショボく、その後の各種都市の記述に必要な枠組みが提示されない。

そして結論も、文化芸術の発達のためにはある程度の人口集積が必要で、それから社会経済環境が急変していて、異質な人びとがたくさん入ってきたけれど疎外されていて独自文化を発展させるようなときに、大きな創造性が生まれるんだ、というもの。500ページ読んで得られる知見としては不満と言わざるを得ない。


ルイス・マンフォードの大著『歴史の都市 明日の都市』にかわる総合的都市論となるべく、都市計画の大家とされるピーター・ホールが満を持して発表した大著『都市と文明』の三分冊その1ではある。

まずこの本、1998年に出ていて、基本的なテーゼは都市が創造力によって文明の原動力となっているよ、という話。それ自体は、異論はないんだけれど、それって70年代から80年代にジェイン・ジェイコブズがかなり強く主張していたことで、出た当時もいまさら感はあったと思うし、都市集積の重要性に関する理論もどんどん出ていた頃だ。

そして、出て数年後にはリチャード・フロリダのクリエイティブ階級云々が出てきてしまった (2002)。ぼくはこの本、あまり感心してないけれど、でもまあそういう考え方を普及させたのはまちがいない。過去の都市をほじくりかえすまでもなく、いまのアメリカの都市が創造性を生み出し、という話があるならそっちのほうが興味をひくよね。

そして冒頭で理論的なまとめをホールは試みるんだけれど……これがさっぱり意味不明。

この第一巻では創造性といっても文化的な創造だけに注目するんだそうな。だからアーティストの創造性の研究の話ばかり。美術とか文化とか。まあ経済の話は第2巻だから、それはそれでいいのかもしれない。しかしそれを勘案しても、本書で採り上げる既往研究は変なのばかり:

  • ハワード・ガードナーの創造性研究:天才は異質な環境の中でひらめきを見出す、と主張したそうな。

  • マルクス主義の主流派:中身の説明はなく、創造性との関係も説明なく、主流派は無視していいとの一言。アドルノベンヤミンだけはいいんだというけど、そのどこがいいのかは言わない

  • ポストモダニズム:中身の説明もなく、単なるマルクス主義の一派とされて「文化あるいは芸術の革新についての革新的な論点がない」と否定されておしまい。

  • イポリット・テーヌの理論:だれ? 聞いたこともない。なんで特筆されているのかさっぱりわからない。芸術家にとって自由と新しい環境の重要性を指摘した、というようなところらしいが意味不明

  • クーンとフーコー:クーンのパラダイム論は、科学の話より芸術の話だそうな。フーコーは、それまで支配的だった体系からの断絶を重視したのでポモの有象無象とはちがってえらい、というが具体的にそれが創造性とどう関係しているのか説明なし

  • トルンクヴィストらの創造都市:情報と能力と知識のからみあいで創造的環境ができるのだと述べたとのこと。

いや、経済学とかないの? 芸術論とかもうちょっとあると思うよ。天才の分析とか、他にもたくさんあるんじゃない? 教育学とか心理学とか、もっといっぱいあると思うなあ。異質な文化同士の衝突で新しい文化運動が生じる、なんて話はいくらでもあるんじゃないかなあ。ルネサンスがなぜ生まれたか、とかさあ。個人の創造性や天才の話もいろいろある。都市や地域の文化的な発展についての話もいろいろある。ブローデル『地中海』だってそういう話ですわな。でもホールはまったく挙げないで、なんかすごく偏った採りあげ方をする。これってどうよ。こんな百科事典みたいな本で。

さらに説明の仕方もひどすぎる。過去の理論を説明するなら、「この人は創造性についてこんな主張を行いました。それは従来のに比べてこんな点が優れています。でもこんな不足があります。別の人はそこのところは成功したけれど、こっちに不足がありました。私はそれをあわせて本書のアプローチにします。目新しいでしょ」というふうにやってほしいんだけれど、それが皆無。マルクス主義が何をしに出てきたのか、まったくわからん。マルクス主義の主流って、出てきた瞬間に「見るだけ無駄」と言われるんだけれど、それならなんでそもそも言及してるの? ポモは創造性の理論においてどんな特徴を持っていたの? イポリット・テーヌって、聞いたことないけどなんで特筆されてるの?

その後のくだくだしい記述を見ると、どうもマルクス主義は、下部構造が上部構造を規定して、下部構造変化により人びとが創造活動をするような新しい環境をつくるのだ、というようなニュアンスで持ち出されているらしい。さて、そもそもそんなものを創造性の理論として持ち出すべきなのか? ある種の傍系理論として出すならまだしも、創造性の理論としてまっ先に採りあげるべきなのか? しかも、ろくに説明もせずに一蹴してしまうのに、中見出しを立てるほど重視すべき理論なのか? そんなあたりについて説明まったくなし。マルクス主義がもっと力を持っていた60年代なら、こういうやり方もあったのかもしれない。でもすでにベルリンの壁が崩壊した後でそれを真面目に考察すべきだったんだろうか。ホールはそれをまったく説明していない。

ポストモダンも、「現実は幻想だという理論だ」と述べて、ビデオドロームとか挙げるが、それが創造性の理論としてなぜ特筆すべきものだったの? 一切説明なし。ただ、おもいつきの無力な理論、フランス知識人が己の周縁化に危機感をおぼえてでっち上げた変な理論だ、と述べるだけ。それ自体は同意するけど、それなら中見出しをたてて言及する必要はまったくなかったのでは?

マルクス主義理論なんか出さなくても、本書で挙げているアテナイだのフィレンツェだので、パトロン文化があったとか商人同士の文化的な競争とか、文化芸術が発達する理論なんていくらでもあると思うんだけど、そういうの触れないの? 触れないんだよねえ。

そして本書のテーマである都市との関連性があまりに薄い。一巻の最後では、文化芸術の発達のためにはある程度の人口集積が必要で、それから社会経済環境が急変していて、異質な人びとがたくさん入ってきたけれど疎外されていて独自文化を発展させるようなときに、大きな創造性が生まれるんだ、というまとめになる。うーん。500ページ読んでそんだけかあ。

出た直後から創造性への注目が進んで、理論もたくさん出てきて、本自体が出た瞬間に古びてしまっていた面は大きい。でも、1998年ですら、創造性についてこんなショボい理論しかなかったはずはないし、それを把握できていないホールの本って、大丈夫なんだろうか、と思ってしまうのは人情だと思う。

二巻についても、あまり期待はできない。一巻は、芸術的な創造力が花開いた都市を扱い、二巻では産業的な創造性の話になるので、二巻では経済学的な知見も少しは出るんだが……少し。しかも、そこでも1980年代の理論の話をするときにマルクス経済学がどうしたこうした言ってて、ちょっと信じられない。基本的な認識がゆるいうえに、大山鳴動して鼠一匹羊頭狗肉になるのはかなり見えているので、そういう偏見を持って読むしかない。

原書はもっていたけど重いし鈍重で読むのをやめてしまったんだけれど、最後の三巻のまとめはいいようだ、とマイケル・バティが書いているので、それに期待するかな。でもそれも三月まで出ないようなので、ホールが期待を良い意味で裏切ってくれたか、そのときに書きましょう。ホールは、本書があまり評判にならなかったのでがっかりしたようなんだけれど、正直言って、これでは仕方ないな、とは思う。

いずれ、彼が都市計画の思想史としてあげたCities of Tomorrowについてまとめようとは思うけれど、ざっと昔に読んだ印象では、やはり同じ病気に冒されているとは思うんだ。

ゲバラ夫人対決! 教条主義イルダ VS ファッション至上アレイダ

Executive Summary

チェ・ゲバラは2回結婚している。二人とも、回想記を書いている。

最初の奥さんイルダ・ガデアは、ずっと年上だがペルーで過激派の重鎮だったため追放され、ゲバラをグアテマラとメキシコで急進的なマルクス主義勢力と接触させた人物。完全にガチガチの左翼過激派で、回想記もその教条主義文書でしかない。(というより、ゲバラ側はまったく惚れておらず、都合のいい金とセックスの相手としか思っておらず、結婚もできちゃった婚ですぐに離婚するつもりだったというひどい話で、ロマンス部分は思いこみ=創作が多い模様)

キューバで結婚した奥さんアレイダ・マルチは、革命軍に参加するプロセスは実にありきたり。ゲバラとの出会いと愛情が深まるプロセスみたいなのはある。でもどこへいってもファッションをまっ先に気にする普通の女子だったことが露骨にわかるし、またずいぶん嫉妬深くてオフィスのかわいい秘書を追い払ったりしていて、ほほえましくはある。が、目新しい話がわかるわけではない。


チェ・ゲバラは2回結婚している。その二人ともがゲバラをめぐる回想記/伝記を書いているので、まあゴシップ的な興味から比べて見た。

イルダ・ガデア:共産主義前衛の教条主義的結婚

最初の奥さんはイルダ・ガデア。ペルー出身で、暴力革命を目指す人民同盟(アプラ党) の重鎮だったために追われてグアテマラに政治亡命して、そこで最初にゲバラに出会い、その後さらにグアテマラからも追放されてメキシコに逃げ、そこでゲバラに再会し、結婚に到っている。彼女の記録が次の本。

いまの説明でわかる通り、彼女はガチガチの左翼だ。この本も、最初から最後までその調子。人民のためにどうこうの、圧政がどうした、という話。だから、読み物として決しておもしろいものではない。ちなみに、彼女自身の経歴とか出自については何も書かれていない。(巻末に、彼女の弟が簡単な略歴を書いている)

さてゲバラはグアテマラでもメキシコでも彼女にしょっちゅう会いに行くんだけれど、それは彼女がまさに左翼だったため、それにあこがれていたゲバラが興味を持ったから。それで、ずっとマルクスとか社会主義とか、サルトル思想について議論をしている。また人脈はそれなりにあった。

で、ゲバラはあるとき彼女に、恋愛感情ぬきでいっしょに中国に行こうと言って、それからしばらくして、いきなり健康状態を尋ね、結婚しようと言い出す。

普通さあ、何かロマンチックなプロセスとか、いっしょに月を見たりとか、ほのめかしとかあるじゃん。そういうのほとんどなし。

……と思ったら、エルネストくん側の日記を読むと彼はぜんっぜんイルダなんかに興味はなく、「セフレならいいが本命はないよ」とか「束縛してきてウザイ」「形ばかり一発やってやった」「彼女はまだ国を出られないから、それを利用してすっぱり別れてしまおう。明日、告げたい人全員に別れを告げ、火曜にはメキシコへの大冒険が始まる」と、もうさすがにあまりにひどいことが平然と書かれていて唖然。たぶん本当にそういうロマンチックなプロセスはなく、イルダが必死でなんとかこじつけていただけなんだろうなあ。(2023/09/10)

で、そのときはお流れになって、でもその直後にまた結婚しようと言われ、女性にとって結婚とは何か、社会発展への貢献はとかいう話をして結婚。そのときくれた詩には、自分が求めているのは美しさだけでなく、仲間意識もだ、と書かれていたそうだ。

なるほどねー。明らかに青臭い左翼的な、人間の価値は外面的な美しさではなく革命意識なのだ、といったお題目から結婚してるね。年齢的にもイルダのほうが7歳だか9歳だか上。

グアテマラでは同棲まではいったけれど、その後イルダがグアテマラから追われ、別々にメキシコに流れる。一時二人は疎遠になり(ゲバラが水着女性の写真を持っていたからだって)、そしてそこでカストロたちとであう。

二人が正式に結婚したのは、このメキシコでのことで、妊娠が判明してから。で、こんな一家ができあがった。

イルダ・ガデア&チェ・ゲバラが赤ん坊の娘を抱いて家の前の階段にすわっている白黒写真
イルダ・ガデア&チェ・ゲバラと娘

が、結婚そのものは本当にゲバラの本意ではなかった。そのときのゲバラの日記は、あまりに正直というかひどい。 「それは落ちつかない話だった。(中略) これは彼女にとって劇的な瞬間だが、私には重苦しい。結局彼女は思い通りにするだろう――私は短期間と考えているが、彼女はそれが生涯続くのを望んでいる」(2023/09/10)

ゲバラが投獄されたりで、グランマ号での出発までに紆余曲折あったけれど、なんとか見送って二人はわかれ、彼女はペルーに戻る。そして革命成功後にキューバにいったら、他に女がいるといわれて離婚。

ちなみにこのとき、カミロ・シエンフエゴスがものすごく気をつかってくれたとのことで、彼は本当にいいヤツだったんだなあ。

全体として左翼過激派の亡命生活と世界革命を目指す話で、ゲバラはその一エピソードでしかない感じ。心理的な葛藤とか、少しうかがわせるようなところもあるんだけれど、でも全部革命と解放のための戦いや思想的ナントカに回収してしまう。それはゲバラ側も同じ。最後に、ゲバラの書いた詩とか娘への手紙とかが収録されていて、そこらへんはイデオロギーに回収されない、ちょっといい感じなんだけれど、それも一瞬で終わる。まあ、グアテマラからメキシコ時代のゲバラについて興味があれば、という感じだけれど、まったく目新しい話というのは出ていない模様。

全体としてみると、思想的にそんなに急進的ではない。グアテマラでは、むしろ社会民主派的な穏健派だったが、その後ゲバラの妻というアイデンティティを確立するために、この本では後付で暴力革命肯定の態度を捏造した可能性が高い。(2023/09/10)

アレイダ・マルチ:ファッション至上の普通の女子

アレイダ・マルチは、キューバ革命の中で出会って結婚した女性。本としてはとてもつまらない。彼女の生い立ちから反乱勢に加わって活動するまでの話は、別にねえ。普通に学生して、だんだんバティスタの圧政に疑問を感じて、というありがちな話。

まず、山の中のゲバラに届け物をしたときに初めて出会って、いっしょにピストル打ちに行こうとか誘われたりして、他の男のナンパを避けるためにもチェに接近しつつだんだんひかれ、奥さんがいると言われてショックを受けて、でも革命のためにその後も働いているうちに手を握られて、お互いの愛を確信した、とのこと。イルダ・ガデアのものよりは、彼女のほうの心の動きが少しはうかがえておもしろい。

そしてついに、チェ・ゲバラから奥さんと別れる決意を告げられて二人は結ばれました、というわけ。

でもイルダ・ガデアの話によると、キューバにきてみたら、他に女ができたという話をゲバラにされて、向こうは離婚に難色をしめしたけれど、イルダのほうが決然と三行半をつきつけた、という話になっている。どっちが本当なのかね。まあゴシップだけれど。

でも全体として、アレイダ・マルチの頭の悪さと浅はかさみたいなのが露骨に出ている本で、いささかゲンナリさせられる。彼女は、いろいろキューバの政権に殉じた話をしてみせるんだけれど、でも彼女がいちばん関心あるのは常にファッションであり、容姿なのね。

まずイルダ・ガデアがキューバにやってきたときのことを、アレイダ・マルチはどう書いているだろうか?

私たち二人は紹介されませんでした。彼女の脇を通ったときに様子を探ってみました。それまで私が想像していたイルダのイメージはすべて崩れ落ち、私のエゴが強まりました。この人はまったくライバルになりえないと確信したのです。(p.137)

こっそり見たらブスだったから、あたしが勝ったと確信したわけね。これを正直に書くというのがすごいよな。ふつうはこう、なんかもっとあたりさわりなく、立派な女性でチェの人生の一つの道標だったと感じられたとか、勝利を確信したならなおさらもっと余裕かましてほしいなあ。だって、外見では勝負にならないことくらい、高らかに宣言するまでもないじゃん。

アレイダ・マルチ&チェ・ゲバラ、結婚式の白黒写真
アレイダ・マルチとチェ・ゲバラ

で、その後にゲバラが農民をすべて政府配下に置くためにつくったINRAの事務所でのエピソード。

初めて事務所に行ったとき、それまでのチェの話とは違い、素敵な、当時の流行のスタイルをした若い女性に遭遇しました。驚きました。(中略) 当時のINRA長官ヌニェス・ヒメネスの奥さんのルーバが秘書として連れてきたのです。すぐさま彼女を追い出そうとしました。チェの秘書は私だけだからです。同志たちはみな、この秘密を守り、私はその決定には関係ないというふりをしてくれました。(p. 156)

この事件はアレイダ・マルチが嫉妬深いというふうに、チェ・ゲバラ当人を含むあらゆる人に理解された。いや、いま読んでも明らかにそうだわ。まっ先に気にしているのは彼女のファッションと年齢だもの。ところが彼女はそれがたいへんにご不満だった模様。その後、タンザニアに行ったときにまでその件についてチェ・ゲバラに弁解し、その子の能力不足のせいだったと納得してもらったというんだけど、ウプププ。そんなの会った瞬間にわかるわけないじゃん。

ハバナに入ったときも、まっ先にやったのは服をあつらえて美容院にでかけてハバナのファッション視察。別に悪いことではないけれど、それが記述の冒頭にくるというところに、彼女の優先順位ははっきり出ている。

中国にいったときも、みんな同じ服きていていやだと思った。プラハも、ゲバラは売春婦がいるのを非常に嫌がっていたけれど、アレイダはみんながすごく素敵なファッションだというのがまっ先にくる。ゲバラは、出張時に指輪とか宝石を買ってきてくれるようなことを言っていたけれど、毎回「国のお金を私欲のためには使えない」といって先送りにしていた。それがアレイダ的にはずいぶん不満だったみたい。

本当に、それがいけないわけではない。キューバ革命の重鎮の奥さんという役割を担わされて、いっしょうけんめいそういうことを言っては見るものの、彼女はとてもふつうの女の子、ではあったわけだ。ひょっとしたら、ゲバラもそういうところに惹かれたということなのかもね。それと、彼女の容姿と。

そうしたプライベート以外の部分は、まあ彼女が公式プロパガンダ以上のことを自由に書かせてもらえる立場かどうかも、当然考えつつ読む必要はあるよね。

ということで、どっちも読む必要はまったくない。あと、アレイダ・マルチの娘が来日してキューバのプロパガンダをしまくったのを記録した本があるけれど、これはホント、積極的に読まないほうがいいくらいの代物。

付記

ちなみに、アレイダ・マルチで検索すると、この写真がいっぱいでてくる。

「チェ 28歳の革命」でアレイダ・マルチを演じているカタリーナ・サンディーノ・モレーノ、ドアの前で軍服で自動小銃を持った写真を白黒に変えてあるもの
アレイダ・マルチ、を演じたカタリーナ・サンディーノ・モレーノ
おお、尋常ではない美女だなあ、と思っていたが、よく調べたらこれ、ベニチオ・デル・トロ主演のチェゲバラ伝記映画で、カタリーナ・サンディーノ・モレーノがアレイダを演じているだけなんですねー。