スタニスワフ・レム『SFと未来学』第13章 SFの実験:本書でいちばんすごい章!

はじめに

はい続き。スタニスワフ・レム『SFと未来学』第13章「SFの実験」。SFにおける文章、ブラッドベリとニューウェーブについての章だ。

さてこれまで、章ごとにぼくが訳しながらずっとうんざりしていたのは、非常に明らかだと思う。ワンパターンの罵倒にウンチク開陳に自慢。はいはいわかりましたよ、すごいですね。

青空の前に茶色がかったグレーのアニメ少女が茶色オレンジの服を着て画面上60%のこちらを見た顔で描かれ、吹き出しが「お前がそう思うならそうなんだろう」「お前のなかではな」と向かって右側に出ている。
「お前の中ではそうなんだろう」

が、この章はうってかわって見事。バラードの濃縮小説などに見られる実験小説が持つ意味と限界の分析も、きわめて的を射た鋭いもの。そして下巻の三分の二がすでに終わったこの章にきてやっと、レムは自分の本当の問題意識と、そもそもこの本で採用したテーゼ(「SFは科学的知見をきちんと提供するものでなければいけない」) の背景、および、この本でなぜ『SFと未来学』なんてのが並置されなくてはならないのか、というのを、きわめて明解に説明している。

すごい。まだこの先はあるけれど、この『SFと未来学』を代表し、その(問題意識部分の) 総括となる章を挙げるとすれば、この章になるだろう。お決まりの上から目線の罵倒もなければ、無意味なウンチクに流れることもなく、そして全体としての構成もまともで、段階を追って真摯に論点に取り組んでいる。そうだよスタニスワフくん、やればできるじゃないか!

スタニスワフ・レム『SFと未来学 II』

あらすじ

これまで罵倒してきたSFは、大した文章力はなかった。だから内容だけの話に集中して罵倒していればよかった。でも最近になってニューウェーブ一派が騒ぎ始めた。こいつらは内容よりも表現形式に凝るのが特徴だ。そういう書き方が重要となるSFについてここでは語る。

1. ブラッドベリのすごさ

その源流ともいうべき存在がレイ・ブラッドベリ。その書きぶりで初めてゲットーSFの枠を超えたという意味で、ニュウェーブの先駆 (当人たちはブラッドベリなんか無視したがるけど)。

そのブラッドベリの書きぶりはすごい。中身はまったくないんだけれど。中身の点で言えば、『華氏451度』とか、本焼いただけで言論弾圧とかファシズムとか言われるけど、ホントにナチスの圧政を経験したワシに言わせりゃ甘ちゃんもいいとこだよ。本があっただけありがたく思えよ。こんな話に感動するって、アメちゃんってホント何の苦労もしてねーんだな。[訳者の心の叫び:そういうこと得意げに書かなくていいじゃん。体験者として言いたい気分はわからんでもないが]

でも『火星年代記』や『よろこびの機械』の、幻想ともリアリズムともつかないその書き方は、懐かしさと牧歌性と恐怖がすべて渾然一体となり、作品ごとにリアリズムと空想の配合もちがう。それなのに彼は火星とアメリカ中西部の田舎と、宇宙船の中と、その他あらゆる環境をまったく同じ世界にしてしまう。そこではロケットすら田舎の小屋のような懐かしさを帯びた物体となり、死も核戦争も美しく牧歌的になる。

作品ごとのテーマや書きぶりの差があっても、それを貫く一貫性があって、その作品ごとの変動が意外性をもたらし、作品集全体を貫く独特の雰囲気を作り出す。なんか、本人も意図的にやってるわけじゃないのかもね。その雰囲気こそがブラッドベリの強みであり、一方でエリートに見下される弱みでもある。

2. ニューウェーブ/バラードのだめなところ

ニューウェーブは、ほぼバラード一人のような運動ではある。が、インタビューを読むとバラードって、クラークやアシモフに比べて自分が科学的なつもりなんだね。でもフロイトみたいなインチキを科学だと思ってる時点で、バラードの科学理解のお粗末さは明らか。

そして彼は『結晶世界』とか「溺れた巨人」とか「時の声」とかで、内容面でもますます破滅の美学みたいな、ろくでもない方向性に走りたがる。その上に最近は、形式面でも濃縮小説とかいうつまらない実験に走っている。が、そういう実験って無意味なのね。それはフランスのヌーヴォーロマンとかと同じ。

3. ヌーヴォーロマンのだめなところ

この手の実験小説というのは、基本的にわかりにくい、多義性をもった、つまりどうとでも取れる文章というのがその本質。それはこれまでの書き物のお約束を破りました、というのがポイントになる。そして、それだけ。破ることで何を表現したいわけではない。破ることが自己目的化している。

そして、ああいう作品って意味がわからないでしょ? でもそれは、わかんなくて当然なの。だって、あれは何も書く中身がないという小説なんだから。既存の文学に反抗して、「ぶっこわす!」というだけの代物なんだから。

その作者がなぜいろいろな断片の中からそれを選んだか、みたいな作者の何かを描くものとしてその作品を解釈することはできるだろう。さらにそれはロールシャッハ試験の絵と同じ。あの絵がはっきりしてたら、みんな「これは丸です」と同じ答えをするだけで、役に立たないだろ? まったく意味がなくてどうとでも解釈できるからこそ、読む側がそこに勝手なものを投射できる。つまり評論家とかがそこに「読み取っている」意味ってのは、実はその読者が自分の好きなものと勝手に投射してるだけなの。

でもなんか評論家が聞いた風なこといってうなずきあうよね。でもあれはただの内輪のお約束事を確認し合ってるだけで、実際に元の文にその意味があるわけじゃない。別の集団がまったく別の「意味」を読み取ることだってできてしまう。

だからそこに何が描かれているのか、ヌーヴォーロマンの意味は、と問うのは無意味。それは読む側が勝手に何でも押しつけられるのが本質なの。でもなんか意味があるように思えるよね。それは言葉の出現頻度に基づく読者の連想から出てくるだけなの。その連想が生み出す雰囲気で作品世界を作っている。それ自体は何も言ってないの。彼らは文学にノイズを入れて、あいまいさを増やしているだけなの。

バラードの濃縮小説も同じ。そして、それはまったく見当違いの方向性で何も生まない。バラードはうまいのにそんな方向を目指しているというのは先が思いやられる。

4. なぜそれがダメなのか? 文学、特にSFが目指すべきもの

さて、そういうお遊びはあり得る。でもね、いまそんなのやってちゃダメなの。なぜかを教えよう!

なぜかといえば、現代世界はそんなお遊びをやっている暇はないから。これまでの人類は、過去と現在のことだけ考えていた。でもいまや、未来をどうするか、という問題が重要となっているので、それをみんなで考えなくてはいけない。文学、ましてSFはそれを目指すべき。そうでないと、未来学者とかいうろくでもないエリートどもが未来を勝手に形成してしまう。そんな連中に任せちゃだめだろ?

文学は架空の話を扱うよ。でもね、その架空の話を通じて、人間やその環境が持つ実際の課題、悩みを考え、人間活動の不変量を見極めるのが一つの仕事だ。どんな時代にも人は死すべき運命、老いる運命にあり、NTRがテーマになったりする。

でも現代というのは、そこに技術が入ってくる。技術のおかげで、死ななくなったり、老いなくなったりする可能性が見えてきたわけじゃん! すると、文学で扱ってた昔ながらの「死は悲しいが雄々しく立ち向かうぜ」とかそんなのが、これから変わるじゃん! それに向けていろんなことを考えるのが文学、特にSFの急務だろ! あほな言語実験にうつつぬかしてる場合じゃないだろ!

ニューウェーブでは、他にオールディスが実験っぽいのやってるけど、頭でっかち。バラードとオールディスの中間がいればねえ。

SFは、宇宙からいきなり毒ガスが降ってくるとか、ほぼないが一兆分の一の確率ではありえるような設定を考え、その影響を最大限の知見をもとに考察する、というようなことをしなきゃ。それはちゃんと知見を増やすということになる。あるいは、まったくあり得ない状況 (人間の背中に翼が生えるとか) を扱うなら、それな何らかの仮説検証としてのものだ。いずれの場合も、この現実、人間がどういう影響を受けるかというのを真剣に考察しないと。言葉遊びで自足してちゃいけないんだよ。

感想

いやはや。

1. SFの「認識論的評価」と未来学の関係

冒頭でぼくは、本書においてレムが実に偏狭な自分だけのSF評価軸を打ち出している点について論難した。

cruel.hatenablog.com

その中でレムは、こう断言していた。

SFで求められる情報オリジナリティは、コミュニケーションの表現構造にはない。表現中でオリジナルと受け取られるが、後に平凡さが明らかになる情報は、SFでは失格だ。だがここで一つ但し書きをつけよう。私は「平均的読者」としてではなく、真の認識論的価値を求める者としてこう述べる。だから本書は、言わば今日の支配的な美的慣習に逆らうことになる。(p.16、強調引用者)

いったい、なんでこんな「真の認識論的価値」なんか求めたがるの? なぜそうでないお気楽なSFをレムは否定するの? これまでの千ページ以上で、レムはそれを一切示さなかった。

さらにこの本は「SFと未来学」とされている。でも、なんでタイトルで、この二つが対比されているの? 未来学について扱った章で (いや章ですらない、節でしかない)、レムは「未来学はやたらに金使ってるけど、全然だめではずれっぱなし、みじめーwww」と嘲笑するだけで、そもそもなんでそんなものを問題にしなきゃいけないのか、なんでそんなことを論じているのかについてはまったく説明していなかった。

cruel.hatenablog.com

さらにこの短い「未来学」嘲笑以外の部分では、未来学について、明示的には一切触れてこなかった。「SFと未来学」というんだから、全体の半分くらいは未来学の議論になるんだろうと思ったら、まったく議論がない!

でもそれがやっと、ここで問題意識としてまとまってくる。

レムはSFというのを、人類全体として未来について考察するための手段であり、真剣なシミュレーション構築だと理解しているわけだ。要するに彼にとっては、未来学を民主化する手段としてのSFというのが重要ってことね!

そしてこれまで既存のSFにケチをつけていた嘲笑部分、たとえば「冷凍睡眠が実現したら、金持ちの遺族予定者たちが真っ青になるよね」なんていうつまらんチャチャ入れは、実はレム的には真摯な未来学的な考察だったってことね!!!

やっとここまできて、レムが何をしようとしていたのか、わかりましたよ。

ぼくはまったくこのレムの見方には賛同できない。そういう側面もあるのは認める。そして、レムがそっちをもっと強化すべきだ、というのもわかる。だけど、それしかやっちゃいけません、それ以外の安易なことやるやつは全員無能なバカ、というレムの論調は? そんな狭苦しい考え方をする必要はまったくない。

一方で、最近になってSFを未来予測に使おうとかSFシナリオなんとかとか、インチキな旗を一部のSF関係者が掲げているのは、苦々しく思っている。もちろん、一部のSFにまさにそうした未来を真面目に考える意味があり、それ故に価値があることも十分認める。藤井大洋の作品にそういう意義があることは否定しがたい。

でも、「あたしはSF関係者、よって精緻な未来予測ができる」なんて威張っちゃいけない。さらにSFと科学は、抜きつ抜かれつの関係で、どっちが先行しているかで、そうした未来予測や仮説検証の果たせる役割も変わってきて……が、閑話休題。

2. 最高のブラッドベリ評

そしてこの章前半の、ブラッドベリ評の見事さはちょっとただごとではない。ぼくはスタニスワフ・レム的に、ブラッドベリをあまり評価するとは思っていなかった。感傷的で、別に科学仮説をきちんと検討しているような小説でもないし、中身のなさをレトリックでごまかしている、というような評価になると思っていた。

が、まず短編集の主要作品を一篇ずつ解説するという丁寧な扱いには驚く。そしてその叙述が生み出す雰囲気、日常と非日常が自然に融合する不思議な語り口の魅力に、レムがここまで敏感だったというのも驚愕させられる。ぼくはここまで的確で詳細なブラッドベリの分析をこれまで読んだことがない。他のブラッドベリ評のほとんどは、ブラッドベリの叙情性に流されてしまい、評者自身の勝手な感傷を垂れ流すだけの感想文に堕している。ここでの評論は、ある意味で、あまり感傷のないレムだからこそ書けた評論ではある一方で、逆にあれほど感傷がない人間がここまでブラッドベリに反応できるということ自体が驚きではある。

3. ヌーヴォーロマン/言語実験への的確な評価

そしてバラードを論難する過程での、ヌーヴォーロマンや言語実験作品に対する厳しいが正確な評価。何も言っておらず、読者に下駄をあずけ、作者自身とその読者の持つ連想に任せて雰囲気を作っているのだという評価。卑近ながら、これはまさにぼくが『たかがバロウズ本。』でバロウズについて論じたこととまったく同じ。

そしてこうした実験小説と言われる代物に対する、辛辣で正確な分析と評価。いやはや、おそれ入りました。

まとめ

これまでもう、本当にうんざりしていたんだけれど、この章のおかげで俄然、レムの評価も復活したし、そしてこの本全体の見通しもよくなった。こういう全体的な見通しをまず最初にもってきてよ。そしたら、これまでのオレ様評価も少し意味合いがちがってきたでしょうに。

敢えてケチつけるなら、冒頭のブラッドベリ分析が、後半でまったく活用されない。だけど、その分析自体がすごすぎて完結してるので、それが浮いてるからって文句言う気にもならない。

そしてレムコレクションの「文学エッセイ」で挙げられた、「メタファンタジア」という本書最終章にあたるつまらない評論があるんだけど、あれはおそらく、『SFと未来学』の内容紹介のかわりのつもりなんでしょ? でもあんな中身のないものを挙げてもしょうがないじゃん。あれでは何もわからないよ。この章を紹介してくれると、彼の文学観もわかるし、SFにレムが期待しているものもわかるし、そしてその鑑賞眼の鋭さもわかったんじゃないかねー。

お次は……

さて次は、ユートピアを扱った長い章。本章を読んだ後で、少しはレムを見直して好意的に見るようにはするんだが、ぱっと見ると半分くらい、「ステープルドンえらい」になっていそうでちょっとおっかなくはある。

が、それでもあと3章だ! はやめにやっつけるぜ!