プリゴジンくんの想い出を語るプーチン

Executive Summary

8/23あたりに起きた、ワグネルグループのプリゴジン粛清不慮の死をめぐるプーチンコメント。思わせぶりな部分もあるが、現時点では単なる事実確認。ただ雰囲気としては、ウクライナ/悪の西側による殺害、ということにしたい感じが漂っている。あと、ワグネルグループに触れてはいるが、一方でプリゴジンを、むしろ資源系のビジネスマンにしたいような雰囲気は不思議。あまり深読みするのも意味はないだろうが。

ドネツク人民共和国 首長代行デニス・プーシリンとの会合

2023年8月24日 18:55 モスクワ クレムリン

en.kremlin.ru

ドネツクの傀儡プーシリンとプーチン

デニス・プーシリン: (前略) アルチョモフスクの話が出たついでですが、昨日ここに向かう途中で、イフゲニー・プリゴジンの死に関する胸の痛むニュースを知りました。これは我々にとって繊細な問題です。というのもワグネルグループの彼の部下も命を落としたからです。アルチョモフスク解放に参加したのは彼らでした……もちろん状況は様々な懸念と同情を我々の間に引き起こしました。残念ながら現在起きていることは理解するし、敵にまわしているのがどんな連中かもしっています。また敵は何ら手加減などしないのも知っています。

ウラジーミル・プーチン: 飛行機の墜落について言えば、まず、被害者全員のご遺族には心からお悔やみ申し上げる。墜落はいつでも悲劇だ。実際、ワグネルの団員たちが搭乗していたなら、というのも速報から見てそうらしいからだが、そうした人々がウクライナのネオナチ政権と戦うという共通の大義に対して有意義な貢献をしてくれたと言わねばならないからだ。我々はこれを記憶しており、知っているし、決して忘れない。

プリゴジンは長いこと、1990年代初頭から知っている。困難な運命の持ち主で、人生でいくつか深刻なまちがいもしたが、己に必要な成果も挙げたし、また過去数ヶ月で起こったように、私が頼んだときには公共の善のためにも必要な結果を出してくれた。

才能ある人物で、天性のビジネスリーダーとして、アフリカを含め我が国の内外で働いてきたし、その面でかなり有能だった。石油、ガス、貴金属、宝石の仕事をしてきた。私の知る限り、たった昨日アフリカから戻ったばかりで、高官何人かと会合を開いた後だった。

確実に申し上げられるのは、調査委員会の委員長が今朝私に報告したように、この事件に関する暫定調査が始まったということだ。それは完全に実施される。それについては一切の疑念があってはならない。しばらく待って、調査委員たちが何を言うか見よう。

専門的な技能と遺伝子検査が現在行われている。これはしばらくかかる。

デニス・プーシリン: 専門家たちが事件の真相を解明すると確信しております。これは我々みんなにとって重要なことです。

大統領閣下、以前のご指示やご要望について手短にご報告したいと思います。(後略)


プリゴジンの乱を受けて、その解釈についてはいろいろ出てきた。そしてその首謀者について絶対に許さないみたいなことをプーチンが語っていて、ああこれはプリゴジンも友愛されるのは確実に思えた。

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ところがそのプリゴジン、ベラルーシに逃げたと思ったら、やっぱ戻ったとの話で、なんだかよくわからなかった。さらに、彼に対する刑事訴追はすべて終了という報道が出て、え、逃がすの?!?!とかなり意外だった。ぼくは、この上の演説を見て、「ああ絶対許さないと思われちゃったねー、もう助からないねー」と思っていたので、すごく驚いた。8/22あたりにアフリカから (と称する) 本人のビデオが登場した。まさか表舞台に復帰できるとは思わなかったので、みんなびっくり。ぼくも自分が完全に読み違えたかな、と思っていた。

バカな親露派は、やっぱすべてプーチン様は計算してやってたのね、プリゴジンは正義の英雄で、西側の悪行をつぶすプーチンの偉大な活動を今後も支援し、チェ・ゲバラのようにアフリカを解放するのだ、という妄言に浸っていた。が、それは論外にしても、こうして公然と出てこれるということは、結局まだ使い出があると判断され、なんか許されて、まあ外国で活躍してなさいよってなあたりで手打ちになったのかと思った。

そうしたらその直後、8/23頃に、いきなり乗っていた飛行機がロシアで墜落。死亡という公式発表があった。多くの人は、マジかよホントかよ、というのが第一印象。特に、墜落はアフリカビデオの直後だったので、ぼくも含めかなり混乱して、そんな場所にいるはずがないのでは、ホントに死んだのかとか、どっちかが影武者ではとか諸説あった。

が、結局このプーチンの談話を見ると、ビデオを撮った直後にアフリカからロシアに戻った模様。そしてもちろん、許されてはいなかったのねー。やっぱぼくの読みはまちがっていなかったのねー。わっはっは。どんなもんだい。

全体の会議は、建前上はプリゴジンの話はついででしかなく、ドネツクの現状の話 (=悪辣な西側ネオナチのウクライナ政府の悪行+不屈のドネツク人民の自慢) がメインだが、実際には逆なのはみんなご存じのとおり。その本題のところだけ訳しました。

チェ・ゲバラ広島行きの謎、および三好徹『ゲバラ伝』

いま訳しているゲバラ本、詳細なだけあって、とにかくおもしろいエピソード満載ではある。その一つが、1959年ゲバラの来日および広島訪問のエピソードだ。

簡単に背景を。1959年1月、世界の驚きをよそにキューバ革命が成功してハバナは制圧されてしまい、新政権が樹立した。カストロは、表向きは自分が共産主義者じゃないと言い張りつつ、軍と政権内の粛清とキューバ共産党 (=人民社会党) メンバーの浸透を着々と進める。

そんな中、カストロは今後のアメリカとの関係悪化を予想し、アメリカ以外への輸出市場拡大および外交関係の強化を狙って、特にバンドン会議の「非同盟国」(米ソどちらにも肩入れしない国々、エジプトやインド、セイロン、インドネシアなど) および新興工業国 (当時の日本は、いまのような「先進国」などではなく、あくまで妙にがんばってる後進国もどきだった) である日本やユーゴに使節団を送りだし、その親玉にチェ・ゲバラを据えた。そして彼らは1959年7月15日に来日した。

その日本でのスケジュールの中、彼らはわざわざ広島の原爆慰霊碑に献花しにくる。

献花するキューバ使節団。左からフェルディナンド大尉、チェ・ゲバラ、キューバ大使アルソガイラ、県のアテンド役見口、1959 (中国新聞)

ゲバラの広島行きの経緯とは?

この広島訪問の経緯は、一般にはとてもストレートに説明されている。ゲバラが広島行きを決めたのは、あちこち視察しているうちに7/24 (金)に大阪にいて、「あ、広島近いじゃん」と気がついたからだ。そこで外務省に要請が出されて手配が行われ、彼は翌日7/25 (土) の午後に広島に飛行機で (岩国空港経由で) 向かったことになっている。県とその担当者の記録および証言では、岩国空港についたのは午後1時、県の担当者はそれを空港で迎えて車も出し、新広島ホテルに向かって、それから原爆慰霊碑に献花している。そしてホテルで一泊の後、7/26午前に山陽本線の特急で大阪に戻り、その後東京に向かったとのこと。特に何の変哲もない、ふつうの視察と表敬訪問だ。

が、いま訳している本に、これをめぐるちょっとおもしろいエピソードが出ている。

アルフレード・メネンデスは、東京のキューバ大使から翌日には千鳥ヶ淵戦没者墓苑に献花に行く予定だと聞かされたときのチェの反応を覚えている。ここは第二次世界大戦で戦死した兵士を悼む記念碑だ。チェは激しく反発した。「そんなところに行くもんか! あれは何百万人ものアジア人を殺した帝国主義の軍隊だ (中略) 行くのは広島、アメリカ人が日本人10万人を殺したところだ」。外交官は顔色を失い、それは不可能で、すでに日本首相とも手配が済んでいる、と告げた。チェは断固として譲らなかった。「オレの知ったことじゃない、お前がどうにかしろ。こっちの承認なしに勝手に手配したんだから、さっさと取り消してこい!」

こわー。ちなみにこれ、千鳥ヶ淵ではなく靖国だった可能性もある。

メネンデスは、キューバ使節団の砂糖専門家。ゲバラの使節団の最大の目的は砂糖の売り込みだったので、彼は使節団の中では重要人物の一人となる。もし彼のこの話が本当なら、話はもう少しややこしかったことになる。この千鳥ヶ淵云々の話はおそらく着いてすぐ、東京にいた頃の話だと思われる (到着は7/15)。その時点で広島行きの希望はあって、この真っ青になった大使が慌てて要請を出したはずだ。それがやっと7/25になって実現したというわけ。大阪で、ふと思いついてでかけた、という話ではない。むしろすでに要請から10日、「あれはどうなってる、行かせないつもりなら自分たちだけでも行くぞ」という話となる。一般に言われている話のような、平穏な広島行きではない。

そして確かにそれを裏付ける話がある。三好徹『増補版ゲバラ伝』に出ている話だ。

とはいえ、その話はいささか奇妙に聞こえる話とセットになっている。それを語っているのは、使節団のフェルナンデス大尉だ。

わたしたちは日本に着いた日のはじめから、広島へ行きたいと儀典課に申し入れた。しかし、日本がわがいやがっているような印象をうけたので、三人で夜行の切符を買ってこっそり行った広島へ着いたのは、夜の明ける頃で、これははっきり覚えている。飛行機では絶対にない。駅からタクシーでホテルへ行った。そこで部屋を取り、顔を洗ったりしたけれど、泊まりはしなかった。 (pp.427-8、強調引用者)

そんなバカな。ゲバラとその護衛と、2月に着任したばかりの在日キューバ大使という三人が、思いつきでいきなり大阪のホテルを抜けだし、お忍びで夜行列車という話はあまりに無理がある。カリブ海の変な途上国 (当時はその程度の認識だ) とはいえ、一応はその国トップクラスのおえらいさんに、着任したばかりの在日本キューバ大使。一応だれかアテンドしてなかったの? そしてそれがお忍びで夜行列車に乗って……窓口で切符買えたんだろうか? キューバ大使、日本語できたの? さらにこっそりきたにしては、県はすでに対応準備も整え、アテンド担当者も用意しているというのは話が変だ。その担当者は、中国新聞の記事の写真にも映っている。どこで落ち合ったんだろう?

普通なら、まあ見た瞬間にヨタではある。wikipedia の執筆者も、なんか記憶違いだろうと一蹴している。が……困ったことに三好によれば、新広島ホテルの記録 (7月25日早朝到着で午後には出発のデイユース、宿泊なし)、および当時の中国新聞の記事 (上り特急かもめで25日午後に出発) は、むしろこのフェルナンデス説を裏付けているという。

さて、もしこの話を信じるなら、日本到着日、つまり7/15から広島行きを要望した、ということになる。その日に、千鳥ヶ淵をドタキャンという事件が起きたということであれば、スケジュール的にはつじつまはあう。

しかしそうなると、広島県が25日の午後に空港で出迎え、車も用意し、新広島ホテルでは一泊し、出発は26日朝という記録を残し、そのときのアテンド担当者もその旨証言しているのとまったく不整合となる。

そして広島県とその担当者が、苦労して記録を捏造して口裏をあわせる理由もない (はず)。

どういうことだろう?

このため三好徹も、一応は県側の記録を信じてそれに基づいた記述をしている。ただしフェルナンデス説にも未練があって、それを注に残して本文にも注を必ず読めと大きく書いている (p.252)

うーん。

実際に何があったのかはわからない。ただ全体として、やはり広島行きは「いまふと思いついたが明日広島行きたい」「はいそうですか、ではどうぞ」というほど単純なものではなかったのはまちがいないようだ。メネンデスの証言にある、千鳥ヶ淵をドタキャンという事件が本当にあったのかはわからないが、大使がどなりつけられて完全に面子を潰されるというとんでもない話が完全な捏造とは考えにくい。何かその手の話があって広島行きが急に争点となったのはおそらく事実なんだろう。そして外務省もそんなことをされたら (特に本当に岸信介首相のスケジュールまで調整したのを反古にされたら)、ふざけんなと思うだろうしあまりいい対応はしないだろうとは思う。

で、外務省としては行かせたくなかったのか、あるいはせっかくの調整を潰されて怒っていたのか、うやむやにしていたらゲバラ側はむかついて「なんだあいつら、広島行かせないつもりかよ、ふざけんな、勝手に行っちまおうか」くらいのことは言っていただろう。そして大阪で「あ、近いから他の予定潰してでも行く」と言われたので、外務省も仕方なく対応したのでは、という印象はある。フェルナンデス大尉はそういうやりとりを脳内でふくらませたのかもしれない。

ただそれでも、三好の指摘する、新広島ホテルや岩国新聞の記事との不整合は、まったく説明がつかない。謎。その全日空の大阪=岩国便の乗客名簿でも確認できればいいんだけれど。

三好徹『増補版ゲバラ伝』は、訪日の事実関係は参考になる

さて、ここで引用した三好徹『増補版ゲバラ伝』について、ぼくはこれまでまったく評価していなかった。以前の書評では「しょせんは信者の信仰告白」と一蹴した。

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この評価自体は今も変わらない。読むと、とにかくカストロとゲバラに関する限り、あらゆる公式発表やその場しのぎのデタラメを平気で鵜呑みにし、チェ・ゲバラとカストロは常に正しく、無謬で、正義のために戦う気高い存在であり、その意に沿わぬ連中はみんなそいつらが悪く云々。

ただし、この訪日時をめぐる三好本の調査ぶりは、ちょっとすごい。

といっても、それは日本側についての調査に限った話だ。キューバ側の話は随行したフェルナンデス大尉に話を聞いただけで、それをまったく裏取りなしにそのまま右から左に流している。このため、調査団員の名前をやたらにまちがえているうえ、それぞれの団員の役割についても何もわからない。というのもフェルナンデスはカストロの護衛としてついてきただけで、明らかにこの使節団の使命については何も知らないしまったく関与していないのだ。

ところが、三好への話でフェルナンデスは自分を、副団長だと盛っている。

それは考えにくい。この時点でのフェルナンデスは、若造のゲバラよりさらに若造でしかない。さらにこれは砂糖の商談ミッションなので、実務面で最も重要だったのは、上の千鳥ヶ淵の話を語ったメネンデスだ。だが三好本は彼の名前をまちがえているし、それが何者かも触れない。

また三好はその直前の部分で、カストロは共産主義者じゃない、米帝もソ連も嫌いだと言っている、キューバ共産党(=人民社会党) はむしろ軽蔑対象だ、というのをしつこく述べている。だがメンバーの一人として名前が挙がっているフランシスコ・ガルシアという人物は、何も肩書きも役割も書かれていないが、実は「パンチョ」ガルシア・バルスという名前で、まさに人民社会党から送りこまれた共産党のお目付役だ。共産党がしっかり浸透してるのに、三好は調べられていない。

またもう一人、ハバナ大学の元数学教授で農業開発銀行の役員サルバドル・ビラセカ博士がきている。これも三好本は名前をまちがえている。この人は最年長で、しかも各種レセプションで出席人数が限られるときには、ゲバラと共に出席するのは彼だ (とメネンデスが語っている)。きちんと定義されていたかはわからないが、もし副団長がいるとすれば、キャリアも経歴も年齢もこのビラセカ博士だ。

このため、キューバ側の話についてはあまり信用できないというのが正直なところ。しかし、日本側の様々な裏取りという点では、三好本はすごい。ゲバラが面談した商工会議所の人間にもヒアリング、広島でのアテンド担当にも話をきき、さらに役所との面談については日本側の面談録をそのまま載せてくれているので、きわめて参考になる。新広島ホテルの宿帳まで見て、ゲバラ一行の入りと出の時間を抑えているのは驚く。そんなこと、よくできたなあ。

さらにはチェ・ゲバラ一行が献花した花輪のお値段まで出ている。1500円だって。各種のレセプションの会費その他の細部もくわしい。

そしてそれは、きちんと調べられているようだ。いま訳している本にはこんな下りがある。

日本は世界市場で砂糖を百万トン買っており、その三分の一はキューバからだった。チェは、その割合を増やせないかと思っていた。彼の発想は、日本は現在の割り当て量以上の部分についてはすべて円払いにできる、というものだった。そのお金は日本に残り、キューバが日本製品を買うのに使う。チェは、日本の通産大臣に会いたいと述べた。メネンデスによれば「チェはその提案をしたが、大臣は同意できないと述べた。自分たちの経済はオープンなのだ、と。砂糖は買い続けるが、余計な条件はつけられない、と。「あの髪の色の薄い北の連中から圧力を受けていますね」とチェ。これに対して日本人は「確かに」と答え、それを受けてチェは、問題ない、理解したと答えた」

さて、本当かね、という感じはした。特に「北の連中」=アメリカからの圧力なんていう下りは、お役人が言うわけないじゃん。そう思ったので、ぼくは最初は半信半疑だった。

が、三好本を見ると、確かにこれに類するやりとりがあるのだ。

チェ:日本は百万トンの砂糖の買付け量のうち、なお二十万トンを残している。もし三十万トン買付けの約束をしてくれるならば、うち十五万トン分の代金を円貨で受取る用意がある。

牛場:それはキューバ政府の提案か。

チェ:そのとおり。

牛場:これは大事な問題なので、いますぐには回答できない。

チェ:すぐに返事のできない事情はよくわかるので、検討してもらいたい。もし決定したら、キューバ砂糖決定委員会に連絡してほしい。これは国家機関で、政府代表、資本家代表、労働者代表が参加しており、会長は経済相であるが、一行中のメネンデスが事務局長をしている。 (p.254).

相手は通産大臣 (当時は池田勇人) ではなく外務省ではある。が、おおむね発言に対応関係があるのはわかる。「アメリカの圧力だろう」なんて下りはないので、これはメネンデスが盛ったようだ。が「事情は理解した」という発言はちゃんとある。

ここでも三好は、ゲバラは自分の一存でこの案を提案した、革命政府内の地位を暗示している、という見当違いのおべんちゃらを述べているが、当然ながら提示できるメニューくらい事前に考えていただろう。同行者のビラセカ博士は農業開発銀行だし、メネンデスも砂糖取引はよく知っているし、そんな騒ぐことかね。たぶんこの議事録に出ていない「円建て部分の代金は日本に保留」というのは、提示できるメニューとしてメネンデスたちとの相談のうえであらかじめ用意されていたものだったんだろう。ちなみに、その後のソ連との通商条約でも、最初の4年は現物支給という条件になっている。

それでも、解釈はさておき発言の裏は取れる。三好本は、そのくらいの精度はある。信仰告白を延々読まされるのは、うんざりはする。が、情報源としては (この部分だけとはいえ) よく書けている。その意味で、以前よりも評価を星半分くらい引き上げてもいいとは思う。

 

あと、通産大臣の池田勇人との、15分と時間を切られての対談は実に濃密だが、これまたおもしろい。三好は日本が上から目線でゲバラの言うことを聞いてあげなかったとおかんむりだが、その状況は多くの人が思うようなものではない。

まず当時、日本はキューバからの輸入超過になっていた。というのもキューバは日本製品に関税をかけてあまり輸入してくれなかったから。そして1950年代の日本は、だんだん工業ものびてはきたけれど、輸出のかなりの部分は軽工業の繊維産業だった。新興工業国で繊維産業の輸出が中心——つまりいまのバングラデシュ……というと物言いがついて確かにもっともだが、極端にいえばそういう存在だ。いまの経済大国日本とはまったくちがう。

だから池田勇人は、砂糖輸入増やせって言うけどさ、今だって買ってるのにあんた売りつける一方でずるいだろう、関税なくして日本製品買ってよ、というのを言い続ける。「バランス」というのが池田の二言目には登場する。ゲバラはそれに対し、日本の繊維製品が入ってきたらキューバの産業つぶれちゃうよ、堪忍してよ、それより砂糖買って、と言って話は振り出しに戻る。これを三回ほど繰り返して面談はおしまい。

そういう当時の日本の状況を理解せずに、もっと日本がゲバラの要求きいてやれ、と言ってもそれは無理筋だ。いま、キューバがバングラに、砂糖買ってと迫ったら、バングラは何て言うと思う? あんたもウチの製品買ってよ、と答えたとして、それが不当な上から目線の物言いだと思う? すでに輸入超過になってるところがもっと買えって言ってきて、しかもそいつは自分は関税で自国産業保護までしてるんだよ?

アメリカだって1980年代に日本にあれ買えこれ買えと言ってきた、という文句もあった。でもそれは、日本がものすごい貿易黒字を出していたので、あんた輸出ばかりじゃん、輸入もしてよ、という話だ。ここでの状況とはまったくちがう (むしろ正反対)。

実際の発言を再録してくれているので、こういう状況も (想像力を働かせれば) 理解できる。三好のコメントは彼が何もわかってないことを示すだけだが、それは読み飛ばせば良い。その意味でいろいろ有益。

6/26 プリゴジンの乱に対するプーチン弁解の見方

Executive Summary

6/24プリゴジンの乱についてプーチンが6/26に出した玉音放送は、プーチンが今回の騒乱で何を気にしているかがうかがえる。ワグネルがほとんど何の抵抗もなしにモスクワの手前に到達できたし、また一部では歓迎すらされたというのを大変気にしている模様。同時に、自分たちがそれに対して無策でおたついていた (少なくともそう見られている) のも気にして、「いや最初から手は打った! 反撃がなかったのは流血を避けるため! 対応がないのは改心の時間を与えたため!」と弁解。 またワグネルグループも、首謀者プリゴジンはもちろん獄門打ち首、その手下たちもお咎めなしのように見せつつ、兵士になって過ちを償え=死ね、という話で、むごい。


6/26 プリゴジンの乱についての弁解の見方

ロシアの6/24プリゴジンの乱は、いろんな意味でわけがわからず、それだけにいろいろおもしろいところ。いろんな人がいろんな憶測をしているが、確固たるところは当事者にしか (いまのところ) わからない。

それだけに、その当事者であるプーチンが6/26に出した玉音放送はちょっとおもしろい。

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当然のことながら、これは事実をきちんと述べたものなんかではない。プロパガンダ。ただそのプロパガンダは、当然ながら国民の気にしている点について答えなくてはならない。だから、これはプーチンがどんな批判に応えようとしたか=今回の反乱で彼が何をヤバいと感じているかを見るべきところ。

その演説の主張と、彼が何を気にしていて何を訴えたいか=本音を表形式でまとめてみました。

主張 本音
国民が団結したおかげで危機を逃れた! 団結しないで、結構ワグネルを歓迎したりした連中がいたって? ふーん。
いろんな機関も団結したよな? おめーら、何もしなかったよな?
首謀者は全部わかっていた裏切り者だ! プリゴジン、許さん
これは西側やウクライナによる意趣晴らしだ! (額面通り)
敵に立ち向かい撃墜されたパイロットに感謝! 彼らが阻止してくれた! 行きがけの駄賃で撃墜されただけだが、そういうストーリーで行きますんで
適切な対応は最初からした! でも連中が目覚めて改心するのを待たねばならなかった! 我々がおたついて無策だったと思ってるだろう! でもそんなことない! ちゃんとやってたんだからな!
ワグネルの連中は政府と契約してもいいし家に帰ってもいい! 自由だよ!でも兵として残ると信じてるぜ! 政府の奴隷兼弾よけになる以外の道があると思うなよ
ルカシェンコありがとう (額面通り)
これはロシア最大の危機だった (え、それを認めちゃっていいんですか?)

まず彼は、ワグネルがほとんど何の障害にもあわずにモスクワのすぐ手前まで来られたことを、えらく気にしている模様。最初に、ずいぶんチマチマした団体を挙げて、それが決然と対抗し〜 とか言ってるのは、たぶん「お前ら対抗しなかったよな、フリーパスで通したり逃げたりしたよな」ということ。国民の団結を強調してるのは、建前半分だがむしろワグネルを歓迎したりする一派がいたことに釘をさしていると見るべきだと思う。

そして無駄死にしたパイロットたちは、祖国防衛の英雄、ということに仕立てるようだね。

そしてもちろん、「首謀者」がワグネルグループの兵士や指揮官をだまして造反させたということ。首謀者の背後にはウクライナと西側がいるのだ、これは反攻失敗の恨みを晴らすためだ、というのは、その反攻が効いているというのを隠す強がりなのかどうかは、はっきりわからない。が、プリゴジンは許してもらえない模様。(6/28追記:その後、刑事訴追はすべて終結との報せが入り、追求しないのかも、という感じになってきた。)

あと、自分たちが無策だったと思われているのをえらく気にしている模様。最初から適切な手を打った、というのが二度も強調され、でもなぜ何も対応が行われなかったように見えたのか、というのについて、「私が流血沙汰は避けろと命じたから」「改心の時間を与えていただけだからな!」という言い逃れ。

すると、「ああ、やっぱ本当におたついて無策だったのねー」というのを読み取るのが正しい見方だとぼくは思う。

そしてワグネルグループの兵士や指揮官はお咎めなしで好きに道をえらんでいい、と言いつつ「決断を自由に下せるが、私は彼らの選択が、自分たちの悲劇的なまちがいに気がついたロシア兵としてのものだと信じる」という言い草。いやらしいよね。兵隊になれ、そしてまちがいの償いをしろ=砲弾の餌食になれ、もちろんそうしない自由はあるけど〜、という。

またルカシェンコに明示的に触れている。何もしていないんじゃないか、という憶測もあったけれど、実際に何か役割は果たしている模様。それが具体的になんだったのかはわからない。

そして、これが最大の危機だった、国土への脅威だったというのを明言しているのは、少し驚いた。つまらん不良部隊の造反だよ、一瞬で叩き潰すぜ、というようなシナリオにして、余裕をかますかと思っていたら、自分たちの無策を隠すために敢えてすごい大変なできごとだったという話にするしかない模様。かなり焦っているように見える。クレムリンのサイトには、動画は上がっていないけれど、なんか現地テレビの映像などを見ると、プーチンはかなり顔がこわばっているように見える。

今回のに対して、プーチン政権への打撃は少ない、という見方も出ているけれど、なんかこの弁解を見る限り、当人たちはヤバいと思っているみたいで、いろいろ震撼しているんじゃないか、とは思うんだが。ま、どうなりますやら。あと、こういう建て付けにすると、ショイグやゲラシモフはしばらくは残留させないと話がなりたたない。無策を露呈したが、一方ですぐに処分するとプリゴジンの思惑通りみたいで体裁悪いから。プーチンのいつもの手口として、半年か一年くらいたって、変な役職でっちあげてそっちに飛ばすようなことになるのでは? (6/28追記:なんと、ショイグには反乱を防いだといって勲章をあげている。不手際を叩くよりまずは体面/ストーリー重視か。意外です)

 

あと今回ので気がついたおもしろいところ。反乱が起きた6/24の国民に向けた演説には、場所が入っていない。

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単純なミスなのか、それともプーチンは噂されていたように、クレムリンから逃げていたのか? (戦略的に居場所を隠したのかもしれないが、それは逃げたと同じことだ) 。あと、このクレムリンの大統領動向では毎日必ず何かしらあるんだが、6/25だけは何も書かれていない。かなりいろいろやばかったのねー、本人が言うほど、最初から適切な対応ができていたわけじゃないのでは、という印象は拭えないとは思う。


9月1日付記

文中でオレンジ色で加筆したように、ここでの見立ては、その直後のいろいろな動きで、ちょっとはずれたかな、という印象もあった。プリゴジンは、ベラルーシに逃げたと最初に言われたが、その直後に戻ったとされたし、その語刑事訴追全部おしまい、という話にはかなり驚いた。さらに、その後8月になって、プリゴジンが「イェーイ、アフリカでがんばってるぜーい」ビデオを出して、かなり読み違えたか、と思った。

しかし。

その直後に、ロシアでプリゴジンの乗った飛行機が墜落。死亡が確認された。偶然だ、と思う人はいないよねえ。消されたんだろう。結局、二ヵ月ほど泳がせてから、しっかり殺しました、ということでここでの見立てはほぼ正しい、ということの模様。すると、ショイグとかどうなるのやら、というのは楽しみではある。

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再びロシア国民に向けて:プリゴジンの乱の弁解 (6/26)

Executive Summary

2023年6月24日に起きた、傭兵団ワグネルグループによる反乱、通称プリゴジンの乱が治まった後の、プーチン大統領玉音放送。社会の団結のおかげで危機を切り抜けられた、これはロシアの分断を図る外部の連中の仕業、その首謀者はすべてわかってやっていた、ワグネルグループの兵士や指揮官も実は首謀者に騙されていただけ、改心したなら正規の軍や公安に入って過ちを償え (!!)、とのこと。

ロシア国民に向けて

ロシア国民に再び告ぐ:プリゴジンの乱の弁解

2023年6月26日 22:10 モスクワ、クレムリンにて

友人諸君、

本日、改めてロシア国民のみなさんに告ぐ。みなさんの自制、一体性と愛国心に感謝する。この国民的連帯は、あらゆる恫喝、国内騒乱を引き起こそうとするあらゆる試みが失敗を運命づけられていることを示すものである。

繰り返そう。社会と政府の行政法制部門はあらゆる階層で、高い団結ぶりを示した。公共機関、宗教の宗派、主要政党や、実際問題としてロシア社会のすべてがきっぱりと一線を保ち、憲法的な秩序を維持するという明示的な立場を採った。肝心なこと——父祖の地の運命に対する責任——が万人を団結させ、人々をまとめ上げたのである。

興った脅威を中和化し、憲法制度と国民の生命や安全を保護するために必要なあらゆる決断が、このできごとのきわめて初期から即座に下されてきたことを強調したい。

武装反乱はどのみち制圧されただろう。反乱を企んだ者は、適切さを失ってはいるが、それを理解していたはずだ。彼らはすべてを理解していた。自分たちの行動が犯罪的な性質のものであり、人々を二極化され、国を弱体化させることも知っていた。その国はいまや、すさまじい外部の脅威に対抗しており、外部からの空前の圧力を受けているのだ。彼らがそれをやったのは、同志たちが前線で「一歩も退くな!」を標語に命を落としているときだったのだ。

だが国とその国民を裏切った、この反乱の首謀者たちは、この犯罪に引き込んだ者たちをも裏切った。首謀者たちは彼らにウソをつき、死に追いやり、攻撃にさらし、自国民を撃つように強いたのだ。

ロシアの敵——キエフのネオナチども、その西側のご主人どもや他の国民的裏切り者ども——が見たかったのはまさにこの結果、分断だったのだ。ロシアの兵士たちがお互いを殺し合うようにしたかった。軍人や民間人が死ぬのを見たかった。ロシアがいずれ敗北し、我々の社会がばらばらになって、血みどろの内紛の中で消滅してほしいと思っていた。

やつらはもみ手をしつつ、前線での失敗や反攻なる代物の失敗に対する復讐を夢見ていたが、連中は誤算をしていた。

反乱者たちの前に立ち塞がった、あらゆる軍人、法執行担当者、特殊サービスの人々に感謝したい。その責務を、誓いと国民への忠誠を忠実に守った人々に。撃墜された英雄的パイロットたちの勇敢さと自己犠牲が、ロシアを悲劇的かつ悲惨な結果から救ってくれた。

同時にワグネルグループの兵士や指揮官の大半は、国民と国家に忠実なロシアの愛国者でもあることを、我々は以前から、そして今も知っている。ドンバスとノヴォロシア解放での戦場における彼らの勇気がこれを証明している。彼らを当人たちの知らないうちに利用して、祖国とその未来のために肩を並べて戦っている、武装した同志たちに刃向かわせようという試みが行われたのだ。

だからこそ、こうしたできごとが展開し始めると同時に、私の直接の指示に従って、流血を避けるための手段が講じられたのである。これには中でも時間がかかった。というのも間違いを冒したものたちは、気を変えて、自分の行動が社会によって強く拒絶されることに気がつき、自分たちが引き込まれた無謀な試みが、ロシアにとって、我が国にとって、どれほど悲劇的で悲惨な結果につながるものかに気がつく機会を与えられねばならなかったからだ。

正しい判断を下したワグネルグループの兵士や指揮官たちに感謝を述べたい——それ以外の決断はあり得なかった。彼らは国を分断する流血を避け、引き返せない地点に到達する前に止まってくれた。

今日、君たちは国防省か他の法執行機関や公安機関と契約してロシアへの軍務を続けるか、あるいは家に帰る機会が与えられる。行きたい者は自由にベラルーシに行ってもいい。私は約束を守る。繰り返すが、だれしも自分なりの決断を自由に下せるが、私は彼らの選択が、自分たちの悲劇的なまちがいに気がついたロシア兵としてのものだと信じる。

ベラルーシ大統領アレクサンドル・ルカシェンコに、状況の平和的な解決に向けた努力と貢献について感謝する。

この日々の間に、国民の愛国感情とロシア社会の団結が決定的な役割を果たしたことは繰り返しておきたい。この支持こそが、母国のとっての最大級の脅威と試練を共に切り抜けることを可能にしてくれたのである。

これについてお礼を申し上げる。

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ロシア国民に向けて:プリゴジンの乱を受けたプーチン声明 (6/24)

Executive Summary

6月24日、突然起きたプリゴジンの乱で兵がモスクワに迫る中で、プーチン大統領が発した声明。内容は「反乱軍は許さんのよ」ということのみ。 訳しているさなかに、プーチンがサンクトペテルブルクに逃げたという未確認情報……と思ったらプリゴジンは「やっぱやーめた」と兵を引き、ベラルーシに逃げて、その他関係者みんなお咎めなしで、プーチンもまだモスクワにいるともいうし、なんだかよくわからない (ただし、クレムリンの通常の演説などに必ずついている場所の表示がこれにはないことに注意)。


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ロシア国民に向けて語るプーチン

2023年6月24日 10:00

ロシア国民のみなさん、軍人諸君、法執行機関、公安サービス、および戦闘位置で戦っている兵士および指揮官諸君——敵の攻撃をはねかえしておりしかもそれを英雄的に行っている——私がこれを知っているのは、昨晩前線のあらゆる部隊指揮官と再び話をしたからだ——に告ぐ。また、詐欺や脅しによりこの犯罪的な蛮勇にひきずりこまれ、重大犯罪への道——武装反乱——に押しやられてしまった者たちにも告ぐ。

今日、ロシアは自国の未来のために、厳しい闘争を仕掛けているところで、ネオナチとそのご主人どもの攻撃をはねかえしているところである。西側のあらゆる軍事、経済、情報装置が我々に向けられているのだ。我々は人々の命と安全をかけて戦っており、我々の主権と独立性のため、今もこれからも千年の歴史を持つロシア国家であり続ける権利のために戦っている。

この戦い、我が国の運命を決する戦いは、あらゆる勢力の団結を必要とする。一体性、結集、責任感を必要とし、我々を弱くするものすべて、外部の敵が我々を転覆させるために利用でき、実際に利用するあらゆる争いは捨て去らねばならない。

従って、我が国を分断させる行動はすべて、本質的に我が国民への裏切り、前線でいま戦っている武装した同志たちへの裏切りなのである。これは我が国および国民を背中から刺すに等しい。

このような攻撃は1917年にもロシアに対して行われた。我が国が第一次世界大戦で戦っていたときだ。だがそこから勝利は奪われた。軍や国民の背後で行われた、議論や口論や政治工作は、巨大な騒乱へとつながり、軍は破壊され、国家は崩壊し、広大な領土が失われ、最後には内戦の悲劇へとつながっただけだ。

ロシア人がロシア人を殺し、兄弟が兄弟を殺し、その一方で各種の政治的に無謀な連中や外国勢力が、国を引き裂き分割しようとして、そこから利益を得た。

こんなことが二度と起こるのを許すことはできない。我々は国民と国家をあらゆる脅威から守るし、国内の裏切りからも守る。

我々が直面しているのは、基本的には裏切りである。ふくれあがった野望と利己性が反逆につながった——国家、国民、さらにワグネルグループの兵や指揮官が、我が国の田の部隊や小隊と肩を並べて戦い、共に死んでまで守ろうとした大義に対する反逆である。ソレダルやアルティオモフスク、ドンバスの町や村を開放した英雄たち、ノヴォロシアとロシア世界の統一のために戦い命を落とした英雄たち。彼らの記憶と栄光もまた、反逆を企み、国をアナーキーと分裂——そして最終的に敗北と降伏に向けて押しやろうとする連中により裏切られたのである。

繰り返すが、内部反逆はすべて我が国家と国にとって恐るべき脅威である。ロシアにとっての打撃であり、国民にとっての打撃である。父祖の地をこの脅威から防衛するための行動は熾烈なものとなる。意図的に裏切りの道を選び、武装反乱を計画し、恫喝とテロの道を選んだ者たちはすべて、必ずや処罰され、法と国民の前で裁かれる。

郡および他の政府機関は必要な命令を受けた。追加のテロ対抗手段がいまやモスクワ、モスクワ都市圏およびその他いくつかの地域で施行されている。ロストフ・ナ・ドヌの状況を安定化させるための決然たる手段も講じられる。ただしこれはいまだに困難である。文民および軍当局の活動は阻止されているからだ。

ロシア大統領および最高司令官、さらにロシア国民として、私は国を守り、憲法的秩序ならびに国民の命、安全、自由を守るために手を尽くす。

反乱を企てた者、同胞たちに武器を向けたものたち——彼らはロシアを裏切ったのであり、その責任を取らされる。この犯罪に引きずり込まれた者たちには、致命的で悲劇的なまちがいを冒すことなく、唯一の正しい選択をするよう求めたい。それは犯罪活動の加担するのをやめるということである。

我々がこれに耐え、我々の重視する貴いものを守り抜くことを私は確信している。そして母なる祖国とともに我々はどんな困難をも克服し、さらに強さを増すであろう。

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2023年6月 アフリカ代表団とプーチン大統領との会合

Executive Summary

2023年6月、アフリカ連合を筆頭に、アフリカ大陸代表として7ヶ国で構成される代表団が、ウクライナとロシアを訪問。ウクライナ侵略により生じた食糧危機とエネルギー危機でアフリカが苦境に陥っているので、平和を目指す対話路線をプーチンに陳情した。自国の直接的な利害と同時に、アフリカとして主体的にこうした戦争仲裁のような活動を行うのはこれが初めてであり、今後自分たちも国際関係の中で、平和と良好な世界の構築に向けて構築したい、できることがあるならウクライナとロシアとの和平に少しでも貢献していきたい、国連憲章に基づく安定した国際秩序を作りたいという決意を述べ、対話と人道支援を訴えた。

これに対してプーチンは、代表団の話を聞き終える手間すらかけず、自分たちは国連憲章に一切違反しておらず、ウクライナの流血クーデーター政権とその飼い主の西側が悪いのであり、食糧危機は西側の無謀な金融緩和と横取りのせいだから自分たちは何もしない、すでに対話には応じ、2022年前半にトルコで和平条約に調印までして (そんなものが出てきたのはこのときが初めて)、その約束どおりキエフから軍を撤収してやったのに、ウクライナは恩知らずにもそれを反古にして (交渉は多少の歩み寄りはあったが合意にはいたらず、さらにブチャ虐殺が露見し完全に決裂)、攻撃を続けているのだ、相手が悪い、対話に応じないのは向こうだ、さらにお前らの言ってる人道支援だのはとっくにやっとるわい、とアフリカ側の陳情をその場で一蹴した。


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2023年6月17日 サンクトペテルブルクにて

以前の合意にしたがって、アフリカ7ヶ国の代表がサンクトペテルブルクに到着し、ウクライナをめぐる状況の解決可能性について議論を行った。

代表団は、ザンビア大統領ハカインデ・ヒチレマ、アフリカ連合議長兼コモロ大統領アザリ・アスマニ、セネガル共和国大統領マッキー・サル、南アフリカ共和国大統領シリル・ラマポーサ、エジプトアラブ共和国首相ムスタファ・マドブーリー、コンゴ共和国国務大臣および大統領府長官フロレント・ンツィバ、ウガンダ特務大統領特別公使ルハカナ・ルグンダ。

ロシア側の出席者は外務大臣セルゲイ・ラブロフと大統領補佐官ユーリー・ウシャコフ。

アフリカ代表団とプーチン@サンクトペテルブルク (c) RIA Novosti

 

ロシア大統領ウラジーミル・プーチン:

アフリカ連合議長兼コモロ大統領アザリ・アスマニ殿、セネガル共和国大統領マッキー・サル殿、南アフリカ共和国大統領シリル・ランポーサ殿、ザンビア共和国大統領ハカインデ・ヒチレマ殿、エジプトアラブ共和国首相ムスタファ・マドブーリー殿、コンゴ共和国およびウガンダ代表のみなさん。

友人諸君。

みなさんをサンクトペテルブルクにお迎えできて心底嬉しく思います。

アフリカ諸国との包括的な関係発展はロシア外交政策の重点です。我々は一貫して、アフリカ諸国と、主要な地域機関——アフリカ連合——との伝統的な友好関係を、平等、相互への敬意、国内問題への不干渉の原則に基づいて強化する立場を維持してきました。

今年、我々のアフリカパートナーたちとの協力は、可能な限り最大の広範な形で積極的に進められています。記念碑的なインベント——第2回ロシアアフリカサミット——が間もなくここサンクトペテルブルクで開催され、そのための包括的な準備が進められております。政治関係、貿易や経済的なつながり、科学技術、人道問題など各種分野での協力について、有望な新しい方向性がこのサミットで示されるものと私は確信しております。

ロシアはアフリカ諸国により、世界および地域の安定性と安全保障の維持、紛争の平和的解決、国際関係のより公正なモデルの確立を支持するアフリカ諸国の筋の通った立場に対し、最大級の敬意を抱いていることを、ここで強調したい。

独立の主権的で平和な政策追求の野心も支持いたします。ウクライナ危機に対するアフリカ友邦のバランスの取れたアプローチも歓迎します。

友人諸君、紛争解決の方策を探そうというみなさんの関心には感謝します。ウクライナをめぐる状況についての話し合いという皆さんの申し出を、我々は即座に受諾しました。

みなさんがこの文脈で具体的なアイデアや提案をお持ちと聞いております。この問題は南アフリカ共和国大統領と何度も議論してまいりました。この問題定期について彼に感謝いたします。

改めて強調しておきますと、公正の原理と参加国の正当な利益の原則に基づいた平和の実現を求めるあらゆる人々との建設的な対話に我々はオープンです。

ではこれで議事をアフリカ連合議長兼コモロ大統領アザリ・アスマニ殿に譲ります。

そしてその後、我々はこの議場に入る直前に合意した通り、代表団の全員の意見をアルファベット順に拝聴します。合意の通りです。

ありがとうございます。

アフリカ連合議長&コモロ大統領アザリ・アスマニ ((c) RIA Novosti)

アフリカ連合議長兼コモロ大統領アザリ・アスマニ (重訳): ありがとうございます。

ウラジーミル・プーチン閣下、アフリカの偉大な友人にしてロシア連邦大統領殿、

同僚のみなさん、閣下諸賢、アフリカ代表団の国家元首および政府代表の皆さん

大臣のみなさん、紳士淑女の皆様、

まずはプーチン大統領閣下およびロシア国民に、私たちがここサンクトペテルブルクという伝説的な美しい大都市で享受している温かい歓迎を感謝いたします。

また我々を受け入れる時間を割いて下さったことにも感謝します。ロシアとウクライナを敵対させ、すでにかなり長期間続いている危機において、持続可能な平和を見つけるために我々なりに貢献したいというこの代表団の望みを信じて下さったことにも感謝いたします。

大統領閣下、紳士淑女の皆様。

私はアフリカ連合議長です。2月にこの役職に就きました。またアフリカ連合の使命の実施を続ける責任もその時に負いました。アフリカ大陸のみならず、全世界の平和と安定性を促進するということです。

大統領閣下、友人諸君、ご存じのとおり戦争は常にひどい結果をもたらしますし、それが長引けば、影響も深まり空前のものとなります。これについて我々があなたに今さら教えることなどございません。貴国はこれまで多くの痛々しいできごとを体験されてきたのですから。

この危機は今ここにあるもので、スラブの隣接する友邦2つに関連するばかりか、世界全体にも影響します。特に、我々アメリカ大陸に影響するのです。食糧安全保障とエネルギー安全保障の面で空前の問題を引き起こしております。

だからこそ我々は今という時期に貴国まで出かけて、アフリカ大陸の代表団として、常にロシアとアフリカを結びつけてきた友情を示そうと決めたのです。あなたの言い分を聞いて、あなたを通じロシア国民の意見を聞きたいのです。そしてこの惨状を終わらせるためにウクライナとの対話を始めるよう奨めたいのです。

我々がこのミッションに乗り出したのは、残念ながらアフリカ人として、我々が多くの紛争を目撃してきたからです。そしてこうした問題は、対話と会談を通じてしか解決できません。我々の経験をあなたと分かち合い、よい結果を探し、この危機からのよい出口を見つけたい。我らが兄弟たるラマポーサ大統領は、ロシアとウクライナ両国を対話に向けて説得できるのではないかと期待する提案を行いました。

ご存じの通り、我々は昨日ウクライナに行き、ゼレンスキー大統領と会談して、彼の話を聞き、紛争の解決を見出すための私たちの提案を話しました。

大統領殿、首脳のみなさん、紳士淑女の皆様、

アフリカの仲裁は、平和の名のもとに行われる仲裁活動なのだという点は強調させてください。我々が暮らすグローバル化した世界では、ある国や地域が危機にさらされれば、その性質がどんなものであれ——我々はこの点はよく知っています——実に様々な国々が脅威に直面するのです。だからこそ我々は、こうした危機を防ぐために手を尽くさねばならないのです。

大統領閣下、あなたとロシア国民にお届けしたいと願うメッセージの核心がこれです。仲間である両国の間の平和こそが、あなたの地域のみならず世界全体の安定における鍵となる要素なのです。そしてアフリカにとっても、これまでロシアとの間で享受してきたすばらしい関係を考慮すれば重要な要素となります。

我々アフリカ諸国の首脳一同、アフリカ大陸の代表は、あなたが平和的な解決を選んで下さるよう希望しております。この面であなたが行う努力について、我々はあなたを、2つの友邦を支援する用意があります。

ご清聴ありがとうございます。

 

ウラジーミル・プーチン: 親愛なる友人よ、お言葉をありがとうございます。

全面的な議論を行い、その後にこの機会を利用して私の立場を表明し、意見交換を行いましょう。皆様の昨日の旅行結果も含めて。

では今度はセネガル共和国マッキー・サル大統領に議場をお譲りしましょう。

セネガルのマッキー・サル大統領 ((c) RIA Novosti)

セネガル大統領マッキー・サル(重訳): ありがとうございます、ウラジーミル・プーチン大統領。

閣下、親愛なるウラジーミル、まずはすばらしい歓迎と、我々との面会の時間を割いて下さったことに感謝いたします。

あなたは常にアフリカを気にかけ、懸念について我々が話すときには、いつも耳を傾けてくださいました。これはロシアとアフリカとの関係が良好であることを裏付けるものです。こうした関係は、最初のサミット以来さらに改善されました。間もなくワレアレは第2回ロシアアフリカサミットを、ここサンクトペテルブルクで開催します。七月になります。

大統領どの、この場を借りて、改めてこのような友好的な雰囲気の中で我々を迎えてくれたことに感謝いたします。

2022年6月3日にも我々を迎えていただきありがとうございました。当時私は、アフリカ連合議長としてロシアに参りまして、平和と沈静化のメッセージをお伝えいたしました。我々は特に、ロシアとウクライナからの食糧と肥料供給の問題を懸念しておりました。あなたは我々にしっかり耳を傾け、この紛争を解決するために我々を支援する用意があると示してくださいました。あなたや他の関係者、トルコや国連などのおかげで、我々は合意に達しました。穀物輸出再開合意です。

大統領閣下、我々が再びあなたと面会しているのは、我々の新たな仲裁ミッションの一部としてです。アフリカ連合議長がすでにこのミッションについて述べました。我々はロシアとウクライナの紛争の仲裁者です。

このイニシアチブは善意のものであり、アフリカ大陸がこの大規模な大戦争において善意を伝えるためのものだという点は強調させてください。人道問題を解決したいし、この紛争の両側に信頼と対話を取り戻すための条件を作りだしたいのです。

昨日、キエフを訪れまして、このメッセージを伝え、善意について語り、ゼレンスキー大統領の話を聞きました。私は対話がまだ可能だと指摘し、それが決して論外ではないと述べました。ただし国連憲章準拠といったいくつかの条件は言及されました。私はロシアという、国際連合の創立国であり、国連安全保障理事会の常任理事国も、その憲章には従うものと確信しております。そして今日、いくつかの問題を議論する機会があります。これについては南アフリカからの同僚からお話いたします。

大統領閣下、軍事面での地上の状況にもかかわらず、対話や議論のチャンネルは維持するのが重要なのだと我々は固執いたします。少なくとも人道問題が優先事項となり、その他和解のあらゆる側面も議論できるようにしなければならないのです。人道活動は強化されるべきだと思えますし、特に戦争捕虜の交換や民間人に関わる問題ではそれが重要です。こうした問題について詳しい議論ができればと考えます。

6月9日のロシアによるウクライナ捕虜の釈放は歓迎したいと思います。これは戦争捕虜釈放の合意に達するための、とてもよい決断だったと信じます。

大統領閣下、我々はあなたのお話もうかがいにまいりました。そして、アフリカはロシアとウクライナの平和を求めているとお伝えしたかった。我々は、対話と妥協を通じて平和が可能だと確信しております。

ご静聴ありがとうございます。ありがとうございます。

 

ウラジーミル・プーチン: 誠にありがとうございました。

南アフリカ共和国大統領、シリル・ラマポーサ殿、お願いします。

南ア大統領シリル・ラマポーサ ((C)RIA Novosti)

南アフリカ共和国大統領シリル・ラマポーサ: ありがとうございます。あなたにご挨拶を申し上げたい、プーチン大統領、ロシア連邦大統領殿、そしてさらに改めまして、我が同輩たる国家元首のみなさんおよび政府首脳や来場できない大統領の代理公使のみなさんにもご挨拶さしあげます。

面会に同意してくださいましてお礼を申し上げます。我々はアフリカ7ヶ国の平和イニシアチブであり、基本的にこの紛争においてロシアとウクライナの間の平和を促進する、講和ミッションなのです。

ご提案申し上げたいことが十点ございます。私たちの提案は本当に、10の要素を核としております。

第1点はもちろん、我々は耳を傾けたいということです。ここに参ったのは話をうかがうためです、昨日ゼレンスキー大統領に話を聞いたように。彼はいろいろな点を述べられましたし、また我々もあなたに会い、この戦争をめぐるあなたの見方を聞くつもりだと申しました。傾聴し、あなたが述べられる見方を認めたいと思って下ります。しかし我々はまた、世界の多くの主要プレーヤーからも、他に多くの提案が行われていることも承知しております。彼らも平和提案を出しております。我々の提案は、すでに提出された他の提案と競合するものではありません。

我々が挙げたい第2点、この広範な提案における主要な論点は、この戦争は止めねばならず、交渉と外交手段を通じて止められねばならないというものです。戦争は永遠には続きません。あらゆる戦争は停戦せざるを得ず、どこかで終戦するしかないのです。そして我々は、この戦争を終わらせてほしいというきわめて明確なメッセージを伝えにやってまいりました。我々がそう申し上げるのは、この戦争がアフリカ大陸に負の影響を与え、さらには世界中の他の多くの国にも悪影響をもたらしているからです。大陸としてアフリカは、経済で悪影響を受けており、商品価格が上がり、特に穀物と肥料価格が上がっています。そしてこれは、継続中の戦争の結果です。我々がここに参った理由の一つでもあります。この戦争が終結することが、我々の集合的な利益となるのです。

ご提案したい第3点は、紛争の鎮静化をお願いしたいということです。両側での紛争の激化は平和プロセスを促進するものではありません。ですから、平和への道を探る中で、紛争の鎮静化を実現していただきたい。

第4点は、これまた多くの他の提案でも触れられていますが、我々は国の独立主権を、国連憲章に基づいて承認するということです。そして確かに、その憲章の条項に従い、我々みんなが国際的に認知された原則にもとづいて行動すべきであり、したがってその理由からして、我々はこの憲章にしたがって各国の独立性を承認すべきだと提案します。

提案したい第5の点は、すべての国にとって安全保障が確保される必要があるということです。この問題はあらゆる方面から定期されており、あらゆる方面が何らかの保証をもとめており、我々もそれに同意します。

提起したい第6の点は、我々各国に影響している問題でして、黒海経由の穀物輸出解放を訴えたいのです。どんな封鎖措置があるにせよ、それを開いて、穀物や商品を市場に開いていただきたいのです。

提起したい第7の点は、必要とする人々や、紛争の結果として苦しむ人々に対する人道支援を確保すべきということです。

提起したい第8の点は、マッキー・サル大統領も述べられたもので、両側の戦争捕虜の釈放です。これに関係した別の課題は、この紛争に囚われた子供たちです。彼らもまた、やってきた場所、自分の家に帰されるべきです。

我々の第9点は、すべての戦争は破壊につながるので、戦後復興が必要であり、我々は戦争を超えて起こるべき再建を支援すべきだということです。

第10点はですね、プーチン大統領、我々が戦争終結に向かうプロセスへのさらなる関与を期待したいということです。我々はこの点をゼレンスキー大統領に明確に伝え、彼はアフリカ大陸やここに会したアフリカ諸国として、我々もそこに一役買えるという点に同意されました。ですから我々は、本日のこの取り組みを超えて、さらなる取り組みを行うようお願いしたいのです。というのも戦争を終わらせるには、たくさんの会合や取り組みが必要となることが多いのですから。そしてここに会しました7ヶ国が代表しているアフリカ大陸として、我々にも行える貢献があると本当に信じております。そして、この貢献は両国に対する最大限の敬意を持って行うつもりであり、両者が定期した立場を尊重しつつも、共通の立場がそこから生まれ、平和につながる立場が生まれると信じてその貢献を行うものであります。

これまで提起されてきた各種の提案は、見出すべき平和の基盤を敷くものだと考えますし、それこそまさに我々が探究したいと考えるものです。それにより我々みんなが共に、この戦争の終結に向けて貢献できるのです。

プーチン大統領、これらは我々がゼレンスキー大統領にお示しした提案の要点となります。それをいま、あなたにも提示いたします。我々は、いまこそ両者が交渉をすべき時だと信じております。交渉してこの戦争を終わらせるのです。というのもこの戦争は大きな不安定性と被害を世界中の諸国に及ぼしているからで、我々アフリカ諸国も、この戦争の影響を感じているのです。

我々がここに参ってあなたと共有したかったのは、以上です。そして最後に、これが歴史的なミッションだと言うことは述べておきたいと思います。アフリカ大陸は、ここで7ヶ国が代表しておりますが、この種のミッションに本当の意味で関わったことはありません。したがって、この一歩を踏み出したのは、我々だって貢献できるのだと信じてのことだというのは申し上げたい。我々の言い分に耳を傾ける時間を割いていただき、感謝したいと思いますが、もっと重要なこととして、あなたのおっしゃることにも耳を傾けたい。我々を迎え入れてくれて、誠にありがとうございます。

ロシア大統領ウラジーミル・プーチン ((c) RIA Novosti)

ウラジーミル・プーチン: 大統領殿、友人諸君

すでに合意したとおり、これから議場をそれぞれの代表団長に、喜びと関心をもっておゆずりします。しかし貴いご来賓三名からの発言を聞いて、まずはここに我々が集まった理由と、何を議論するのかについて少し言わせていただきたい。

まず。みなさんもご存じの通り、私も確信していることだが、ウクライナでのあらゆる問題は2014年ウクライナにおける、憲法違反の武装流血国家クーデターの後で生まれたものです。このクーデターは西側スポンサーたちの支援を受けていました。実は連中はこれについて、まったく隠そうとしていません。クーデターの準備と実行に使った金額まで具体的に述べています。そしてこのクーデターこそが現在のキエフ指導者たちの権力の源なのです。これが第一点。

第二に、その後、ウクライナ国民の一部はこのクーデターを支持せず、そうした地域の住民はその事件に続いて権力を握った者たちに屈しないと宣言したのです。ロシアはそうした人々を支援するしかなかった。そうした地域との歴史的なつながりや、そうした地域住民との文化言語的なつながりを考えてのことです。

長きにわたり、我々は平和的手段でウクライナ情勢を回復しようとしてきました。お聞き及びかもしれませんが、いや何かお聞きになっているはずですが、ベラルーシ首都のミンスクで対立する勢力の間の、これに対応した合意が調印されたのです。こうして、通称ミンスク停戦プロセスが開始されました。

ところが西側諸国やキエフ政府当局者たちは、単にこちらを釣っていただけで、その後ほぼ公然と、我々の平和的合意には従わないと述べ、本当に平和的プロセスから脱退したのですよ。

友人たちよ、ロシアがウクライナで形成された独立国を認知せざるを得なくなったのは、この後のことだったのです。ルハンスク人民共和国とドネツク人民共和国。この両国を我々は、8年も承認してこなかったというのに。

さてこの一件の国際法的な側面に話を移します。問題:我々はこうした地域の独立を承認する権利があったか? あります。国連憲章に完全に準拠しています。というのも国連憲章の対応条項に基づけばこうした地域は独立を宣言する権利を持っていたからです。これで我々は彼らを承認する権利が与えられ、承認したのです。

そして、友邦協力条約に調印した後で、我々は国連憲章に完全に準拠した形で彼らの支援を提供する権利を持っていました。キエフ政権はこの問題を武力解決しようと何度も試み、まさに航空機、戦車、砲弾を民間人に対して使う軍事行動を仕掛けてきたのです。この戦争を2014年に始めたのはキエフ政権なのです。そして国連憲章の51条に従い、我々は自衛条項を掲げて彼らに支援を提供する権利があったのです。

だからこそ、同輩のみなさん、私がいま述べた論理は、国際法と国連憲章のどちらから見ても一点の曇りもないものであり、これは私自身の見解でもあり、我が同僚や専門家たちも同じ意見なのです。これが最初の話です。

第二の話は、我々みんなが懸念していることですが、まちがいなく世界経済、食料、そしてそこに関わるすべて、インフレなどの話です。

強調しますが、国際食料市場における危機はロシアがウクライナで行った特別軍事作戦が引き起こしたものではありません。ウクライナ情勢よりはるか以前から発達しつつあったもので、それが浮上したのは西側諸国——アメリカとヨーロッパ諸国——がコロナ対応における問題を解決しようとして、まったく不当な形で——それも経済的に正当化できないというだけではありません——お金を刷り始めたせいなのです。

そしてこの巨額のお金を刷ったことで——アメリカでは、確か9兆ドルで、ヨーロッパでは5兆ユーロでしたか——世界市場のあらゆる商品財を吸い上げてしまい、掃除機のように、自分だけの利益のためにそれをやって、独占的な立場を濫用し、発展途上国を不利な状況に追いやったのです。詳細は避けますが、これは、ロシア語の表現だと医学的な事実で、一目でわかることです。

さて、穀物イニシアチブの話に移りたいと思います。はい、確かに何が起ころうとも、ウクライナ紛争に関わるどんな問題があっても、ロシアとウクライナの紛争があっても、発展途上国はアフリカ諸国を含め、食料が必要であり、苦しんではならないというのは理解しております。

我々は、ウクライナの穀物を世界市場に供給しても、貧困や飢餓の問題が解決されるとは考えません。いいえ、そうはならないのです。それでも、国連事務総長グテレスの提案を受け入れて、できる限りのことはやりました。まさに当時彼が言ったようにウクライナの穀物を、まず何よりもアフリカ最貧国に確実に供給するためにね。譲歩をしたのです。

その結果はどうでしょうか、紳士淑女の皆様? 数字を挙げましょう。数字はドライで偏りがありません。

6月15日現在、我が国とトルコの支援によりウクライナ港湾からは3170万トンの農産物が輸出されています——エルドアン大統領はこの点で尽力してくれました。3170万トン——なかなかの数字です。

この3170万トンのうち、アフリカの窮乏した国々に出荷されたのは、たった97.6万トンです。つまりジブチ、ソマリア、スーダン、リビア、エチオピアです。たった3.1%ですよ、紳士淑女の皆様。こうしたヨーロッパの新植民地主義列強、実質的にアメリカは、またもや国際社会と、窮乏したアフリカ諸国を欺いたのです。3170万トンが輸出されたのに、アフリカの窮乏国に到達したのはたった3%。

これが詐術でなくてなんでしょうか? 連中は何世紀にもわたり世界全体にウソをつくのに慣れすぎて、いまだにそれを続けているのです。一方、38.9%——1230万トン——がEU諸国に出荷され、11%はトルコ、残りは他国に出荷されました。

だからこそ、この問題にご注目いただいたのです。ウクライナの穀物を世界市場に供給しても、食料を必要とするアフリカ諸国の問題は解決されません。この話にはまた戻ります。

さて、話し合いですか。

ラマポーサ大統領殿、友人諸君、

ロシアは話し合いを拒否したことはありません。これは強調しておきたいが、エルドアン大統領の助けのもとで、トルコはロシアとウクライナの間で実に多様な対話の場を主催し、信頼醸成手段を編み出そうとしました。まさにあなたが今おっしゃったことです。そして条約の草案も作成しました。ウクライナ側に、この条約が機密になるなどと合意したことはありませんでしたが、それでもそれをだれにも見せなかったし、それについてコメントもしませんでした。

この条約草案を着そうしたのは、キエフからの交渉団のトップの一人です——彼はそれにサインした。ほらごらんなさい、ここにあります。名称は『ウクライナの永続的中立性と安全保障に関する条約』。まさにあなたのおっしゃった保証ですよ、我が友、南アフリカ共和国大統領殿。全18条。

さらに付録もあります。ほら——もう細かい話もしませんが——軍とかそういう話をしております。すべて書かれていますよ。兵器の数や兵員の数まで。これが文書で、キエフ代表団のイニシャルも入っています。これが署名です。

「これがその和平条約草案です」(プーチン) ((c)RIA Novosti)

しかし我々が約束通りキエフから軍を撤収したのに、キエフ当局は、そのご主人どもがいつもやることですが、そいつを歴史のゴミ箱に叩き込み、いや穏健な表現にしましょう。汚い表現は避けるようにしましょう。彼らはこれを拒絶したのです。他の合意からも彼らが離脱しないという保証はどこにあるのでしょうか? しかしそんな状況下においてすら、我々は話し合いを拒絶したことなどありません。

友人諸君、

話し合いなどしないと宣言したのは、我々ではなく、ウクライナ首脳部なのです。さらに現在のウクライナ大統領はこれに対応して、一切の話し合いを禁じる政令に署名しています。だからこそ私は、あなた方の懸念を理解し、それを共有しております。そしてもちろん、みなさんの提案はすべて検討する用意があります。しかし我々は話し合いを拒んだことはない——拒んだのはウクライナ側で、そういう政令まで出しているのです。

こっちにどうしろと言うんですかねえ?

戦争捕虜の話ですが、これは継続中のプロセスです。これに言及してくれて大いに感謝します。サウジアラビアとUAEをはじめ我が国のパートナーや友邦たちはこの面で尽力してくれています。このプロセスを続ける用意はありますよ。

子供の話ですか。子供は神聖なる取り組みです。我々は彼らを紛争地帯から遠ざけ、彼らの命を救ってその健康を守ったのです。起きたのはそういうことです。だれも子供たちを家族から引き離したりはしない。だからこそ我々は、孤児院を丸ごと移転させましたし、子供が家族と再会するのに反対したこともありません。もちろんその親戚たちがやってくればの話ですが。これについては一切障害はないし、今後もありません。この点は保証いたします。

議論の途中でしたがこれが申し上げたかったことです。時間を割いていただき恐縮です。

では続けましょう。こんどはザンビア共和国大統領、ハカインデ・ヒチレマ殿に喜んで議場をお渡しします。

お願いします。

(訳注:2023年6月20日現在、クレムリンサイトは、他のアフリカ代表の発言を収録してない)

「社会に埋め込まれた経済」で格差を克服?

ポラニー『ダホメ王国と奴隷貿易』、Kindle版にして少しお金稼ごうぜと思って、ちょっと見直しておりました。

cruel.hatenablog.com

ポラニーがこの本で言っている「社会に埋め込まれた経済」というのは、ピケティが『資本とイデオロギー』(もうすぐ出ます!) でも引き合いに出していて、資本主義と市場経済の暴走を許してはいけない、それは格差増大をひたすら肯定して不平等な社会の到来を招いてしまう、経済活動はもっと社会に奉仕するものとして、社会に埋め込まれるべきだ、という主張がポラニーの、特に『大転換』を軸に述べている。

でも今回思ったんだけれど、この議論というのは成り立つんだろうか。ポラニーに準拠する限り、非常に歪んだ議論なのでは?

 

まず一つ。経済が社会に埋め込まれた状況としてこのダホメ本で挙がっているダホメ社会。これはそんな、格差のない平等社会だったっけ? もちろんちがう。王様が全権もってでかいツラしてて、生産も工夫も取引もすべて王様配下でギルドが決めてそこから一切逸脱できず、社会的な互助、というと美しいけれど強制コミュニティ奉仕労働をさせられる。移動の自由はない。

するとそもそも、社会に埋め込まれた経済というものにそんな期待をしていいのか、という話は当然出てくる。

そしてこれは、このダホメ王国だけの現象ではない。

社会に埋め込まれた経済というのはつまり、社会関係があって、その表現として経済 (つまり物の流通) があるということだ。王様から/への贈与、さらにお歳暮やお中元のような贈答システムがメインということだ。そうした贈答関係は、権力関係に基づくものであり、それを固めるためのものだ。どんな贈り物を相手にあげるか/もらうかで社会関係が決まる。金持ちは、あんまりセコいものをあげると面子にかかわる。お心付けも何かとあげないといけない。

つまり社会関係=地位の差=格差があって、はじめてこのシステムは成立する。物の流通は格差=地位の勾配に応じて発生する。お隣同士のおみやげ交換といったものはあるだろう。がそれは限定的だ。対等な中では、別に高島屋のお歳暮を贈る必要はないのだ。

つまりダホメに限らず「社会に埋め込まれた経済」のこのバリエーションは、格差と不平等を前提にして初めて成立するものだ。すると、格差をなくすために市場の暴走をやめさせよう、社会に埋め込まれた経済を実現しようという主張は、意味があるんだろうか。

 

そしてそれ以上にもう一つ。この本の冒頭で、ポラニーは非常に重要な指摘をしている。平等とか自由とかいう発想自体がそもそも、大量生産市場経済の産物だということだ。

卑しい身分だろうと、お金さえ持っていれば何でも買える。貴族専用とかいうのはない。自由に何でも買える。大量生産により、同じモノが大量に出回り、みんなが同じモノを手に入れられるというのが、平等の基礎だ。むしろ大量生産と市場経済が、そうした平等や自由を要請した、というのがポラニーの主張だ。

つまり、そもそも格差がいけないという発想そのものが、大量生産に基づく市場の暴走によって生まれてきた発想だ。大量生産と市場の暴走を止め、社会に埋め込まれた経済なるものを求めたがること自体、そもそも格差がいけないとか平等を目指そうという発想を裏切ることになるんじゃないのか? むしろ市場をもっと暴走させ、資本主義をもっともっと突き進めるほうが、平等や格差の低減になるのでは?

科学的社会主義、マルクスレーニン主義って、もともとそういう発想じゃなかったっけ。「なんでお母さんは、ヤマメを3匹食ったくらいで龍にならなきゃいけないんだ! 湖を干拓して農地を作り、生産力を高めれば多少のモノの格差なんて無意味になる!」と太郎君も言っている。

生産手段を手に入れて、科学と量産により生産能力を高めることで、希少性がなくなり平等が実現する。もはや格差なんて意味がなくなる——そういう話を非現実的として一蹴することはできる。が、そういうのも考える必要はあるとぼくは思っている。

その意味で、このポラニーの本は、資本主義や大量生産消費社会を否定しているようで、実はそうではない部分もある。それを安易にもってきて、資本主義を超克すると言いつつ、そこで依拠している基本概念自体が資本主義の産物、という自縄自縛の議論は、やっぱつらい部分もあるんじゃないか。もちろん「社会に埋め込まれた経済」というののあり方が、捕虜虐殺した完全不自由高圧管理社会だけ、というわけではないのかもしれない。が、その一方で「社会の自由と独創性を守るためには私有財産をある程度は認めべきだろう。だがそのために必要な私有財産と権力の集中は、厳密に必要なものを超えてはならない!」といった主張を見ると、やっぱこれはかなりおっかなそうだし、実は本当に、社会に埋め込まれた経済というのは結局その完全不自由高圧管理社会に向かうしかないのかも、という気もするわけだ。